金曜夜の会(前編)
第二高校の規模と体制に感化されること大だった俺は、早速自分の店を改善しようと一晩悶々と過ごすのであった。
二乃舞亜理亜という不安材料は発生したが、書店部として関わっていく上では問題はおきないはずだ。
…自信はないけど。
……。
…。
明けて金曜日の今日は、朝練と夕方からのシフトが入っている。
週末というのは売上が見込める日だ。学校や仕事から解放された人々が、何処からともなく顔と財布を緩ませながら店内へと吸い込まれてくる。
出版社もそれに合わせて新刊をぶつけてくるので、書店の週末はなかなかに慌ただしい。
特にウチの店(というか俺なのだが)は、金曜日の夜に特別なイベントを催している為、ある意味一番頑張らなければいけない曜日である。
「今日は朝でさっさと新刊出して、夕方からは店の陳列を変えてみるかな」
そう思いたち、今朝はいつもより一時間早く起床して朝練へと向かった。
ふふ、目標のある男の朝は早いのだ。
朝食すら省略し、俺は日も明けきらない時間の内に家を出るのだった。
…。
まだ薄暗い通学路に、薄気味悪い鳩の鳴き声だけが響いている。
時々遠くに聞こえる新聞配達のバイクの音も、相対的に町の静寂を演出していた。
中学生の頃、俺はテニス部に在籍していて、大会の日の朝はこれ位の時間に駅前に集合したものである。
テニスラケットって、いつか使おうと思って取ってあるけど、いざ使うとなるとガット張り替えたりしなくちゃいけなくて面倒なんだよな。
…テニスシューズ、まだ履けるかな。
「…少年」
「!!」
中学時代の思い出に浸っていた俺は、不意にかけられたその声に余計驚かされてしまった。
声の主は、通学路にある酒屋の入り口でヤンキー座りをしていた。
黒いローブを羽織ったその出で立ちは、もしかしたら魔法でも使える人かと思えてくるほど異質だった。
若干、その座り方が魔術師要素を減少させてはいるが。
「少年。我は今宵を渇望している」
「……了解した」
そのコスチュームのせいで表情は窺えないが、俺の回答に微かに頬が緩んだような気がした。
「夜更けを待つのだ。加藤家の血族よ」
まだ開店前の加藤酒店の看板を見上げ、俺は通学への途を急いだ。
“私”も、今宵の集まりは楽しみだよ…。
……。
…。
登校した俺は、校庭側にある店の裏口を開けて店内へと入る。
薄暗い店内を、本棚に当たらないよう慎重に歩く。そして壁のスイッチを手探りで見つけ出して照明を灯す。
「ふう、良かった。それほど多くない」
店内には既に、運送業者が送ってくれたダンボールが搬入されていた。
中身は新刊の本と、店頭補充用の既刊本である。
制服の上着をカウンターに置き、俺はまず、新刊雑誌の入ったダンボールの開封に取りかかった。
「今日は車雑誌が少しあるくらいか。うん、これもそれほど多くないな」
これなら、今日は予定通りに作業できそうだ。
アブソ…店長専用ハサミを取り出し、俺はすいすいと荷物の紐を解いていく。
少し書店のビジネス的な話をすると、この雑誌というものは書店の売上においてとても重要なウェイトを持っている。
店の立地によって多少違いはあるが、ほとんどの店で売上の上位となっていることだろう。
何より、雑誌は「固定客」を獲得する上でとても大切な媒体なのだ。
例えば、毎週あるいは毎月買っている雑誌などあるだろうか。某毎週月曜日発売の少年漫画誌などだ。
そのように定期的に発売する本は、定期的に来店する客を獲得できるのだ。
「あ、今日ジャ○プの発売日だ。本屋行こう」
