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書店部の内部事情  作者: 片羽京介
最終章『いくつかの真実を隠したまま迎える終幕』
65/103

「春、幕が上がる(下)」


遅くなり、誠に申し訳ありませんでした。

今回で完結です。

最後まで読んで頂ければ幸いです。





ホームズの住処を飛び出した俺は、教授棟の中二階にあるちょっとした庭園のベンチに腰かけ、そこから見える濁ったプールを眺めながら一人昼食をとっていた。


申し訳ない気持ちと情けない気持ち、それらを含めたどうしようもない絶望感に苛まれながら食べる菓子パンは、ただ無味乾燥として飲み込みにくいだけの最悪な食事だった。そのくせ糖分と保存料に富んでいるので少なくとも身体にはネガティブエフェクトとか、だんだん菓子パンって存在が悪に思えてすらくる。


結局、俺は午後の講義を全て欠席した。これは俺の私的な事情によるものだ。

そして、これから俺は向こう数日分の書店部のシフトもお休みさせられる予定だ。これは、先ほど俺が泣かせてしまった少女の私的な事情によるもの。姫が姫たる、その最たる所以だ。




「お疲れ、至流」

「あれ、ユーリン?」

「……」


空腹を満たすという最低限の行為だけ済ませて、俺は雑誌館の三階に顔を出す。

そこには講義の無い至流が店内で注文書をまとめており、講義のあるはずの俺の来店に目を丸くしていた。

そして彼の後方10メートルほど先では、カウンターで雑誌を組みながらこちらをジロリと睨めつける元後輩の女子の姿が…。


「講義はどうしたのさ?」

「サボった。というか現在進行形でサボってる」

「おいおい、元店長がいいのかよ?」

「…すごいよな、お前の言ったことを目線だけで語れる奴がいるんだぜ」


俺がもう一度アオイの方へ視線を移すと、彼女はすでに紐をかけ終わった雑誌を店内に陳列しているところだった。


「相変わらず嫌われてるね、元上司と部下の間柄なのに」


……。

苦笑いするだけで、まともにリアクションがとれなかった。ああ、また自己嫌悪だ。


「それで? もう直帰できるのに職場に顔を出す社畜なユーリンは何しにここへ?」

「シフトの交代。とりあえず今日から三日間くらい」


俺の答えに至流は大いに怯む。俺と至流は今日から三連勤なので、俺が休むことで戦力が削られる事実が堪えているのだろう。まだ二年になりたての同学年の書店部員よりかは俺の方が多少なりとも役に立つからな。


「悪い。その代わりを見つけるためにこうして来たんだ。しばらく店に顔出せない事情ができてさ」

「………あー、なるほど。姫ね」



そう、俺が店を休むのは姫のため。あいつは言葉遣いのイメージ通りに高飛車でプライドの高い一面があるので、例えば悲しいことや辛いことがあっても講義や書店部を休んだりはしない。

そのくせ、その嫌な原因に直面すると途端に気弱で泣き虫な真の本性を大衆の面前で露出させてしまう。そんなことになれば、亜理亜という新星大学における偶像が瓦解するばかりか、今度こそ姫は姫でいられなくなる。

自分から弱みを見せられない不器用な奴だから、こうして俺が道を譲るのだ。何を言っても原因は俺なのだからな。


「相変わらずウチのエースは誰かさんの前でだけ泣き虫さんだね」

「いつもは誰よりも俺を弄るくせに、さ」


平常時や仮面モード、そして泣き上戸と、様々な彼女の表情が頭に浮かぶ。この、亜理亜が実は感情豊かだという事実すらほとんどの生徒は知らない。カリスマ性があってみんなの憧れな存在なのに、誰も正体を知らないってどういうことだよ。こんなのまるで……。

……。



「まあ代わりは多分誰かいるよ。何なら亜理亜に二倍働いてもらえばいいし」

「それだけは言うなよ至流。あいつにとって二倍働くなんて造作もないんだからさ」


俺と至流がそんな姫話に花を咲かせていると。


「……」


…気がつけば本棚の影からこちらを睨む銀髪少女の姿があった。


俺はまたしても困ったように笑うことしかできなかった。



……。


…。



それから10分ほどして、カウンター横でシフトを見ながら受話器を握りっぱなしだった俺は、ようやく三日分の人員調整を終えた。

昔と違って層は厚いし、他校からのアルバイトだっているので穴埋めは思いのほか容易だった。


…プライド高いから面と向かって謝れば済むって奴でもないし、これで良いんだよな。

どこか自己弁護している感が否めないままに、俺は手帳をしまって帰り支度を整える。


そして、ちょうど店を出ようと立ち上がったその瞬間、先ほどまで使っていた目の前の電話機が突然鳴りだした。


着信元はこの店では割とよく見かける番号で、だから非番の俺が取っても相手の要求に応えられるだろうけど……。


……………。

……。



気がつけば俺は、誰かに助けを乞うようにして周囲に目線を走らせていた。手が空いている奴に、この番号からの電話に出てもらうために。


至流はお得意様の淑女につきっきりで動けない。他のスタッフもレジに入っていたり音の死角にいたりして応じられそうもない。

…くそ、なんでこんな事でここまでハラハラしているんだよ俺。このままじゃ、また…。


まるで借金の取り立てに怯える多重債務者だ。

相手は、多分超がつくほどホワイトな奴だけど。


………。


そして、着信音の重なる度に締めつけられるようや息苦しさに耐えかね、俺が受話器へと手を伸ばしかけたところへ、



「お待たせ致しました、新星大学書店部、華宮でございます」


痺れを切らした、といった感じのアオイが俺の背後から受話器を乱暴に掴んだ。お決まりの言葉を述べつつもこちらに一瞥くれることは忘れない。


今が好機と俺は席を立とうとするが、何故かその行動は中腰になった辺りで阻まれてしまった。


「あ、お久しぶりで…すみません、お疲れ様です」



アオイが、あろうことか俺の肩を後ろから掴み、立つことを阻止していた。まるで俺に何か用があるかのように。


…そんなことを、久々に間近に感じる後輩の目前で多分に混乱しながらも思う小者であった。


「え? すみません。語学書は私に任せてもらえていないので分かりません。はい」


同級生だが実際は年下なわけだし、何より相手は女子なので、こちらがやろうと思えば制止を振り切ることなど容易なのだが…。やはりアオイは俺の中で特別な部類らしい、たとえ嫌われても。


