5.おかえり
「取り敢えず、施設の設計図と警備の人数、配置だな。まあ設計図はホストコンピュータに侵入すれば見つかるだろ」
キーを叩きながらぼやくと、右隣からパソコンを覗き込んでいた千代が目線を俺に移した。
「侵入、って」
ああ、これ犯罪だっけ。
「ハッキングってこと。任せろバレねーから」
そもそもオンラインで繋がるパソコンを易々と俺に渡した奴らが悪い。
「そんなこと出来るんだ瞬…」
感嘆と、半分呆れの混じったそれでもいくらか控えめな感想が耳に届く。
「お前はさぁ、前の施設じゃ周りと良心的な付き合いしてたみたいだけど」
視界はスクリーンのまま、声だけを千代に向ける。
「俺はそういうやり方に興味ねーし」
正当な方法は正当な権利を認められた人間が行使すればいい。
「つーか言い忘れてたけど、俺この部屋の鍵開けれるから」
千代がつきかけた呼吸ごと停止した。
「…え、」
「だから鍵開けれる。…オイそろそろ息継ぎしろよ」
大丈夫かよ。
「―嘘だろ」
「嘘ついてどうすんだよ」
「だって…、この部屋の鍵は外からしか開かないって」
千代が動揺するほど俺の思考はクリアになる。
「設計者のコンセプトは一応そうだろーよ」
―今までどうやって時間を潰してきたのかと。これが答えだ。
「けど俺にとってはちゃちなパズルだ」
暇つぶしになりそうな事ならほとんどやった。おかげで犯罪以外では役に立ちそうもないスキルばかり身についた。
「脱出するためにお前に足りないものは、全部俺が持ってる。技術的には問題ねえ」
そして多分俺に足りないものを、こいつが。
「なんか…、割に合わなくない?瞬に犯罪みたいなことやらせんの、ちょっと気分悪いんだけど」
「犯罪みたいじゃねぇ、犯罪だ」
「きっぱり言うな」
小さく拗ねるような声が聞こえて、その後溜め息が続いた。
「瞬はさ、俺が思ってるよりずっとずっと面白い奴だよね」
「…。はぁ?」
何言い出すんだ突然。千代の脳みそは俺とは根本的に質が違うらしい。薄々そんな気はしていたが、それがついに確信に変わる。俺にしてみれば前の会話が丸ごとすっ飛ばされたような気分だ。
「…今のどこをどう解釈したらそんな結論になるんだ…」
「ん、素直な解釈だと思う」
そう言って、機嫌が良いのか(それとも特に何も考えていないのか)千代は毎度ながら微笑していた。
「どこがだ」
逆に俺はもやもやしたものが残って、眉間に皺を寄せる。
「瞬あんま難し―顔すんなって。硬い硬い」
はいりラックスー、とか何とか言って背中を叩かれる。そのせいで俺は余計に苛ついたのだが、もちろん千代がそれを悟る気配はない。
「テメーはもう少し難しい顔してろ笑ってんじゃねぇ緩すぎだ」
後ろ手に振払いながら文句を投げる。緩すぎの千代の顔は曇りもせず楽しそうで、こっちは苛ついただけ損をしたのだと気付くが、だからと言ってどうしようもない。
「うんじゃあ俺が警備の人数と配置調べればいいよね」
ここには二人しかいないのに、話の道筋が見えているのは千代だけだ。俺はうんざりするが咎めるほどでもなくて、それはそれとして諦める。
「随分あっさり言うな。調べれんのかよ」
「うーん多分ね」
、…へぇ。
へらへら笑ってた瞳にどこか別の意志が混じっただけで千代の表情は180度変わった。
「だったら任せる」
「はは、期待しててよ」
「おう、設計図は手に入ったからよ」
エンターキーを強めに弾く音が思いの他響いて、千代が誘われるように身を屈めてきた。スクリーンに施設の詳細な設計図が映し出される。
「速…うわ。スゴ」
ボキャブラリーを駆使した言葉じゃないから心地が良くて、知らず気が緩んだ。
「あっ、そうそうそれそれ!」
「っうるせぇ!!なんだよ!」
いきなり至近距離ではしゃがれて、咄嗟に怒鳴りつけた自分の声が予期した以上にでかくて二重に驚いた。こんなふうに思ったままを他意無く発するのには、ずっと抵抗があったのに。
「そーゆー顔してればいいんだよ」
ひどく晴れやかに言われて呆気に取られる。
「―…なにが…」
「うんやっぱり人間、眉間に皺寄せてるより多少無防備な顔してる方がいいねって話」
「へえ…、」
「なんだよノリ悪いなぁ」
「んなことで一々はしゃぐな面度クセェ…」
それは本当に俺に取ってどうでもいいことで、そこに価値を見出しているらしい千代には悪いが実際本気でよく分からない。ノリのいい俺ってのもなんか気持ちワリーし。
「まぁイイや」
まぁイイのかよ。
「じゃちょっと行ってくるね」
「は?」
「警備員のシフト表とか色々、パクってくる」
「は!?」
「早い方がいいでしょ」
