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債務奴隷解放宣言  作者: 大垣 壽雄
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11,訪れた女社長

11、訪れた女社長


なつかしさを覚える春の日射しに、木々の緑が輝き始めていた四月も半ばの昼下がりである。

「ごめんください」大滝経営戦略研究所を訪ねた女性がいた。

「はい、どうぞ」と、アシスタントの草野明美がドアを開けた。

「大滝先生は、いらっしゃいますか」

声の主は、淡い緑のワンピースを身にまとった、薄化粧が涼やかな女性であった。歳のころ、四十代前半であろうか。この事務所に女性の来客は珍しい。

「どうぞ、お入りください。大滝に御用なのですね、どちらさまでしょうか」明美は丁重に客を迎い入れながら、奥のデスクにいる大滝を振り向いた。

「先日お電話さし上げました藤野と申します、お約束の時間より少々早くて、申し訳ございません」

奥のデスクで、メールで菅原から送られてきた知見塾の試算表を見ていた大滝は、パソコンから目も離さず「どうぞ、お待ちしておりました」と大きな声で言った。要領のいい彼は、来訪者との面談予定のあることを忘れていたことなどおくびにもださない。

大滝は、手帳へ日時の書き込みをよく間違える。ホワイトボードの予定表にも今日の来客の予定は書かれていなかった。

明美は、心得たもので胸の中でにやにやしながら「さあどうぞこちらへ・・・」と言いながら小さな応接間へ案内した。

度忘れと、方向音痴は天才的である大滝をいつも温かくフォローし、てきぱきとサポートしてくれる明美である。

ひとつのことに集中すると、三歩も歩かないうちに忘れることがあるから鶏より始末が悪い。よく隣の部屋へものを取りに行って手ぶらで帰ってくるのである。そんな時は必ず何かひらめいたときか、別の書籍か書類が目にとまって、横道にそれたときのようだ。

「失礼いたします」藤野淑子は、わき目もせずに明美について応接室に向かった。

コーヒーが入る頃を見計らい、大滝はノートパソコンをダウンさせて、応接室に入った。

「お待たせしました」

「はじめまして、エフマートの藤野と申します。先日は突然の電話で失礼いたしました」

ソファから立ち上がり差し出した名刺には、株式会社エフマート代表取締役藤野淑子とある。

「こちらこそ失礼いたしました。ここは直ぐお分かりになりました?」

「はい、ナビを見ながらまいりましたので直ぐ分りました」

便利な世の中になったものである。ナビゲーターが案内してくれる。それに比べてナビのない車のうえ方向音痴の大滝はインターネットで住所から地図を調べて出力し、それを頼りに目的地へたどり着くのである。

