数学的恋愛<恋愛方程式>番外編
お正月の話を書くはずが、なにやら違う方向に・・・。少しでもお楽しみいただければ幸いです。
聖桜ヶ丘学園に通う桂木京子は新学期が始まって早々、放課後になると30分程友人の篠崎加奈子の愚痴を聞くのが日課となりつつあった。
何故30分かと言うと、成績が思わしくなかった加奈子は放課後に世界史と数学の特別講習を受けることになったのだ。
講習が始まるまでの手持ち無沙汰な時間、加奈子は悩みや愚痴をこれ幸いとばかりにぶちまけるのだ。
それというのも友人の加奈子と京子達の数学担当の高杉真介は幼馴染みで家が隣同士だった。
それまで特別意識することのなかった彼が女生徒とキスしているところを目撃した加奈子はこれ以上ないくらい動揺した。
そして年上の幼馴染みである真介を好きだと自覚した加奈子はその後、晴れて両思いとなり、数ヵ月前から付き合い始めた。
よく知った仲だからか、はたまた初恋に戸惑っているのか、素直になれず、度々喧嘩をしてしまうようだった。
そんなわけで加奈子は親友に対する遠慮も何のその愚痴、もといのろけ話を講習が始まるまでぶちまけるのだった。
「どうして!どうして!どうして年明け早々神社に御参りなのよ!」
握りこぶしを固めて力説する加奈子に、親友と呼べる間柄ながら京子の言葉はは素っ気なかった。
「初詣なんて普通じゃん」
「ちっがっうーー!違うのよ!初詣は別にいいのよ!…それなりに楽しかったし」
元旦の出来事を思いだし、言葉が多少詰まり顔を赤らめると京子はふーんと意味ありげに呟きニヤリと笑った。
誤魔化すように慌てて言葉を続ける。
「そっそうじゃなくて私が言っているのはその翌日よ!あろうことか奴は貴重な正月休みを神社巡りにあてたのよ」
心底悔しそうな顔をしていたのか驚いたように京子が此方をマジマジと見つめた。
「まあ、今年から受験生なんだから分からなくもないでしょう」
宥めるような京子の言葉は奴の言動を思い起こしていた私には何の役にもたたなかった。
「何がムカつくって『もうこうなったら土下座しろ。他に方法が思い付かん。誠心誠意御願いしろ。神様も憐れに思って慈悲を下さるかもしれない』って言いやがったのよ奴は!!」
それも滅多に見られない大真面目な顔をして。人を何だと思っているんだ。確かに模試の点は酷かった。抱けどあそこまで言わなくったっていいではないか。 私の考えていることを読み取ったのか京子は一つ溜め息をつくと、やれやれと言うように首を振った。
「言い方はきつかったかも知れないけど高杉先生は心底加奈のこと心配して言ったんだよ。自分と付き合い出した途端彼女が成績下げたりしたら責任感じずには、いられないでしょ。模試とは言え数学零点なんてありえない」
「うっ」
親友の京子は容赦なく私の不満げな呻き声を切り捨てた。
「私たちクラスの数学を担当してる分、余計責任感じてるんだよ。自分が教えている教科の点が低いってのは面白くないと思うよ…」
ビシッと言い切った京子は最後のセリフで思い出したくないことを思い出してしまったと言うように顔をしかめた。
学園一の才媛と名高い彼女は唯一英語が苦手だった。壊滅的な英語の点数は私の数学の点と引けをとらないまでに悪化していた。
恐らくはうっかり担任の英語教師の物悲しい捨てられた子犬のような眼差しを思い出してしまったんだろう。
京子の実感を伴うセリフにようやく悪いことしちゃったんだなと罪悪感がわいた。
だけど自分だって何も取りたくて零点を取ったわけではないのだ。
「それはわからなくもないけど。悪かったと思う。だけど…数学難しかったじゃん」
「半分くらいは基礎だったよね」
えっ笑顔が怖いです京子さん。
ガックリと肩を落とすと私は机に突っ伏した。
ある意味不可抗力ではあったのだ。だが自分も悪かった。反省します。
ここ二月ほど自分は精神的に不安定だった。
