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債務奴隷解放宣言  作者: 大垣 壽雄
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10,拉致

10、拉致


次々に仕事が舞い込み忙しくなってきた十一月の下旬であった。午後になって木枯らしが吹き、いよいよ、冬型の季節配置になったもようである。

突然大島と名乗る男から、電話が入った。

取りついたのは草野明美である。

「大滝龍二さんですね」

代わって受話器を持った大滝の耳に低い声が響いた。

「はい、大滝です」

「私、仙台の大島と申します。突然で恐縮ですがあなたとお話がしたいのですが、お時間頂けませんか」

「どんなご用件でしょうか」

「申し訳ありませんが、それは、お会いしたうえでお話したいのです」

「それで、どうすればよろしいのですか」大滝は、多分経営の相談であろうと思い、深く考えずに言った。

「いま、お宅の事務所の近くのホテル・ハロー・グリーンにいます」

ホテル・ハロー・グリーンは、ビジネスホテルではあるが、地域の人たちは結婚式や宴会などに利用していた。

「分かりました、二十分後にはいけると思います」

「お手数かけます、ロビーでお待ちしております。よろしくお願いします」

見慣れない仙台ナンバーの外車が入り口に一番近い駐車場にあった。

大滝がホテルの玄関から入る瞬間、いやな予感がしたのは一人の紺のスーツの男に、あまり人相のよくない、黒いスーツの男二人が眼に入ったからだ。ほかに人影はない。

閑散としている。今日はこのホテルで結婚式や法事がある気配はなかった。

「大滝さんですね、電話をさせて頂いた大島です」紺のスーツのビジネスマン風の男が、近寄りながら言った。名刺は出さなかった。

「はい、大滝です」言いながら大滝は、自分の両脇を固めるように立った、二人の若い男たちを視野に入れながら半身に構えた。一人はヘッドスキンの大男で、もう一人はやせぎすの茶髪でどこか焦点の定まらない目をしていた。

「ことを、荒立てるような話ではないのです。すいませんが、うちのオヤジが大滝さんに話があるのでお連れしてくれと言うものでお迎えにあがったのです。お忙しいところ恐縮ですが、ぜひ仙台まで、ご足労願いたいのです」

言葉は丁寧だが、いやとは言わせないという雰囲気があった。

「あなたのオヤジさんとは誰のことですか」

「北州雄和会相澤組の組長相澤虎男です」

「私はそのような人は知りませんが・・・」

「そう思います、しかし、オヤジは直接ではないが、あなたを知っていてどうしても、お話がしたいというのです」

「一体どのような話なのですか。私の身にもなってください、突然知らない人から話があると言われても困ります。しかも、仙台まで来いと言われても・・・」

「どうしてもだめですか」

「だめです。なぜ、私がさらわれなければならないのですか」

「さらうなんて、ぶっそうな・・・」

「腕ずくでも連れていくと言うなら、警察を呼びますよ」

「いや、そうは言っていませんよ、ちょっと待ってくれますか。オヤジに連絡してみますから」と言いながら携帯電話を取り出したのである。

「どうぞ」と言いながら大滝も携帯電話を取り出した。

何のことか分からないが、もしこのまま拉致されるようなことがあった時のことを考えて、事務所に電話を入れた。

このまま、仙台に行くことになるかも知れないこと、その場合自分の車はホテル・ハロー・グリーンの駐車場に置いておくことを告げた。

「社長、何かあったのですか」明美は心配そうに言った。

「急な仕事です、心配しないように」といって電話を切った。

電話が終わったらしい、大島が近づきながら言った。

「大滝さん、オヤジが言うには森山商事の手形の件だそうです。裏書人の沢野のことでも話がしたいそうです」

「森山・・・沢野・・・」大滝は、どういうことか、とっさには、判断できなかった。

しかし、どうやら人違いではないらしい。しかも、一筋縄でいきそうな相手ではなさそうだ。一度は会っておいたほうが、後々面倒が起きないかもしれない。

これから先々に起きそうな恐怖が、逆に大滝を決断させた。

「分かりました、案内してください」大滝は覚悟を決めた

大滝が、仙台の相澤組の組長に会おうと考えたのは、見えないものが一番怖いことを知っているからである。同時に、相澤なる男は森山商事が振り出し、沢野木材が裏書人の不渡りになった手形を持っているらしい、大滝も沢野木材が振り出し、森山商事が裏書をした不渡り手形を持っている。森山商事が割り引いた手形を連帯保証人として銀行からの買い戻し要求に応じたものである。大滝はふと、その手形を生かす可能性があるかも知れないと思った。

