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6.let go

 これ以上ないくらい、鉄壁のガードと言って差し支えない警備体制。きっちり一週間後の警備の配置と人数は尋常ではなかった。

「ね。丁度いいでしょ」

 平然と言ってのける千代には、その意味がわかっているのか。  

「警備員フルに入ってんな…何があるんだこの日」

 一日だけピンポイントで守りの堅い予定表は、どう控えめに見ても違和感を拭えない。

「警備の訓練?」

 まさか。

「んなのしねーよ、この十年一回もなかったんだし今更。大体常勤に上乗せしてまで訓練するメリットがねぇ」

「日にち分けてやるの面倒いからみんな一遍に訓練しましょう〜、とか」

「どんだけお気楽なんだよ」

 溜め息を吐き出す一方で、千代ののほほんとした思考を少し羨ましいと思った。

「なあ千代。あの防護服は、俺たち以外を、守ってんだぜ」

「うん」

「いつだって主体になるのは平和ボケしてる奴らだ。俺たちじゃねぇ」

 つまりそう言うことだ。

「この日恐らく部外者が来る。そいつを守る防護策だ」

 俺の思考はこっちだ。夢なんか見ない。

「部外者って、…」

 千代の言葉の先が消える。言い淀んだのではなく、言う台詞が見つからないせいで。

「間違いなく『俺たちを見に』来る。施設の設備をじゃねぇ。俺たちを、だ」

 この警備体制がそれを何よりも物語る。

「見て…どうすんだろ」

「ここに来るってことはそれなりの権限があんだろ。『この二人が感染者ですが煮るなり焼くなりお好きにどうぞ』ってとこかもな」

「それ笑えない」

「笑わせたくて言ってんじゃねーよ」

 突っ撥ねると、千代は顔を伏せて頷きながらひらりと手を振った。

「わかってるって」

 そう言って笑った。それが知らず先の展開の予測に沈みそうになる俺のストッパーになる。

「わかってるよ。それでもやる?この日に」

 ―疑問形式のこれは、質問じゃない。そのクエスチョンは。

「オマエ誰に向かって言ってんだよ」

 俺が言い切るのとほぼ同時に千代がくっと笑った。まるで肯定を全身で表現しているようだ。

「俺瞬のそーゆーとこ好き」

 そうかよ。

「お前変わってんな」

 白けた口調で言ってやるが、結局へらっと流される。馬鹿だと感情を込めて一瞥をして、しかし余計に言葉を重ねるのは止めた。千代のスタンスにもそろそろ慣れた。他人とどう距離を取るのかって処世術を誰もがみんな、その他人との摩擦で会得していて、多分こいつは折り合い上手く生きることに積極的で、つまるところ俺はそのへんの諸々の事情を放棄していたんだろう。 

「エキセントリック。それも一つの側面」

 千代が呟いて、遠くを見据えて口角を上げた。それは俺を含めた他者に向ける笑顔ではなくて、内心の感情が自然と表に現れたものらしかった。

 何を挑発してんだよ、お前。

 平和主義者の優等生みたいな顔を持っているくせに、なんか物足りないのかよ。欲張りな奴。

 俺の思考を余所に千代は独り言のように話を進める。

「俺たちを見に来るってなると、本当に逃げるの大仕事だね」

 ああそうだ。お前にも同じ質問が必要か?

「大仕事がしたくないならお前だけ今すぐ脱出するってのもアリだぜ。扉は開けれるし、逃げやすいルートも知ってる。付き合えとは言ったけど無理して俺に合わせる必要はねぇ」

 最終決断を促す誘惑。これは形だけで、実際には既に俺も千代も答を知っている。知っているから、これは要するに後戻りしないための誓いを口にし合っているにすぎない。

 今まで生きることそのものを規制されていた俺たちは、いつも枯渇していた。

 施設の人間への、『感染者を逃がす』責任問題への気遣いとは別のところでそれは燻って、俺や千代を急き立てる。『生きている』ことを、自分に証明しろと。リスクやスリルを欲している。だからこそそれ以外の選択肢を潰して、後悔の理由を残さずに、結果がどうなろうとそれを望んだのは自分だと言いきる強さが欲しい。

