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債務奴隷解放宣言  作者: 大垣 壽雄
13/18

13.駆け込み寺

13.駆け込み寺


中小零細企業の経営者の多くは、日々血のにじむような努力を続けている。そして報われている人は少ないのが実態である。大滝は思ったようにその人たちの力になれない自分にもどかしさを覚えながらも、経営コンサルタントとしての使命感が日ごとに強まってくるのを感じていた。

最近の報道によると黒字企業は75.5%の企業が赤字であるという。赤字でも納めなければならない均等割りを除けば、法人所得税を納める企業が24.5%ということになる。しかもこれは大企業を含めての数字である。中小企業に限っていえば80%は赤字だという説もある。加えて見過ごせないことは中小企業に逆粉飾決算が多いことである。中小企業のなかで、黒字企業はせいぜい20%にすぎないという説もある。

地方の小さなコンサルタント会社では、最近成長のための支援を求めるような仕事が舞い込んでくることは稀といってよい。あるのは業績不振で資金繰りに困り切羽つまって駆け込込む企業が多いと聞いている。

高い志を持って成長を目指す積極的な経営者は東京など大都市にある知名度の高いコンサルタント会社へ依頼することが多い。そのきっかけは東京や大阪で行われるセミナーや、メディアで知ったコンサルタントに依頼するのである。

このところ、人づてに大滝経営戦略研究所の話を聞いて訪れるクライアントには企業が瀕死の状態に陥っているケースが多いのは、不景気のせいもあるが地方でコンサルタントの看板を見るのは珍しいからでもある。期せずして大滝経営戦略研究所は企業再生のコンサルティングが多くなっている。そのせいか“駆け込み寺”の様相を呈することもある。テレビドラマの“夜逃げ屋本舗”になぞらえて、“幕引き屋本舗”などと言う人もいると聞かされ、大滝の心境は複雑である。

このところ、企業に限らず個人で相談に訪れる人もいる。知る人ぞ知るというが、どこで聞いたのか消費者金融からの借り入れが増えて、多重債務に苦しんだ末思いあまって飛び込んでくる人も増えてきている。弁護士事務所はまだ敷居が高い人も多いようである。        大滝は弁護士法には触れないように本人申し立ての方法を教えることにしているが、裁判所では弁護士に相談してくれと言われることが多いようだ。お金がないから自分で申し立てしようとしているのに困ったことである。

長期間消費者金融を借りたサラリーマンなどは債務整理という手続きで利息の過払い分が多いため戻ってくるお金が多いので、弁護士の費用に充てられるがそうでない場合は途方に暮れてしまう。

ただ、債務整理をするとブラックリストに載ってしまい、お金は借りられなくなるという。これも理不尽なことこの上ない。

払い過ぎたお金を返してもらうための手続きがどうしてブラックリストに値するのか。債務整理はいわば、債務者が債権者に変わるということである。これに対してのブラックリストは、一種の報復措置ともいえる。

ともすればお金にまつわるさまざまな苦脳を背負って訪れる客で、暗くなりがちな事務所を明美のもちまえの明るさで癒してくれるのが大滝にとっては救いであった。


事務所の電話がなった。久しぶりに社内ミーティングをしていた時である。

クライアントの山本建設の社長である山本文吉から電話が入った。

「先生ですか?山本建設の山本です。いつもお世話さまです」

「大滝です。こちらこそお世話になっています」

「突然ですみませんが、今夜お時間頂けませんか?」

「七時過ぎなら空いています。急にどうされたのですか」

「私の後輩から相談されたのですが、彼の会社がピンチなのです。彼のおやじさんには私も助けられたことがありまして知らないふりができません。そこで先生の話をしたところ、ぜひ紹介してほしいと言うのでお電話した次第です。今晩本人を連れて行きたいのです。、御迷惑でしょうが話を聞いていただけませんか」

「わかりました。お待ちしています」

その夜山本が連れてきたのは、宇都宮では名の売れた建築土木業を営む岡本建設の社長である、岡本光男である。たしか亡くなった彼の父は県議会議員であった。

「岡本です。よろしくお願いします」

山本が連れてきた岡本は大滝が想像していた男と雰囲気が違っていた。県議であった亡父は荒っぽくて何ごとにも強引なことで知られていた。業界でのし上がったと思ったら、間もなく政界に飛び込んですぐ頭角を現した男である。しかし、目の前にいる息子の岡本光男は育ちの良さそうな、どちらかと言えば学者風な四十がらみの男である。

山本の紹介の後「岡本です。今日はお恥ずかしいご相談でお伺いいたしました。どうかよろしくお願いいたします」とあいさつしたが、手にはノートとボールペンを用意してソファの脇に立った。

「大滝ですよろしくお願いいたします。どうぞおかけください。山本社長もどうぞ・・・」

「失礼いたします」

二人が座る間もなく大滝が聞いた。

「単刀直入にお聞きします。山本さんから、あなたの会社がお困りだと伺いましたが、どのような状態なのですか」

「はい、ここに直近の決算書と試算表それに来月の資金繰り表を持ってきましたが、資金不足を乗り切るのはもう難しいと思います」

「この決算書は、粉飾されたものではありませんね?」

「銀行用のもので粉飾したものはいくつかありますが、これは、本物です」

「本物ということは税務署へ提出したものですか」

「いいえ、近ごろ銀行は必ず税務署の受付印のある決算書の提出を求めますから税務署へ提出したものも粉飾したものです」

「逆粉飾、つまり、儲かっていないのに儲かっているような決算書になっているわけですね」

「はい、公共事業は赤字では入札の資格を失ったりランクを落とされたりしますので、無理に利益を出して税金を納めています」

「さきほど、銀行用がいくつかあると言われましたが、申告書の上紙は同じだが、中身は銀行によって違ったものを提出しているということですか」

「そのとおりです」

大滝は資料に目を通しながらつぶやいた。

「なるほど、これは大変な状況ですね。それで、あなたはどうされるおつもりですか」大滝は率直に言った。

「先生のご意見を聞いたうえで結論を出すつもりですが、起死回生の手でもなければ夜逃げをするつもりです」

「夜逃げを?」

「はい」

「もう、この事業はだめです。この不況で民間の仕事は減る一方だし、公共事業も縮小の一途をたどり、小さな仕事までゼネコンが入り込んでくるし、原価を割ってまで仕事を取り合う状況です。未練はありません。ただ、」

