9、コンサルタントへの道
9、経営コンサルタントへの道
大滝が経営コンサルタントの世界へ転身したのは、もともと経営学に関心を持っていたことや、大学卒業後勤めた、特殊法人の経済団体で、経営セミナーなどをやっている団体であったことが背景にはあった。
しかし、直接そのきっかけを作ったのは、酒類卸業の昭和屋と業務用食品卸の大正食品の社長、福島英一である。
会社の整理も大詰めを迎えた頃、福島は大滝を訪れたのである。
昭和屋と大正食品のいずれの会社も、かつてフロンティアへ商品を納めていたのである。
福島は、大滝が会社の整理で苦境のどん底にいたとき、居抜きで店を買ってくれる人を親身になって探してくれていたときのことである。
「ところで大滝社長、私はかねがね考えていたのですが、コンサルタントになる気はありませんか」
「えっ、会社をつぶした私がコンサルタントに・・・」
「そうです、あのときの社長のお蔭で昭和屋の経営内容も社風も大きく変わりました」
「そんなことありました?」
大滝は、以前昭和屋の経営について乞われてアドバイスをしたことを思い出した。デパートの中に出店した小売店“酒の昭和屋”が苦戦を強いられていたときのことである。
品ぞろえの見直しから始まりレイアウト、陳列、価格政策、販売促進、そして接客に至るまで徹底して顧客満足度の向上に重点をおいたのである。
いちばん売れるが、いくら売っても儲からなないビールを無視して、比較的粗利益の取れる地酒に力を入れたことを思い出した。ビールを置かないわけにはいかないが、採算を度外視する売り方を止めて、地酒の品ぞろえと情報提供に力を入れたのである。
いま、地域の人は地酒といえば“酒の昭和屋”を思い浮かべる人が多い。
「これまで、何人かのプロのコンサルタントの先生にお世話になりましたが、あまり効果が上がりませんでした。ところが、大滝社長にはじつに的確なアドバイスをしていただき、結果を数字で出してくれました」
「そう言われても、私が会社の経営指導をするなんて資格があるとは思えないし、自信もありませんよ」
「そんなことはありません。大滝社長の経営姿勢の根底には、偽りなしに顧客本位の視点があると思うのです。言葉では誰しも、顧客第一主義を唱えていても信念としてまでは、持っていない人が多いのではないでしょうか。かく言う私もその一人でしょうが・・・」
「あまり、買いかぶらないでくださいよ」
「それに、社長の話すことは、説得力があるのです、それは自分自身が命がけで事業をやってきたからです。それに、数字に強いことです。私も最初社長の言う“値上げをしないで、粗利益率を上げる方法もある”と言われたときは、そのようなことが本当にできるのであろうか、と半信半疑でしたが、見事にやってくれました」福島が、なおも熱弁をふるう。
「ああ、粗利ミックスのことですね・・・」
粗利ミックスとは、簡単にいうと粗利益率の低い競争力のある商品を前面に出して集客をしながら、粗利益率の高い商品の売り上げ構成比をいかに上げるか、という課題に取り組む手法である。
「それに、私が社長にコンサルタントになって頂きたい最大の理由は、経営者の痛みの分かる人にこそ、中小企業のコンサルタントになってほしいのです。その点と言ってはなんですが、社長は、地獄を見た男です。経営者のつらさや、苦しさを充分過ぎるほど知りつくした人だからです」
「疑獄を見た男か・・・」
「私はそれこそがコンサルタントの第一条件だと思っています」
「分かりました。考えてみましょう」
「考えただけでは困るのです。じつは、私の会社大正食品をぜひ、面倒みて欲しいのです」大滝もこれには驚いた。
「ずいぶん急なお話ですね」
「そうです、改革は早ければ早いほど効果的だと言ったのは大滝社長でしょう」
「おはずかしい」
「このところ大正食品の、業績がえらく落ち込んできて困っているのです。なんとか、巻き返しのためにお力添えいただきたいのです」
「私は何をすればいいのですか」
「時々顔を出して経営や、営業のアドバイスをして欲しいのです」