ベンツは東北高速道路の鹿沼インターチェンジから仙台へ向かって走った。

大滝と大島が後部座席に座った。

「大滝さんは、仙台は詳しいのですか」最初のうちは無言が続いていたが、那須を越えた頃大島が話しかけてきた。

「はい、何年か住んでいたことがあります」

「そうでしたか」

「事務所は仙台のどちらへあるのですか」

「国分町にあります」

「そうですか。ところでわざわざ仙台から来て、もし私が留守でしたらどうされるつもりだったのですか」

「申し訳ありません。偽名を使わせて頂き今日は会社におられることを確認させて頂きました」

「なるほど・・・」大滝は出社して間もなく、明美が興信所だと名乗る男からの電話を受け、大滝の在社の問い合わせがあった旨の報告を思い出した。


車はとばしたせいか三時間もかからず、仙台南インターチェンジを降りた。

夕暮れの仙台の街は、雪になりきれない雨が降っていた。

見覚えのあるスケールの大きいけやき並木を抜ける。定禅寺通りである。間もなく国分町に入る。夜の彩りとは違った顔の街並みである。

ベンツは小さなビルの前で止まった。2段ほどの階段を上がったところに、重たそうなドアがあり、その外側の壁には、無垢の分厚い板のやや大きめな表札が掛けてある。

それには、周囲を威嚇するような書体で“北州雄和会相澤組事務所”と書かれてあった。

大滝は緊張した面持ちで大島の後に続いた。

ビルは五階建てのようだ。狭いエレベーターで最上階の五回へのぼる。

扉が開かれると、すぐ目の前の石畳の上に吾妻障子が閉められていた。

中からガラガラとマージャンらしい音が聞こえてくる。

「大島です。ただいま大滝さんをお連れして戻りました」と大島が声をかける。

「入れ」中から低く響く声がした。

「失礼します」大島は片膝を付いて吾妻障子を開く。

座敷の奥の方で四人がジャン卓を囲み、一人の若い者がそばに控えている。脇に札束が重なっていた。

「もう少しだから、待ってください」こちらを向いている恰幅のいい赤ら顔の五十がらみの男が大滝を一瞥して言った。

 部屋の隅で待つが、間もなく「どうぞ!こちらへ」と呼ばれた。

ひと勝負終わったようだ。

正面の赤ら顔の男を除いて3人の男たちは別室へ移っていくようだ。

それぞれ、ひと癖もふた癖もありそうな人相である、よく言えば個性的とも言える。

大滝は誘導されて、ジャン卓の隣にあった大きな座卓の前へった。

「相澤です。遠いところお疲れさんでした」やや、まともなあいさつである。

「大滝です」軽くあたまを下げる。

さすがの大滝も緊張していた。いくつもの修羅場を乗り越えてきただけあって、かたぎにしては腹が据わっているほうであるが、いわば敵陣に一人で乗り込んだようなものである。それに舞台が舞台であるだけに不安を隠すのに一苦労のようすである。

「前おきなしで、用件に入ります。この約手を大滝さんに買ってもらいたいのです」

相澤は、いきなり3枚の約束手形を脇にあった手提げの金庫から取り出し、大滝の目の前に押し出した。冬とはいえ、暖房が効いていて暑いくらいであるため、相澤は薄手のカーデガンを羽織っているが、その手首の少し上に青黒い墨が入っている。