「ただ?」

「これまで文句も言わずについてきてくれた社員や下請け業者のことを思うとなかなか踏み切れなかったのです」

岡本は大きく深くため息をついた。

あらためて資料をめくっていた大滝が、ポツリと言った。

「そうですか。でも夜逃げはやめて、引っ越ししたらいいじゃないですか」

「引っ越し?」

「そうです。引っ越しです。もし、昼間引っ越しするのが嫌なら、夜になるのを待って、引っ越しすればいいのです」

「夜逃げと、夜引っ越しするのとどう違うのですか」

「夜逃げは、いつどこで債権者に出会って請求されるかわかりません。居所も分からないように隠れた生活を強いられます。しかし、引っ越しは自己破産という法的な手続きを経て引っ越しするのです。逃げ隠れする必要は全くないのです。しっかり将来復活するための計画を立てる時間と精神的なゆとりを持てます」

「そんなことが可能でしょうか」

「いまならできます。それに、借入は金融機関だけのようですし、幸い売掛金が残っています。これを最大限活かすのです。まず、銀行への返済は明日からストップするのです」

「銀行は承知するでしょうか」

「承知するもしないもありません。至急に売掛先に連絡して、必要であれば訪問して、借入残のある銀行への振り込みを別の銀行に変えてもらうことから始めるべきです。いまのままだと売掛金が入金され次第返済金として引き落とされてしまうでしょう」大滝のクセで、自信をもって説得する時は相手の目を見据えて速射砲のように歯切れのよいことばが流れ出す。

「つぎに、社員の未払い給与と解雇手当の計算、それに下請け企業の未払い金を至急計算してください。後は自己破産の費用を弁護士に見積もりさせることですが、あなたに親しい先生がいなければ、私が紹介させて頂いても結構です。そのほうが安く、しかも最後まで責任がもてます」

「ぜひお願いします。それらの合計額が、売掛金で間に合えばよいのですね」

「その通りです」

「よく分かりました。ところで先生、この仕事を引き受けてくれるのですね」

「もう、それしかないでしょう」

「ありがとうございます。手数料はどのくらいかかるのでしょうか。お世話を掛けてお支払いできなくては申し訳ありませんから…」

「お金がいくらかでも残るようでしたらそこから頂きます。山本社長の顔もありますから・・・」

「ありがとうございます。先生をお連れした甲斐がありました。どうかよろしくお願いいたします」

いちいちうなずきながら話を聞いていた山本社長は、頭を下げながら両手を合わせた。

「できるだけのことはさせて頂きます。ところで、岡本社長自身のこれから先のことも考えなくてはなりませんね」

「はい、じつは夜逃げなどと、口には出したもののいざとなるとどうしたらいいか見当もつきませんでした」いくぶん明るさが戻ってきた顔で岡本が言った。

「そうでしょう、まず住まいのことから考えなければなりませんからねぇ。多くの場合アパートや借家を探すにも敷金、礼金、前家賃、仲介手数料などを合わせると最低でも家賃の五カ月分はかかるし、連帯保証人を求められますからねぇ」

夜逃げが難しいのは、住民登録をしなければ国民健康保険や国民年金にも加入できないことである。特に子供がいる場合は学校の転校の問題もある。そうかといって住民票を異動すれば、司法書士を使って、現住所を探される可能性もある。

就職をするにもまともな会社なら、住民票や身元保証人が求められることがふつうである。夜逃げをすれば枕を高くして寝ることができないと覚悟をしなければならないのである。

「そうそう、決算書に会員権や出資金が載っていましたね」

「はい、ゴルフ場の会員権です。価値はだいぶ下がっています」

「安くても仕方がありません。早ければ早いほどいいのです。それに建設業協会の出資金も脱退届を出せば返してもらえると思いますが・・・」

「はい」

「双方とも一日も早くお金にしてください。それを社長自身の新たなスタートの資金と考えたらよいと思います。それに、腹を決めたら、できるだけいまの住まいにいることをお勧めします。競売になるまでは、家賃が無料の家に住んでいると思えばよいのです。ただ、つぎの住まいをできるだけ早めに心がけておかれることです」

大滝を信じた岡本社長の決断により、横田弁護士の手によって自己破産の申し立てが行われ、即座に受理された。あっという間のできごとであった。


大滝が、塩田の友人で東京の神田で古物商を営む深沢重雄の訪問を受けたのは暮れも押し詰まってからのことだった。

大滝のところへ塩田から、弁護士に依頼したお金だけ取って動いてくれない弁護士がいて、友人が困っているので相談にのってほしいとの電話が入っていたのである。かたどおりのあいさつが終わり用件に入った。

「塩田さんからの話ですと弁護士に関しての困りのことがあるそうですが、具体的にはどのようなことですか」

「私は古物商を営んでおりまして、その会社は数年前に買い取ったものですが、最近になって会社に債務保証があることが分かって支払を迫られているのです。また、有名な作家の陶器を買い取ったのですが、納められた物が偽物だったのです。そこで、ある弁護士に相談したのですが、着手金の百五十万円を取ったままで、動いてくれている様子がないのです」

「その弁護士に対する委任契約書はありませんか」

「はい、これです」

深沢はカバンの中から、委任契約書や着手金の領収書を取り出してテーブルの上に差し出すように置いた。

「拝見します」

大滝は委任の内容などを確認しながら言った。

「なるほど、委任事項の着手の期日については何も触れていませんね」

「それがないとだめですか」

「いいえ、そのようなこともありません。常識というものがありますからねぇ」

「何度か催促はしたのですが、その都度言い訳して延ばされてしまいます」

「どんな弁護士なのですか」

「なんでも弁護士会の役員をされていると聞きましたが、最初相談に言った時は親切でしたが、二度目からは横柄な態度になり、時々大きな声で怒るのです」

「怒られるようなことをしたのですか」

「例えば、何かを問われた時、返事が遅いときなどははっきりしろ、などと大きな声で怒鳴るのです。私は人に怒鳴られたことなど初めてです」

「弁護士といえどもサービス業ですからねぇ。依頼人というお客さんに対して失礼な人ですね。それでいてお金は先取りして、仕事は進めないとは・・・」

「不景気続きで運転資金も底をつき、踏んだり蹴ったりです。弁護士を選ぶには、もっと慎重でなければいけないことがわかりました」

「相手はバッチがあっての商売です。バッチは強みでもありますが、あるときはそれが弱みになるものです」

「そんなものですか。ところで先生なんとかなりますか」

「お任せください。そんなに時間はかからないと思います。会社を買われた時の契約書などの資料もコピーで結構ですから参考までに簡易書留で郵送して頂けませんか」

「承知いたしました。なにぶんよろしくお願いいたします」


その後深沢は大滝の書いてくれた内容証明を、無責任な弁護士に対して送った。その内容はこのまま放置するなら弁護士会に紛議調停を申し立てるというものである。

早速その弁護士から、仕事が遅れていたことに対するもっともらしい言い訳と、この仕事の代理人を健康上の理由で受けられなくなったのでの了解してほしいとの内容証明書が届いた。そこには、早急に着手金を返還するから送金先の銀行と口座番号を知らせてくれるよう添えてあった。文面は話にあった無礼な弁護士と同一人物とは想像もつかないほど丁重なものであったという。