「門外漢の私にできる仕事でしょうか」
「大滝社長なら大いに期待できると思うのです。いまの、大正食品はこれまでに作った販売網への電話による御用聞きと、配達だけの営業をしているだけですから、じり貧になるのはあたりまえだと、思っています」福島は、タオルで毛のない頭の汗をふきながら、社員たちに対するもどかしさを訴えた。
「会社の実質的な責任者は誰なのですか」
「私の妹の亭主の水越が肩書は専務ですが、一応現場の責任者ということになっています。しかし、魚のほうに明るいので、早朝から市場に通い仕入れを担当しています。それで精いっぱいで昼過ぎには家に帰って寝ています。数字にうといせいか、経営にはさっぱり関心がありません。本人は役員になっていることは気が重いので下ろしてほしいといっています」
「これまで、社員さんたちには、どのような指導をされていたのですか」
「新規開拓をやるように言っているのですが、忙しいとか、下手に売り込むと引っかかるとか言い訳ばかりして思うように動いてはくれません」
「どのくらいの時間をさけばよろしいと思いますか」
「とりあえず週に一度くらい顔を出して頂ければと思いますが・・・」
まだ、いくらかの残務整理が残ってはいたが、時間的にはできない相談ではなさそうである。
「わかりました、お役に立つかどうか、わかりませんがやらせて頂きます」
話はとんとん拍子に進んで、毎週金曜日の午前十時から午後三時まで大正食品で、改革・改善の仕事に取り組むことになったのである。
大滝が最初に手をつけたのは、既存の得意先の分析であった。結婚式場、ホテル・旅館、割烹、居酒屋、ゴルフ場、レストランなど業態別に使ってくれる食材を洗い出した。
ついで、業態別、得意先別に売上、売上成長率、粗利益率、支払いサイト、一回あたりの配送による売上高などによる総合評価によるランク表を作成させた。
配送がないときでも、ランクの高い得意先に対しては訪問回数を増やして、情報収集や、提案営業にあたらせた。
やることは山ほどあった。品目別売上の上位ランクの商品にもかかわらず、注文のない得意先にはその理由を聞き出させた。また、それらの食材をどのようなメニューとして提供しているのか調査させたうえで、提案書にまとめる。その提案書を活用して営業マンに提案営業をするためのセミナーを何度か開いてから、積極的に営業活動をさせたのである。
同業他社でこれらの提案営業を組織的にやっているところが少なかったせいか反応が出始めるのにさほどの時間はかからなかった。
多くの得意先では、メニュー開発には消極的であった、というより方法が分からなかったともいえる。
大滝が、大正食品の得意先に対する経営支援のできる営業マンを育てるために行ったことは、つぎのような手法であった。いわゆるコンサルティング・セールスである。
まずはABC分析による、売れ筋と死に筋の把握とメニュー変更計画。
つぎに季節変動指数と曜日変動指数の把握による売り上げ予測を立てる方法と、それに伴う労働時間の予算化。
続けざまに時間帯別売上指数の把握によるパートタイマーのワークスケジュールの組み方。そして、コストコントロールのためのポーションコントロール(分量管理)の方法
とレシピーの充実による味や盛り付けの標準化と品質向上など。
営業マン一人ひとりを、フードサービス・コンサルタントに仕立てようという戦略は、着々と功を奏した。
これまでは、御用聞きと配達要員であった営業マンは、得意先から頼りにされ始めモチベーションはいやがうえにも高まってきたようだ。仕事が面白くなると成果が上がる。成果が上がると仕事はますます面白くなる。
大滝の論理的でありながらも、営業マンの苦労を知り尽くしている立場からの懇切丁寧な話は、説得力を持っていた。気をつけなければならないことは、得意先に対しは、あくまで、謙虚でなければならないことである。決して教えてやるとか、出過ぎた態度は微塵も見せてはいけないことを教えたのである。
