11.Claymore
セキュリティー統括本部……これが…。
光が漏れていたのはここからだ。
なんだ。気分が悪い…。
「瞬。大丈夫?」
ここには光がある。だから見える。たった今気付いたことだが、『見えるから幸福』だというのは間違いだ。
俺はずっと閉じ込められていて、だから本当は世界に何があるのかなんて覚えてなかった。
人が何億人いるなんて情報は、俺の中ではパソコンのスクリーンに映る単なる光の集合体でしかなくて、そのパソコンを作り出したのが人間だってことも、正直実感したことなんてない。
「千代、お前はここを通って来たんだよな」
そう言ってから、突然この施設の壁は音を反響させないのだと気付いた。自分が発した台詞が、乾いていて空しい。これは愚問だ。そんなのは聞かなくても分かっている。外と施設を繋ぐ場所はここだけなのだから。
千代は微かに笑って俺から目を逸らした。その視線は俺たちが進むべき方向に向けられる。千代にとっては、一度は『入る』ために通り、再び『出る』ために通るはずの、その部屋に。
「瞬、これがこの施設だ。つまるとこ人間の狂気だな」
市谷が自嘲気味に告げる。
部屋そのものが一つの機械と言っても差し支えなさそうだ。相変わらず通路と部屋を隔てるのは透明な防弾ガラスの扉。部屋の壁面は壁じゃない。無数のパネルだ。青に近い色をした反射パネル。鏡でもない、ガラスでもない、何かエネルギーを吸収するような、それでいて跳ね返すような、気味の悪いパネル…。
部屋の中心に馬鹿でかい塊がある。赤いコードの絡みついた、重そうな、塊。何かの機械だ。なんでか知らないがそれは鎮座した爆弾を思わせる。
なんだよ、クソ。夢も何もねーな、この場所は。
この施設に漂っている空気は、どちらかと言うと死を連想させるものだ。もっと俺の感情に即した言い方をするなら、『息をしていない』を連想させるもの、だ。全く、…残念ながら俺は『死』と『息をしていない』が同義語かどうか知らない。そもそも機械が『生きている』のか『死んでいる』のか、それすら多分『どちらでも在ってどちらでもない』のだと思うくらいだ。ついでに人間も同じようなものだと言ってやれば、大半の人間の重荷は降りることだろう。
無言の市谷をちらりと窺えば、ほとんど死人みたいな顔でガラス戸を見ている。
俺も千代も生きているっていうのに、あんたの重荷は本当にそんなに重いのかよ。もし下らない勘違いであんたがこの先押し潰されたとしたって、俺は絶対に笑ってやれないんだぜ。頭は悪くないんだろうけど、だからってその辺分かる気はあんのかよ?
と、言いたいような言いたくないような、こんなことを言ったら若干『良い人』っぽくて気持ち悪いような気がしないでもないから、言わずにおく。けどせんせぇ、俺はあんたを恨んでない。だからそれでいいじゃないか。
「人、いないね。罠かな」
千代が言った。そう、セキュリティー統括本部に人影はない。
「ああ、100パーそうだろうな。分かりやすくていいぜ。普段通りだったら逆に怖ぇ」
人の気配がないから余計死んで見えるんだ。後ろに撒いた奴らも残して来たってのに、お偉いさん方はもしかして施設ごと破壊する気かもしれない。
カツ、カツ、カツ。
突然耳慣れない音がした。なんだ?
「…あいつ、……」
市谷が悔しそうに囁く。無意識に口走ったらしく、俺にも千代にも聞かせるつもりはなかったようだ。
そして明るい機械塗れの部屋に現れたのは、市谷と同じように白衣を着た、恐らく二十代後半の女。カツ、カツ。ヒールの音。俺たちに気付いていないようだ。女が部屋の中心の機械に触れる。まるで壊れ物を扱うように、指先から手の平へ。静かに、ゆっくりと、何かの儀式のように。そのまま女は瞳を閉じて唇を小さく動かした。短く呟いたようだったが、何と言ったかまでは分からない。あるいは、こう見えた。―ごめんなさい。
瞳を開けて顔を上げた女は、別の世界に居るようだった。白衣のポケットから銃を取り出す。真っ直ぐに立ったその姿が、未来と過去を遮断する。
何もかも。今だけのために。
こんな部屋に留まって、一人きり。銃。懺悔―この女、俺たちを殺す気なのか。それとも―。
市谷の拳に力が入っているのが見えた。
「先生、あの女は知り合いか」
「ああ」
「仲は?」
その質問に市谷が苦笑する。正確には、苦笑しようとして出来ずに消えた笑みの名残だけが、表情に浮かんでいた。
「悪く、ないな。向こうもそう思ってる筈だ」
「恋人か?」
「さぁ…、どうかな…。もっと殺伐とした関係だったかもしれない」
「あいつ、あんたの言うこと聞くか?」
「いや、」
―重たい苦笑だな、本当に。
「お互いの領域を侵害しないのがルールだったんだ、俺たちは」
「そうか」
だとしたらこっちに手札はない。
「あの女、どう出ると思う」
事前策は市谷の意見を聞くくらいか。心許ないが仕方ない。
思案した市谷が諦めたように口を開いた。
「答えない方が良い問いだろうな。あいつなら、何をしても納得がいく」