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驚愕のマジック【3】

       ○



 私は深海でふわふわしていた。


 奇々怪々な深海魚たちがワルツを踊っている。私も躍らせてもらった。


 猫を見つけた。その猫は私の手のひらに乗り、うずくまる。成猫のはずなのになぜかぴったりおさまり、いつのまにか猫はまるでスポンジのように四角く小さくなっていた。しばらく眺めていると起きた。それはもはや猫でなくモモンガになっていた。モモンガはコンクリート塀をするすると歩いて行った。


 ふわふわとクラゲに乗っていると遠くの方から声が聞こえる。だけどそれは全く私とは無関係で、だから私は気にも留めない。 


 今度は内臓がくすぐられた。とってもむずがゆくてうめく。


 さらに内臓がくすぐられる。今度は先ほどより強めで少々痛い。どこかでやかんが沸騰を告げる音を出していてうるさい。さらに内臓をくすぐりが強まり、私はやむをえず強制的に覚醒する。現実が脳に投影され、代わりに今までいた深海は崩壊し、虚無感が心を支配していく。夢が思い出、そして非現実へと風化してゆく。現実が色を取り戻していく。境界を取りもどしていく。意識が戻ってくる。



       ○



 柔らかな橙色の光線が私を包む。目が少し痛い。身体はカチコチで肩が痛い。深海魚たちのワルツが聞こえてくる。入り込もうとしてくる現実を虚無感が疎む。が、現実という刑務官には絶対に死刑執行まで逃げられない、これを受け止めるほかない。虚無感は大きくなりながらもそれ以上の速度でそれは消えてゆく、夢の思い出とともに消えてゆく。現実でないものはいらないと刑務官の支配する心が拒否する。どこかでひぐらしが鳴いている。はざまは徐々に消えゆき、はっきりとした境界線が今できようとしている。



       ○



 気が付くと私は机に突っ伏していた。未だに残る虚無感の潮騒を聞きながら私は辺りを観察する。するとそこにはつぶらな瞳があった。黒くて愛想もあり、健気で小さくかわいい瞳・・・


「ポール君・・・」


 ポール君は私が突っ伏しているすぐ30センチほどのところにいた。そして会釈するように首を動かした―――気がした。


 向かいには木村(きむら)が座っている。


「お目覚めですか。どうです? “例の”鉄塔の情報は眠りながらで取得できました? あなたは情報収拾の仕事があるのですから責務はまっとうしてもらわなければ困ります」 厭味を言うなんて、木村にしては珍しいことだった。 「そう、たとえ大火砕流が来ても自らの愛する人を守ろうとしたポンペイ市民のように」


 木村は不敵に笑った。


「ヘンな例えだ」


「ありがとうございます」


 すると内藤さんがお茶を持ってきてくれた。


「私の特製、愛情たっぷり茶です。どうぞ味わって飲んでください!」


 笑顔が眩しかった。


 私はずるずると緑茶を啜る。樋宮さんは推理小説を読みふけっている。窓からは未だ飽きもしないであたたかな茜色が降り注ぎ、ひぐらしが一匹ないていた。



       ○



 東京では満員だった電車の乗客は私たちの目的地が近づくごとに、徐々にその数を減らし、窓から優しい緑を通り抜けてきた、いい香りの風を感じるようになったころには乗客、ましてやスーツ姿のサラリーマンなど一切見られなくなっていた。


 四人が二人ずつ向かい合って座れる席で、私の向かいに座っていた内藤さんが笑い声を急にもらした。


「どうしたのだ」


 あけ放った窓に肘を乗せたそがれ、悦に入っている私が尋ねた。電車はいつの間にか旅番組に出てくる外国の汽車のような古いが趣を感じる造りになっていた。


 車内に目線を戻すと内藤さんは葡萄色の大きめの客席に白いワンピース姿で座っていた。それがまた彼女の魅力を引き立てている。私はすこし見蕩れてしまう。内藤さんは気持ちよく笑っていて、窓から降り注ぐ木の香りの光とのコントラストは美しかった。


「おかしい」 内藤さんはいつもにこにこと笑っていて、私までいい気分になる。 「あんな汚くて、みすぼらしい街にずっといるだなんて。こんなそばに、こんないいものがあるのに」 今、彼女の眼には憂いが混じっていて、それもまた彼女を素敵に演出させた。なのに、私は彼女が恐ろしく感じたのは気のせいなのだろうか。