「馬鹿じゃん」

 俺と一緒に逃げるとさらっと言うだろうと安易に予想していた千代が放ったのは、意外な一言だった。

「…」

 不意打ちのせいで、反論しようにも適当な返しが出て来ない。

 きょとんとしていたら、なぜか千代の方が発した言葉と裏腹に傷付いて見えた。そのせいで反論でなくても俺は声をかける勢いを失って、結果的に本気で馬鹿みたいにオロオロするはめになった。これが傷付き傷付け合いのコミュニケーションと呼ばれるそれをサボってきたツケだと言うなら、それも確かにそうなのかもしれない。

「あー…、ごめん」

 とりあえず謝ってみる。とりあえず、というのが謝罪する心の有りようとしてどうなのかと思わないでもないが、この不馴れな沈黙を回避出来るなら背に腹は代えられない。

「瞬が謝る意味がわかんない」

「はあ?」

 じゃあどうしろっつーんだよ。

「瞬、さあ。俺が先に逃げて、本当にそうしたら瞬は、もう脱出しようなんて思わないんじゃないの」


 確信的な言い方をされて、迂闊に千代に質問を投げ付けた自分の軽率さを後悔した。

 

「…」

 これに無言で応えるのはその通りだと言っているようなものだ。

 千代が先に逃げるなんて真剣に考えてはいなかったからさっきの台詞があるのだが、仮にそうなったとして、その後俺が脱出を試みる可能性は低い。

 脱出、よく考えてみればそれよりも他に俺がやりそうなことに想い到る。

「なんだかんだ言って人の事気にするじゃん、俺を無事に逃がす方に集中すんじゃないの」

 なんで気付くんだ、この…。

 バツが悪い。

 否定出来ない程度には千代が言ったそのままに行動する自信が、そんなものなくていいのだがあった。

 ヒーロー気取りなんてそんなカッコイイものではなくて。もしかしてそうしたら、満たされるかもしれない気がして。自分に絶望することを言い訳にしなくて済むならそれは、俺に取って、他の何より価値がある、それだけの自己満足で、なのに。

 それだけなのに、なんで。

「一緒に行こうって言ってよ」

 千代の言葉が、そうじゃない選択肢を提示する。

 そっちではなく、もっと暖かな別の場所に行こうと。

 もうとっくの昔に目を向けることを諦めたはずの光とか、信じようとしていつだって直前で駄目だと言い聞かせてきた、信頼とか、甘えとか。

 俺の心理的な問題なのに俺以外の人間が哀しそうにするのは、どうしようもないのにどうにかしたい、矛盾で構成された分厚い雲のようだった。それとも『俺の問題』なんてのが、そもそも思い上がりだってオチなのかもしれないが。

 俺の選択によっては、千代が傷付く。そういうことはきっと普通に生きていれば普通に有り得る事なんだろう。あいにく普通じゃないから無関係だと思っていた。

 あんなひねくれた言い方じゃなくて良かったのだ。千代は一緒に逃げるのを大前提にしていて、だから『お前はお前で勝手にしろよ』みたいなノリに、無防備に傷付いた。もっと千代を信用して良かったのに、俺は俺が傷付きたくないからああ言った。

 お前だけ今すぐ脱出するのもアリだと。

 それは自覚のない防波堤だ。

 分かってくれなんて虫が良過ぎる。

 全部じゃなくても心を一瞬でも共有出来るから、人は諍いとか忘れたふりをして、寄り集まって、密集したって、なんとなく当たり前っぽい感覚で生きていけたりするのだろう。立派なことは何にも知りはしないのに、そんな三文哲学みたいなことをうっかり考えて阿呆らしくなる。それでも知らないなりに傷付けたくないと願って、片隅でそんなこと祈りながら、反面冷静になればそれが無茶苦茶な願いだって十二分に理解しているのも事実。