大滝が、彼女に親しみを感じたのは、優しい表情に加えて、歯切れのよい言葉である。そして、効率の良いコミュニケーションがとれそうな人だと思えたからである。

「私にご連絡頂いたのは、私どものホームページをご覧になったとおっしゃっていましたが・・・」

「はい、経営コンサルタントというキーワードで探したのです」

「それは大変でしたね」

「はい、時間をかけて探しました」

「どうして私をお選びになられたのですか」大滝はズバリ気になることを質問した。

「はい、大滝先生を選ばせて頂いた理由は、先生が失敗の経験者であることが分かったからです」と、はっきりしている。

「私としては、喜ぶべきことなのですね」大滝は、笑顔であいづちを打つ。

「失礼しました、お許しください」

「いいえ、私としては自分を売り込むネタがないものですから、一世一代の失敗を露出しているのです。商売のためなら、恥も外聞もありません」これは大滝の本音であった。

「なかなかできないことですわ、それともうひとつの理由は、先生の信条を読ませて頂いたからです」

「そうですか、私の責任は重大ですね」大滝は信条として“針の穴ほどの抜け道はある”とうたっていることを思い出しながらいった。

「そのとおりですわ」と言いながら、大滝を笑顔で睨んだところみると、美人の女社長は

すでに、心を許しているようである。

「ところで、相談したいことがおありだとおっしゃられていましたが・・・」

「はい、私どもでは“エフマート”というスーパーマーケットを営んでおります。私が3代目の社長です。本部は栃木県の佐野市にあり、現在佐野、足利、群馬県の大田などに6店舗を営業しております。10年前に創業者である義父が亡くなりまして、長男である私の主人が2代目社長として経営を引き継ぎました。その主人が昨年の暮れに急死いたしました。主人が社長になった時点では8店舗ありましたが、その後リストラを行いまして、不採算の店2店舗を撤退しました。その結果単年度決算では黒字になりましたが、累積の赤字は残っております。」

「そうですか、ご主人が亡くなられたのですか。それはお気の毒でしたね。お悔み申し上げます」大滝は相手の痛みに対して心から頭を下げた。

「ありがとうございます」

「そうしますと、あなたが正式の社長さんになられたのですね」

「はい、つい最近役員変更の登記をしたところです」

「そうですか、心機一転というところですね」

「しかし、難題が山積しておりまして、これからどうしたらよいか悩んでおります。ほかに相談相手もいないので先生をお訪ねした次第です」

「そうでしたか、で、おっしゃられた難題ということを具体的にお話頂けますか」

「一つは売り上げの低迷に加え、粗利益率も落ちておりまして、せっかく黒字になったのもつかの間、また赤字に転落する可能性があることです。それに、主人の保険金が一億円ほど入金されたのですが、借入のある銀行の預金口座に入金されたものですから、押さえられて使えなくて困っています」

「保険金は、会社名義ですか、それとも個人名義ですか」

「会社名義です」

「なんという銀行ですか」

「あけぼの銀行です」

「会社の借入金の返済を延滞しているのですか」

「いいえ、いまは延滞をしておりません」

「それでは差し押さえの通知などはきていませんね」

「はい、なにもきておりません」藤野淑子の声に緊張感が漂い始めていた。

「それはおかしいですね、どういう理由で使えないのか、はっきりされたほうがよろしいですね」

「それが、貸付担当者はあいまいないい方で、お宅の会社には貸付金が5億円ほどありますが、社長さんが亡くなられて遅滞なく返済できるのか、とか今後の経営方針や経営計画書を出してくれとかいいまして・・・」

「それではこうしたらよろしいと思います。口頭で預金を凍結している理由を明らかにするよう申し入れることです」

「借入金がたくさんあっても大丈夫ですか」

「もちろん、拘束されるいわれはありません、それでもだめでしたら内容証明を送付してはっきりさせることです」

「内容証明書など書いたことも読んだこともありません」

「そのときは、わたしが書いて差し上げます」

「ありがとうございます」

大滝は、コンサルティングの契約をする前に仕事を引き受けてしまった。

「そのお金が使えなくて、資金繰りは大丈夫なのですか」

「はい、当分はなんとかしのげると思います」

「資金繰り表はいつまでの分を作成していますか」

「お恥ずかしいのですが、やっと来月の分までです」藤野淑子の表情は訪問した時の優雅さはすっかり消えていた。

「それでは心配でしょう。概算でもよいから最低半年先までは作ってみないと・・・。言い換えれば、毎月6ヶ月先までの資金繰り表を作り続け、それを見据えながら経営するのが社長の最優先課題です」

「はい、それが急に経理担当が退社していまい混乱しておりまして・・・」

「あけぼの銀行のほかに取引されている銀行はどこですか」

「はい、北関東銀行佐野支店と光陽銀行足利支店です」

「借り入れはあるのですか」

「北関東と光陽合わせて三億円ほどです」

大滝は光陽銀行の名前が出てかすかに動揺したが、こんなことがあることは予測の範囲ではあった。


それからの、藤野淑子の話を要約すると次のようなことであった。

エフマートは、失われた20年と言われたバブル崩壊不況の後遺症が癒えないうちに、リーマンショックの不況で売上高は減少の一途をたどっていた。各店とも売り場面積が小さいうえに大手スーパーとの価格競争に巻き込まれての苦戦であり、あながち不況のせいだけともいいきれない。