       ○



 外からは優しく見えた陰気な陰気な森を一時間以上歩いたさき、そこには山小屋があった。山小屋はとても小さく、ところどころに穴が空いているのが見受けられる。その30メートルほど先には最初に見た鉄塔の何倍にもまして禍々しい鉄塔が立っていた。空は真っ黒な雲でおおわれている。じきに雨が降るだろう。


「さて、行きますか」 木村はまるで近所のコンビニにでも行くかのように言った。


「え、しかし、まだ準備が……」 樋宮さんが引き止める


「しかし、なにか準備でもあるのですか? 準備といえば心の準備くらいでしょう。それくらいこの馬鹿長い道のりの間に済ませてくださいな」


 樋宮さんは少し俯いた後再び木村のほうを向く。 「いえ、もう準備はできました。とっくに済ませてあります」


 木村は樋宮さんを一瞥すると小屋へ歩き出した。





 小屋の扉には鍵が掛かっていなかった。木村はドアノブを触ってなにかをしているが私には何もわからなかった。


 中はゴミだらけだった。床にはカップ麺の残骸がいくつも転がっている。ところどころに段ボールが置かれ、その中にはトランプのようなものが入っているがそこには数字も人も描かれてはいなかった。壁のハンガーには薄汚れたシャツがかかっている。これが縦じまで、中央にはそのシャツのメーカーのものか英語のロゴが描かれているという趣味の悪いものだった。そのロゴも同じメーカーとみられる―――例のロゴが書いてあった―――タオルで隠れておりすべては見えない。その隣の棚にも同じメーカーのもののような物が置かれている。それはまるでプラスチックバッドのようだがバッドにしては小さめのものだ。しかもそれには虎のようなものも描かれている。悪趣味にもほどがある。そのほかにも同じようなシャツやタオルが棚にたくさん、乱雑に入っていた。


 小屋は外から見た以上に広く、奥に続いていた。手品のようにあんな小さな小屋の中に大きなスペースが収納されていた。


 いくつもの同じような部屋を抜け、同じようなドアを何回もくぐると急に狭い廊下が現れた。二人並ぶのがやっとのスペースだ。15メートルほどの廊下の先には今までの安っぽいドアとは違う、いかにも重そうな鉄製のドアがとおせんぼうをしていた。


「さて」 木村は一呼吸を置くと。すぐに歩き出した。私たちもついて行ってしまう。


 ドアを開けると何者かが部屋の中央にいた。いやそれよりも目を引いたのはその部屋そのものである。何十畳もあろうかという、今までの部屋より明らかに大きいその部屋の壁一面に幾何学的な模様が赤色で書かれてあった。それどころか床、さらには天井一面に、つまりは部屋全体に模様が描かれていた。しかもそれらが全て紙、しかもその紙が先ほど見た何も描かれていなかったトランプ―――今は描かれているが―――を張り付けたものだと遅れてわかった。男はトランプのようなものに筆で模様を描いていた。その筆が切断された人間の指だと気づくまでそう遅くなかった。


「なにを……何をしているんですかあなたは……!」 樋宮さんは挫けない。挫け、退いたほうがいい時もあるとは彼女は一切考えていなかった。それが信条だった。


 男はその言葉を聞くと一瞬こちらを向いたが。すぐに作業に戻る。何秒か経つと描き終わったのか、男は紙を床に貼り付け―――不思議なことに男は糊などは一切使わなかった―――立ち上がる。


「何を、しているんですか?」 木村が自然に訊ねる。


 男はニヤリと下品に笑った。その笑みはただ口が歪んだだけのようにも見えた。それだけいびつな笑みだった。


「東京を潰す」 男は言う。 「東京を破壊する」 男は言う。 「東京を燃やす」 男は言う。 「東京をぶっ潰す!」


 そういうと男は床に触ろうとした。


「させん!」 木村は叫ぶと、手のひらを男へ向ける。すると光が、熱が、男の方向へ発射された。部屋は煙でおおわれる。煙で前は一切見えない。


「煙い……」 内藤さんが言った。


「それになんだか煙増えてません?」 樋宮さんが訝しげに言う。


「ま、まさかッ……!」 木村は言い終わるや否や、吹っ飛んでいた。木村は長い廊下を頭から飛び、バウンドする。木村はあろうことか前の部屋まで吹っ飛んでいた。煙は木村が吹っ飛ぶと同時に消えていた。男は例の紙を一枚持って変わらず佇んでいる。


