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親不孝物の場合

 「ただいま」の一言を言うことが、こんなに難しくなったのは何時からだったろう。何を伝えようとしているか分からない番組を、ひたすら流し続けるブラウン管も、ガタが来はじめている様で、耳を澄ましてみるとノイズが酷かったりする。

 母親はもう就寝しているようで、家の中はひっそりとしていた。祖父、祖母、父を名前しか知らない俺にとって、唯一の肉親と呼べる母ではあるが、その仲は決して良いとは言えない。

 ―― 俺は、親不孝物だ。


 夜の街は、昼の街より賑やかである事もある。その不確定さが、不安定さが好きで、俺はよく一人でふらふらしている。ネオンの明かりは嫌いだけど、それを反射するスパンコールは好きだった。

 酒を飲める年齢じゃない。いやらしい暖簾を潜る事もできない。それでも夜の街は、俺にとってとても刺激的なものだったんだ。

 下手に首を突っ込まない。目を合わせない。堂々とする。その三つさえ守っていれば何とかなるって、知り合いの知り合いあたりが言っていた気がする。ずっとそれを守って、コンビニで惣菜を買い食いしたり、ゲーセンで時間を潰したり、顔見知りのおじさんがやっているバーでジュースを飲んだりしていた。酒は断られてばっかりだ。

 「―― (めい)

 おじさんはよく俺に言う。

 「人の繋がりは大事にするべきだ。今の君には響かない言葉かもしれないが、いづれ分かる。だから帰って、ただいまの一言を美波さんに言うんだ。それが今君ができる、最大の親孝行だと、私は思うね」

 俺はそれに対して、きっと吐き捨てるように「嫌だね」と言ったと思う。おじさんはそんな事を言うくせして俺にジュースをくれるもんだから、よくわからない。

 「俺がいきなりそんな事言ったってな、きっとあの人は何も言わねぇよ。それどころか病院へ連れていこうとするかもしれない。嫌だね。俺があの人の事をあまり知らないからこういう事が言えるってのは分かる。だけど、知らないのは意図的なんだ。知りたくないから、知らないんだ」

 俺がこういう事をよく言うのは、時計の針が、夜中の三時を指した辺りからだと、おじさんは言う。

 「…… まぁ、あの人にも勇気は必要かもね」

 「―― かもな」

 俺が言えたもんじゃねぇけど。そう思う。思えるくらいに、腐ってはいない。俺は臆病だから、完全に腐るのを怖がって、まだギリギリ巻き返せる程度のラインで踏みとどまっている。おじさんはそんな俺を笑わない。