ふつう不採算店の撤退には人員整理が伴うばかりか、まるまる一店舗分の売上が減るので資金のひっ迫を生むのがふつうである。損益収支は好転するものの、資金収支の悪化による危険を招く可能性が高い。勘定足りて銭足らず、ということになるのである。

量から質への転換は、資金的な裏付けがなければ難しいが、銀行は資産家である藤野家に融資をしてくれリストラは、一応成功したのであろう。

「リストラ」とはリストラクチャリングの略語で正確には「再構築」や「改革」のことである。最近では、組織の再構築による、不採算事業や部署の縮小に伴って行われる「従業員削減」や「解雇」のみに使われることが多く、本来の意味とは違って解釈されることが多いようだ。

正社員もピークで70名いたが、いまでは、熟練度の高い45名に加え70数名の女子のパートタイマーの会社である。

改革が功を奏し、安定成長へ向い始めたばかりの社長の死は、エフマートにとって大きなダメージを受けたたことは容易に想像できる。そこへ財務担当の中心的存在であった古参社員の体調不良による退社が重なり、新社長の藤野淑子が先行きに不安を覚えるのは当然のことである。

新社長はもっぱら商品企画や仕入れを担当していたので、財務や会計は得意ではないようだ。

「私でお役に立つのでしたら、お手伝いさせて頂きましょう」

ひととおり話を聞いた大滝が言った。

「そうして頂ければ助かります」

大滝は、コンサルティング契約書を出して契約内容を説明したうえで、藤野淑子の同意を得、つぎの内容で契約書を取り交わした。

それによると、3月間は週に1回、その後は月に3回エフマートを訪問する。そのほか、緊急事態の場合は、電話、ファクス、メールでの相談にのること、また必要があれば、駆けつけるという特約条項を付け加えた。


エフマートとコンサルティングの契約を交わしてから3回目に訪問したときのことである。

預金を凍結している理由を問いただしたが、かれこれ半月がたとうとしていたがあけぼの銀行からは、なしのつぶてであるという。

「私が女だと思って馬鹿にしているのでしょうか」と藤野淑子は言う。

「銀行は自分の有利になること以外は、動きは緩慢だと思った方が良さそうです」と大滝、続けて「いっそ銀行に乗り込みましょうか」と言ってみると、藤野淑子は満面に笑みを浮かべて「行きましょう!一緒に行ってくれるのですか」と即反応したのである。

大滝も引っ込みがつかない「幸いなことに今日は10日です。お客さんが多いときのほうがねじ込むのには効果的だと思います」

「なるほど」

銀行は5・10(ゴトウビ)といって、5と0の付く日、それに、月末は混み合うことになっている。大滝にとっては、窓口での談判にはタイミングがよい日である。

「それでは、これから行きましょう」

 「はい、ただあけぼの銀行は、私どものメインバンクですが後々まずいことにはなりませんでしょうか」

藤野淑子は、談判に乗り込むことに同意はしたものの、後のことが心配になってきたようである。

「いまどきメインバンクなんていう考え方は捨てたほうがいいと思います。困った時はメインバンクが助けてくれたのは昔の話です」

「そういうものですか」

「現にご主人が亡くなられて一番困った時に、困らせているではないですか」

「それはそうですね」

「メインバンクは他行よりその企業の情報をもっています。それをよいことに一番早く債権の保全に走るのです。生きるはずの企業もそれで倒産に追い込まれた例はたくさんあります」