そんなことを少し落ち着いた頭で考えている間も、アオイと通話中の相手の会話は継続中だ。


「語学書の分かるスタッフ…今日でいうとやっぱり和佐先輩…っじゃなくて! 今日はあの、瀬名先輩がいまっ……あ、はい。了解しました…」


そして、アオイの不意打ちともいえる言葉に内心で驚く俺。

実は、大学に上がってから今までアオイに名指しで呼ばれたことはないのだ。仕事の都合上、固有名詞や主語を抜かしての会話はあったが、それも数えるくらいだった。俺は徹底して拒絶されてきたから。それを俺も受け入れてきたから。


そして、俺の肩から力無く彼女の手が離れ、電話の相手に少しお待ちくださいとだけ伝えて、アオイはカウンターから至流を呼んだ。


「はいよ、どうした? てかまだいたのユーリン」

「…本部から電話です」


俺の方を向いていた至流の表情が、アオイの言葉を聞いて瞬間強張る。

感覚的には、自宅に警察から電話がかかってきたようなものだ。相手が何故こちらへ連絡してきたのか不安でしょうがない感じ。

至流はおそるおそるといった感じで受話器を受け取り、保留を解除する。


「…お電話代わりました、和佐です」


俺とアオイはその様子を多少ドキドキしながら見届ける。

アオイの言った本部とは、この書店部、ひいてはこの大学を運営している大人たちであり、新星グループの中心部、屋台骨だ。


「う、はい。旺分社のセットについては一括分しか掛けてないです。直取の方を優先して並べたくて…はい、すみません」


いつも柔和で爽やかスマイルな至流元店長が、今は眉をハの字にして苦笑いを浮かべている。

彼ら本部は新刊の入荷数を決め、季節毎のフェアを出版社と相談するだけではなく、こうして各店の商品発注状況などをチェックしてダメ出しまでしてくる。会話の内容からして、恐らくは春のTOEICフェア用の注文状況にメスが入ったようだ。

…でもアレって、俺と亜理亜で数日前に注文出してるよな。明け方のスタバで眠い目擦って各分野まとめたんだから間違いない。


うーん、これって俺が代わって相手に伝えた方がいいよな。二重発注になるし、何より本部にやることやってないと思われるのは癪だからな。


俺はそう思い、弁明中の至流の肩を叩く。何故か、横にいるアオイが俺のことを食い入るように見つめていた。


気づいた至流が「?」という顔を見せたので、俺は右手で受話器を受けとるジェスチャーをし、左手を至流へと突き出した。

…これで自然な流れで電話を代わり、俺が本部に説明して一件落着かと思われたが、何を思ったのか至流は、何も持たない左手を左右に大きく振って拒否の態度をとった。


ん? と、思わず不審になる。明らかに至流は俺が電話を代わることに難色を示している。何故?

横にいるアオイは、胸元で両手を握りしめてウズウズしている。


「…はい。すみません、すぐ注文します。はい、失礼します」


そうこうしているうちに至流が通話を終了させてしまった。

受話器を置いた至流は胸元をパタパタと扇いで大きく息を吐いた。


「ふー、久しぶりに冷や汗かいたぁ」

「TOEICフェアのことだろ? 代わってたら弁解できたのに…」

「あー…いや、多分出ない方が良かったと思う」


……。


至流は何か訳ありげな物言いで、そのまま視線を逸らした。隣のアオイの表情には地団駄を踏みかねない勢いがあった。


「まあ気にしないでさ、今日は非番になったわけだし帰った帰った」

「ああ…うん」


至流に急き立てられるようにして俺は店を後にした。

もう用はないので言われるがままに帰宅の途につく。



……まあ、正直に言えば至流の言動に思い当たる節がないわけではない。アオイとも目を合わせないように気をつけていた。


……。


…難しいな。普通の学校生活って。

そんなことを思いながら校門を出ようとすると、そこには見慣れた人物が壁に寄りかかり読書をしていた。


それは、先ほど何のフォローもしてくれなかった名探偵こと秋篠奈留だ。


「……おい」

「あ、瀬名くん今から帰るの偶然ね」


途中の区切りもなく、末尾のクエスチョンマークすらない明らかな棒読み。もはや偶然という言葉が何を指しているのかさえ疑問に思えてくる。


「講義は? 奈留」

「もうここで学ぶべきことはないかな」


なんと、こいつは今日ばかりか今後二年分の、あるいは少なくとも卒業に必要な必修科目があるこの一年間の講義すら必要ないとのたまうか。突っ込むと長くなるから無視することにしよう。