という風に、購読者は行きつけの店へ足を運ぶようになるのだ。
だから、書店では雑誌の扱いを重要視する。
雑誌なくして書店なし、である。
「おはよーでーす」
俺が雑誌をあらかた整理し終わった頃、一年生の笹本が出勤してきた。
自宅が地球の反対側にでもあるのか、今朝も眠たそうに目を擦っている。
「おはよう、笹本。雑誌は
大体出てるから、レジに置いてある付録付きの雑誌を紐かけておいてくれ」
「了解ーす」
そう答えて、笹本は派手なネイルを装着したその手で雑誌に紐をかけ始めた。
基本的にダウナーな性格の奴だが、仕事は言えばちゃんとやってくれるので問題ない。
肝は据わっているので、ある程度の仕事は任せられる点も評価できる。
「あ、店長、部室にあったお菓子って食べていいんすか?」
「いいんじゃん?封開いてたし、昨日誰かが差し入れしてくれたんだろ」
今朝出勤すると、部室の真ん中に置かれた机の上に、少し高級そうな洋菓子が置いてあった。
既にいくつかなくなっており、昨日の内に夜番の奴らが頂いたようだ。
「たまに営業さんもくれたりするから、有り難く頂いちゃおう」
「いただくー」
俺は通学途中に買ったおにぎりがあったので、閉店まで残っていたらもらうとしよう。
午後の計画を考えながら、その日の朝は問題なく商品を出し終えたのだった。
……。
…。
時は流れて昼休み。
今日は奈留と放送当番の日だ。
今回は事前に購買で弁当を買い、午後に備えて体力をチャージする。
「オッケー、スイッチ切った?」
「うん、大丈夫」
一通りの放送も済ませ、前回の教訓に学びマイクのスイッチを切ったか確認する。
後は五時間目までここで暇を持て余すのみだ。
「今日もお仕事?」
「あぁ。初夏に向けてのキャンペーン商品とか検討する」
俺は手に持った資料で机を軽く叩く。一方の奈留は、今日は読書のようだ。
「お、何読んでんの?」
「平井千秋って知ってる?その人の新刊」
ほう、お堅いものを。
詩的な文体で年配層に人気のベテラン作家だ。俺たちの年代で読んでそうなのは剣崎先輩くらいだったぜ。
「初夏のキャンペーンって、何をするの?」
「毎年文庫本フェアだったり旅行書だったりするんだけど、今回は絵本でもやってみようかと思う」
「へえ、絵本?」
何やら彼女の食指に触れるものがあったようで、その開きかけてた重厚な本を机に置き、奈留は椅子を押して俺の真横に移動してきた。
同時に、仄かな香りが流れてきて少し恥ずかしくなる。
「ここでも絵本って売れるの?」
「そこそこね。周りに住んでるお母さんとかが結構買いに来てるみたい」
おかげで、三月は入園入学祝いで図鑑や辞書が飛ぶように売れた。
こと教育という分野において、紙媒体は依然その中心に存在するのだ。
「あ、この絵本読んだことあるよ。まだ売ってるんだ」
「絵本って昔から売れてる作品が人気なんだよ。お母さんが子どもの頃に読んだ本を、自分の
子にも読ませてあげたい、っていう感じで」
ふーん、と、奈留は俺の持つ児童書ベスト一覧を興味ありげに見つめていた。
「…そうだね。私も、自分の子どもには同じ本を読んであげたいって思うな」
そう言って奈留は、母親のような優しい笑みを浮かべる。
こういう表情が自然に出る彼女は、いいお母さんになるだろうな。
「ん? どうしたの?」
「いや、秋篠ならいいお母さんになるんじゃないかな、って」
「え!? わ、私?」
たじろぐ奈留の表情がどこか面白かった。普段伏し目がちな子が、こうコロコロ表情を変えると一気に可愛く見えてくる。
…って、さっきから変なこと言ってないか俺!?