立ち上がりかけた千代の腕を掴んで引き止める。
「ちょ、待てって、」
「うん?他にもなんかいる?」
「何しにどこに行くんだよ」
ぽかんと俺を見下ろす千代は少し素っ気ない。
「必要な情報を集めに、警備員室に行くつもりだけど。…なんで止めるの」
「危ねぇ、だろ。…」
脱出の算段を整えてるなんてバレたらどうなると思ってんだよ。ちょっとは慎重になれねーのか。
頭上の空気が揺れた。千代がふっと笑う。
「俺を信用しなよ、瞬」
試すように囁かれる。今手を離さなかったら、きっと千代のプライドを潰すだろう。
「分かった…。気をつけろよ」
「うんありがとう」
柔らかに紡がれた柔らかな言葉が千代にはとても似合っていて、そんなこと言うのも言われるのも慣れてない俺はなんだか焦れったくて、否定したいような気がした。別にありがとうなんて言わなくても成り立つ会話でも、こいつはそれを言うのを躊躇ったりしない。
「鍵、開けるか?」
手を貸そうと最小限を持ちかける。
「ううん。いいよ、それは切り札にしとこうよ。普通に散歩したいとか言って防護服来てくから大丈夫」
あのすげー重そうなやつか。無意味と知りながら身に着けるのだからご苦労だとしか言い様が無い。
「お土産欲しい?」
「たかが何メートル離れるだけで土産かよ」
防護服を着たところで、動けるのは施設内だけだ。そこから公式に外に出ようとするならほとんど狂気に近い書類の山と検査をパスする必要がある。しかもそれだけやって外に居れるのは人のいない山奥に小一時間というのだからやってられない。
立ち上がって不自然に足を止めた千代が振り返る。
「瞬、ここから出たら何したい?」
「……」
別に、そんなの。
「自由って、何だろうって、分からなくなるよ」
知るかよ。
「無事に出てから考えろ。今の優先事項はそれじゃねぇ」
「そうだね」
微笑んだ千代は納得したようにも見えたし、何も感じていないようにも見えた。
「分かんねー奴だなお前も」
ぶっきらぼうに言っても千代が反論することはない。
「やりたいことはともかく…。行きたい場所ならあるぜ」
千代の瞳がぱっと開いて、どうやら興味を惹いたらしいことが分かる。何に悩んでんだか全然理解は出来ないが、その時その時の表現は開けっぴろげにストレートで分かりやすい。不思議なもんだ。
「どこ?」
「―海」
青い海。それだけ。
人込みに混じってみたいとか、そういうことは思わない。
そう言ったら千代が笑った。ああだよね、と、気負いのない返事だった。
千代が装飾の一切無い簡素なブザーを押す。施設の人間を呼びつける機械的な電子音だ。
カチャ、と受話器を取ったんだかマイクの電源を入れたんだかのつまらない音が聞こえて、男の声が被さる。
『どうした?』
愛想も何もない煩わしげな第一声だ。これでこいつは「情くらいわくんだよ」とか言ってたんだから全くどうかしている。ついでに白衣の上でにやっと笑った男の顔まで思い出して、元々高くもないテンションが更に落ちた。
「気分転換したいので鍵を開けて貰えませんか」
内線の男の声に応える千代の台詞に内心ビビった。丁寧な物言いは、しかし男に引けを取らないくらいに愛想がない。
『ああ、防護服着ろよ』
千代の愛想の無さには頓着なしに内線はあっさり切れた。
この部屋は物々しげに三重扉になっていて、こちらから見て二つ目までは硬貨ガラスだから無駄に長い廊下が見える。
―ここが東京のどこだか知らねーけど、住宅事情が大変だってのに一体どんな権限だよ。
下手をしなくても十分人が住めるだけの余裕がある。
「行ってきます」
俺には愛想の安売りをする千代は、当たり前に笑ってひらりと手を振る。
「おう」
一人の例外も無く誰にでも分け隔てなく愛想の無い俺は、やっぱり笑顔で送り出してやるなんてサービスもしない。ただ了解したという意思表示をするだけ。
どこで操作してるのか、ガチャンと一枚目の扉の鍵が外れた音がして、千代がそれに手をかける。
「あーあ、あの服マジ思いんだよなー…」
そうしてぼやきながら扉は閉じられた。
千代が出て行ってから久々に一人きりの自由を堪能した。いや、実のところ包み隠さずいえば「堪能」では語弊がある。煙草を吹かす程度のその小一時間は、自分でも驚くくらい虚しく感じた。
今までこれが普通だったのに。
隣に居れば居たで実際鬱陶しいが、居ないことに違和感を感じる程度には俺は千代に愛着があるらしい。そう気付いてうっすらと背筋が冷えた。何寂しがってんだ、キショイ俺…。考えなくて良いこと程考えてしまうもので、感傷を振払えずに呑気な時間が過ぎる。
そうして60分が過ぎる頃、遠くで声が聞こえた気がした。視線をドアに向かって上げる。