「悠里こそ講義は?」

「…もうこの学校で学ぶべきことは…」

「まったく、書店部は本当にそれで通せるからズルいよ」


そう言って奈留は本を胸元にしまい、壁から離れて外へと歩きだした。

まあ、単位免除の資格をもらえるのは卒業後も書店部で働く奴だけだがな。そして今のところ俺にその予定はない。

俺は後を追うようにして奈留と昼下がりの帰宅路を歩む。




「…はあ」


街中で信号待ちをしている間、今日一日のことを思い出して思わずため息が生まれる。

一番に考えたのは、やはり亜理亜のこと。

あいつとは高校二年のときに出会ったのだが、仲良くなったのは高校を卒業し、浪人している間だった。それまでも色々と尋常ではない迷惑とお節介によって修羅場になったりして大変だったけどさ。


……。

それでも、今の俺にとっては身近な輪の中にいる存在だ。亜理亜がいなければ一度は諦めた新星ここへの進学も無かったことだろう。そういう意味では、道を示してくれた彼女には感謝の気持ちでいっぱいだ。


……。


…ともすれば、そんな親友にすら突然激情をぶつけてしまう俺の未熟さと、そもそもの原因となったある女の存在の大きさとは…。


……。


「はあ」

「誰のこと考えてるの?」

「…亜理亜」

「じゃあ次は有夢ちゃんで、その次がアオイちゃんかな」


……。


曰く、名探偵とは心理学者である。

まあ事件なんて人が起こしているわけなので、よほど複雑な状況でもなく、メンタリズムに秀でていれば自ずと解が見えてくるのかもしれない。空想上での話だがな。


「有夢はまあ認めよう。しかし特に話題にも出していないアオイまで挙げるのは一体全体どういうことだい?」

「だって、あの子の場合は何も接点なくても脳内注目ワードの上位に毎日ランクインしているでしょ?」


……。

瞬間的にあれこれ言い訳を考えたが、結局図星過ぎて閉口せざるを得なかった。

そりゃ、そりゃあさ。高校時代は長らく右腕として働いてくれていた後輩なんだからさ。絶望的なほどに嫌われてしまっても、いや嫌われてしまったからこそ、毎日気にかけてしまうのだ。


「俺が浪人して同じ学年になっても、そしてまた書店部に籍を置いても、あいつは表情一つ変えなかった。だから、もう俺があいつのことを気にしても無駄なことだって分かっているんだけどさ」

「その理屈はおかしいねワトスン。とは言え時間のかかりそうな案件だからあえて触れまい。今はそれよりも速やかに対処すべき問題があるからね」


前半に引っかかるものがあるがこちらもあえて触れまい。それよりも、


「速やかに対処すべき問題って?」

「言うまでもなく、姫へのフォロー」


駅前に近づいたところでようやく本題、とばかりに腕を組んで周囲を見回す名探偵。おそらくはその弁舌を奮う場を探しているのだろう。


「…お金ないからマックにしてくれないか?」

「ふむ、若者の教会か。まあ悪くない」


そんなよく分からないことを言いつつ、俺たちは行きつけのファーストフード店へと入っていった。


「相変わらず、出てくるものも居座る人々も息の詰まるような場所だね」


狭く薄ぐらい店内に椅子とテーブルがびっしり。固まる前の飴細工のような食感のバーガーは言わずもがな。

だがまあ…なんていうか、ほんとこいつは変わってしまった。

もうちょっと恥じらいや純粋さは残してくれても良かったはずだ。これじゃあ本当に180度性格が変わってしまっているのだから。


…しかし、アオイの件と同様、俺には彼女の変化について何も発言できない。

だって、奈留がここまで変わってしまったのは…。



「そこの席でいいよね?」

「ああ」



今更ながら声をかけられることに恥ずかしさを覚えつつ、俺たちはアップルパイとドリンクだけを注文してテーブル席に向かい合って座った。


奈留がストールと上着を脱ぐと、既にその下は先ほど着ていたセーターではなかった。

彼女の所属する文芸サークル「終星同人会」は本校において一定の地位を有しており、その事実を120%有効活用している奈留は、一年生の夏が終わる頃には大学で衣食住が賄える環境を整えていた。

名目上は「創作環境の整理」

それだけであそこまで部屋を占有できるこいつはやはり規格外だ。えてして名探偵とは図々しいものだしな。



「フォローって言っても、何したらいいんだ?」

「姫が喜ぶことをしてあげればいいんだよ」


シェイクを音も立てずに飲みながら、奈留は無理難題をふっかけてくる。

だって、あいつの喜ぶことは大抵退廃的で、俺の身体か人生を多少なりとも犠牲にしなければならないからだ。


「人の修羅場で悦に入るような女だぞ。目の前で何らかの犯罪行為にでも及ばなければ喜ばないぜ、あいつ」

「それはどうかな」


コトッとシェイクのカップをテーブルに置き、奈留は腕組みをして目を閉じた。まるで慎重に言葉を選別しているかのようだ。


「私の見立てでは、姫はかつての姫ではないと思う」

「ほう」


かつての姫、つまりは先ほど述べたような異常・非日常に恍惚とする変態を指すわけだが、今はそうではないと奈留は推察している。まあ、確かにかつてほどではないというか、多少は丸くなったなっていう風には俺も思っていた。それは単純に亜理亜が成長したってことなのかな、って思っていたのだけど。


「それもあるよね。でも、姫は見つけたんだと思う」

「何を?」

「更なる激情」


は?

