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3.BLACK MOON

 喧嘩を売っているのかそれとも行き過ぎた冗談か。

「どっちなんだ…」

 突然の訪問者、千代の滞在を認めてから一夜が明け―…、クソ、朝っぱらから頭が痛い。

「何?」

 見下ろした床にはくつろいで胡座をかく、問題の少年。とても昨日来たばかりとは思えない適応の早さであっさり熟睡、予想に反せず健康的に早い起床。俺の浅い睡眠を顧みず恐らく日課らしいストレッチ。こっちもそれ以上寝る気分にもなれず起きたは良いが、とにかく煩い。トークが、ではなく存在が。

 むしろこいつの方が前からここに居たんじゃないかと錯覚さえ覚える。それはいっそ「千代がここに馴染んでいる」のではなく「この空間が千代に馴染まされている」といった方がまだ分かりやすい程だ。最たる原因はこの朝から途切れる事なく運び込まれてくる本。ああ、あの段ボールの中身も本だ。どんだけあんだよ。遠慮ってもんはないのか。今もくつろいだ様子のその手には分厚い本が一冊。丁度真ん中のページ辺りで開かれている。

「瞬、何が?」

 きょとんと見上げられた目には微塵の悪意もない。自覚なしか。サイコーだ。

「何が、じゃなくてこの荷物は一体なんだ」

「本だけど」

 すげーよお前。大物だ。

「んなの見りゃわかんだよ。何で持ってきてんだ」

「んー…。なんとなく」

「なんとなくでこの量か?」

 ここでやっと「ああ」という顔をする。今更なんだよ勘弁してくれ。

「邪魔?」

「言うまでもないだろ」

「ここ広いし殺風景だから別に良いかと思ったんだよね。瞬持ち物無さ過ぎ」

「話逸らすな」

「ごめん」


 ごめんとか。言う奴いるんだな。


「床に置くな。棚も一緒に持ってこいバカが」

 千代の目が丸くなる。あれ?と言いたげな。でも次の瞬間に笑っていた。あの最初に見せた世間で言う「無邪気」だとか「悩みなんてありません」みたいな軽やかな笑顔。

「瞬で良かったなー」

 …しかし生憎俺はそうは思わない。

「恐ろしい事言うな」


 その後暫く千代は「良かった」を連呼していた。それを見ながら「下らない」と思った。

 ただ「下らない」と口に出せずにいる自分が可笑しかった。



 千代はマイペースな奴だ。よく喋るがそれは別に相手に気を使っている訳ではないらしい。自分が思ったまま喋る。沈黙が恐いとか、そういうありがちな感覚はない様だ。唯一の救いだと思う。

俺には静寂を埋める話題づくりなんて術がない。

「趣味とかないの?」

 大人しく本に齧じり付いてんな…とか思っていたら千代の口から突然そんな言葉が漏れた。俺がぼんやり煙草吸ってんのが気になったのだろう。これで何もしてないように見えて頭ん中はそれなりに動かしているのだが、もちろんそう言う気ははなはだない。

「ああ?」

 ぶっきらぼうに返す。

「一人で今までどうやって時間潰してきたのかなぁって」

「…さあな」

 どこか自嘲的な言い方だと言ってから気付く。趣味か。その言葉の意味がまずわからない。いつ死んでも良いようにって考えてたんだぜ。―今も。そんな奴に趣味が必要か。

「煙草美味しい?」

 脈絡ねーな。俺の返答がこれだから仕方ないんだろうけど。

「美味くはねーよ」

「へえ」

 それで会話はぴたりと終わる。

 千代が来てから最初の一週間はそんな調子で過ぎた。


 生産性のない会話。

 ギリギリ遠く取る見えない距離。

 踏み込む気はないし、踏み込ませる気もない。


 近寄るな。近寄らせるな。それで守られるんだから。




 一週間が過ぎ、二週間が過ぎ。


 頼むからその場所に立つのは止めて欲しい。


 嵌め込みの巨大な窓ガラス。


 俺たちは決して行けないのだから。

 その隔たりの向こうへ。



「千代」

 初めて名前を呼んだのは、出会ってから一月が経った頃だった。

 月の白く冴えた逆光を受けてガラスの前に立つ背中を呼んだ。ひやりとした春の夜。ひやりと、とは言っても実際には施設の中は常に適温が保たれているらしいから、それは俺の気のせいだ。俺はこの世界の温度なんか覚えてない。