なにせ人生において初めて初恋を経験したのだ。まあ初恋だから初めてなのは当たり前だが。
その上幼馴染みだったときには気にならなかった年の差を、恋人になった途端、意識するようになってしまった。
身近にいたはずの相手が急に知らない男の人のように感じられどう接していいか戸惑ってしまった。
そんな私の狼狽に気が付き真介は焦らなくて言いと言ってくれた。
いままでずっと子供っぽいと思っていたのに大人な所を見せつけられ更に戸惑ってしまったのだ。
そんな精神状態で勉強に身が入るはずもなくかなり散々な成績になってしまった。
私の長い沈黙を落ち込みによるものととったのか京子が励ますように話しかけてきた。
「まあ加奈はいいほうだと思うよ彼氏とお祈りに行けたんだから」
「そうかな?」
「そうだよ私なんて年明け早々登校初日に職員室に呼び出されてさ…」
そこでひとつ京子は溜め息をついた。
何があったのだろうか?想像がつかない。数学が苦手で成績も中の下といった自分と違い、京子は成績優秀だ。あくまで英語を除けばだが。品行方正であり学園期待の星である彼女が、職員室に呼び出されることはめったにない。
まあ何事にも例外はあるが。担任英語教師による学内放送呼び出しは既に半ば学園名物になりつつある。それを除けば彼女が職員室に呼ばれる理由などまずない。
首をしきりに捻っていると京子が続きを話した。
「職員室に行ったら一斉に視線が集まって次々とお守り渡された。それも太宰府天満宮の合格祈願。担任や宇津木先生ならまだわかるよ。だけどなして学年の先生ばかりか教頭や校長まで」
京子のぼやきに私は思わず吹き出した。
「加奈子笑い事じゃないって。何でも理事長の発案で慰安旅行もかねて皆で行ってきたらしいよ。都合のつかない先生以外それで惣流先生が一心不乱に、桂木さんの英語の成績が上がりますようにって祈ったらしくって。感激した先生方がそれなら折角だから皆で合格祈願買っていきましょうと宣ったんだと」
話す内に感情が高まっていったのか京子の声が心なしか震えていた。
「くっくわしいわね〜」
間の抜けた声を出すと京子がギロリと睨み付けてきた。
「加奈の彼氏の高杉先生が御守りを手渡すときに嬉々として話してくれたのよ。思わず顔面に御守りを叩きつけたくなったわ。やらなかったけど」
「なんでまた真介の奴そんな事するかな」
「あーそれは」
ニヤリと京子が意地の悪い笑みを浮かべた。
「私、高杉先生の弱味色々握ってるから。よく加奈の事でからかってるんだよね」
「京子あんたそんなことしてたの!」
驚きのあまり叫んでしまう。
「うん。つい面白くて」
何のてらいもなく頷く京子を恨めしげにみやる。
そういえばこういう性格だったよ彼女は。
私の様子が可笑しかったのか、京子はクスリと笑うと立ち上がった。
「今日から高杉先生とお勉強でしょ。頑張んな」
時計を見ると後10分ほどで約束の時間だ。最初の一週間が世界史の講習で今日からいよいよ数学の講習だった。
「えー置いてくの〜一緒に受けようよ」
真介と二人きりなど何やら気まずい。新学期が始まって一週間、何かと忙しく真介と二人きりで顔を会わせることなどなかったのだ。 心配事が顔に出ていたのか肩を軽くポンと叩かれた。
「大丈夫。ついでに仲直りしな」
「ついでなんだ」
つい皮肉っぽい口調になってしまったが、京子は気にすることなく、ついでだよと軽い口調で言った。
「学生の本分は勉学でしょうが。塵も積もれば山となるだよ。今日から毎日高杉先生とみっちり頑張りな」 悪戯っぽく言いしなヒラヒラと手をふり出ていく京子に、僅かに反抗心を覚えつい余計なことを言ってしまう。
「京子こそ惣流先生とどうなってるのよ。英語教えて貰わなくてもいいの?」
「………」
瞬間石化した京子は次いですごい勢いでグルリと振り返ると宣った。
「なっがいなっがい冬休みの間、真面目に講習に出てみっちり教わりましたともさ。なんでうちの学校は冬休みが異様に長いんだろうね。まっどうでもいいけど。それじゃあ加奈子さん、ご機嫌よう」