なんか、ヤバそうな語感だな。

奈留は再びカップを手に取り、イライラするようにしてストローを噛み始めた。


「悠里にではなくワトスンにだけ言うことなのだがね。あの女は歪んでいる様に見えて実は割とまっすぐな奴なんだ。そして器用に見えて不器用。ある事柄に関してはね」

「??」


この、奈留の乱暴な演技の入り方が未だにゲリラ的で困る。おかげで直後に話した言葉の内容をいちいち思い出さなければならない。

そして今回に関してはリピートしてもピンとこない。亜理亜の性格が裏表あるというのなら今更な話だが、感覚的には裏の裏の話をしているようだ。


「奈留よ、割とマジで困っているから浪人するような馬鹿にも分かる単純明快な答えをくれよ」

「今週末に亜理亜をデートに誘いなさい」


単純不可解!!

というか今の奈留にデートとかいう単語はミスマッチすぎるぞ!


しかしながら奈留の言うことは今まで間違ったことがない。俺はおそるおそる納得のいく理由を問うてみる。


「明快だよ。それで亜理亜は元気になるからだよ」


……。なんだそりゃぁ。

実は亜理亜って友達少ないとか? だから日常的に下っ端みたいにしてこき使われていた俺なんかとのデートで喜ぶのか?


「うーん、でもそれはさぁ」

「デートって言葉に抵抗あるなら、この際名称なんてどうでもいいんだよ。とにかく休みの日に亜理亜を連れてどっか行くこと、それが最善だよ。多分…」


強気だったのに最後の最後で弱気になるなよ…。俺の周りは裏表ある奴ばかりだなぁ。


でも結局、俺は近日中に亜理亜を遊びに誘うことだろう。どちらにせよあいつと話さないことにはこの状況は打破できないし。


「もう、なるようになれ」


俺は女心なんて分からないから、もしかしたら亜理亜にもっと嫌われてしまうかもしれない。それでも、手をこまぬいていては状況は変わらない。もう親友のアドバイスなんてまるっと受け入れるさ。

そんなことを思いながら、その後はしばらく他愛のない話をダラダラと話し合う俺たちだった。




そして、時間は流れ夕陽が窓から浸透してくる頃合いになった。

相変わらず、二人でいると時間の概念が消し飛ぶ。奈留と関わることだけに没頭させられてしまう。それは相手も同じなのだと思う。


「………」

「………」


そうして話し続け、反応し続けた結果、こうして二人一緒に絡み疲れてようやく押し黙る。そこで始めて時は存在感を取り戻すのだ。


……。

俺は今、奈留と二人で話し合ってきたこれまでのやりとりをぼんやりと思い返している。

奈留はどんなことを考えているのだろう?


読んでいる小説の顛末でも予想しているのか、あるいは手がけている新作の構想でも練っているのか。


……。あるいは、ジャックポットくらいの低い確率で、あの日の文芸部室でのやりとりでも思い出してくれているだろうか。



物憂げに窓から外を見やる彼女の顔は、およそ何を考えているかなんて想像もつかないほど精彩でミステリアスだ。


「…ねえ」

「ん?」


覚えてる?