「失礼します」大滝は差し出された約束手形を受け取ってまじまじと見つめて唖然とした。

手形の額面は、300万円、500万円、800万円の三枚であり、300万円と800万円の手形は振出人が沢野木材で裏面の裏書人に、森山商事がなっており、五百万円の手形は、森山商事が振出人で沢野木材が裏書人になっていたのである。

大滝は声にならない声で“融通手形!“と呟いた。沢野の支払手形は分かるが、材木を売っている側の森山商事が手形沢野木材に手形を振ることは理屈に合わない。その森山商事の手形の裏書きを沢野木材がしているということは、沢野木材の手形だけでは割り引けないといわれたことが想像できる。

これは、森山と沢野で共謀して金をつくるためにお互いに手形を振り出したと考えるのが普通である。

大滝は会社が生き延びるためとはいえ、森山に裏切られたと思いあらためて怒りが込みあげてきた。「この手形を俺が割ってやったんだ。奴ら恩を忘れて不渡りにしやがった。だから、俺は債権者として債権を回収する権利がある。そうだろう?」

金融機関で手形を買いとり手数料(割引料)をもらうことを手形を割り引くという。手形金額と振り出した企業が手形を落とす日(支払期日)までの日数によって割引料を差し引きかれた金額(手取り金)が割引を依頼した者に支払われる。手形の振出人は支払期日に手形額面の金額を自分の当座預金で決済しないと不渡りとなる。

手形の割引は銀行など金融機関がするのが普通であるが、マチ金が高利で割り引くこともある。

大滝は何食わぬ顔で言った「お話はよくわかります。だからと言って、この手形をどうして私が買わなければならないのですか」

「ばっくれんじゃねえよ大滝さん。あんたが、森山商事の整理をしたのはわかってんだ」相澤が、目をむいて大きな声でいった。

「いいえ、整理したのは横田という弁護士です。私も森山商事と沢野木材の被害者です。それにしても、私の記憶では森山商事の自己破産申し立ての書類のなかの債権者一覧表に相澤さんの名前は載っていませんでしたね」

「そんなこと俺にはわからねえが、森山商事の整理は、大滝さんにとってはおいしい仕事だったって聞いてんだけど、どうなんだい?」相澤は短い首を下から上に向けて言った。

「とんでもありません。森山商事が倒産したために私は、自分の会社まで整理するはめになり、いまは全くの無一文です。というより、借金だけが残りました」

「ふーん。おかしいなぁ」

腕を組んだ相澤の顔を、見ながら大滝は、手形の裏書人でもない自分に不渡手形の責任を取らせようという乱暴な話をする相澤に対し、軽率な奴だと思い恐怖心が薄れていった。と同時に自分もずいぶん甘く見られたものだとも思った。

それにしても森山に関しては、意図的に人をだますようなことのできる人間ではないと信じているが、沢野と言う人間のことは分からない。近頃はやくざをも騙す、つわものが多いと聞いているが、沢野もその類の人間であったのかもしれないと大滝は思うのである。

「あの野郎調子のいいことを言いやがって、俺を騙しやがったのか、ちくしょう!」相澤は赤い顔をますます赤くしている。

大滝は、あの野郎と言うやつに目星をつけて言った。

「この手形を持ち込んだのは誰ですか。それと、私が森山の整理でおいしい思いをしたと言ったのはだれです?」

「沢野の野郎だ」相澤は、唸るように言ったのである。大滝の直感は当たっていた。

「私は沢野なる人物とは一面識もありませんが、どんな人間なのですか」と大滝は相澤と沢野の関係を探るために聞いてみた。

「あんたのことは、何でも知っている口ぶりだった」相澤は声を落として言った。そして、よほど腹が立つのであろう「あんちくしょう」と、また言った。

「そのようなわけで、とにかくこの手形は買えません。いまの私にはそのような金は全く無いのです」大滝ははっきり言い切った。

「そういわねえで、なんとかなんねえのか」と相澤。

大滝は、この世界の連中と関わりを持つことを極端にきらっていた。できることなら一刻も早くこの場を立ち去りたい。大滝は、ふと心配しているであろう、明美の顔を思い浮かべた。