内容証明は第三者に読まれるものであり、証拠として残ることを想定していることから考えればプロの法律家として至極当然ではあるが、その豹変ぶりに大滝はあきれるほかなかった。

その後深沢から、弁護士から送金があったこととあわせて、会社の株式売買契約書によれば、万が一買い取った会社にその時点の負債以外の債務や保証債務が存在した場合は、会社の売り主が責任のすべてを負わなければならないという特約条項があり、深沢は危うく難を逃れることができたという知らせが入った。

これは、売主が健在であり、誠意のある人間であったことが幸いしたといえる。


駆け込み寺を訪れたのは会社の経営者だけではなかった。

大滝の事務所を朝一番に、訪れたのは農業を営む角田与一郎であった。

「私は角田といいます。ずっと農業をやってきましたが、五年前に都市計画により私の畑に広い道路が面し価値が上がりその土地を売りました。その後、その金でアパートを建てたほか、ある会社に出資するとともに会社の役員になりましたが、災難続きで困っています。どうか助けてください」

「私のことは、誰に聞かれたのですか」

「農業振興事務所の課長からこちらの事務所を教えてもらいましたが、じつは私、先生のお話を一度聞かせてもらっているのです」

それで大滝は納得がいった。農業関係団体に招かれて“農業経営の経営戦略”というテーマなどで何度か講演をしていることを思い出したのである。多くの農業や畜産関係の団体は、各地にある県の出先機関である、農業振興事務所が事務局になっているため講演やセミナーなどを実施する場合は窓口になっていることが多い。

一部を除いて農業の生産性は極端に低い。いかなる産業も保護すればするほどひ弱になるのは必定である。日本の農業は“失われた五十年”と言われているが、これまで消費者や国民の負担により手厚い保護を受けてきた結果である。生活も兼業農家はまだしも、小規模の専業農家は容易ではない。加えての高齢化が拍車をかけている。

大滝は農水省の助成金による事業委託を受けた企業からの依頼を受けて、数件の農家の経営相談をしたときのことを思い出した。

夫婦でトマトやキュウリの栽培と梨の果樹園を営んでいる農家の、年収を総労働時間で割ってみると時給が約六百五十円に満たなかったのには驚かされた。しかも、年収の中には政府からの助成金が含まれていての話である。

農家にとって、てっとり早い儲け話があって、売れる土地でもあれば、それを金に代えて投資したくなる気持ちは理解できる。大滝は、知人の中古車販売会社に出資を頼まれて応じた角田の気持ちも分かるような気がした。

「そうでしたか、よく思い出してくれましたね」

「はい、というよりあの時すでに相談するなら先生しかいない、と心に決めたのです」

「それは、ありがたいことです。それではお困りの内容を詳しくお話し頂けますか」

「はい、不動産会社を経営している知人に頼まれて出資をしたのです。利益は確実に出ている会社だから、配当を最低8%は出せるが、万が一利益が出ない場合のことも考えて役員報酬として毎月1%を出すというので話に乗ってしまいました」

「なんと言う会社で、社長は誰ですか」

「五光産業で社長は小塙一郎です」

「出資はいくらされたのですか」

「1千万円です」

「毎月10万円の報酬をもらったのですね」

「はい」

「出資金が安全であれば、年間12パーセントの利回りは悪くはありませんね」

「はい、ところが一昨年でしたが、時々は会社に顔を出すという条件で専務になってくれと頼まれまして、役員報酬も20万円になったのです」

「なるほど、あなたの経営手腕を買われたのですか」

「それが違うのです。私は農業のこと以外は分かりませんから」

「すると、借入の保証を頼まれたのですね」

「そのとおりです」

大滝の推測は図星であった。

「そして、いつのまにか保証額が増えてしまい、抜き差しならない状態になった?」

「そのとおりです」

「全部でいくらの保証をされたのですか」

「四千万円になってしまいました」

「どうしてそんなに増えたのです?」

「会社が倒産すれば元も子もなくなると思いまして・・・、つい深入りしてしまいました」

「出資金が1千万円、保証額が4千万円、それで全部ですか」

「・・・・・」

「よくあることなのですが、じつはまだあります、と後から問題を出される人がいるのですが、それでは、根本的な解決にはなりません。この際すべてをお話し下さい」

「支払手形に保証をしました」

「いくら?誰が?どこへ振り出したったものですか」

「五光産業の手形7百万円を丸金商事へ振り出したものです」

「丸金?マチ金ですね。その手形に裏書されたのですか、それとも表面の振出人の脇へ署名されました?」

「表です」

「連名ですか、角田さんが振り出したものも同然です。期日はいつですか」

「今月の25日です」

「今日は20日ですね。すると期日は来週の火曜日ですね。すると月曜日には七百万円を用意しなければなりませんが、大丈夫ですか」

「それが、五光産業も私も現在手当がついておりません」

「それは困りましたねぇ」

「ただ、前回は書き換えしてくれたのです。その時、期日前に電話して当日利息だけ入れてくれればこれからも書き換えしてくれるといっておりました」

「借入の利率は?」

「年利9パーセントでした」

大滝は腕組みをしたまま考え込んだ。明らかにおかしい、金利が目的なら丸金がそんな安い金利で貸すはずはないし書き換えるはずもない。

「角田さん、あなたまだ隠していることがありませんか。例えばほかに書類を交わしたとか・・・・。もし、そういうことがあるなら話してください。そうでなければ私はこの仕事から下ろさせていただきますよ」

大滝はきつい調子で言った。

やや間をおいてから、角田は観念したようにいった。

「申し訳ありません。隠すつもりではなかったのですが、ついいいそびれまして・・・」言いながら角田はカバンの中から書類袋を出した。

その中からいくつかの書類を見ていた大滝は、ため息をつきながら言った。

「これは悪質だ。急がないと大変なことになりますね」

不安そうに大滝を見つめて角田が言った。

「これはあくまでも形だけのものだといっておりましたが・・・」

「形になっているから問題なのです。ここにある代物弁済のついた金銭消費貸借契約書は、もしあなたが、期日に返済をできなかった場合自動的にあなたの住んでいる住宅もその土地も丸金の名義になってしまいます。数日後には転売されているかもしれません」