と、奈留は外を見つめながらつぶやいた。


自分勝手な予想が当たったのではないかと胸が高鳴る。


「何を?」

「あの日、変わった日。私が最後に言った言葉」



………。



しかし、俺の願望は音を立てて崩れ落ちる。

何故ならば、奈留が思い起こしていたのは俺たちが共有する思い出の中でも最悪の部類に入るものだったからだ。


俺は思わずうつむき拳を握り締める。その感情は奈留に対してではなく、自分と自分に相対していた誰かに対してのもの。


でも、もう完全に過去にしたんだ。下手に意識したらまた奈留に負担を強いてしまう。

だから、握った拳はすぐに解いた。


「もちろん、一字一句はっきり言えるぜ。親友の一世一代の黒歴史だからな」

「むう、それじゃあ今も痛い私が進行中ってことになるんだけど」


ああ、そうさ。

痛いよ、痛すぎるだろ、今のお前。

そんなこと、俺からは絶対言えないけどさ。


……。


「『私、瀬名くんには変わらないでいてほしいんだ。変わるなら、私の中で変わってほしい。誰かの中でなんて、変わってほしくない…』」


俺は奈留の問いに寸分違わぬ解答を示した。

まあ違わないのは言葉の整合性だけで、後に続く言葉は意図的に省略したけど。


……。

状況さえ違えば、この言葉だって良い意味で忘れられない思い出になっていたかもしれないのに。

よりにもよって世界の終わりを宣言された日に聞いてしまったからな。

そして、奈留の台詞は未だに胸の奥底まで落ちてこない。


気がつくと、奈留はこちらへ向き直っていた。その表情には多分に照れの赤色が浮かんでいた。


「…まったく、ドヤ顔だけど不正解だよ」

「あれ、そうだっけ?」


どちらにせよ、俺にとってはあの言葉が印象的で、全てなのだ。マックに入るの、正直今でも辛いんだぜ。


俺も釣られて照れ笑いを浮かべながら、先ほどは省略した彼女の台詞を脳内でリフレインさせていた。


『だから、私が変わる。瀬名くんの側にいられる私に。私の好きな今の瀬名くんのままでいてほしいから』



……。


…。



「ちなみにさぁ、奈留」

「なに?」

「あの日、最後にお前はなんて言ったんだ?」

「…ありゃ、本当に忘れてたんだ」


帰り際、それぞれ別の電車に乗るために別れる直前に、俺は先ほどの問いの本当の答えを聞いてみた。


奈留は自身の猫っ毛を弄りつつ、クスクスと小動物のように可愛らしく微笑んでみせた。


そんな顔を見たとき、不意に俺は、今この瞬間をありがたいものだと思った。


「誕生日おめでとう、だよ」




ーーでも、そのことだけは奈留に教えるわけにはいかなかった。






それから数日ほどが経過して、今は週末も近い金曜日。

今週は部活を全部休んだ関係で、久しぶりにのんびりした日々を過ごした。


「…のんびりし過ぎて、結局亜理亜を誘えていないけどな」


奈留は意識するなと言ったが、やはり異性を遊びに誘うなんて容易ではない。そうして後回しにしていたら結局平日最終日を迎えてしまった次第。

今日中に誘わないと、下手したら来週のシフトにも支障をきたす。よし、そうと決まったら早速店に…。


「ん? 電話か」


そんな俺の決意に横槍を入れるようにして鳴りだした携帯電話。画面を見れば至流からの着信だった。何か店でトラブルでもあったかな。


「もしもし?」

「お、ユーリン。ごめん、今話せる? できれば電話じゃなくて直接話したいんだけど」


言葉尻に不安と焦りの色合いを感じる。店で問題が発生したか、はたまた亜理亜絡みか。どちらにせよ、求められているならば応じよう。


「いいよ。どこ行けばいい?」

「助かる。じゃあビジネス館の四階バックルームで」


了解、とだけ返して通話を終了させる。

その後、間もなくして俺は食堂を離れて三号館、通称ビジネス館へと向かった。


至流のあんな張りつめた声色は久しぶりに聞いたな。前に耳にしたのは年末の某村育成ゲームの攻略本が数百冊入荷したときだったかな。一冊一冊が分厚いからダンボールに6冊ずつしか入らないとかで、忙しい年の瀬に50箱くらい届いたんだよな。あれはテンパるわ。


まあそれくらいの事だったらいいな、などと考えつつ、俺は白色蛍光灯の眩しい三号館へと足を踏み入れる。





「おつかれ、至流」

「あ、わざわざゴメンねユーリン。ありがとう」


四階に上がり、レジにいる紐メガネの先輩女子に挨拶をして、俺は店の裏にある作業員室のドアを開けた。


そこには値段のはりそうな二人がけソファーが向かい合って配置してあり、その間にはこれまた高級感ある木製の長形テーブルが鎮座していた。まるで、一度出版社に出向いた時に見た来客用の応接室のようである。


ああ、ビジ担の奴らはいい空気吸ってんだなぁ。

他とは商品管理の難しさが段違いだからこれくらいあっても文句はないけど。


先に座っていた至流の顔には、やはりどこか影があった。ここにくる道中で様々な理由を考えてみたけど、基本楽天的なこいつがここまで落ち込むとなると相当な事柄が予想される。

俺はおそるおそる至流へと本題を問う。



「…実は、とある後輩が問題抱えてるっぽくてさ」

「問題? どんなだ?」


聞き返しつつ、俺はひとまず店絡みではないことに内心で胸をなでおろす。

後輩の問題か、至流はそういうとこ誰よりも気が利くもんな。

亜理亜が秀でているように、至流はそういうスタッフとのコミュニケーションやら教育やら、いわゆるマネジメントに長けている。新人の教育担当を任されているし、月の人件費の調整も請け負っている。まあ附属時代に人間関係で手痛い思いをしたから身についたものらしいけど。



「なんか、ヤバいところに出入りしているらしいんだ」

「それって、都心によくあるクラブとか地下街とかか?」


こくりと頷く至流。膝の上で両手を合わせて深刻な面持ちなのは相変わらずだ。


「ちなみに『らしい』っていうのは? 至流が見たわけじゃないのか?」

「ああ。後輩の子が見たって言ってる。そいつはその子と同級生だから、ある日の放課後にその子を新宿で見かけて声をかけようと思ったそうだ。でも、その時の様子が妙にそわそわして周りの目を気にしているようだったから、なんとなく声をかけ辛くて目で追っていたらしい。そしたら…」


何やら得体の知れない店に入っていった、と。

うーん…。学生とはいえもう二十歳とかになる年齢だしなぁ。ある程度のことは自己責任だとも思うのだが。

…なんてことを俺が言ったら奈留や亜理亜に笑われそうだ。

ともかく中高生じゃあるまいし、そういうのは面と向かって聞くか放置でいいと思う。


「ん、まあ俺も彼女じゃなければここまで気にかけるつもりはなかったんだけどさ…」


??

そう言って至流は目線を落として苦悶の表情を浮かべる。頭を抱えて叫びだしかねない爆発寸前のような危うさが見てとれる。

なんだ? 至流がそこまで気にする後輩って……ん、後輩?


「そういえば、そいつ何年なんだ? 二年なら俺も知ってるかもしれないんだけど」


附属時代と違って、大学書店部には総勢100名ほどのスタッフがいる。その内の一割ほどは他大学に籍を置いている、本当の意味でのアルバイトだ。こういった人員もいたりするので全スタッフを把握するのはなかなか顔が広くなければ難しい。

それでも同級生ならば知り合いかもしれないと思い、至流に問うてみた次第なのだが…。


「……」

「至流?」

「…っていうか、ぶっちゃけ言うとユーリンが一番彼女のこと詳しいと思う。今は絶交状態みたいだけど」



………。それって。



「まさか、」

「そうだよ。アオイちゃんなんだ」


……。

…正直、もう他人事だと、些細な事だと思っていた。

でも、楽天的な至流がここまで思いつめていた時点でもう少し気にかけるべきだったのかもしれない。

多分、これを聞いて俺は至流以上に困惑するだろうから。



……アオイ、が?