一階上の三年生の教室がにわかに騒がしいような気がしたが、
この時は特に気にならなかった。
「そんな、あう…恥ずかしいよ…」
見れば、奈留は見たことないくらい赤面していた。
なんで真っ赤やねん、と苦笑しながら突っ込むだけの余裕を、残念ながら俺は持ち合わせていなかった。
コンコン。
ーーそんな最中、放送室のドアをノックする音が聞こえた。
顔を出したのは、理科教諭の迫口。
…あれ、これ、最近同じ経験したような…。
「うん…瀬名。スイッチ入ってる」
そんなパソコンのCMみたいな文句…。
見れば操作盤のスイッチは奈留と同じくらい真っ赤に染まっていて…。
「秋篠…今度から千秋の持ち込み禁止…」
その重苦しい文芸書をどかし、俺は隠れていたスイッチの電源を落とした。
……。
…。
俺が「絵本をダシにナンパする男」という憤懣やる方ない二つ名を頂戴した後、再び生徒会室に頭を下げに行き、沈んだテンションで部活動へと向かった。
なんだよちくしょう、だったら今回は仏教フェアにでもして悟り開いてやろうか。
ちっぽけな自尊心は見事にやさぐれ、エプロンを着るまで意識はどこか宇宙の彼方を彷徨っていた。
「……おはようございます」
店頭に出て、真っ先に声をかけてきたのは一年の華宮アオイだった。
「おはよう…って、アオイそれ…」
純真な我が後輩は、ジャージ姿に膨れ面でカウンターに立っていた。
「先輩が…変なこと言うからです」
最早、弄る気にもならなかった。
水曜に引き続き、昼食時の彼女を悲劇が襲った模様。
「…本当に、すみませんでした」
生徒会室で松方副会長にしたのと同じように、後輩に対して深々と頭を下げる店長こと俺であった。
……。
…。
その後、お互いなんとか気持ちを切り替えて部活に専念した。
アオイに関しては、残っていた差し入れのお菓子を全部食って良いという許可を出したら途端に破顔したわけだが。
「そういえば瀬名先輩?」
「うん?」
夕方。
俺がよく分からない販売データを相手にカウンターでパソコンとにらめっこしていると、横からアオイが声をかけてきた。
「部室の隅のダンボールに入っている仮面とマントって、誰の私物だか知ってますか?」
……………………。
「さあね。多分部長か誰かのだから、俺たちはノータッチの方が良さそうだぜ」
「はあ」
内心ドキッとした。そういえばアオイは定期的に部室を掃除してくれていたんだっけな。
今度からは開いているロッカーにブチ込んで施錠することにしよう。
あの秘密は、ある意味コイツにだけは一番見せてはいけないものなのだから。
そんなひやっとするイベントがあった以外は、客もぼちぼちの珍しく暇な金曜日であった。
人件費との兼ね合いもあったので、今日は8時でアオイともう一人の一年生を帰すことにした。
「時々こうやって早く上がりますけど、先輩忙しくないですか?」
後輩二人が上がりがけにそのようなことを聞いてきたが、「大丈夫、週末くらい早く帰りな」と笑って見送るのだった。
時刻は夜の8時半。
人払いの結界を敷いてある為、店内に客は皆無である。
俺は一度、エプロンを脱いで部室に戻る。
そして机の上に、アオイが指摘したマントと仮面を置いた。
「さて、最後に一稼ぎしますかね……ん?」
置いた机の上に、不自然なものが一つあった。
「これは、例の差し入れの洋菓子か」
おかしいな、さっき残りはアオイが全てたいらげたはず。
包装と箱を捨てた俺が言うんだから間違いない。誰かがキープしていて食べ忘れたのか?
「…ふむ」
ちょうど休憩中は昼のことを引きずっていて何も喉を通らなかったんだ。せっかくだから頂いてしまおう。
俺は包装を開け、手作りのような見た目の小さいケーキを胃に流し込んだ。
「うん、美味い」
小さいながらも、スポンジまでしっかり味のついたなかなかの逸品。またアクセントのクランベリーが俺の好みにどストライクで……。
「………」
「アレ…?」
自分の中で感想を噛み締めている間にも、俺の身体からどんどん力が抜けていった。
「ん……ねむ…」
次第に意識も朦朧としてきた。
俺は自然な動作で机に突っ伏し、そのまま意識は予定調和が如く眠りの底へと落ちていったのだった……。
続