「えっ、そうなのですか?」

「そういう契約書です。そして、ここにある財産整理委任契約は、あなたが不渡り手形を出すのを待ってあなたのすべての財産をゆっくり料理しようというものです」

「とてもそんな人には見えませんでしたが」

「角田さんの思ったとおりの人なら、それに越したことはありませんね。しかし、信じていても疑って対策を立てるのが、角田家の家長であるあなたの務めでしょう」

「はい、私はどうすればよいのでしょうか」

「7百万円のお金をつくることが先決です」

「私が使ったお金でなくても、私が用意しなければなりませんか」

「五光産業が、確実に用意できるのであれば角田さんが用意しなくてもよいでしょう」

「小塙社長は工面できないでしょう。ですから、書き替えの利息だけ用意するつもりだと言っておりました」

「小塙社長は、いまや何もなくて裸と同じでしょう。ですからそんなには怖がっていないと思います。しかし、資産をお持ちのあなたがいま一番危ない橋を渡っているのです。敵のターゲットはあなたです。ここまできた以上小塙をあてにせず自分を自分で守ることです。7百万円を惜しんであなたの億の財産の全てを失うかどうかの瀬戸際だと思ってください」

大滝は突き放すような言い方をしたが、さきほどの書類の中にあった角田所有の資産一覧表のなかにあった、農地以外の不動産、アパート、貸店舗、土地などから、およそ五億円の財産はあると目星をつけていた。

「分かりました。ただ、いま現金がいくらもないのです」

「すぐ借りられるところは?」

「農協からは借りたばかりですし、この頃は簡単に貸してくれません」

角田はいまにも泣きだしそうな声を出した。

「今日は水曜日です。明日と明後日の2日間で金策してみてください」

「これから親戚や友人などを当たってみます」

角田は口の中でぶつぶついいながら、深刻な顔で出て行った。

その夜九時を過ぎた頃角田から電話が入った。

「先生、やっと200万円集まりましたが、もうあてがありません、無理です」

電話を通して角田の悲痛な叫びが聞こえた。

「諦めないでください。いまは、恥も外聞も考えないことです」

「はい・・・、また電話します」

電話は力なく切られた。

いくら資産家であってもこういうときにお金がないのは無力である。

大滝はしばらく考えていたが、意を決したように受話器を取った。

電話した相手は野原大介であった。いざという時の頼みの綱である。


角田は土曜日の夕方、大滝のアドバイスに従い丸金の丸田社長に電話を入れた。

「月曜日の午前十時にお伺いしたいのですが、ご都合はいかがですか」

「結構です。待っています」

いつもながら、野太い金田の声が聞こえてきた。

その日は朝から灰色の雲が低く空をおおっていた。

午前九時に角田が大滝の事務所に顔を出した時には、すでに大滝は横田弁護士と打ち合わせをしていた。

角田の金策はうまくいかなかったが、大滝は手回しよく5百万円の段取りをつけておいた。野原大介が見ず知らずの角田に金を貸すよう間を取り持った形になる。

大滝は、間違えなく返済してくれそうな相手であっても、いかなる非常時でも、コンサルタントがクライアントに金を貸すのは、ご法度だと思っている。

その理由は、コンサルタントが、クライアントと金銭的な利害関係を持つと合理的判断ができなくなるからである。それに、クライアントが甘えやすくなる。大滝の場合は人さまに貸すほど金もないことも幸いしているともいえる。

野原は大滝の申し入れを二つ返事で聞き入れてくれ、金は翌日の朝には振り込まれていた。


「おはようございます」

角田はいくぶん元気を取り戻していた。

「おはようございます。昨夜はよく寝られましたか」エンジン全開の大滝の声である。

「先生のお電話を頂き安心して寝ることができました、といいたいところですが、興奮して寝付かれませんでした」

「そうですか。昨夜電話でお話しした弁護士の横田先生を紹介します」

「角田です、本日はお世話になります」

「弁護士の横田です。よろしくお願いします」


丸金の事務所は駅東のビルの3階にあった。ビルの脇の駐車場に車を入れながら角田が言った。

「あれが丸金の金田社長の車です。社長は間違いなくいると思います」

角田は黒塗りの大きなベンツを指差した。

「いてくれてよかった」横田が言いながらカバンを小脇に抱えた。

三階の丸金の事務所には女子事務員のほかに、いずれもひと癖ありそうな男が二人デスクに座っていた。奥の大きなデスクで社長の金田剛三らしき男が煙草を吸っていた。

「なんですか今日は、お連れさんですか」

金田は、角田のほかに見かけない男が2人いるので、怪訝そうな顔をしながら応接室へ招いたが、横田の弁護士バッチを見逃さなかった。いくぶん顔が険しくなったようだ。

「なんだ、社長きていたのですか」

応接室へ入って角田は驚きの声をあげた。五光産業の小塙社長がいたのである。昨夜の角田の話では、月曜日は自分1人で手形の書き換えに行くと小塙には伝えていたはずである。

大滝は驚かなかった。自分の勘は当たっていたと思った。これで金田と小塙はグルである確率は高くなった。小塙は小さい身体をいっそう小さくしている。小塙が金田と仕組んだか、金田が小塙をそそのかしたのか定かではないが、2人で角田を食い物にしようとしていたことは確かであろう。

打ち合わせたとおり角田が口を開いた。

「今日は勝手ですが、弁護士の横田先生とコンサルタントの大滝先生に御同行願ってお伺いいたしました。ご融資頂きました7百万円と1カ月分の利息をお持ちいたしましたので、お受け取りください」

金田は憮然とした面持ちでいった。

「今日は書き替えするという話だったのではなかったの?」

「はい、お金が用意できたものですから・・・・」

「お返しする手形は持ってきておりませんので、今日はお引き取り下さい」

「手形はどちらへあるのですか」

横田弁護士が言った。

「多分、家にあると思いますが、よく分かりません。だいたい角田さん、あんたも失礼だなー。突然わけのわからない連中を連れてきてお金を返せばいいんでしょう、という話ですか。私はあなたがたの要望どおりの金を、安い金利で用立てしてきたじゃあないですか。何が不服なのです」

「すいません」

角田は首をすくめていった。

「金田さん、担保に預かっている手形を期日であるにもかかわらず、今日は持っていないからお金は受け取れないと言われるのですね」

横田の落ち着いた確認のことばに金田は顔を赤くして「同じこといわせんな」と不機嫌であることを隠さない。

一瞬沈黙が流れた。

大滝が言った。

「べつに今日受け取らなくてもかまいませんが、受領拒否の念書を入れてください。手違いで明日手形を取り立てに回されてはかないませんからね」

「あんたが、話に聞いた大滝さんか」

金田はどこかで大滝の名前を聞き及んでいたようだ。

「はい、そうです。金田さん話はシンプルにいきませんか」

人前もはばからず目をつぶって考えていた金田は、しばらくして立ち上がって言った。

「分かったよ、俺の負けだ。いま手形や書類を出すよ」

金庫の前に立った。

「ありがとうございます。助かります」

大滝は素直に礼を言った。

すべての書類を確認してから、3人は立ち上がった。

「角田さん、後は小塙さんとの問題ですね。横田先生にお願いしてはいかがですか」この場で話すことではないことは承知のうえで、大滝は首をすくめている小塙を見やりながら言った。