 だから俺は、よくおじさんの所へよく行くんだ。居心地がいいから。



 玄関のチャイムが鳴る。午前十時。俺は自分の部屋でなにかしていた。いや、きっと何もしていなかった、と思う。時間を潰していた。日が沈むのを待っていた。

 一階で、女の人の声がした。あの人の声じゃない。もっと若々しくて、少し攻撃的な声。イメージとしては… そうだな、紅い声だ。

 「―― っ!?」

 二人の足音が、階段を登るのを聞いた。その時点で何か嫌な予感がしていた。こう、胃液がぐるぐる回る感じだ。

 ドアが乱暴に開く。そこに立っていたのは、客人を必死で止めようとする母親と、真紅の髪と瞳を持った、少し大きめの女性だった。

 「斎藤命」

 「は、はいっ」

 自然と声が引きつる。彼女の瞳は攻撃的だった。

 「中途半端なお前にピッタリな仕事があるんだ―― やるか?」

 そう言って彼女は―― 銃口を俺に向けた。

 「……」

 俺は何も言えなかった。



 「さっきは済まんかった。いや、名刺と間違えてな」

 名刺と間違えて人に銃を向ける奴がこの世にいたのか。

 「ほら、これだ」

 母が、青少年を健全に育成するための方法を模索していたらしく、この女性が勤務(?)する事務所から連絡が来たらしい。

 「… 『制裁探偵事務所』?」

 「ああ」

 彼女は煙草の様な物を加えながら数枚のA4の紙を渡してきた。

 「街の平和を守ろう… というか、まぁ、そんな感じだ」

 「そんな適当な」

 そんな適当な…。よく見たら咥えているのは煙草型のお菓子だった。視線に気が付くと、彼女は「食うか?」と一本差し出してきたが、俺は断った。

 「これに俺が?」

 「ああ」

 「なんで」

 「―― ははっ」

 彼女は俺を『仲間の様に見て』笑った。

 「お前には素質がある」

 「…… はぁ?」

 「お前には、みんなの英雄(ヒーロー)になれるだけの素質があるのさ」

 「英雄… ?」

 俺は疑ったが、彼女は真っ直ぐ俺を見ていた。

 「―― 青年、斎藤命… 私は戦ヶ丘(いくさがおか)(べに)と言う」

 そう言うと、彼女は立ち上がり、俺に手を差し伸べてきた。

 「来いよ、ウチに。きっとこれは―― お前が望むものでもあると思うんだ」

 「………」

 俺は横目で母を見た。母も、俺を見ていた。

 「詳しい事はその紙に書いてある。明日の同じ時間にまた来るから、その時までに答えを出しておいてくれ」

 そう言うと彼女は、母にお茶のお礼を言い、俺には何の言葉も無く帰っていった。俺はしばらく彼女の言葉を考えていたが、母が戻ってくる前に自分の部屋に戻った。

 不思議と、胸が高鳴り続けていた。



 『制裁探偵事務所』 様々な街の為に慈善活動、又は様々な依頼を請け負う探偵業、又は暴力を振るう者へ制裁を行う事務所。

 「訳わからん」

 慈善活動は分かる。ボランティアみたいなもんだ。自主的にやるのは面倒な上に気恥しかったから、俺はやった事がない。

 探偵業も分かる。浮気だったり飼い猫の失踪、またはドラマやアニメでよくある事件の情報を掻き集めたりするもの。少しだけやってみたい気はあった。

 問題は三つ目―― 『暴力を振るう者へ制裁を行う』… これは警察の仕事じゃないのか? なんだ、参加するなら俺が制裁を与えるのか? なんだそりゃ、そんなに喧嘩強くないぞ…。

 「…… どうしろって言うんだ」

 混乱し続けている。どうにかなりそうだ。

 そう思いながら、何となく空を見てみた―― あの人の様に、真紅に空が染まっていた。


 「ああ、知っていますよ」

 おじさんの所に尋ねてみると、意外な反応を見せた。

 「え… ? 知ってんの?」

 「ええ。制裁探偵事務所。紅と蒼の二人。あまり有名ではないですけど、ここの常連ですからね、彼らは」

 「……… 常連?」

 「はい。(あお)さん?」

 蒼と呼ばれた男性は、よくわからない酒を飲んでいて、ゆっくりおじさんと俺の方を見た。カウンターの一番隅に座っている男性… よく考えれば何度か会った事はある。話したことはないけれど。

 「なんです、マスター」

 「この子がね、制裁探偵事務所について聞いてきたんですよ」

 「この子… ?」

 長めの前髪の中に、宝石の様に蒼い瞳が見えた。まるで品定めをする様に俺を見ていた。

 「…… 紅に会った?」

 「え… あ、はい」

 「そう」

 一言言うと、一旦自分の席に戻り、酒と筒状の大きめのケースを持ち、俺の隣に座ってきた。

 「… 勧誘されたんだ」

 「は、はい」

 「―― なるほどね」

 くい、と一口飲んで、少し考えているようだった。

 「確かに… 良い目をしているよ」

 「え?」

 「そうですか」

 おじさんはその言葉に大きく頷いた。俺は訳がわからないままだったけれど。

 「まだ… スタイルについては知らない?」

 「『スタイル』… ?」

 初めて聞く発音だった。スタイル、きっと俺が思っているものと、蒼と呼ばれた彼が言っているものは別のものだろう。

 「いえ… たぶん、知らないです」

 「そうか」

 彼は短く切って、グラスを返し、立ち上がり、俺の肩を叩いた。

 「…… ?」

 俺はおじさんの方を見たけれど、おじさんは笑うだけだった。彼がついてこいと言っているようだったから、俺は素直について行った。



 「…… この辺がいいだろう」

 午前二時。バーから少し歩けば、虫や鳥の音しか聞こえない時刻。そんな中、彼は誰も居ない、少し開けた公園で足を止めた。

 「… 君、名前は?」

 「さ、斎藤、命です」

 「めい?」

 「い、命と書いて、『めい』と読みます」

 「へぇ… いい名前だね」

 名前、そう、名前は祖父が付けてくれたものらしい。祖父の事はよく知らないけど、俺自身、この名前は気に入っている。

 「俺もそう思います」

 「それは良い事だ」

 彼は微笑んで、筒状のケースのジッパーを開いた。中から日本刀が出てきた。

 ―― 日本刀が出てきた。

 「―― !?」

 銃を使う女と日本刀を持ち歩く男にこんな短時間のうちに会うとは…。

 いやいやいやいや、これって「今日が命日となる、命だけにね!」とか寒いギャグ言われながら斬り捨て御免されたりするんじゃないのか? やばいんじゃないのか?

