冬の蜃気楼⑧
勤務先からの電話に対応している内に店長……瀬名君は部活に戻っていた。今更ながら彼らの仕事を部活と呼ぶことに違和感を感じるのだが、自分も人のことを言えないので口には出さないでおこう。
注文品の書籍を棚に入れている彼にいつ声をかけようか迷っているうちに、高校時代に共に書店を運営していた記憶が蘇って懐かしくなり、結局10分ほど彼の仕事ぶりを眺めてしまった。
……。
働く場所は変われども、彼の様子は昔とほぼ変わらない。色々あって高校三年生に上がってからはほとんど顔を合わせる機会もなかったけれど、こうして手に取った本に顔をしかめたりめんどくさそうにしたり(割と彼の部活に対するスタンスはネガティブな感情が多い)、そして高い棚にある本は背伸びをして取ろうとしたりする所作はあの頃のままだ。ただ、部員が近くを通り過ぎてもほとんど会話がないことだけは昔と違って、そこは見ていて辛いものがある。
「店長」
「……ああ、円城。悪い、電話中だったから仕事戻っちゃったわ」
「構わないよ。こちらも君の様子を見て懐かしい気持ちとか諸々に浸れたから」
そう言うと彼はばつの悪そうな何とも言えない顔をする。事あるごとに素顔が露呈するのに感情表現が苦手なところがある、つまり子どもなのだ。そんな人がエプロンを着て黙々と仕事をする様はなかなか言葉では言い表せないものがある。他人に彼を紹介するときはツンデレなステレオタイプな妹を想起させた上で説明するとすんなりイメージできるようだ。
「今日はそろそろ職場に戻るよ」
「って今日も仕事だったのか。何やってるのか知らないけどこちらのサポートはそっちに影響ない程度でいいからな」
「ああ、そこらへんは……いや、追って話すよ」
首をかしげる彼をよそに、簡単に挨拶を済ませて文芸館を後にした。声をかけたい面子は他にもいたけれど、自分の中で悩んでいたことに踏ん切りがついたので取り急ぎ僕は”職場”へと戻ることにした。
…………。
……。
エレベーターを降り、スモークガラスの扉を開けると、屋外にはない温かさと湿気が部屋を満たしていた。
「円城戻りました」
全員に聞こえるように軽く挨拶し、上司の机が不在なことを確認したうえで自分の場所へ向かう。
「お帰り。結構時間かかったのね紫依瑠」
「うん、昼食をごちそうになってしまってね」
気を付けなさいよ、と、同期にたしなめられつつ、PCのメールボックスと郵便物をチェックする。
いくつか説明を入れると、柴依瑠という被れた単語は僕の名前だ。ある意味で僕が僕なのはこの名のおかげでもある。呪いなのだ。
そんな僕の仕事は某企業の営業職。正社員ではないけれど日々こうして外を歩き回り笑顔と感謝を振りまいてきている。まあ今日はリスケして本業には携わっていないけれどね。
隣の席の彼女は同期の中でも出世頭だ。簡単に言うと仕事の鬼で、プライベートもあったものではないくらい今の仕事に打ち込んでいる。
ここでの勤務はまだ半年足らずながらも”勝手知ったる業界”なので早くも職場内でも頭角を現している。営業にも配属されずもっぱらPCを眺め、方々に電話をかける毎日のようだ。
「見通しはどう?」
「難しいわね。附属はどこも実質人件費度外視なのが年々圧迫してきてる。先代たちのツケを清算させられてる感覚だわ」
「本店は?」
そう振ると、彼女は一瞬キーを打つ手を止めた。そして画面の奥ではない彼女の中のどこかに焦点を合わせているようだった。
「あっちは先輩たちの領域よ。私たちにはまだ……」
「とか言いつつ、たまにビジネス館とか電話で小突いてるよね」
「……先輩たちには内緒よ。点数稼ぎだと思われるから」
そうしてちらとこちらを睨む。声の高低に多少の差はあれども、彼女はほとんど表情を変えることはない。これは知り合った高校時代から変わらない彼女の個性でもある。先ほどまでコロコロと表情の変わる同学年……いや、今は一つ下になるのか……と接していたのでその差は比して滑稽なくらいだ。
どちらも僕という変わった存在からすれば大切な友人だ。三人で運営した附属高校の日々は僕にとって(だけ)はかけがえのないものである。
「ふう。少し休憩するわ。柴依瑠もどう? …ってさっき戻ってきたばっかね」
「ねえ、玲菜」
だから彼らが道を違えたとき、僕は玲菜の傍にいることに決めた。彼女が一人になってしまわないように。附属から上がる僕たちからしたら学部の選択を変えたくらいの違いでしかないし、本部勤務というのは出世コースだから申請して通ったのであればそれはそれでモチベーションにもつながった。
「なに? 言っておくけどもうアンティークの割引券は無いわよ。しばらくチョコリングは我慢しなさい」
「僕さ、異動願いを出すよ」
そこで彼女に、今日一番の感情の動きがあった。
僕は心の底から彼女に感謝した。
「え、どうして? 版元の営業に何かされた?」
「そういうのは無いよ。この見てくれだしね」
彼女はPC画面から振り返り心配そうにこちらを見ている。
僕がここからいなくなったら、彼女はずっとこの場所でそんな顔をしながら仕事をするのだろうか。いや、それは違う。たとえ幾重にも仮面をかぶった友人であっても、その一端にはこんな僕でも触れることができたはずだ。現に今の彼女の顔は店長と同じありのままだと思う。
だから、正直に話そう。そして僕の大切なものを全て取り戻す。
「店長を助けてあげたいんだ」
…………。
……。
そのあとのやりとりはここでは語ることができない。
彼女の名誉もあるし、僕自身の彼女への薄情に後ろめたい気持ちもあるのだ。でも副店長は、玲菜は今、もう僕を必要としていない。それは友人としてという意味ではなく、代替品あるいは拠り所としてだ。
一方で僕は彼女を救うこともできなかった。やはり彼女の深淵には僕程度の半端者ではまだ立ち入ることができなかった。
20年前の新聞記事の懸念もある。僕は救うのは彼女だけではないのかもしれないのだ。
そういうことだから、今度は店長の力になってあげたいと僕は思う。
こうして新星大学書店部への勤務地異動を申請した次第だ。本部は本部で忙しい時期だが、恐らくは通ることだろう。
附属の頃よりも数倍濃い面子が揃った大学書店部でうまくやっていけるか少し心配になったけど、それならそれで店長と傷のなめ合いをしながら過ごすとしよう。
何せそんなやりとりは附属の時にとっくに済ませているのだからね。