しかし相澤は、言いがかりとしか思えない理不尽なことを言って、執拗にねばるのである。

大滝が一計を案じて言葉を発したのは、相澤と向き合ってから1時間あまり過ぎた頃であった。「相澤さん、ものは相談ですが私の持っている債権を取り立ててくれませんか」

「ほう、債権があんのかい。どんな債権だい」

「私が森山にお金を貸した見返りとして森山商事の売掛債権の譲渡を受けたもので、手形はないのですが、先方には内容証明が届いているはずです。債務者は、仙台の工務店と塩釜の大工です。」

「んうぅん。仙台と塩釜か、金額は?」

「仙台は、約280万円で、塩釜の方が160万円位であったと思います。もちろんそんなに古いものではありませんから、時効にはなっておりません」売掛金の時効はたしか五年と聞いている。

「取れたら、いくらよこすんだい」

「切り取り折半という話を聞いたことがあるのですが、それではいけませんか」

「よく知ってんなぁ。あんた、結構馴れてんじゃねえの。もう少し色をつけてくれねえか」

「分かりました、私との間で覚書を取り交わして頂ければ、60パーセント差し上げたいと思いますがいかがでしょう」

「どんな覚書だい」

「債権の譲渡ではなく債権回収の委託であること、委託の期限は1年間。経費はそちら持ちで回収にあたること、回収業務は合法的に行うこと、1度に回収できないことも考えてその時々の回収分の40パーセントは回収後3日以内に送金して頂くことを明記して頂く内容の覚書です。なお、森山商事に関することでは今後一切私との関係はないことも念のため付け加えさせて頂きたいと思います」大滝は一気にまくしたてた。

「あんたも、しっかりしてんなぁ。見直したよ」

「いかがですか?」

「わかったよ。こちらにも条件があんだが、今夜仙台に泊まって書類を作ってもらうことと、明日うちの若い者と一緒に2人の債務者を訪ねて、あんたから一言債権の回収にうちらで行くことを話してほしいんだ」

大滝は一瞬考えたが、潔く返事をした「いいでしょう。ではよろしくお願いいたします」

「ところで、沢野木材の不渡り手形を持っているのですが、お金になる可能性はありますか」

「うん、いまのところ何とも言えねえ。それはヤローを捕まえてからの話だな」

「分かりました。その節はよろしくお願いします」

その夜大滝は、案内された部屋で、与えられた笹かまぼこを肴に酒を飲みながら覚書を作成した。

時計の針は午前2時を回ったとはいえ、あまりの静けさに窓を開けてみた。いつの間にか雪が積もり、なおしんしんと降り続いている。


翌朝、雪はやんでいたが空は東北らしく灰色に澱んでいた。

「おはようございます。よく寝られましたか」大島が約束の8時30分ちょうどに訪ねてきた。手にはコンビニから買ってきた弁当とお茶を携えていた。気のせいか、今朝は昨日の大島よりインテリっぽく見えた。

「おはようございます。今日はよろしくお願いします」

「オヤジさん大滝さんのことほめていましたよ」

「へえー、どうして?」

「かたぎのくせして、いい度胸している人だと言っていました。ああいう人がうちの組にいたらなぁ。ですって・・・」

大滝は苦笑しながら弁当を開いた。

「ところで、今日は私の本業である名刺をもってきました」大島はあらためた様子で名刺を出した。

「本業ですか」大滝は受け取った名刺を見た。それには、横書きで株式会社ビジネス・アウトソーシング代表取締役大島潔とあった。社名もシンボルマークもIT企業のように見る。住所は仙台でも郊外の泉区であった。