記憶の中の元後輩は、未だに屈託の無い笑みを俺に向けてくれていた。



……。


…。




「あ、すみません常村先輩。裏使わせてもらっちゃって」

「…和佐くん、さっき出ていった子って」

「え、ああ、ユーリンすか? 瀬名悠里、あいつが何か?」

「あの子が瀬名君? イメージとは全然違うのね」

「こっち(ビジネス館)にはほとんど顔出さないですからね。にしても、そんなにイメージ違いました?」

「ええ。だってあの子でしょ、附属時代に“触れるだけで妊娠させられる”って評判最悪だった生徒会副会長って」

「………」

「和佐くん?」

「それは誤解ですよ。あいつを恨んでた女の子が流したデマだって聞いてます。鵜呑みにしないで下さい」

「そうなの? 確かに襲うよりか襲われてそうなイメージよね。まぁ気をつけるわ」

「お願いします」

「了解。ところで、二乃舞さんともここで会う約束ってしていた?」

「……はい?」




………。


……。





ーー談笑。そして何かを食む音、飲む音。

それら人が発する生活音と、空調や窓の向こうを走る私鉄電車の騒音等の環境音。

これらを全て空気の如く無意識に追いやり、瞳に映る人・人・人にのみ注意を凝らしてはや半日。


「………」


ここは新宿。混沌と秩序が同居し、いくつかのギネス記録とワースト記録が街を象る日本の中心。

そんな中心部の玄関、新宿駅のとある改札口をまるっと見渡せる場所。駅ビルに入っているコーヒーショップ。そこに俺は早朝から出張っている。

今日は土曜日。至流からアオイの黒い噂を知らされて、もう30時間ほど経っている。

あれから、至流に事の経緯を5W1H聞き出し、それから実際に現場に居合わせた後輩を紹介してもらい、更に詳しく状況を説明してもらった。

その後は同級生に最近のアオイについて聞いて周り、未だに親しい笹本(服飾系の専門学校に通っている)にも近況をうかがった。


…そうしてかき集めた情報をつなぎ合わせてみる。


北欧のとある福祉先進国と日本人のハーフである華宮アオイは、最近服をよく買うようになったという。まあアオイも女子なので頻繁に買うことは変ではないのだが、とかく最近は金目に糸目もつけず、あるいは金などいくらでもあると言わんがごとく、友人らと都心へ出かけては服飾を買いあさっていたらしい。このことは同級生の間でも少し話題に上がっていたようだ。そして、最近アオイの雰囲気も少し変わった、とも。


……。


そんな折、とある友人がアオイと二人でいると、アオイの携帯にメールが届いたことがあった。アオイはメールを確認するなり瞬く間に顔をしかめ、何語か分からない言葉をいくつか呟いて学校を出ていったらしい。その他にも、彼女がメールを確認してため息を吐いたりイライラしたりしていたという目撃情報はいくつか報告させられている。何か面倒な人物からアプローチを受けていることは間違いない。


その他、アオイの書店部におけるシフトの変化についても報告があった。シフトの調整はほとんど至流に一任されているので見落としていたが、最近のアオイは木曜日と土曜日を必ず休みにしていた。今までは月毎に不定期で週3〜4入れていたシフトを、この春からはほぼ固定シフトで働いていたのだ。




…服を買いあさるなど急に羽振りが良くなった財布事情。謎の人物からの不快なアプローチ。定休日の木曜と土曜のお休み。これらが意味するものは…。



……。



頭の切れる奈留ならば、これらのパーツだけで真実の一端にでもたどり着けたかもしれないが、今回は彼女に頼らないことにした。

真実を知るのが怖いからというのもあるが、なによりもあいつに、これ以上他の誰かを考えさせたくなかった。


秋篠奈留は、高校二年のある初夏の夜以来、とある少女のことばかり頭の中で考えている。


“倒すべき仇敵。生涯をかけて挑みたい相手”


そんな風に、いつの日か息巻いていた。

少女のことを考えたくない誰かの代わりに、そう息巻いていた。


その過程で奈留は経営学やらディベートのスキルなどを学んでちょっとしたエリート級のポテンシャルと知識を身につけたようだが、本人はそれを社会で活かそうとは考えていない。あくまで“決戦”のときの持ち札の一つとしか考えていないようだ。


…決戦など、あるのだろうか。

俺はその時どんな立ち位置にいるのだろう。



……。



脱線した思考を切り替え、俺は目の前の改札口へと再びピントを合わせる。この脱線していた一分ほどの間にターゲットが現れていたら悲劇だが、何分銀髪の美少女なので見落としはしない…はずだ。


そう、俺はこのコーヒーショップで、早朝からあいつが改札から出てくるのを待っている。確率的に出現率の高いこの日に、着飾った華宮アオイが物憂げな表情で新宿に現れる瞬間を見張っているのだ。