「分かりました」

「強い体質をつくれば銀行はすり寄ってきます。まずは、いまの危機を乗り切ることです」

「はいっ」

大滝は藤野淑子と連れだってあけぼの銀行両毛支店に出かけた。

予想にたがわず銀行はお客でごった返していた。

大滝は、足早に預金の窓口で「エフマートの者です。預金の残高があるにもかかわらずお金が下ろせないのはどういうことですか。再三お尋ねしているにもかかわらず理由もはっきりしないなんて馬鹿にするのもいい加減にしてください」と叫んだ。

大勢のお客がこちらを見ている。大滝の計算どおりである。

「少々お待ち下さい、ただいま担当者を呼んでまいりますので」と若い女子行員。

2、3人の行員がひそひそと話し合っているようだが、窓口のカウンターへはなかなか戻ってこない。

「早くしてください!責任者は誰なのですか、責任をもって答えられる人を出してくれ!」と周りに聞こえるように声を荒げる大滝。意識的にボリュームを上げている。


間もなく役付きらしい男が出てきた。ネームプレートに畠山と書いてある。

「どうぞ中でお話し下さい」と応接室があるあたりを手で示唆するが、大滝は無視した。

「ここで結構ですから、答えてください、なぜ、自分の通帳の金を自由に下ろせないのですか。あけぼのともあろう銀行がこのようなことでいいのですか、支店長はいないのですか」とますます声を荒げて言った。

「あいにく、いま不在なのです。あのう、おいくら必要なのでしょうか」

「いま、いくら必要かという問題ではないのです。自分の預金が自由にならない理由を教えてくれと言っているのです」と、大滝。藤野淑子はそばでそわそわしている。

周囲のお客は、興味深く注目しているようである。お隣さんとひそひそ話をする人もいた。

「なんなら金融庁に出向いて、ことの次第をはっきりさせてもらいましょうか」大滝は続ける。「これが睨み預金、見合い預金というやつですか」

「少々お待ち下さい」担当者であるはずの畠山はうろたえているようだ。

7,8分ほど待たされてから、もう一人の男と出てきて「お待たせして申し訳ありませんでした。お話のむきはよくわかりました。私どもに他意はありませんでしたが、説明不足でご迷惑をおかけいたしました。ご預金はどうぞ自由にお使いください」言ったのである。

「他意はない?・・・もし、そのために手形でも不渡りになったらどうするつもりなのです!」

「申し訳ありません」二人はひたすら謝るだけである。

大滝は、この辺で矛を収めようと考えた。深追いをやめようと思った理由は、お金が使えればそれで目的は果たせたことにもなるし、藤野淑子が、顔見知りらしい客に話しかけられて当惑している様子を見たためである。

ましてやこれから先お世話になる銀行である。

「わかっていただければいいのです。大声を出して申し訳ありませんでした」

「いいえ、こちらこそご迷惑をおかけしました」

藤野淑子はすぐさま、本部近くの信用金庫へ送金の手続きをとって銀行を後にした。


「ありがとうございました。それにしても先生の剣幕には私が驚きました」

帰りの車の運転席の藤野淑子が言ったが、その顔ははずんでいるようだ。

大滝は、半分は芝居のつもりであったが、いつの間にか本気で怒り出したとみえ、いまだ興奮冷めやらず、という様子である。

「さあ、これからが勝負です。強い会社をつくりましょう」

「はい、よろしくお願いします」

「前回お伺いした時に頂いた資料を分析させて頂きましたので、会社の財務状況と営業状態や推移は、ほぼ把握することができました。後は現場を見せてください。いずれ、全店を見せて頂きますが、今日のところは本部の近くにある、佐野店と足利店、それに太田店だけでも見たいのですがよろしいでしょうか」

「ぜひ、見てください。この足で回りますか」

「そうしましょう」

2人は、3店舗の店内、バックヤード、調理場、倉庫などを見て回った。

藤野社長が目を見張ったのは、大滝の見る眼の鋭さであった。さすがに自分とは見方が違っていた。見るというより見えないものまで観るという風情に加え、科学的に診るという見方である。途中メモをとり、商品の陳列棚をスマホのカメラに収めている。と思えば突然近くの店員に何かを尋ねているようだ。そしてチラシと店内popを見比べてはカメラを向けている。