足取りだけは軽やかに親友の桂木京子は去っていった。
こっ怖かった。地雷を踏んでしまった。京子に英語に関する話はふらないようにしよう。
そんなことを考えながら私は机に突っ伏したままうとうとし始めた。
「おい何で寝てんだよ」
教室の戸を開けて踏み込んだ真介は見慣れた人影に話しかけた。
しかし熟睡しているのか加奈子は身じろぎひとつしなかった。
「…ったく」
真介は溜め息をつきつつ加奈子に近寄ると身を屈めた。
「襲うぞ」
「――っ!?」
耳元で流し込まれた低い声に加奈子は意味を理解する間もなく飛び起きた。
真っ赤になって耳元を押さえる加奈子に真介はクツリと笑みを溢した。
「おそよう、いいご身分だな」
「……っ」
加奈子は何か言い返さなくてはと思いつつもパクパクと口を動かすだけで言葉がでない。
「ほら、始めるぞ」
もう一度クツリと笑うと真介は加奈子の隣の椅子を引きつつ促した。
仕方なく加奈子も距離を取りつつ椅子に腰を下ろす。
真介はその様子に軽く眉をしかめたが特に何も言わず淡々と講習を始めた。
初めは動揺していた加奈子も静かな声に次第に集中し始めた。
そうして二人は二時間ほど集中して講習を行った。
「――今日はここまでだ。頑張ったな」
真介の言葉に私はふと視線を上げた。
久し振りに見る優しい笑顔に動きが止まった。
ゆるゆると熱が上がり赤面してしまう。
その様子をじっと見ていた真介が苦笑を浮かべますます顔に熱が集まってしまう。
「……悪かったな酷いこと言って」
真介はすっと手を伸ばすと私の頬に優しく触れた。
「えっ」
動揺した私は思わず間抜けな声を出してしまった。
「言い過ぎた。正月にさ姉貴が帰ってきてさ。『ちょっと真介聞いたわよこのお馬鹿。加奈子ちゃんのお母さんが加奈子の成績が下がってこのままじゃ受験が心配だわって嘆いてたわよ。あんた何してたのよしっかりしなさい。これだから…』と永遠と文句を言われ続けてストレスがたまってたみたいでさ。すまん」
真剣に謝られ私は素直にコクンと頷いた。
頬に触れる熱を気にしつつ真介に視線を真っ直ぐ向ける。
「うん。成績落としたのは事実だし。私も悪かった。それに緑姉が絡んでたんだったら仕方ないよ。あの人は昔から真介には容赦なかったもんね」
苦笑するとつられたように真介も苦笑いをうかべた。
「俺はあの人のせいで危うく女性不信になるとこだった。自分の姉貴とはいえほんと強烈だよ」
苦虫を噛み潰したようについつい笑ってしまうと頬をムギュッとつねられてしまう。
「痛っ」
「笑うなんていい度胸だな加奈子。今夜覚悟しておけよ」
ゾクリとくる低温に体がびくんとはねてしまう。
「なっ何を」
震える声で尋ねると奴は心底楽しそうな意地の悪い笑みを浮かべた。
「わからないのか」
「…っ」
スルリと頬を撫でられそのまま後頭部をグイッと引き寄せられると軽く唇が触れあった。
「分からないなら後で教えてやる」
「あっ…」
すぐに離れた唇は私の弱点である耳元で囁いたかと思うと耳朶を甘がみし離れていった。
思わず漏れた声に、真介は満足そうに笑む。
耳まで真っ赤になった顔でキット睨むがニヤニヤと笑った奴に効果はなかった。
「あっあんたなんかあんたなんか大っ嫌いだ!」
腹立ち紛れに叫ぶと真介は、あろうことかニヤリと笑い
「だけど本当は俺の事愛しているだろう」とほざきやがった。
「っつ!この自信過剰男!!」
これ以上なく全身真っ赤になった私は唇を戦慄かせると捨てぜりふを残し逃走した。
早鐘のように波打つ心のうちを間違っても真介に悟られないために。
脇目もふらず、逃走していた私は教室に残した真介の呟きを耳にすることはなかった。
これ以上ないくらい愛しい眼差しで加奈子が走り去った先を見つめ、真介は俺も愛してるよと囁いた。
近々加奈子の友人京子が主人公のサイドストーリーを書く予定です。