「はい、そのつもりです」と角田が大きな声で言った。

事務所の外は、雲の間からまぶしいほどの光が降り注いできた。

覚えながらも、経営コンサルタントとしての使命感が日ごとに強まってくるのを感じていた。

最近の報道によると黒字企業は75.5%の企業が赤字であるという。赤字でも納めなければならない均等割りを除けば、法人所得税を納める企業が24.5%ということになる。しかもこれは大企業を含めての数字である。中小企業に限っていえば80%は赤字だという説もある。加えて見過ごせないことは中小企業に逆粉飾決算が多いことである。中小企業のなかで、黒字企業はせいぜい20%にすぎないという説もある。

地方の小さなコンサルタント会社では、最近成長のための支援を求めるような仕事が舞い込んでくることは稀といってよい。あるのは業績不振で資金繰りに困り切羽つまって駆け込込む企業が多いと聞いている。

高い志を持って成長を目指す積極的な経営者は東京など大都市にある知名度の高いコンサルタント会社へ依頼することが多い。そのきっかけは東京や大阪で行われるセミナーや、メディアで知ったコンサルタントに依頼するのである。

このところ、人づてに大滝経営戦略研究所の話を聞いて訪れるクライアントには企業が瀕死の状態に陥っているケースが多いのは、不景気のせいもあるが地方でコンサルタントの看板を見るのは珍しいからでもある。期せずして大滝経営戦略研究所は企業再生のコンサルティングが多くなっている。そのせいか“駆け込み寺”の様相を呈することもある。テレビドラマの“夜逃げ屋本舗”になぞらえて、“幕引き屋本舗”などと言う人もいると聞かされ、大滝の心境は複雑である。

このところ、企業に限らず個人で相談に訪れる人もいる。知る人ぞ知るというが、どこで聞いたのか消費者金融からの借り入れが増えて、多重債務に苦しんだ末思いあまって飛び込んでくる人も増えてきている。弁護士事務所はまだ敷居が高い人も多いようである。        大滝は弁護士法には触れないように本人申し立ての方法を教えることにしているが、裁判所では弁護士に相談してくれと言われることが多いようだ。お金がないから自分で申し立てしようとしているのに困ったことである。

長期間消費者金融を借りたサラリーマンなどは債務整理という手続きで利息の過払い分が多いため戻ってくるお金が多いので、弁護士の費用に充てられるがそうでない場合は途方に暮れてしまう。

ただ、債務整理をするとブラックリストに載ってしまい、お金は借りられなくなるという。これも理不尽なことこの上ない。

払い過ぎたお金を返してもらうための手続きがどうしてブラックリストに値するのか。債務整理はいわば、債務者が債権者に変わるということである。これに対してのブラックリストは、一種の報復措置ともいえる。

ともすればお金にまつわるさまざまな苦脳を背負って訪れる客で、暗くなりがちな事務所を明美のもちまえの明るさで癒してくれるのが大滝にとっては救いであった。


事務所の電話がなった。久しぶりに社内ミーティングをしていた時である。

クライアントの山本建設の社長である山本文吉から電話が入った。

「先生ですか?山本建設の山本です。いつもお世話さまです」

「大滝です。こちらこそお世話になっています」

「突然ですみませんが、今夜お時間頂けませんか?」

「七時過ぎなら空いています。急にどうされたのですか」

「私の後輩から相談されたのですが、彼の会社がピンチなのです。彼のおやじさんには私も助けられたことがありまして知らないふりができません。そこで先生の話をしたところ、ぜひ紹介してほしいと言うのでお電話した次第です。今晩本人を連れて行きたいのです。、御迷惑でしょうが話を聞いていただけませんか」

「わかりました。お待ちしています」

その夜山本が連れてきたのは、宇都宮では名の売れた建築土木業を営む岡本建設の社長である、岡本光男である。たしか亡くなった彼の父は県議会議員であった。

「岡本です。よろしくお願いします」

山本が連れてきた岡本は大滝が想像していた男と雰囲気が違っていた。県議であった亡父は荒っぽくて何ごとにも強引なことで知られていた。業界でのし上がったと思ったら、間もなく政界に飛び込んですぐ頭角を現した男である。しかし、目の前にいる息子の岡本光男は育ちの良さそうな、どちらかと言えば学者風な四十がらみの男である。

山本の紹介の後「岡本です。今日はお恥ずかしいご相談でお伺いいたしました。どうかよろしくお願いいたします」とあいさつしたが、手にはノートとボールペンを用意してソファの脇に立った。

「大滝ですよろしくお願いいたします。どうぞおかけください。山本社長もどうぞ・・・」

「失礼いたします」

二人が座る間もなく大滝が聞いた。

「単刀直入にお聞きします。山本さんから、あなたの会社がお困りだと伺いましたが、どのような状態なのですか」

「はい、ここに直近の決算書と試算表それに来月の資金繰り表を持ってきましたが、資金不足を乗り切るのはもう難しいと思います」

「この決算書は、粉飾されたものではありませんね?」

「銀行用のもので粉飾したものはいくつかありますが、これは、本物です」

「本物ということは税務署へ提出したものですか」

「いいえ、近ごろ銀行は必ず税務署の受付印のある決算書の提出を求めますから税務署へ提出したものも粉飾したものです」

「逆粉飾、つまり、儲かっていないのに儲かっているような決算書になっているわけですね」

「はい、公共事業は赤字では入札の資格を失ったりランクを落とされたりしますので、無理に利益を出して税金を納めています」

「さきほど、銀行用がいくつかあると言われましたが、申告書の上紙は同じだが、中身は銀行によって違ったものを提出しているということですか」

「そのとおりです」

大滝は資料に目を通しながらつぶやいた。

「なるほど、これは大変な状況ですね。それで、あなたはどうされるおつもりですか」大滝は率直に言った。

「先生のご意見を聞いたうえで結論を出すつもりですが、起死回生の手でもなければ夜逃げをするつもりです」

「夜逃げを?」

「はい」

「もう、この事業はだめです。この不況で民間の仕事は減る一方だし、公共事業も縮小の一途をたどり、小さな仕事までゼネコンが入り込んでくるし、原価を割ってまで仕事を取り合う状況です。未練はありません。ただ、」

「ただ?」

「これまで文句も言わずについてきてくれた社員や下請け業者のことを思うとなかなか踏み切れなかったのです」

岡本は大きく深くため息をついた。

あらためて資料をめくっていた大滝が、ポツリと言った。

「そうですか。でも夜逃げはやめて、引っ越ししたらいいじゃないですか」

「引っ越し?」

「そうです。引っ越しです。もし、昼間引っ越しするのが嫌なら、夜になるのを待って、引っ越しすればいいのです」

「夜逃げと、夜引っ越しするのとどう違うのですか」

「夜逃げは、いつどこで債権者に出会って請求されるかわかりません。居所も分からないように隠れた生活を強いられます。しかし、引っ越しは自己破産という法的な手続きを経て引っ越しするのです。逃げ隠れする必要は全くないのです。しっかり将来復活するための計画を立てる時間と精神的なゆとりを持てます」