大滝は緊張した面持ちで見ている藤野社長を振り向いて言った。

「次回お邪魔するときには店舗診断書としてまとめてきます。改めるべき点はたくさんありそうですね。これは儲けはぐりです。つまりは含み資産が多いということですよ」と楽しそうに言った。

「私どもで何かご用意するものはありますか」

「そうそう、全店舗の売り場ごとの売り上げ推移表と、posデータの分析表のようなものをまとめておいてください。それと一度店長さんたちと意見交換がしたいので日時を設定してください。私は夜でもかまいません」posデータとは、ポスレジから引き出される商品の単品や分類ごとの情報である。

「かしこまりました」

3店舗の視察が終わったときは日が暮れていた。


大滝は帰り道、佐野インターチェンジの近くにある佐野プレミアムアウトレットに立ち寄った。大滝はアメリカの東海岸の都市をイメージしたこのショッピングセンターが好きだった。内外のブランド店が180ほど集積している。

大滝はカフェでアメリカンコーヒーをブラックで飲みながら、夢に終わってしまった、ここへの出店について仲間と議論した頃を懐かしんでいた。


エフマートの改革が始まった。

分析の結果、売り上げが下がっている最大の原因は客単価が下がっていることにあった。売上高は客数に客単価を掛けた数字であり、客単価とは1人当たりの平均買い上げ高である。

これは売れた商品1個当たりの平均金額に1人当たりの買い上げ個数を掛けた数字でもある。

エフマートは全店とも、客数も1人当たりの買い上げ個数も落ちていないが平均商品単価が下がっていたのである。デフレ時代の激しい価格競争に巻き込まれていることと、品ぞろえが戦略的でないことを如実に物語っている。

つぎに粗利益率の下落の問題である。価格競争による安売りということもあるが、粗利益率の高い商品群の売り上げ構成比が落ちていることが分かった。グラフを見ると、特に惣菜と生鮮食料品の中の野菜と果物がへこんでいる。

大滝はこれらの課題について、エフマートの幹部や店長たちと何度かミーティングをした後に提案書を作成した。


早くも梅雨を思わせる蒸し暑い夜、エフマート本部の会議室は久方ぶりに熱気に満ちていた。

経営幹部、各店長、本部の商品担当者など総勢12名が大滝の話に耳を傾けている。

「エフマートを近隣の競合店と比較してみますと、店舗が小さいこと、駐車場がせまいこと、自転車のお客さんが多いこと、立地としては、比較的街の中にあること、主婦を中心として中高年のお客さんが多いこと、それに店員さん達の話を聞く限りでは他店より顔なじみのお客さんが多いようです」

藤野社長をはじめ一同うなずいているようだ。

「もっとも効率よく競争に勝つことは競合しないことです。競合店との違いをもっと明確にすることです。他店と客層が違う、来店動機が違う、お客さんのライフスタイルが違うのです。これらを知ったうえで、ここをターゲットとした店づくりをしなければ、売上も粗利もこのまま下がることがあっても上がらないないでしょう。

私は他店のチラシばかり意識した戦略から、自分たちのお客さんをもっと意識した戦略に変えるべきでだと思うのです。言い換えれば他店との同質化と決別して価格競争という体力勝負は大手企業にまかせるのです、他店ではなく自分のお客さんを見て商売をするのです。徹底した地域密着型の店にすることです」

大滝の話に熱が帯びてくる。

「スーパーマーケット業界は、これまで新興住宅地を狙い、郊外に店を出すことに重点をおいてきました。モータリゼーション時代はそれに拍車をかけてきたのです。

しかし、かつてのような人口増時代は終わったのです。少子高齢化時代、核家族時代に適応した店づくりこそ、エフマートの特徴を活かせるのではないでしょうか。これまでのように、店が狭い、駐車場が狭い、高齢者が多いから客単価が低い、などと嘆いてきた弱みを強みに変えるのです。お手元にお配りしました、お店のコンセプトを変える方法と手順を、提案書にまとめましたのでこれを見ながら私の話を聞いてください。途中でも結構です質問はどんどんしてください」