「…もしかしたら、今度こそ決定的に嫌われるかもな」


もう何杯目かの珈琲ねむけざましを口に含み、機会的な動作で行き交う人びとに視線を這わせる。


今の俺は、彼女に嫌われることなど少しも気にしていなかった。まるで自分のことかのように、彼女の抱えている問題を解消してあげたい気持ちで一杯だった。



…なんというか、アオイは俺に似ているのだ。

周囲からはその見た目のせいで弄るより弄られる側で、頑張って背伸びしても大抵空回りしてしまう。

特に器用というわけでもないので仕事の処理速度も人並みで、けれども負けず嫌いでいじっぱりだから人一倍動こうとしてまた空回り。

大人になりたいと願う一方で日々自覚する幼稚な個性や思考。そんな自分に葛藤している内に周りはどんどん先に進んでいって、次第に根強くなってくる劣等感や嫉妬心。


そして、そんな負の連鎖を他人に見透かされてしまうほど純粋な心を持ち続けている。この点においては俺と違って羨ましく思う。



……簡潔に言えば、アオイは俺の中で守りたい女子ナンバーワンなのだ。それこそ世界が守るべき宝というか、たった一人の兄妹みたいなさ。


……。だから。



「たとえ警察に止められても、停学処分で済む程度には抵抗してお前を救いだしてやる」


幻の笑顔のために見えない敵と戦い続けている俺であった。



……。


…。



そうして自身の妄想と角を突き合わせているところへ、思わぬ人物からメールが届いたのは日も傾いてきた午後5時過ぎのこと。



「…………え?」




カフェインの過剰摂取と長時間変わらない態勢のせいで血の巡りがフルスロットルなのか、俺はそのメールを最初は現実のものとして受け入れられなかった。




差出人:二乃舞亜理亜


件名:ターニングポイント


本文:その場を離れるな。さもなくばお前の愛する妹に秘密をバラす。


…兄が女装趣味でドMの変態だなんて、知られたくはないでしょう?





…………………。


…………。なんだろう、亜理亜が過去類を見ないレベルで昂ぶっている。


最早いじけていたとか仲直りしようとかそういう過程はすっ飛ばして、いつものように斜め上からこちらを見下ろして荒ぶっている。



「だいたい俺にそんな癖はないし…うん」


今流行りの巻き込まれ系なだけだし。多分…。



しかし、どういうことだ? ここで待機ってのは。俺がどこに何の目的でいるのかを知っているのか?


「…あり得るな」


昨日一日聞いて回った際に、ほとんどの奴に横の繋がりを最大限駆使する様に頼んだからな。アオイの情報の聞き取りが巡り巡って、ミス新星の書店部員まで届いた可能性は否定できない。

…ていうか、もしこの件が全部杞憂だったとしたらそれはそれで俺、アオイに嫌われてしまいそうだよな。



「はあ…お前は本当に心配ばっかかけさせる奴だな、アオイ」



俺は多少手足に痺れを感じながらも、そろそろ冗談では済まない量に達したコーヒーを一気に飲み干した。


「………っ」


途端に訪れる嘔吐感、そして倦怠感。

そして、どれだけ空元気を発揮しても付きまとう、嫌われている相手へのお節介という不安。

もしかしたら、もう俺の知っているアオイはいないんじゃないかという、数年来の絶望感。


もはやカフェインでは抑制できなくなってきた眠気も手伝って朦朧としてきた意識の中で。


そういえば、こんなこと昔もあったっけなーー。


などと、いつかの初夏に似たシチュエーションを経験していたことを思い出していた。



アレは確か、新宿じゃなくて越谷のコーヒーショップだった。


…あの時はまだ金銭面でも自由がきかない身の上だったから、コーヒーショップに入ることすら躊躇っていた。その上、注文方法もよく分からなくって、適当に頼んだらすごくファンシーなスイーツみたいなものが運ばれてきたりして。



………。


はは、そうそう。その後だったよな。

俺がこうして、やきもきしながら相も変わらず窓から外を眺めていたら、突然横から声を……






「あの、すみません。隣、ご一緒させていただいてもよろしいでしょうか?」



…………。声を…かけ…られ…て………。




「ーーーーーーーえ、」



瞬間的に顔を背けようとしたが、“あいつ”が気がつく方が早かった。

証拠に、あいつの口から血の気が引いたような絶望感の伝わってくる声が漏れていた。

俺は気にしないそぶりで彼女の方を向く。



「……っ、そ……そんな…」

「……………」



声を漏らさずにはいられない彼女。声を上げずに視線だけ向ける俺。

形はどうあれ、お互いの視線が交差すること数十秒。


…ああ、なんていうか、自分の身体の正直さが心底妬ましい。

先ほどまでのように、眠そうで、気だるそうで、視界の濁った目線を向けてやれば良かった。

なんで、声を聞いただけで嘔吐感も倦怠感も、不安も絶望も眠気さえも吹き飛んでしまうんだよ。

悲劇の舞台演目の最中に大学の合格発表聞かされた気分だぜ……いや、どんな気分だ。


…………。


向かい合う少女の目には、俺の中から消え去った不安や絶望の色が見てとれた。

彼女には俺はどう映っているのだろう。俺自身もどう思っているのか分かりかねているから、できれば教えてほしいものなのだが。



………。



それでも、この見つめ合いの果てに生まれてくる感情があった。そしてそれは、俺の中の燻っている何かに火をつけた…そんな気がした。


………。



生まれた、たった一つの感情。それは、




負けるもんか




だった。


そう、負けない。“もう”、負けたりはしない。

幾度となくこの勇者は俺の前に立ちはだかり、勝手に俺をラスボスに仕立てあげて打ち負かし、勝手に偽りの平和を享受してきた。質の悪い自作自演だと思う。



でも、前回半端なく打ちのめされてから、俺は多大な犠牲を払って大切な教訓を勝ち得たんだよ。


「……っ………」

「………」


黙って見つめ合ったまま、先に進めない少女と、まだ先に進まない俺。


……。

曖昧な気持ちでは、お前に勝てない。嫌いたいのか馴れ合いたいのか、恨みたいのか愛したいのか。


かと言って、恨みの感情でもお前には勝てない。そういう意味では、お前は運が良かった。お前が正義、俺が悪のテーブルについた時点で、世界はすでにお前の味方についたようなものだったからだ。どんなに歪んだ社会でも、詰まるところ悪は影に潜んで淘汰されるのが世のルールだったりする。お前は俺を憎んでいるように演じて、俺がお前を恨むことを正当防衛が如く正当化させようとした。冷静に考えれば、“恨んでいたから~~”なんて枕言葉で正当化される行為なんて無いのだと気づけたはずなのにな。