大滝は、理屈で勝って商売で負ける営業マンを数多く知っていたことから「しゃべりすぎるな」「話を聞け」「聞かれたことに対してしっかり答えられる準備を怠るな」「相手が質問したくなるような人間になれ、そして、質問しやすい雰囲気をつくれ」など徹底して教育したのである。
大滝が経営コンサルタントの道を歩もうと決心したとき、外食産業専門のコンサルティングを考えたが、それが難しいことは、すぐわかった。
地方の経営コンサルタントは、業種や業態を特化したり、業務を絞ったりすることが難しいのは、マーケットが小さいことと、地方では無形のものにお金を払うことに慣れていないこと、成長のためにコンサルタントの力を借りようとするような、元気な企業や志の高い企業は少ないし、あっても知名度の高い東京のコンサルタントに依頼することが多いからである。
かくして大滝は、何でも引き受ける経営コンサルタントになっていくのである。
ただ、最近はインターネットの普及によって、業務を特化したり、業種・業態を絞り込んだりするコンサルタントが台頭しつつあるようだ。
これは、商圏を広く設定できるからであろう。言わば“とんがったコンサルタント”のマーケットが広がりつつあるのだ。
大滝は、大正食品のコンサルティングの仕事を引き受けたことを契機に、地域に根をはったコンサルティングの仕事に手ごたえと面白味を感じはじめていた。
しかし、コンサルタントとして独立したものの、簡単にクライアントが見つかるはずはない。
かといって学習塾の収益と大正食品一社のコンサルティング料だけでは、資金的にやりくりするのは難しい。
大滝は、かねがね仕事を手伝って欲しいと言われていた人物がいたことを思い出していた。その人は、かつて龍二が所属していた青年経営者倶楽部の先輩である、高村俊男である。
彼が経営しているのは、住宅の建築と不動産販売の会社である「未来ハウジング」である。
問題は自分がどういう立場で仕事をさせてもらうかである。
話は早かった。高村はその日の午後から関西へ出張することになっていた。あろうことか、大筋は電話で決まった。
請われて協力することが、有利に働いたのであろう、週三日の出社を条件に企業内コンサルタントとして出勤することになった。
報酬はコンサルタントとしては高いとは言えないが、役員並みの報酬が提示されたのである。それに加えて、本来の業務の合間に営業をして、成約できた場合のインセンティブも支払うという。
不況のいま、中年の男がこのような条件で働けることは、幸運としか言いようがない。
大滝が持っていた宅地建物取引主任者の資格も活かせるはずであり、大滝のモチベーションは、いやがうえにも高まった。
高村社長が出張から帰った翌々日改めて二人の面談が行われた。
ひととおり入社の待遇や条件を確認し合った後で高村が言った。
「うちは、これまで私の好きなようにやってきました。ガツガツやってきたお蔭で確かに儲かりました。財務内容もしっかりしてきたと言えるでしょう。いまウチで持つ物件で担保に入っているものはありません」高村は、淡々と続ける。
「ただ、私は組織で育った人間ではないだけに、組織的な仕事の進め方に自信がないのです」
「組織図はあるのですか」
「ありますが形だけで、実態は無いに等しいと思ってください」言いながら高村はファイルから組織図を取り出して見せた。
それは、建築部門と販売部門と総務部門のある一般的なものであった。
「社長のスタッフ部門はないのですか」
「スタッフ部門?」
「はい、財務戦略や企画、人材開発などを社長に提案をするセクションです」
「それはありません。私の考えを実行させるだけの組織でしたから・・・」
「分かりました。ところで、後継者の候補はいるのですか」大滝が聞いた。
「大学を卒業して5年たつ息子がいるが、いずれ彼を後継者と考えています。いま東京の建築設計事務所に勤めています」
「ご子息は、了解されたのですか」
「それとなくは話したつもりですが、はっきり意思を確かめたことはありません。でも、妻の話によれば、最近は親父の会社に関心を持ち始めているという感触を得たというのです」