仙台駅の東口に近い伊藤工務店を訪ねると、脊髄狭窄症の手術をして入院中だと分かりすぐさま近くの国立病院にまわる。

伊藤は国立病院の四人部屋の病室である。窓際に伊藤らしき男が点滴をしながら寝ていた。

「伊藤工務店の伊藤社長さんですね」と大島が覗き込むように聞いた。

「はい」いぶかしげに伊藤が答える。

「私は国分町の相澤組の若い者で、大島と言います」と言いながら相澤組とは関係のない名刺を平然と出した。名刺は残るが言葉は消えてしまうことはおり込み済みのようだ。

「療養中にすいませんが、あなたは森山商事に未払金がありますね。そして、その債務は、大滝さんという人に譲渡されているのを知っていますね」

「はい、内容証明書がきましたから・・・」

大滝が2度ほど電話をした時の声と確かに同じ声である。いくら、債務者とはいえ病室まで債権者に押し掛けられるのは気の毒に思わないわけではなかったが、ないものは払えないと開き直った伊藤の言葉を思い出していくぶん気持ちを楽にさせた。

「この人が大滝さんですよ」

「大滝です、先日は電話で失礼しました」と軽く頭を下げた。

「今度は私が集金にきますからお願いしますよ」と大島。

「はい」と弱々しく答える伊藤であった。

「今度いつくれば払ってもらえるのですか」と周りに聞こえるように大きな声で大島が言う。

「来月の中頃なら・・・」

「中頃じゃ分かりませんね。日時を言ってくれませんか」声は相変わらず大きい。

「15日の午後3時頃に・・・」

「全額払ってくれるのですね?」

「はい」伊藤は観念したように寝たままコックリしたのである。

「分かりました。ではお手数ですが、ここにサインしてください」

伊藤の支払う意思を確かめたとたん大島は、用意してきた念書に支払期日を記入したうえで伊藤にサインをさせると「では、来月の15日午後3時にお伺いしますのでよろしくお願いします」と言って大滝の顔を見た。

「失礼しました」大滝が声を出したのはこれが2度目であった。


塩釜の宮大工である宍戸五郎は、突然の訪問客に戸惑いながらも、注文した材料がそろわなくて迷惑をこうむったこと、お寺の普請なので、簡単には材料が手に入らなかったため工期が遅れ、予定どおり入金にならず苦労したことなどくどくど話した揚句、「自分が材料を買ったのは森山商事で大滝さんではない。だから、森山商事に払いたい」と言った。

「森山商事に払いたければ払っても結構です。しかし、あなたに対する大滝さんの債権がそれでなくなるわけではありませんよ。あなたは、法的にはもう森山商事に債務はないのです。債務は大滝さんにあるのです。二重払いしたいのであればそれもいいでしょう。しかし、もう森山商事は存在しないから受け取れませんがね」大島がゆっくり簡潔に言った。

それでも、ぐずぐずと歯切れの悪いことを並べる宍戸であった。

「相手が倒産すると、みんなそう言うのですよ。宍戸さん、私たちを子供扱いしても無駄ですよ」大島がいった。

沈黙が続いた。宍戸は黙って、何か考えごとをしているようだ。

「あの額にある写真はお孫さんですね?」突然大島が言った。茶の間に飾ってある写真を見たようだ。

「はい」

「内孫さん?」

「はい」宍戸は触れられたくないように最小限の返事をしている。

「七五三の写真のようですがお参りしたのは塩釜神社ですね?」

「はい」

「しかし、かわいいねー」

「・・・・」

「もう小学生になったの?」

「はい」いよいよ声が小さくなった。

「このあたりは、はまなす小学校ですか」

「はい・・・」何かいおうとしたようだが、やはり“はい”だけであった。

「近頃は、変な男がいるようだから、学校の帰りや遊びに行くときは、くれぐれも気をつけた方がいいですよ」聞き方によっては親切心で言っているようだが、勘ぐれば不気味な話ではある。