「馬鹿め。奴、魔術師と対峙したことが無かったようだな。一番の愚策を講じてきおったわ」 男はガハハといびつに笑う。 「さて、少年少女よ、ご覧いただこう。独裁者が滅ぶ時を! 金の亡者が滅ぶ時を! 盗人が滅ぶ時を! 絶対悪が滅ぶときを! 正義が勝利する時を!」 男は床に両手をつき、雄たけびをあげる。部屋一面の赤の模様は、輝きだし、熱を帯びる。炎の匂いが充満する。


「に、逃げたほうが……」 内藤さんはかつて聞いたこともないような弱々しい声で言った。私と樋宮さんもいったん退却することにする。辿ってきた道を逆戻りする。木村はいなかった。


 外に出ると私たちは「なんとなく」振り返ってしまった。


 そこには死神がいた。


 あの禍々しい鉄塔は本当の死神に化していた。


 鉄塔を覆うネットはまるで死神の外套か翼のようである。


 外套はあたりの木々を燃やし尽くしていた。


 死神の頭部に当たる箇所が光る。かと思うと地面は両断されていた。私は熱気で吹っ飛ぶ。痛みが全身を走る。幸い当たっていなかったものの、当たっていれば即死だったろう。振り返ると、地面は山ごと真っ二つに切断されていた。火災が広がる。いつの間にか死神に男がのっていて奇声を発している。 「東京を許すな! 東京はクズだ! 痛みを知らない都会人どもに教えてやれ!」


「大丈夫か! 樋宮さん! 内藤さん!」 返事が弱々しくも帰ってきたので、私はなぜか安心する。しかし死神は安心させる暇を与えない。死神はすべるように移動を始めた。私たちは死ぬ気で走り始める。樋宮さんの泣き咽ぶ音が聞こえる。内藤さんの顔は恐怖におおわれ全く動かないが、涙は延々と流れている。私も同じような顔だったろう。再び死神の光が一閃する。すると世界は回転した。足元に痛みを感じる。地面が前方に突如現れた。いや、私は転んだのだ。判断能力を私は失っていた。私は「痛いなぁー」といいながら足をさする。私は馬鹿に落ち着いていた。いや、現実を見ていなかった。


 樋宮さんが泣きながら前に進むことを促す。


 再度、光線。今度も近くに光が走る。すると大木が倒れてきた。私は「そうか、川田卓(かわだすぐる)はここで死ぬのか」とやけに客観的に自分を見ていた。しかし、そんな客観的な予想に反して私はまだ死ななかった。


 大木を木村が支えていた。 「なにやってるんです、川田さん。早くどいてください。重いので」


 私は急に現実に帰って大木から逃げる。木村は大木を持ち上げるようにすると、大木は木村の手から浮き上がる。木村が手のひらを死神に向けると大木が死神に向かって飛んで行った。しかし、死神に近づくと自然発火した。


 木村はため息をつく。 「これもダメですか。行くしかないようですね」 そういうと木村は歩き出す。


「行くってどこへ」 私は訊く。


「“奴を倒しに”とは違いますかね、勝機は限りなくゼロに近いでしょうし。“情報収集”と言ったほうがいいでしょう」


「倒せないのに向かっていくのか!?」 私の声が震えていることは自分でもわかった。情けないな。


「そうですよ。今度来たとき倒すためにね」


「え」 私が言い終わるや否や木村は死神へ一直線に飛んで行った。


 木村の両手の平には橙色の光球。それを死神に向け、放つ。男が何かわめくと死神は熱線を発射する。光球は瞬く間に消滅し、熱戦が木村へ向かう。それを木村はギリギリで避け空中で加速する。木村の右腕が光を放つ。次の瞬間には木村の右手が剣に変じていた。まっすぐ男へ向かう。熱戦の発射にはわずかながら時間がかかってしまうため男の顔には焦りの色が見える。木村が男まで3メートル、というところまで来たとき、木村は地面に打ち付けられていた。木村の体は地面に打ち付けられると大きく跳ねバウンドする。死神、鉄塔の電線が彼を襲ったのだ。木村はそれでも起き上がるが、右腕がポトリと落ちた。出血も多いどころではなさそうである。熱線が再び木村へ向かう、木村はそれを正面から受け止める。何とか耐えているがそれは耐えているだけだった。いずれ力尽きるのは明白である。男はあの紙を取り出すと死神に張り付けた。途端に熱線は勢いを増し、濁流のように木村を襲う。