「私はそういう話は、できるだけ早いほうがよいと思います」大滝は、自分の息子たちの顔を思い浮かべながら言った。
彼らは、ひそかに大滝の会社を自分たちの就職先と、考えていたかも知れない。いま、その会社はない。有効求人倍率は上がり就職難とはいえない昨今ではあるが、働きたいと思う魅力的な会社は少ない。彼らがこれから、就職活動をすることを考えると自分をふがいない親だと思わずにはいられなかった。
「そうなのですが、これまでは胸を張って後を継げと言える状態ではなかったので、つい言いそびれていました」自信に満ちている経営者にして、自分の息子には理想的な会社にして譲りたいと思う親心はよく理解できる。
とはいえ、自分と比べたら天地雲泥の差がある高村をうらやましく思う大滝であった。
「今度大滝さんにお願いしたいことは、組織で動く会社にするために力を貸してもらいたいのです。1から10まで私の指示がなくても会社が機能する状態にしたいのです。そのためにご尽力頂きたいのです。指示待ち人間ばかりになってしまった責任のすべては、私のワンマン経営にあります。それを承知の上での20年間でした」
そのあと、高村は会社を今日の状態にするまでの苦労話をした。
「社長のお気持ちはよくわかりました。およばずながらわたしにできることがあれば、精いっぱいやらせて頂きます」大滝は高村を見つめて言った。
「どうぞよろしく!」高村は、右手を差し出して言った。
「こちらこそよろしくお願いします」大滝は高村が握る手を握り返した。
大滝の「未来ハウジング」における役職は企画室長であった。もっともらしい肩書であったが実際の仕事は、商品開発、販売促進計画、社員教育、クレーム処理と多岐にわたった。
出社の日は必ず遅くまで仕事をしたが、これまで経営者であった大滝に、残業という感覚はなかった。
経営者の仕事は時間で終わることはなく、自分が納得した時に終わる、大滝はずっとそう考えてきたのである。
ただ少しの期間、戸惑ったのが朝の行動である。出社してすぐタイムレコーダーの打刻するとき、皆でする掃除、朝礼で話を聞くときの違和感はいかんともし難かった。社員であれば、ほかの社員と同じことをするのは当たり前であることはわかっている。もちろん顔には出さない。しかし、理屈では分かっていても、長いこと社長業をやってきた大滝には馴染むのに時間が必要であった。
高村の言うように社員の仕事ぶりは組織的とはいえないし、無駄が多かった。大滝は、着々と改善を始めた。
まず手をつけたのは会議の持ち方である。高村には言いにくいことではあったが発言の少ない、活気のない会議を変えるために社長の話す時間を制限してもらった。高村は自分でも気づいていたようで快く了解した。ただ、「うちの連中ときたら、まずみんなのまえでは話のできない奴らばかりでいらいらするんですよ」と言い訳がましいことを言った。
実績のデータを読むだけの会議から問題発見や問題の解決策の提案などを社員が積極的に発言しなければならないようにスケジュールを組み直した。これらのことが功を奏し、徐々に会議に臨む社員の姿勢が変わってきた。当然のことながら会議は社長の独演会というこれまでの雰囲気は払しょくされ会議は活発で建設的なものに変わってきた。
クレーム対応についても大きく変わってきた。どちらかと言えばクレームから逃げる風潮があった。その社風が自ら積極的に苦情の解決に取り組む姿勢を見せ始めたのである。
それは、大滝が先頭に立って潔い態度でお客さんに謝るべきことは謝ることを実行するとともに、無償で修理すべきところと有償で修理する基準をはっきりさせたことが要因となった。社員は大滝がお客に対する説得力があるとか、交渉力があるなどと噂していたが、その実社長に対しての予算交渉にたけていることが本当のところである。
最初は問題意識を持たない社員が目に付いたが、熱く語り、すばやく行動する大滝に共鳴する幹部が出てきた。
根が真面目な社員が多く、少しずつ会社の空気が変わってきた。そのうち目標数値の達成率が上がるなど数字に変化がでてきたのである。