「…何やってんだ、千代」
千代が帰ってきて、それはいいのだが三重扉のこちらから二枚隔てた向こうで俺に向かって何か叫んでいる。聞こえねーよ。お前に目の前の扉は見えないのか千代。遮られてんだよ。
暫くして千代が部屋に入ってきて、それを俺は半分呆れながら迎え入れる。
「何叫んでたんだ今。そんな一刻を争うことだったのかよ聞こえねーよ」
「うん?」
最後の扉の前で乱雑に防護服を脱ぎ捨てた千代は、体が軽くなった開放感からか大きく腕を回して俺を見た。
「ただいまって、言ってたんだよ」
「あそこから言う必要ねーだろ…」
前言撤回だ。寂しいとか何かの気の迷いだやっぱり意味がわかんねーこいつ。一人の方が楽だ。
「一生懸命さが伝われば『おかえり』って言ってくれるかなって思って。瞬フツーにただいまって言ったくらいじゃ返してくれなさそうだから」
だからそこがわかんねーんだよ。一生懸命さってなんだよ…。
「そもそも俺に言われて嬉しいのかお前は」
そうだ問題はそこだ。あー苛つく。
「うん嬉しいかも」
さらっと流すな、つーかどっちだよ。かもって。
「ちょっと凹んだしさ、さっき、」
そこで言葉を切った千代はそのまま黙り込んでしまった。伏せた睫毛もそのままで、どうやら外で何かがあったらしい。
「なんだよ」
聞き返した俺をふっと見て、逡巡しながら千代が口を開く。
「施設の人達が、俺見た瞬間あからさまに逃げ出したんだよね」
「感染しないって知らないんだろ、ここの奴らは」
「防護服着てんのに理不尽じゃん」
「ここの奴らは感染者が外に出ることに耐性がねーんだよ。俺は出なかったし。防護服着てりゃいいって話じゃねーんだよ」
「そうかもしんないけど、でも、ちょっと傷付く…」
ああ、だから。
「あのさぁ、千代…」
「うん?」
「あー、いや、……」
「瞬?」
こんな溜めて言うことでもないんだけどな…。
「なに?」
「…おかえり」
タイミングの悪い挨拶は気まずい。けどその意味が、少し分かったんだよ。
千代が極上の笑顔で笑って、俺に手を伸ばしたから思わず身を引いた。
「っ、なんで逃げんの」
不満そうな声が上がる。
「抱きつかれるかと思って」
「抱きつこうとしたんだけど」
「…俺お前のこと理解するために努力するから、お前もちょっとは俺のキャラを理解してくんねぇ?」
「……キャラ変えれば?」
あくまでお前は地でいくつもりなんだな。ああ、頭痛がしてきた。
「瞬、ありがとね」
それが似合う、お前には。千代のせいで起きる頭痛は、千代の一言で収まるようだ。
「別に。ただの挨拶だろ」
ただいまと。そう発した人間を受け入れる言葉。帰ってきて良い場所だと、存在を肯定する。
満足そうに息をついた千代は、軽い素振りで俺に紙切れを手渡した。
「はい、ご希望の品」
警備員のシフトと、立ち位置。その紙には事細かに詳細が書かれていて、書いた人間の几帳面さが伺えた。
「仇になるな。この生真面目な性格は」
呟いて細かい文字を追う。
規定の場所に規定の資料を置くような人間だろう。そういうマメな人種は行動を読みやすい。ましてそいつの管理下に置かれた部下たちなら尚更。
「規格外の事態に対処出来ねーよ、こいつは」
「好都合じゃない?」
「まぁ……、俺たちにとってはな」
歯切れの悪い俺の言葉に千代が不思議そうな顔を作る。それを察して言いたくもないが黙ってるのも変だからと俺は言葉を繋ぐ。
「あんまり、誰かのせいにはしたくねーんだよ」
「俺たちが逃げること?」
「ああ、無理だけど」
きょとんとした目が俺を見つめて、意外そうに瞬いた。
「瞬ってそーゆーのを『偽善』とか言って馬鹿にするタイプかと思ってた」
「基本はそーいうタイプだよ」
「じゃあこれは例外?」
「例外?」
単語をなぞってつい口元が緩んだ。
「例外、じゃねぇ。偽善でもねぇ」
ただのエゴだ、こんなのは。誰も傷つけずに我を通そうとしている。犠牲を払わずに欲しいものだけ手に入れようとしている。
「ふうん」
さして興味無さそうに千代が相づちを打った。
「じゃあ責任が大量の人間に分散されればいいんじゃない?一人じゃなくて。したら一点集中で責められる人いないし。トップだって自分だけ責めなくていいし」
それで全く問題がない訳じゃない。何かが解決する訳でもない。でも。
他人の人生を丸ごと潰すのは避けられるかもしれない。俺が十年死んでたみたいに、誰かの心を殺す、そんな吐き気がする事は。
「それなら丁度いい日があるんだ。俺たちはきつくなるけど」
ほら、と千代が指差した日の警備のシフトは他と明らかに扱いが違っていた。