1.Prologue
彼があのウイルスに感染したのはいつだっただろうか。感染者が祈る間もなく死んでいった中、感染しつつも「生きている」そう判断されたのはいつだっただろう。そんな彼が他者への感染を危惧して人里離れた施設へ隔離されたのは…?それはもはや少年には思い出せない幼い頃。
公に「根絶された」と言われるAX-58ウイルス。今も少年の体内でひっそりと生き続けているそのウイルスは、感染者を生かした前例が無い。過去に爆発的に流行し、文字どおり巨大な爆発宜しく約六万人を殺した。それはわずか二週間の出来事。今、その話題を掘り起こす人間はいない。
AX-58ウイルスは確かに脅威だった。感染から発症まで一時間弱。そこから死までたったの二時間。
六万人のうちの何割かはウイルスで死んだ訳じゃない。
「必ず死が訪れる」「だったら次の感染者を出さないうちに」
何人が人の手で殺されたかは分からない。その中にはあの少年のように生き続ける未来を持った者がいたかもしれない。
しかし実際に生かされる運命を持ったのは彼だけで、それも「ウイルスの捕獲」という名目だった。自然発生のウイルスか。人工的な生物兵器か。
彼も死ぬという前提だった。それが生き残って…。
予定外。絶対的な死の前で公表出来るはずも無い。
確かに彼の体内にウイルスが存在している。
だが抗体らしい物が発見される事も無い。
ウイルスと共存している。
症状の出ない彼から感染する確率は?
これが「潜伏期間」で、ある日突然発祥する可能性は?
生存者の存在が社会に及ぼす影響は?
少年はあれから十年経った今でも施設の外へ出る事は無い。テレビ、インターネット、情報社会で世情を仕入れるのは簡単だが関係ない。どうせ出られない。
―人間って残酷だ。
色素の薄い少年の瞳に、施設の管理者の姿が映る。
「せんせぇ俺を殺す気はないの」
先生と呼ばれたガラスの向こうの白衣の男は彼をちらと一瞥しただけだった。
―要らないなら殺せよ。
目を細めて胸中に吐き捨てたのは、そんな台詞。
「せんせぇだったら俺を逃がすってのはどぉ」
何千と繰り返した言葉。別に返事を期待しちゃいない。
彼は今もそうやって毎日を繰り返している。