 もうだめだと思ったそのとき。男に異変が起きた。男は表情を変えないまま止まってしまった。次の瞬間、男の首はボトリと落ちたのだ。熱線は消滅する。木村がやったのだろう。男の首、そして体は火の海へ落ちていった。


 しかし、一閃。光が再び木村へ向かう。死神は復活を果たしたのだ。男は死のうとも死神は不死なのだ。死神は不滅なのだ。男死すとも死神死せずなのだ。


 木村は今度は抵抗もできず吹っ飛んだ。熱戦を諸に受けながら、高速で転がっていく。何度も跳ねる。木々をいくつも薙ぎ倒していく。熱線が止んだ。かと思うと、今度は巨大な火の玉が死神から放出され木村の飛んだ位置へ落ちる。まず衝撃。次の瞬間には爆音、そして強い熱だった。木村がいたはずの場所は巨大なクレーターでもできたかのようにぽっかりと無くなっていた。


 私は再びへたり込んでしまったが樋宮さんか内藤さんか、二人共だったかわからないが、その声を聴き私はやっとのことで立ちあがった。死ぬ気で走った。


 私たちは木々や燃え盛る炎が絶え、視界の開いた場所までたどりついた。ここからは町全体が見渡せた。普段は景勝地として紅葉狩りなどで訪れる人も多いところだろう。しかし、今、眼前には、地獄が広がっていた。東京周辺のネットのかかった鉄塔全てが死神となったのだろう。実際何体もの死神が町を破壊していた。慟哭が東京に渦巻いていた。


 樋宮さんの嗚咽が聞こえる。


 私は後輩を守るため樋宮さんに声をかける。


 樋宮さんは座り込んでしまっている。 内藤さんは笑顔を浮かべると樋宮さんに手を差し出した。涙をぬぐい、樋宮さんも手を差し出す。


 その時だった。また、光線が迸ったのは。


 内藤さんに熱線が直撃すると、内藤さんが樋宮さんに差し出した手だけが残り、宙を舞った。腕はくるりと回転すると樋宮さんの傍に落下する。部室で一番やさしくて、飾り気もなく、純粋で、美しい腕がそこにはあった。


 樋宮さんは嘔吐すると、地面に倒れこんだ。樋宮さんは内藤さんの腕に縋りつき泣いていた。


 私は樋宮さんをおぶり連れていく。小柄な高校一年生の体もひょろひょろの男には重い。暴れるからよけいに。


 死神は傍まで迫っていた。


 すると、また木が倒れてきた。大木というほどではないが、それは後頭部に、樋宮さんもいる背中にも当たった。鈍い音がした。


 私は押されるようにして前に倒れる。振り返ると樋宮さんは木の下敷きとなり、頭から血を流していた。私は運命を恨んだ。あんなに正確に樋宮さんに当たるなんて。私もさっきの衝撃でけがをしたらしく。立ち上がることはできない。匍匐前進をするようにして樋宮さんを助けようと試みる。しかし、まったく彼女へ近づけない。頭から血が流れてきたので私のほうも大けがをしていることに気付く。樋宮さんは全く動かなかった、内藤さんの腕を持ったまま。死神が樋宮さんのすぐそばまで迫る。


 私は死神へ暴言を吐くが、声はほとんど出ていない。


 樋宮さんは静かに炎上を始めた。私は叫ぶが彼女は起き上がらない。そのうち頭まで炎に包まれ、内藤さんの腕も燃え始めた。私は地面を叩く。地面を毟る。嘔吐してしまう。二人は炎へ消えた。


 いよいよ私も炎に飲み込まれようかという時。木村がやってきた。彼は全身傷だらけで、普通の人間だったら間違いなく死んでいるだろうという出血である。 「あなたに死なれたら僕が情報収集をした意味がなくなってしまう」 そういって木村はあのトランプのような紙に幾何学的な模様が施されたものを私の右手に入れ。一発殴られた。 「これはとても大切なものだからこの痛みとともに忘れないでほしい」


 その時また木村に熱線が向かった。それを受け止めるなど今の木村には全く不可能な話だった。熱線は木村へ向かうと彼の内臓をえぐり、彼は遂に四散した。


 私の思考はとうとう混乱を極め、景色が歪む。混乱によって何度も嘔吐する。真っ赤だった炎はけばけばしく気持ち悪い色に変色する。ほんの数メートル前にいる死神も歪む。そのうち世界が歪んでいく。私という人間が観測する世界は完全に崩壊した。

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