大滝の提案書の骨子は地産地消による野菜や精肉部門の充実、惣菜部門の充実と提案販売や接客などサービスの品質を高めるための戦略などが、書かれてあった。野菜や果物については、直接農家から仕入れる仕組みづくりが書かれてあった。しかも、どこの誰さんが生産したものか写真入りでお客にアピールする方法など、こと細かに書かれてあった。

惣菜は、社内に主婦のパートさんを中心としたメニュー開発のプロジェクトチームをつくって、常に旬の食材を活用して季節感を演出しそのレシピーを公開する。そのほか、お客さんの提案制度をつくることや野菜売り場と総菜売り場の連動をはかる方法などあった。

また、お客さんを巻き込んだ総菜のメニュー開発計画、お客さんを表彰するなど盛りだくさんであった。

質問が出始め、大滝が丁寧に答える。

そのうちに若い店長から提案が出始める。

藤野社長はこれまでにないわが社の雰囲気に驚いていた。

大滝によって、これまで眠っていた闘志に火が付けられたようだ。


翌週からこれらの改革は実行されだした。

この改革は大きな投資もなく、情報と知恵の勝負である。

仕事の意味を理解し、仕事の面白さを実感した社員の努力によって店に活気が生まれ始めた。

試行錯誤はあったものの、着々と実績が表れ始めたのは、半年も過ぎた頃からである。

値引きのタイミングも適格になりロスも大幅に減った。売上の構成比率のコントロールされるようになり、粗利益の管理は徹底されるようになった。

「社員が生き生きしてきたことが何よりもうれしいですわ」藤野社長の表情も明るい。

大滝にとっても、コンサルタントとしてこれこそ仕事の醍醐味と思えたのであった。

この調子でいけば来期の数字は必ずよくなるはずである。

大滝はつぎの重点テーマとしていっそう顧客満足度の高い店づくりと、社員1人当たりの粗利益高である労働生産性の向上に力を入れなければならないと考えていた。


ほどなく、スーパーマーケット・エフマートの収益構造が確立され始めて、徐々に財務内容が改善されつつあった。そして、久方ぶりにつぎの出店計画が検討され始まった。本格的な勝負はこれからである。

「社長エフマートの藤野社長から電話です」

大滝は、そろそろ今日の仕事を終わりにしようかと考えながら受話器をとった。

「藤野です。お時間大丈夫でしょうか」藤野社長の声は普段と違っていくぶん暗い。

「はい、何かありましたか」

「じつは、今日の午後になって、光陽銀行の貸付担当がきて今回の融資を保留にしたいというのです」

惣菜部門の強化のために確か3店舗まとめて厨房を改造することと一部駐車場の整備のため、光陽銀行から5千万円ほど調達したいといっていたはずである。

「確か貸し付けは決定したといわれていましたよね」

「はい、実行予定が今週中のはずでした」

「それがなぜ?」

「はいそれが、・・・はっきりした理由を言わないのです」

「そんなことってあるんですか、何か心当たりはありませんか」

「先生、気になさらずに聞いてくださいね」

「はい」

「じつは数日前のことです。私は不在でしたが、担当者が来て大滝先生と私どもの関係について根掘り葉掘り聞いて行ったそうです。私にはそのことくらいしか思いあたりません」