「そんなことが可能でしょうか」

「いまならできます。それに、借入は金融機関だけのようですし、幸い売掛金が残っています。これを最大限活かすのです。まず、銀行への返済は明日からストップするのです」

「銀行は承知するでしょうか」

「承知するもしないもありません。至急に売掛先に連絡して、必要であれば訪問して、借入残のある銀行への振り込みを別の銀行に変えてもらうことから始めるべきです。いまのままだと売掛金が入金され次第返済金として引き落とされてしまうでしょう」大滝のクセで、自信をもって説得する時は相手の目を見据えて速射砲のように歯切れのよいことばが流れ出す。

「つぎに、社員の未払い給与と解雇手当の計算、それに下請け企業の未払い金を至急計算してください。後は自己破産の費用を弁護士に見積もりさせることですが、あなたに親しい先生がいなければ、私が紹介させて頂いても結構です。そのほうが安く、しかも最後まで責任がもてます」

「ぜひお願いします。それらの合計額が、売掛金で間に合えばよいのですね」

「その通りです」

「よく分かりました。ところで先生、この仕事を引き受けてくれるのですね」

「もう、それしかないでしょう」

「ありがとうございます。手数料はどのくらいかかるのでしょうか。お世話を掛けてお支払いできなくては申し訳ありませんから…」

「お金がいくらかでも残るようでしたらそこから頂きます。山本社長の顔もありますから・・・」

「ありがとうございます。先生をお連れした甲斐がありました。どうかよろしくお願いいたします」

いちいちうなずきながら話を聞いていた山本社長は、頭を下げながら両手を合わせた。

「できるだけのことはさせて頂きます。ところで、岡本社長自身のこれから先のことも考えなくてはなりませんね」

「はい、じつは夜逃げなどと、口には出したもののいざとなるとどうしたらいいか見当もつきませんでした」いくぶん明るさが戻ってきた顔で岡本が言った。

「そうでしょう、まず住まいのことから考えなければなりませんからねぇ。多くの場合アパートや借家を探すにも敷金、礼金、前家賃、仲介手数料などを合わせると最低でも家賃の五カ月分はかかるし、連帯保証人を求められますからねぇ」

夜逃げが難しいのは、住民登録をしなければ国民健康保険や国民年金にも加入できないことである。特に子供がいる場合は学校の転校の問題もある。そうかといって住民票を異動すれば、司法書士を使って、現住所を探される可能性もある。

就職をするにもまともな会社なら、住民票や身元保証人が求められることがふつうである。夜逃げをすれば枕を高くして寝ることができないと覚悟をしなければならないのである。

「そうそう、決算書に会員権や出資金が載っていましたね」

「はい、ゴルフ場の会員権です。価値はだいぶ下がっています」

「安くても仕方がありません。早ければ早いほどいいのです。それに建設業協会の出資金も脱退届を出せば返してもらえると思いますが・・・」

「はい」

「双方とも一日も早くお金にしてください。それを社長自身の新たなスタートの資金と考えたらよいと思います。それに、腹を決めたら、できるだけいまの住まいにいることをお勧めします。競売になるまでは、家賃が無料の家に住んでいると思えばよいのです。ただ、つぎの住まいをできるだけ早めに心がけておかれることです」

大滝を信じた岡本社長の決断により、横田弁護士の手によって自己破産の申し立てが行われ、即座に受理された。あっという間のできごとであった。


大滝が、塩田の友人で東京の神田で古物商を営む深沢重雄の訪問を受けたのは暮れも押し詰まってからのことだった。

大滝のところへ塩田から、弁護士に依頼したお金だけ取って動いてくれない弁護士がいて、友人が困っているので相談にのってほしいとの電話が入っていたのである。かたどおりのあいさつが終わり用件に入った。

「塩田さんからの話ですと弁護士に関しての困りのことがあるそうですが、具体的にはどのようなことですか」

「私は古物商を営んでおりまして、その会社は数年前に買い取ったものですが、最近になって会社に債務保証があることが分かって支払を迫られているのです。また、有名な作家の陶器を買い取ったのですが、納められた物が偽物だったのです。そこで、ある弁護士に相談したのですが、着手金の百五十万円を取ったままで、動いてくれている様子がないのです」

「その弁護士に対する委任契約書はありませんか」

「はい、これです」

深沢はカバンの中から、委任契約書や着手金の領収書を取り出してテーブルの上に差し出すように置いた。

「拝見します」

大滝は委任の内容などを確認しながら言った。

「なるほど、委任事項の着手の期日については何も触れていませんね」

「それがないとだめですか」

「いいえ、そのようなこともありません。常識というものがありますからねぇ」

「何度か催促はしたのですが、その都度言い訳して延ばされてしまいます」

「どんな弁護士なのですか」

「なんでも弁護士会の役員をされていると聞きましたが、最初相談に言った時は親切でしたが、二度目からは横柄な態度になり、時々大きな声で怒るのです」

「怒られるようなことをしたのですか」

「例えば、何かを問われた時、返事が遅いときなどははっきりしろ、などと大きな声で怒鳴るのです。私は人に怒鳴られたことなど初めてです」

「弁護士といえどもサービス業ですからねぇ。依頼人というお客さんに対して失礼な人ですね。それでいてお金は先取りして、仕事は進めないとは・・・」

「不景気続きで運転資金も底をつき、踏んだり蹴ったりです。弁護士を選ぶには、もっと慎重でなければいけないことがわかりました」

「相手はバッチがあっての商売です。バッチは強みでもありますが、あるときはそれが弱みになるものです」

「そんなものですか。ところで先生なんとかなりますか」

「お任せください。そんなに時間はかからないと思います。会社を買われた時の契約書などの資料もコピーで結構ですから参考までに簡易書留で郵送して頂けませんか」

「承知いたしました。なにぶんよろしくお願いいたします」


その後深沢は大滝の書いてくれた内容証明を、無責任な弁護士に対して送った。その内容はこのまま放置するなら弁護士会に紛議調停を申し立てるというものである。

早速その弁護士から、仕事が遅れていたことに対するもっともらしい言い訳と、この仕事の代理人を健康上の理由で受けられなくなったのでの了解してほしいとの内容証明書が届いた。そこには、早急に着手金を返還するから送金先の銀行と口座番号を知らせてくれるよう添えてあった。文面は話にあった無礼な弁護士と同一人物とは想像もつかないほど丁重なものであったという。