大滝は入社して半年が過ぎたとき高村に社内電話で社長室に呼ばれた。
「お疲れ様」と笑顔で迎える高村をみて、社員がよく今日はオヤジ機嫌がいい、とか悪いとか言っているのを思い出した。たしかに、喜怒哀楽を顔に出すタイプで正直と言えば正直な人である。
「何か御用でしょうか」社長室のドア―を閉めながら大滝は努めて大きな声で言った。
高村は社長の机の前のソファに座るよううながした。質素な社長室には不釣り合いな豪華な応接セットである。
「大滝さんが入社されて半年が過ぎましたが、これまでわが社を見てきて客観的にどんな感想を持ちましたか」高村は媚びるような笑顔で話しかけてきた。
「みんな真面目によく働く社員たちだと思います。ただ・・・」
「ただ?」と高村は身を乗り出した。
どういおうか、一瞬考える大滝の次の言葉を待てずに高村はその先をうながした。
「社長がいる時といない時の社内の雰囲気の違いに驚きました」大滝は率直に言った。
「どう違うのですか」
「はい、社長のいる時は窮屈そうで、社長のいない時は、よくいえば伸び伸びしているように思えます、悪く言えば、緊張感が失せるともいえますが・・・」
「社長は会社にいないほうが、よいということになりますか」笑顔を絶やさずに言った高村ではあったが、一瞬眼が光ったようだ。
「社長、そういってしまっては身も蓋もありません。社長の存在感が強いのは、それはそれでよいことだと思います。そうでありながらも、社員は、自由な雰囲気の中で仕事をしているほうが、力を発揮できるように思います」
「どうすればいいと思いますか」
「はい、社長は気がつかれたことを直接社員に細かく注意をしなくてもすむよう、もっと管理職に権限と責任を与えたほうがうまくいくと思います」大滝はやんわりと「注意」という言葉を使ったが、実際は怒るというほうがふさわしかった。怒るという言葉は感情的であることを意味している。
「社長がいるときは、社員はピリピリしているようです。お客の方を見ないで、絶えず社長の目は気にして仕事をしている社員が多いのではないでしょうか。社長がいないときに、その弱点を露呈しています。クレームの発生や取引先との交渉の際など小さなことの意思決定ができないのです」
「なるほど」
「組織上自分の仕事であるはずのことも、他人事のように考えている管理職が多いのは、そのためだと思います」
「・・・・・」高村は無言でうなずく。
「気になることのひとつは社長室の電気が消えるのを待っていたように、社員はいっせいに帰る習慣ができていることです」。
「・・・・・」高村はなおもうなずきながら腕を組んだ。
ピラミッド型の組織より、フラット型の組織のほうが、組織は、ダイナミックに動くと言われてはいるが、それにしても、度が過ぎている。肩書だけの役職はあっても現実はトップがいて、あとはみなどんぐりの背比べの状態でとても組織とはいえない。
大滝は、これまでスタッフとして、トップに対して提案をする立場にあると認識して仕事をしてきたが、高村社長の一言であっさり変わることになる。
「じつは、大滝さんに今度営業部長を兼務してもらいたいのです。これは、社長命令と考えてほしいのです」と言ったのである。
これまでの高村とは違い言葉は丁重だが、内容はトップとしての、威厳にみちていた。
「出社しない日のある営業部長でいいのですか」
大滝は内心戸惑いを見せたが一方で、いよいよチャンス到来だと心の中でつぶやいた。
かねがね大滝は、営業をやりたかった。その理由は2つある。ひとつは、インセンティブ、すなわち営業の成果配分にあり、もうひとつは、外へ出るチャンスが増えて行動が今より自由になることである。
「塚本君を部長の補佐役にしたいと考えています。そうすれば問題はないと思います」塚本は、これまで特販部の部長として5人の部下と一緒に分譲地の販売に携わってきた幹部の一人であった。
大滝は、かねがね長い期間人に使われているわけにはいかないと考えていた。高村にはすまないが、ここは、人生巻き返しのチャンスをつかむための、腰かけと考えさせてもらうしかないのである。