 「ちょ――」

 「? …… あ、ああ!」

 男性は慌てたように手を振った。

 「君には何もしないよ。ちょっと―― 『スタイル』を説明するのに使うだけなんだ。身構えないで、あと出来れば通報もしないで」

 「………」

 彼は俺から少し距離を取った。

 「ほ、ほら! これで俺に君を斬る意思が無いって証明できたんじゃないか?」

 滅茶苦茶いい笑顔だった。さっきまでのクールさはどこへいったのやら。

 「…… スタイルについて説明するよ」

 「…… ?」

 一瞬で目の色を変えた。空気も自然と張り詰めた。

 そして、流れるような動作で―― 彼は抜刀した。

 「うお…」

 綺麗な刀だと思った。ただ単純に… 知識が無いから、これ以上の賞賛は出来ないけれど、本当に綺麗な刀だった。

 「スタイルは、持っている人と持っていない人がいる」

 「スタイルを持つ?」

 「ああ」

 彼はその刀を構えた。

 「スタイルにはいろいろな形があって、同じものは存在しない、と思う」

 「思う…」

 「表沙汰にはなっていない能力だから、俺でも詳しいことはわからないんだ」

 「能力…」

 「そう、能力―― んー、あ、そうだな、説明するのに最初から持ってちゃダメだ」

 彼は刀を納め、そこらに落ちている木の棒を手に持った。

 「太刀筋って知ってる?」

 「… い、いえ、よく知りません」

 「俺もだ」

 彼は自嘲的に言った。そのまま、その木の棒を刀を握るように構え、上から、振り下ろした。

 「…… どう?」

 「どうって… 何も感じませんてした」

 「だよね」

 … いまいち掴めない人だな。

 「じゃあ次は――」

 そう言いながら刀を抜いた。空気が思い出したように緊張する。

 「こうだ」

 ―― 木の棒を振り下ろした時、風を斬る音が聞こえていた。それは俺にも出来る事だ。けれど、『これ』は違った。

 まるで、『風が斬った』様に、地面が割れていた。

 音も無く、触れることもなく―― その刀は地面を割った。切り裂いた。

 「どうよ」

 「…… すっげぇ」

 まさに『能力』と言うに相応しい現象―― これが


 「これが俺のスタイルだ」


 俺はその時何を思っただろう―― きっと、少年の心を思い出していた。

 「自己紹介忘れたな、俺は争谷(あらたに)(あお)。斎藤命よ」

 「は、はい」


 「君にはロマンがあるかい?」


 「……」

 俺はこの問いに、未来を思いながら頷いた。



 「よお」

 その日午前十時。眠れなかった。玄関前に紅色のアヴェンタドールが止まっていた。

 「酷い顔だな、そんなに悩んだのか?」

 「ああ、はい」

 紅い彼女は噛み締める様に笑う。

 「堅苦しいな、もっと楽になれよ」

 「………」

 あれから、スタイルについて少し教わった。

 スタイルとは、いわゆる特殊能力らしい。馬鹿みたいな話だけれど―― あれを見てしまったら、信じざるを得ない。

 『何かをした時』『何かが起きる』という能力をスタイルと呼ぶらしい。

 彼は、「『この刀を握った時』『剣術を扱うことが出来る』。みたいな感じだ」と言っていた。俺にも―― それがあるのだろうか?

 「紅、さんでしたっけ?」

 「ん? ああ、そうだ」

 「俺に、英雄になれるだけの力があるんですか?」

 その言葉に、彼女は少し驚いたような顔をして、「蒼に会ったか」と笑った。

 そして、真っ直ぐ、撃ち抜く様な視線で言った。


 「―― んなもん、お前次第だろ」


 「そうですか」

 俺は―― ずっとこの言葉を言われたかったんだと思う。にやけが止まらない。

 「―― 母さん」

 俺は振り返って、玄関に棒立ちしている母を見た。母は驚いた様で、目を丸くして俺を見た。

 ―― 変わっていく。

 ずっと望んでいた事だ―― ずっと―― 俺がやりたかったのは、こういう事だったのかもしれない。


 「行ってきます」


 そう言って、真紅の車に乗った。

 少し行って、振り返ってみると、母が手を振っているのが見えた。

 ―― ここから、始まるんだ―― 俺の物語が。


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