内容証明は第三者に読まれるものであり、証拠として残ることを想定していることから考えればプロの法律家として至極当然ではあるが、その豹変ぶりに大滝はあきれるほかなかった。

その後深沢から、弁護士から送金があったこととあわせて、会社の株式売買契約書によれば、万が一買い取った会社にその時点の負債以外の債務や保証債務が存在した場合は、会社の売り主が責任のすべてを負わなければならないという特約条項があり、深沢は危うく難を逃れることができたという知らせが入った。

これは、売主が健在であり、誠意のある人間であったことが幸いしたといえる。


駆け込み寺を訪れたのは会社の経営者だけではなかった。

大滝の事務所を朝一番に、訪れたのは農業を営む角田与一郎であった。

「私は角田といいます。ずっと農業をやってきましたが、五年前に都市計画により私の畑に広い道路が面し価値が上がりその土地を売りました。その後、その金でアパートを建てたほか、ある会社に出資するとともに会社の役員になりましたが、災難続きで困っています。どうか助けてください」

「私のことは、誰に聞かれたのですか」

「農業振興事務所の課長からこちらの事務所を教えてもらいましたが、じつは私、先生のお話を一度聞かせてもらっているのです」

それで大滝は納得がいった。農業関係団体に招かれて“農業経営の経営戦略”というテーマなどで何度か講演をしていることを思い出したのである。多くの農業や畜産関係の団体は、各地にある県の出先機関である、農業振興事務所が事務局になっているため講演やセミナーなどを実施する場合は窓口になっていることが多い。

一部を除いて農業の生産性は極端に低い。いかなる産業も保護すればするほどひ弱になるのは必定である。日本の農業は“失われた五十年”と言われているが、これまで消費者や国民の負担により手厚い保護を受けてきた結果である。生活も兼業農家はまだしも、小規模の専業農家は容易ではない。加えての高齢化が拍車をかけている。

大滝は農水省の助成金による事業委託を受けた企業からの依頼を受けて、数件の農家の経営相談をしたときのことを思い出した。

夫婦でトマトやキュウリの栽培と梨の果樹園を営んでいる農家の、年収を総労働時間で割ってみると時給が約六百五十円に満たなかったのには驚かされた。しかも、年収の中には政府からの助成金が含まれていての話である。

農家にとって、てっとり早い儲け話があって、売れる土地でもあれば、それを金に代えて投資したくなる気持ちは理解できる。大滝は、知人の中古車販売会社に出資を頼まれて応じた角田の気持ちも分かるような気がした。

「そうでしたか、よく思い出してくれましたね」

「はい、というよりあの時すでに相談するなら先生しかいない、と心に決めたのです」

「それは、ありがたいことです。それではお困りの内容を詳しくお話し頂けますか」

「はい、不動産会社を経営している知人に頼まれて出資をしたのです。利益は確実に出ている会社だから、配当を最低8%は出せるが、万が一利益が出ない場合のことも考えて役員報酬として毎月1%を出すというので話に乗ってしまいました」

「なんと言う会社で、社長は誰ですか」

「五光産業で社長は小塙一郎です」

「出資はいくらされたのですか」

「1千万円です」

「毎月10万円の報酬をもらったのですね」

「はい」

「出資金が安全であれば、年間12パーセントの利回りは悪くはありませんね」

「はい、ところが一昨年でしたが、時々は会社に顔を出すという条件で専務になってくれと頼まれまして、役員報酬も20万円になったのです」

「なるほど、あなたの経営手腕を買われたのですか」

「それが違うのです。私は農業のこと以外は分かりませんから」

「すると、借入の保証を頼まれたのですね」

「そのとおりです」

大滝の推測は図星であった。

「そして、いつのまにか保証額が増えてしまい、抜き差しならない状態になった?」

「そのとおりです」

「全部でいくらの保証をされたのですか」

「四千万円になってしまいました」

「どうしてそんなに増えたのです?」

「会社が倒産すれば元も子もなくなると思いまして・・・、つい深入りしてしまいました」

「出資金が1千万円、保証額が4千万円、それで全部ですか」

「・・・・・」

「よくあることなのですが、じつはまだあります、と後から問題を出される人がいるのですが、それでは、根本的な解決にはなりません。この際すべてをお話し下さい」

「支払手形に保証をしました」

「いくら?誰が?どこへ振り出したったものですか」

「五光産業の手形7百万円を丸金商事へ振り出したものです」

「丸金?マチ金ですね。その手形に裏書されたのですか、それとも表面の振出人の脇へ署名されました?」

「表です」

「連名ですか、角田さんが振り出したものも同然です。期日はいつですか」

「今月の25日です」

「今日は20日ですね。すると期日は来週の火曜日ですね。すると月曜日には七百万円を用意しなければなりませんが、大丈夫ですか」

「それが、五光産業も私も現在手当がついておりません」

「それは困りましたねぇ」

「ただ、前回は書き換えしてくれたのです。その時、期日前に電話して当日利息だけ入れてくれればこれからも書き換えしてくれるといっておりました」

「借入の利率は?」

「年利9パーセントでした」

大滝は腕組みをしたまま考え込んだ。明らかにおかしい、金利が目的なら丸金がそんな安い金利で貸すはずはないし書き換えるはずもない。

「角田さん、あなたまだ隠していることがありませんか。例えばほかに書類を交わしたとか・・・・。もし、そういうことがあるなら話してください。そうでなければ私はこの仕事から下ろさせていただきますよ」

大滝はきつい調子で言った。

やや間をおいてから、角田は観念したようにいった。

「申し訳ありません。隠すつもりではなかったのですが、ついいいそびれまして・・・」言いながら角田はカバンの中から書類袋を出した。

その中からいくつかの書類を見ていた大滝は、ため息をつきながら言った。

「これは悪質だ。急がないと大変なことになりますね」

不安そうに大滝を見つめて角田が言った。

「これはあくまでも形だけのものだといっておりましたが・・・」

「形になっているから問題なのです。ここにある代物弁済のついた金銭消費貸借契約書は、もしあなたが、期日に返済をできなかった場合自動的にあなたの住んでいる住宅もその土地も丸金の名義になってしまいます。数日後には転売されているかもしれません」

「えっ、そうなのですか?」

「そういう契約書です。そして、ここにある財産整理委任契約は、あなたが不渡り手形を出すのを待ってあなたのすべての財産をゆっくり料理しようというものです」

「とてもそんな人には見えませんでしたが」

「角田さんの思ったとおりの人なら、それに越したことはありませんね。しかし、信じていても疑って対策を立てるのが、角田家の家長であるあなたの務めでしょう」

「はい、私はどうすればよいのでしょうか」

「7百万円のお金をつくることが先決です」

「私が使ったお金でなくても、私が用意しなければなりませんか」

「五光産業が、確実に用意できるのであれば角田さんが用意しなくてもよいでしょう」

「小塙社長は工面できないでしょう。ですから、書き替えの利息だけ用意するつもりだと言っておりました」

「小塙社長は、いまや何もなくて裸と同じでしょう。ですからそんなには怖がっていないと思います。しかし、資産をお持ちのあなたがいま一番危ない橋を渡っているのです。敵のターゲットはあなたです。ここまできた以上小塙をあてにせず自分を自分で守ることです。7百万円を惜しんであなたの億の財産の全てを失うかどうかの瀬戸際だと思ってください」