「・・・・・、なるほど」大滝は怒りを抑えながら冷静さをよそおって続けた「それでいつまで、保留にするというのです」

「それが、のらりくらりではっきりしないのです。とりあえず工事代金の支払は運転資金の方から支払しておくつもりです。」

「わかりました、少し時間をください。明日中には私の方からご連絡差し上げます」

「承知しました。よろしくお願いいたします」

一抹の不安が現実のことになったようである。大滝は光陽銀行にとっては不良債務者には違いない。そのことが災いとなっているのかも知れない。

大滝にとっての最大のアキレス腱である不良債務者。自分の弱点がクライアントに不利益をもたらすことはいちばんつらいことであり、屈辱でもある。

大滝は、本店の審査部に移ったと聞いている星野の能面のような顔を思い出していた。

この場に至って光陽銀行から横やりが入ったことに対する腹立たしさと、思い出したくもない過去がよみがえり気持ちがふさいだ。

そういえば先週、保証協会の職員が突然訪れて執拗な督促を受ける羽目になったことも自分がまだふつうの人間の仲間入りを許されていないことを思い知ったばかりであった。

しかし、この戦いはもう少し続けないわけにはいかない。

深いため息をひとつついた後大滝は電話を取った。

「もしもし、藤野社長をお願いします」

「社長、明日あなたに速達、親展で手紙を送ります。そのコピーを、光陽銀行の担当者に “当社と大滝の関係を示す情報の一つです。参考になるようならお持ちください”こう言って渡してください。よろしいですか?」

「はい」藤野社長はなんのことかわからず返事をした。

大滝の藤野社長あての手紙は次のような簡単なものであった。


拝啓、いつもお世話になっております。

このたび光陽銀行が融資決定しているにもかかわらず、実行間際になって理由を明らかにされないまま保留にされているとのことですが、御心配のことと思います。

 お電話によれば、担当者が数日前にこられ、わたしと貴社の関係についていろいろ聞かれたことが気になることのことでしたが、もし保留の原因がわたしにあるのだとすればわたしも黙って見過ごすわけにはいきません。

 じつはわたしは以前の会社の債務約五千万円を返済しておりません。それには、いろいろ事情がありますが不良債務者であることに間違いありません。

 じたがいまして、貴社の債権者でもある光揚銀行にしてみれば不安材料の一つと考えているのかも知れません。

それは、単なる取引先と違ってコンサルティングは会社の経営方針など経営の根幹に関する意思決定に影響を与えかねない仕事だからです。

そこで、考えますにこの問題の解決法は3つあると思います。

1つは、わたしどもとのコンサルティング契約を解除すること。

2つ目にはわたしが、光陽銀行に返済の意思を明らかにして短い期間に返済する旨を約束すること。これは、時期が少し早まっただけで近いうちにそうしようと考えないでもありませんでした。

3つめにはわたしが光陽銀行以外の銀行を紹介して差し上げる方法です。おかげさまでいまのわたしにはそれくらいのことが可能になったからです。幸い中小企業の紹介を依頼されているある銀行があります。この際ですから光陽銀行の取引のある他の顧問先にも今回のことが起きる前に紹介して光陽銀行の債務をもっと良い条件で肩代わりしていただくことも考えています。幸い優良な企業が数社ありますからその銀行も喜ぶでしょう。

これらの選択肢のうちどれを選ぶかここ2・3日のうちに結論を出すつもりです。

とにかく今週中にはある銀行と下話をしたうえで御社にお伺いいたします。

取り急ぎ用件のみにて失礼いたします。

敬具

2日後に藤野社長から電話が入った。

「先生、光陽銀行から電話が入って、貸し付けはすぐ実行することになりましたからご心配なく、とのことでした」

「そうですか、取りあえずよかったですねぇ。ところでどうして保留になったかの説明はありましたか」

「はい、監査が入って本部が忙しかったからと言っておりました」

「そうですか、光陽銀行は監査の時期は気をつけないと、不渡りを出す融資先が出るかも知れませんね」

「そうですよねぇ」といいながら藤野社長はさも愉快そうに笑った。

大滝もいつまでも光陽銀行を敵にしていてもメリットがあるわけではないから、そろそろ休戦しようかと考え始めていた。


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