 けど、まあ。千代に防波堤を張るのは、暫くナシだ。

「ああ。一週間後だ。最多の警備員とついでに客の前で、逃げるぞ」

「了解」

 望み通りと言いたげな千代の短い返答は、これからの期待が混じるせいで言葉以上の響きを持っていた。微かな敵意と挑戦と高揚感。空気を媒体に伝染してくる。

「優等生なんて、奴らの評価も当てになんねーな」

 飾りっけのない感想を呆れ半分に漏らすと、千代は何も言わずに当然の笑みをその顔に浮かべた。

 当たり障りのないレールの上を歩くように見せかけて、実は脱線している。施設の奴らはこいつを優等生と称して飼い馴らしているつもりでいたのだから、なんともおめでたい。



「…日本人じゃねえ」

「うん?」

 部外者が訪れるだろうと推測を元に、パソコンを開いて数分。 

「見ろよ、これセキュリティー保護されたメールだけど」

「えぇ?それもハッキング出来んの?保護する意味な!」

 しっかりツッコミドコロは押さえて、千代が画面を覗き込む。

「英語か、良かったマイナー系は読めないし俺」

「あー俺はタグに使う単語くらいしかわかんねぇ。このメール重要そうか?半年くらい前からやり取りが急激に増えてる」

「ん、うーんちょっと待って。初めの方から読んだ方がいいかな、半年前、と…」

 ぶつぶつ言いながらメールを読み進めていく様は、一見何とも平和な光景だ。

「最初の方は、大した話はしてないね。向こうの学者とこっちの学者の個人的な情報交換ってとこ。その後は……うわ」

「なに」

「ここ、『AX-58』。俺たちの体内にあるウイルスのこと。え、…あー、ビンゴだ、瞬」

 千代の指がスクリーン上の『AX-58』の文字をなぞって、そのままなぞった先に、あった。本来なら、書かれる筈のない、名前が。

 ―Syun and Chiyo―

「存在しないことになってる俺たちの名前が出てる…これヤバイメールだなぁ。ハッキングしてんの瞬じゃなかったら大変なことになるよ。生き残りだとか、施設に閉じ込めてるだとか、暴露しすぎ。俺たちってプライバシーないねぇ。えーっと、で、…」

 突然水を浴びたように千代が青ざめて固まった。

「どうした」

 書かれた内容に危惧が走る。

「千代」

「だから…」

 メールに釘付けになった千代は何かに納得したらしく、音にならないほど小さくそう零した。そして、視線を落としてそれから上げようとはしない。

「千代、何が書いてある」

 静かに言った。

 どうせろくでもないことなんだろう。

「全部…」

「ん」

 ちゃんと聴いてる。俺も同じだから、あんまり真に受けんな。

「そういうことだったんだ…」

 ああ、ほら。

「……仕組まれてた…」

 期待なんてするもんじゃない。


「二人を無償で引き渡すって」

 そうか。

「同時に」

 …そうか。

 だからつまり、今千代と俺が一緒にいるのは、そのための準備でしかなかったのだろう。

 俺たちはまるで『モノ』だ。

 同時にくれてやるなら、同じ場所にあった方がいい。そういうことだ。

 情が湧いただとか、そんなのは建前で、厄介払いが出来ると諸手を挙げて喜んだことだろう。

 研究もし尽くして、もう用がないのに殺すのは後味悪いからなんとなく生かして。そんな面倒から解放されるのは、さぞ嬉しいだろう。

 千代、そんな奴らのためにお前が傷付いたりするな。

「素直にさ、嬉しかったんだ。瞬に会えるって言われたとき」

 過去を懐かしむように千代がぽつりと言った。

「……俺に言わせれば迷惑甚だしかったけどな」

 励まし方なんて知らないから、俺は愛想もなく愚痴る。でも過去形で紡がれたその意味を、千代はあっさりと悟って微笑んだ。

「千代、気にするな。気にするほどのことじゃねーんだから」

 知らぬが仏だっただけで、どうせそんなのは世の中にゴロゴロしている。これまでも、これからもきっと。そんな中で。

「俺たちは選べるんだぜ。仕組まれてる流れに付き合うのも逆らうのも」

 無闇に信じたり夢を見たり、何だって。

 俺たちは多分もっとがむしゃらに自由でいい。



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