大滝は突き放すような言い方をしたが、さきほどの書類の中にあった角田所有の資産一覧表のなかにあった、農地以外の不動産、アパート、貸店舗、土地などから、およそ五億円の財産はあると目星をつけていた。

「分かりました。ただ、いま現金がいくらもないのです」

「すぐ借りられるところは?」

「農協からは借りたばかりですし、この頃は簡単に貸してくれません」

角田はいまにも泣きだしそうな声を出した。

「今日は水曜日です。明日と明後日の2日間で金策してみてください」

「これから親戚や友人などを当たってみます」

角田は口の中でぶつぶついいながら、深刻な顔で出て行った。

その夜九時を過ぎた頃角田から電話が入った。

「先生、やっと200万円集まりましたが、もうあてがありません、無理です」

電話を通して角田の悲痛な叫びが聞こえた。

「諦めないでください。いまは、恥も外聞も考えないことです」

「はい・・・、また電話します」

電話は力なく切られた。

いくら資産家であってもこういうときにお金がないのは無力である。

大滝はしばらく考えていたが、意を決したように受話器を取った。

電話した相手は野原大介であった。いざという時の頼みの綱である。


角田は土曜日の夕方、大滝のアドバイスに従い丸金の丸田社長に電話を入れた。

「月曜日の午前十時にお伺いしたいのですが、ご都合はいかがですか」

「結構です。待っています」

いつもながら、野太い金田の声が聞こえてきた。

その日は朝から灰色の雲が低く空をおおっていた。

午前九時に角田が大滝の事務所に顔を出した時には、すでに大滝は横田弁護士と打ち合わせをしていた。

角田の金策はうまくいかなかったが、大滝は手回しよく5百万円の段取りをつけておいた。野原大介が見ず知らずの角田に金を貸すよう間を取り持った形になる。

大滝は、間違えなく返済してくれそうな相手であっても、いかなる非常時でも、コンサルタントがクライアントに金を貸すのは、ご法度だと思っている。

その理由は、コンサルタントが、クライアントと金銭的な利害関係を持つと合理的判断ができなくなるからである。それに、クライアントが甘えやすくなる。大滝の場合は人さまに貸すほど金もないことも幸いしているともいえる。

野原は大滝の申し入れを二つ返事で聞き入れてくれ、金は翌日の朝には振り込まれていた。


「おはようございます」

角田はいくぶん元気を取り戻していた。

「おはようございます。昨夜はよく寝られましたか」エンジン全開の大滝の声である。

「先生のお電話を頂き安心して寝ることができました、といいたいところですが、興奮して寝付かれませんでした」

「そうですか。昨夜電話でお話しした弁護士の横田先生を紹介します」

「角田です、本日はお世話になります」

「弁護士の横田です。よろしくお願いします」


丸金の事務所は駅東のビルの3階にあった。ビルの脇の駐車場に車を入れながら角田が言った。

「あれが丸金の金田社長の車です。社長は間違いなくいると思います」

角田は黒塗りの大きなベンツを指差した。

「いてくれてよかった」横田が言いながらカバンを小脇に抱えた。

三階の丸金の事務所には女子事務員のほかに、いずれもひと癖ありそうな男が二人デスクに座っていた。奥の大きなデスクで社長の金田剛三らしき男が煙草を吸っていた。

「なんですか今日は、お連れさんですか」

金田は、角田のほかに見かけない男が2人いるので、怪訝そうな顔をしながら応接室へ招いたが、横田の弁護士バッチを見逃さなかった。いくぶん顔が険しくなったようだ。

「なんだ、社長きていたのですか」

応接室へ入って角田は驚きの声をあげた。五光産業の小塙社長がいたのである。昨夜の角田の話では、月曜日は自分1人で手形の書き換えに行くと小塙には伝えていたはずである。

大滝は驚かなかった。自分の勘は当たっていたと思った。これで金田と小塙はグルである確率は高くなった。小塙は小さい身体をいっそう小さくしている。小塙が金田と仕組んだか、金田が小塙をそそのかしたのか定かではないが、2人で角田を食い物にしようとしていたことは確かであろう。

打ち合わせたとおり角田が口を開いた。

「今日は勝手ですが、弁護士の横田先生とコンサルタントの大滝先生に御同行願ってお伺いいたしました。ご融資頂きました7百万円と1カ月分の利息をお持ちいたしましたので、お受け取りください」

金田は憮然とした面持ちでいった。

「今日は書き替えするという話だったのではなかったの?」

「はい、お金が用意できたものですから・・・・」

「お返しする手形は持ってきておりませんので、今日はお引き取り下さい」

「手形はどちらへあるのですか」

横田弁護士が言った。

「多分、家にあると思いますが、よく分かりません。だいたい角田さん、あんたも失礼だなー。突然わけのわからない連中を連れてきてお金を返せばいいんでしょう、という話ですか。私はあなたがたの要望どおりの金を、安い金利で用立てしてきたじゃあないですか。何が不服なのです」

「すいません」

角田は首をすくめていった。

「金田さん、担保に預かっている手形を期日であるにもかかわらず、今日は持っていないからお金は受け取れないと言われるのですね」

横田の落ち着いた確認のことばに金田は顔を赤くして「同じこといわせんな」と不機嫌であることを隠さない。

一瞬沈黙が流れた。

大滝が言った。

「べつに今日受け取らなくてもかまいませんが、受領拒否の念書を入れてください。手違いで明日手形を取り立てに回されてはかないませんからね」

「あんたが、話に聞いた大滝さんか」

金田はどこかで大滝の名前を聞き及んでいたようだ。

「はい、そうです。金田さん話はシンプルにいきませんか」

人前もはばからず目をつぶって考えていた金田は、しばらくして立ち上がって言った。

「分かったよ、俺の負けだ。いま手形や書類を出すよ」

金庫の前に立った。

「ありがとうございます。助かります」

大滝は素直に礼を言った。

すべての書類を確認してから、3人は立ち上がった。

「角田さん、後は小塙さんとの問題ですね。横田先生にお願いしてはいかがですか」この場で話すことではないことは承知のうえで、大滝は首をすくめている小塙を見やりながら言った。

「はい、そのつもりです」と角田が大きな声で言った。

事務所の外は、雲の間からまぶしいほどの光が降り注いできた。

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