 少しだけ驚いた顔をして千代は静かに俺を振り返った。俺を視界に入れて微笑む。

「眼中にないかと思ってた。俺の事」

 そう言った。相変わらず微笑していた。俺は答えない。

「月がさ、キレイだと思って」

 闇に溶けるような口調だった。そのまま溶けていきそうな気がした。


 霞んで無くなってしまいそうな細い月。深い墨を零した闇。それでいい。


 太陽も青空も望まない。



 ゾクッと狂気が動くのが分かる。

 誰か何か言ってくれ。さもなきゃ今すぐ殺してくれ。


 千代は言葉を紡がない。ガラスの向こうに戻した瞳を、届かぬ空に預けるだけ。その無言の内にある感情を俺は知っている。あの下にある風も匂いも、俺たちは感じる事がない。焦がれて焦がれて、行きたくてそれでも、叶わない。

 出口の存在が過る。

 千代が来た時からこれが恐かった。

 俺一人なら平気だったのに。

 それなのに。

 同じだなんて思ったら駄目だ。

 どれだけそれに憧れてるなんて。

 どれだけそこに行きたいかなんて。

 知ってしまっては駄目だ。

 生きるって、もっと。なんて。


「そこに立つな」

 抑えた声で、出来るだけ何でもなく聞こえるように言った。千代、そこに立つな。そこでそうやって、眩しそうに外を見るな。

「なんで」

 なんで、じゃなくて。

「…いいから」

 そう俺が濁したのが気に入らなかったらしい。

「なんで」

 強い調子で再び聞かれる。

「なんでだっていいだろ」

「良くない。言わなきゃ分かんない」

「言う必要なんかねぇ」

「なんで…」

 最後の「なんで」は語尾が掠れるように消えた。伏せた瞳が悔しそうに揺らいだのが分かった。

「いいからどけよ」

「瞬は」

 千代が口を開く。聞かない方が良いととっさに思う。

「千代、黙れ」

「瞬はこのまま一生」

「黙れ」

「ここで…」


 我に返ったのは殴った後だった。


「―悪ィ…」

 俺がそう言うと、千代は左の頬から唇にかけて手の甲でぐいっと拭った。

「別に。もう、いいよ。分かった」

 諦めたように呟いた。普段の軽い口調でも、かといって真剣な口調でもなく、中身を窺い知る事の出来ない冷めた言い方だった。

「俺はさ、喧嘩したくて来たんじゃないし」

 言葉が見つからない。

「ここに立つの、なんで嫌がんのか知らないけどもう聞かないし」

 そうやって、お前は妥協するからあんなふうに笑えるのか。

「でも俺別に瞬に嫌がらせした訳じゃなくってただ―」


 月が見たくて。


 ―分かってんだよ。そんな事は。

「分かってる。悪かった」

 言った瞬間に月の光しか存在しない部屋が一層しんと静まった気がした。

 千代の驚いた気配がじわりと伝わってくる。

「分かってんだよ。俺だって知ってる」

「知ってるって…」

「外に焦がれる気持ちも。生きてる証拠が欲しいのも」

 半端に口を開きかけて、千代は何も言わずにこちらを見ている。

「そこに立たれると余計現実突き付けられてる気がすんだよ俺は。行けないから…、悲壮感増すだろ」

 だから嫌だ。

「なんで…。言わなくても、もう俺聞かないって」

「いや。なんかそれはそれで」

 口ごもる。自分の中で矛盾した感情が渦巻く。

「それはそれで?」

「……お前まで諦めてんのが。つーか、…諦めるとこ見んのってあんま気持ち良いもんじゃねーなぁ…」

 俺は今までこうやって諦めてたのか?世の中を、生きるのを?


 すぅっと肩の力が抜けていく。


「瞬?」

「オモシロオカシク生きんのも良いかもな。今まで我慢してたし」

「瞬、大丈夫?」

「問題ねー。千代暴れるぞ。付き合えよ」

 自然と口角が上がった。それは多分、千代のふわりとした笑みからは遠く、もっと殺伐とした…。


 試してやる。自分と、世界を。



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