俺にそのことを気づかせてくれたのは、俺の代わりにお前を憎み、恨んでくれていた友達がいたからだ。その様子を隣でずっと見てきたから、俺は自身の過ちに気づくことができた。だから、俺はお前との決着をつける前に救ってやらなきゃならない親友がいるわけで。そいつのためにもやっぱ、負けられないよな。



「久しぶり。ますます眼つき、険しくなったんだな」

「…っ!………」


決意を固め、相手の心情を推し量ることで、俺の頭は急速に冴えを取り戻していった。


全身を黒のスーツで固め、目元には連日の激務がうかがえるうっすらと浮かんだくま。しかしその鋭く切り込まれた目元は引き込まれるように魅力的で、流し目だろうが上目遣いだろうが見下そうが最高のスナップが撮れそうな芸術品のよう。

化粧は限りなくナチュラルで、持ち前のロングヘアーは相変わらずサラサラと清流が如き滑らかさで彼女のアイデンティティとしての機能を保っていた。



…はは、今更ながらにとんでもない奴と競い合ってきたんだなと自覚してしまった。

とは言え、かつてほどの脅威はもう感じられない。




高みを目指しつつも相変わらず成長していない少女は、震える指先をいつかと同じ様に口元へと当てて俺に同意を求めている。しかし、もう俺はそのサインに頼らない。

仮面を被って演技を盾に、嘘と強がりで競い合っても真の決着は訪れないって、この数年間で多くを犠牲にして学んだから。


伊達に名探偵なるの隣を張ってたわけじゃない。俺だって精神的に未熟で貧弱なことは分かっていたから、毎回怯えて半狂乱になりつつも自分の内側に視点を据えて生きてきたんだ。


そういう意味では、この前の亜理亜との騒動は皮肉にも本番の練習台のようになってしまったな。今後、亜理亜には頭があがりそうにない。



「………っ……」

「……」



震えながらも険しい眼つきで同意を要求してくる彼女を尻目に、俺は冷めた目つきをたたえて彼女を見つめ返していた。


夕陽が更に傾き、俺たちの顔に更なるコントラストを落とす。


……。


断言できる。

こいつがこの先もサインに頼っている限り、俺はこいつに負けることはない。

いつまでも自分の殻に閉じこもり、大学本部で独り、仕事に忙殺されて自分のことを省みる余裕すらないこいつは、自らも知らない内にずいぶんと弱く脆くなってしまっていたんだ。

そんなこいつの唯一の独り舞台が“演技”なわけで、裏を返せば最後の砦。だが打ち崩す必要はない。ただ、その砦が砂上の楼閣だと分からせてやればいいんだ。



「やめろよ、れいちゃん」

「っ!??」



よし、言えた。一番深くへと響く呼び名を。

久しぶりに再会した俺が、その名で彼女を呼ぶ意味。戸惑いや憎しみなどなく、自然な気持ちで親しい呼び名を唱えるその意味。



たじろいだ彼女は一歩後ずさるが、俺はこいつが逃げ出さないことを知っている。

だって、じゃあ何でこいつはここにいるのか、って話に帰結する。かつての後輩が気になって、仕事も途中でほっぽり出してくるような奴だ。正義が悪を前にして逃げ出すなんて、それを許さないのもまた世の常だからな。


「いいよ。隣にどうぞ。早く二人であいつを見つけて、万が一にでも危惧した通りだったら、二人でここで一晩説教してやろうぜ」

「……。……………」




逡巡の末に、彼女は隣に腰掛ける。

この場の勝負に勝ち負けはない。俺自身、張りぼての精神武装でかろうじて余裕ぶっているだけだし、こいつはこいつでいつまでもペースを握られているほど脇役な器ではない。

真の戦いは、これからだ。


俺はそんな様式美ともいえる打ち切り漫画の名台詞に感銘を受けつつも、淡い夕陽を頼りに窓から駅を見つめる。



この世界には魔法も超能力も名探偵もいないけど、俺はこれから、宿命付けられた決戦に身を投じることになる。




負けるもんか




窓に映る寂しげな彼女の目線に、俺は誰よりも強い想いを込めて、そう誓うのだった。












あとがき



繰り返しになりますが、読んで頂いてありがとうございます。とっても嬉しいです。


最後なので、この作品の周りの話を少しだけ


本作品は、私が大学生になりたての頃に作った同人ゲーム案「ふるほん! ~フルで本気で働いて~」というシナリオのプロットの前日譚として構想していたものです。


書店部の~が前日譚に当たるわけなので、ふるほんではこの後の二人がメインとなって物語が展開していくストーリーとなっています。

こちら(=ふるほん)を主軸として小説を投稿しなかった理由としては、やはり中高生の多いこのサイトで、熟練した書き手ならまだしもただのなんちゃって文系が、大学生主人公の作品書いても受け入れられるの? という不安があったからです。同じ境遇で大学もの書いてる人がいたらすみません。私はあなた方をめっちゃリスペクトします。

そんなわけで高校時代に設定を移して書き始めてみたわけです。

所属しているサークルでは、目下ギャグバトルモノのサウンドノベルを制作中ですので、ここで挙げたような作品たちがゲームとして世に出されることは難しいですが、もしも私たちのつくるゲームに興味を持って頂けたらメッセージなど頂けると嬉しいです。

最後なので感想とかも一言でも頂けたらとても嬉しいです。


秋からはサークル活動の方にも復帰していく予定ですが、私は私でこちらに作品を投稿していく予定ですので、気が向いたらたまに見にきて頂ければ。


それでは、長くなりましたがこれにて失礼致します。

またどこかでお会いできれば!




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