目的は資金作りと経営のノウハウの蓄積である。だからといって、この会社に籍のある間はしっかりこの会社に貢献したい気持ちに変わりはない。複雑な思いをしながらも、ここは引き受けようと心は傾いた。
「新参者の私が、大役を頂いて社員の間に不満がでませんか?それが心配です」
「心配するにはおよびません。すでに、根回しはしましたが、みんな期待してくれています」
したたかな高村は、ひそかに、大滝を社員と自分のクッション役として、また接着剤として活用することを考えているふしもある。あるいは、自分の弱点を知って、それを補う役を大滝にさせようと考えたのかも知れない。
その後の大滝の行動は、人目をひいた。これまでの、仕事を無難にこなす一方で、営業活動の結果は翌々月から数字になって表れたのである。契約の件数こそ3番手あたりをうろうろしているが、契約金額においては群を抜いたトップに躍り出た。契約1件あたりの契約金額が高いのである。それはアパートの受注が、圧倒的に多かったことによる。
大滝は一般住宅には眼もくれなかった。
住宅を建てる人は、一生に1度か2度の大事業である。建主の家族構成、所得による返済能力、頭金、趣味などの情報収集に始まり、間取りや内装から照明器具にいたるまで家族の合意を必要とするなどじつにテマヒマがかかる。そして、土地の用意をしていない人は、資金面や子供の通学区域の問題などいっそう難問が加わるのである。
一方アパートの場合は、ひとつの事業である。遊休土地の活用であり、相続対策であり、利回りの問題である。そして投資効率やキャッシュフローなど数字の問題でもある。いわば合理性の追求であるだけに大滝にとっては、効率的な営業活動ができる。
敷地の広さや形による採算の合う部屋数、そして間取り、水回り、内装など仕様の標準化もいくつかのパターンを用意すれば、効率的な提案ができるのである。
会社としての営業マンの契約目標は、それぞれの給与に応じた金額で決められるが、平均値は契約件数に換算して、1か月間で一般住宅が1棟、アパートの場合は0.四棟が平均値というところであった大滝は毎月1棟のアパートの契約を取り続けるのにさほどの苦労をしなかった。
大滝は、地価が下落したため、ひところと比べると土地を売ることに熱のなくなった農家をターゲットとして戦略を立てた。まず、土地の形と場所と用途区域がアパートの立地としてふさわしいと地主をリストアップしたのである。市街化区域や無指定地域、準工業地域は結構多かった。
お客は大滝の理論に加えて人間性を買ってくれた。お客は売り込まれることを嫌う。相談相手としての大滝は信頼するに足る知識と、誠実さを持ちあわせていたのである。
未来ハウジングの業績も大滝の業績も着々と上がっていく。大滝にとって収入は大きく増えたが、それ以上の収穫は、経営や営業に対する自信をつけたことである。
未来ハウジングで働いた副産物はほかにもあった。それは、会社の経営顧問井上の存在である。彼の主宰する「ビジネスアカデミー」に講師として参画しないか、という誘いを受けたのである。
井上は、大滝の経営に関する知識や行動力に注目していたのである。そして何よりもコミュ二ケーション能力と説得力に感心していた。
思いがけずに経営コンサルティングの道を目指してきた大滝であったが、その仕事に少なからず自信がつき始めていた。
大滝はこのとき初めて、未来ハウジングに籍をおくことも潮時だと思った。
大滝は未来ハウジングで二年あまり働いた後に円満退社した。経営コンサルタントの事務所を開くと同時に、借りた事務所の1階に知見塾の本部教室と本部事務所を移転した。
大滝の新しい船出の場所は、宇都宮駅から4号線へ出て小山・東京方面に向って車で15分ほど走ったところから生活道路へ入った数十メートルのところにある。
2階建ての1階に「知見塾」の看板がついている。2階がコンサルティングの事務所である。外階段から上がった黒いドアに「大滝経営戦略研究所」と白い貼り文字がある。
賃貸物件とはいえ大滝は新しい自分の城を見上げて、久しぶりの高揚感を覚えた。