「私は近いから大滝さんの代理人として、話がつくまでは毎日でも毎晩でも来させてもらいます。大滝さん、それではまたにしましょうか?」大島がおもむろに立とうとした。

その時、宍戸が口を開いた「あのー・・・、何度かに分割にしてもらえんでしょうか」

「何回?」すばやく大島が聞く。

「3回くらいで・・・」

「いいでしょう。それでは、お手数ですが予定の日を入れてここにサインをして頂けますか」大島はなかなかの役者であった。


朝から行動したため昼過ぎには仙台を発てることになった。帰りは電車であるが、仙台駅の新幹線ホームまで大島が送ってくれた。

別れ際に大島は「いろいろ失礼しました、楽しい二日間でした。お元気で」と笑顔を向けた。

「お世話様でした。相澤さんによろしく言ってください」

大島は楽しい二日間と言ったが、二人の間で交わした話題は、お互いに住む世界が違うだけに新鮮に映ったようである。

仙台から宇都宮までの約一時間二十分の旅は、郡山あたりから青い空に変わったせいもあってか、快適であった。駅まで、明美が迎える手はずになっている。

明美は到着ホームで迎えてくれた。

「お疲れ様でした。変わったことは起きませんでした?」

「うん、何もなかったよ」

「誘拐されたのではないかと思って心配したのですよ」

「ゴメン、はいお土産」大滝は、駅の売店で買った笹かまぼこと仙台駄菓子を渡した。

「うれしい、ありがとうございます。私笹かまは大好きなの」

「それはよかった、それで今晩一杯やったら」

「はい、でも独りじゃなぁ」と言って大滝を横目に見た。

大滝は、では二人で飲もうか、という言葉を飲み込んだ。

このままいけば明美の魅力に負けそうだ。しかし、いまそれどころではない。やるべきことは山積している。

事務所までの車中、大滝は明美と話をしながらも半分は腕組みして考え事をしていた。

コンサルタントはある意味で“悩み引受人”でもある。クライアントそれぞれの悩みや課題に思いをはせる習慣になっている。隣の席で車を運転している明美にとっては居心地のよい空気とは言えない。

「よしっ!」突然大滝が声を発した。

「えっ?」と明美。

「ゴメン、ゴメンなんでもないよ」

いつの頃からか、大滝は決意や覚悟を声にするのが癖になっていた。自分で自分を奮い立たせてきた前向きな習慣ではあるが、苦闘の数年間の後遺症ともいえる。

「社長、疲れていません?」

「うん、疲れてはいないが、取りつかれているようだ」

「何に取りつかれたのですか」

「仕事だよ」

「まあ、またオヤジギャグ」と明美は笑った。車中はなごやかな空気に変わった。

明美の笑顔が晴れやかな気分をいっそう高めた。

「少し寄りたいところがあるのだけど回ってくれる?」

「はい、どちらですか」

「フロンティアの本部があった場所です」

「承知しました、懐かしいですねぇ」

大滝はクライアントである山本建設の社長山本文吉に頼まれて、いまは野原大介が持っている土地を紹介した。

山本社長の話では、ある大手の食品卸商社が物流センターの建設を計画しているというのである。それで幹線道路に近い千坪ほどの土地を探しているのであるが、資金を寝かせたくないので、できれば建物に冷凍・冷蔵設備、倉庫、事務所を建てて借りたいというのである。

大滝は投資のために買ってくれた野原大介を思い出して久しぶりに電話を入れたのである。相変わらず話の早い男である。来週は山本社長と会わせることになっていたのである。

大滝は、しばらく見ていないあの土地を、もう一度見ておきたかった。

いまは更地になっているが、周辺の景色は同じであった。大滝は感傷的になっている自分を明美に気づかれないように眺めていた。かつての事務所などがわびしく残されていないのが救いでもあった。

明美は黙って大滝の後ろを黙って歩いていた。

「よし、帰ろう」

大滝は明美を振り返って言った。

「はい」明美がほほ笑んだ。

無口になった明美の優しさを静かに受けとめる大滝であった。


その後相澤組に依頼した債権取り立てが順調にいったのを、大滝は大島からの振込によって知ることができた。それに加えてフロンティアのあった土地も近く契約の運びになったことを山本社長からの電話で知った。

大滝は、長かった一連の苦行もそろそろひと山越えつつあると思えてきた。


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