最終話「春、幕が上がる(上)」
すみません、活動報告で次話完結と書きましたが、あと少しだけ続きます。
お付き合い頂ければ幸いです。
四月の第一週。
学生ならば学年が上がり、新たな気持ちでスタートを切ることができる時期。あるいはそういう口実で過去と決別できる時期だ。
新入生ともなればそれはさらに容易で、新しい学びやで何もかもをゼロに戻してニューゲームを始めることができる。
…ただ、学生でありながらそういった青春のリスタートを切れない人々も存在する。
別に難しい話をするわけじゃない。ただとある大学附属の生徒の実状を話したいだけだ。
一般的に附属校の生徒がそのまま大学に進学しても、附属の時と同じ顔ぶれで講義を受けるような代わり映えのない風景にはならない。それにはいくつか理由があるが、大きな原因は学部・学科によって講義やキャンパスまで分けられることと、附属生以上に外部からの受験生が編入してくるからである。
だから、ほとんどの若者にとって進学という転換期は往々にして新鮮かつ期待に満ちあふれたものになるのだが、ここ「新星大学 神田キャンパス」のとある部活だけは例外である。
「…おはよう」
「……」
四月第一週の早朝。学生にとっては新しい朝。書店員にとっては慌ただしい朝。
新学期・新入学というのは本屋にとっても大きな商戦の時期であって、学生自身や親などが辞典や参考書にせっせとお金を落としていく時期だ。某大手出版社が毎年出している小学○年生の入学準備号なども、この時期に売上がピークを迎える。
…なので、こうして俺は家から一時間かけて東京・神田にある古風な出で立ちの大学に、午前7時を少し過ぎたくらいの早朝から顔を出している。
俺よりも先に二年の、つまり同級生の少女が一人荷開けをしていたが、俺が挨拶をしても特に返事は帰ってこなかった。
…まあ、いつものことだから仕方ないけど。
ここは大学の六号館。通称“雑誌館”だ。
この新星大学は、ご存知の通り大学運営と出版・書店経営を併せ持つ特殊な大学である。全国にある附属高校には内部に書店が入っており、そこでは在籍する生徒たちが働き、実際に店を管理運営している。
そのシステムはもちろん大学にも存在し、当然、附属よりも大きな規模で多くの生徒が働いているのだ。
書店部という形態の原点かつ象徴とも言うべき存在がこの神田キャンパスそのものの在り方である。
言うなればここは書店の集合体にして、書店と大学の融合体なのだ。
敷地内には一号館から十号館までの十棟が存在するが、その内部全てに書籍の販売エリアがある。ざっくり言うと、棟の一階から三階までが書店で、そこから上が教室や研究室となっているのだ。
単純計算しても建物三十階分の書店スペースがあるので、言うまでなく国内最大級の書籍販売施設だ。
棟ごとに「文庫・新書館」「コミックス館」「オリジナル館(後述)」などに分かれており、それぞれ新刊から絶版になったものまで幅広く扱っている。
中でもこの雑誌館は、我々書店部の中でも一際慌ただしい。というのも雑誌とは日々数十冊単位で新刊が発売しており、他と違って様々なジャンルの雑誌が混在していることもあって商品管理が非常に難しいのだ。俺も附属生時代は、よくメジャーな雑誌の発売日の朝は早出して品出しという朝練に励んだものである。
「じゃあ、俺は車雑誌の方出してくるから」
「……」
独り言のようにそうつぶやき、俺は高校時代とは比べ物にならない量の雑誌の入荷束から特定の雑誌を抜き出していく。
…大学書店部に入ると、初めに面接を受けて適正を見出され、各館への配属が決定するのだが、実をいうと、俺はこの雑誌館の所属ではない。文芸書館・参考書館・コミックス館・そしてオリジナル館が俺の配属エリアだ。
…ほんとは一人辺りの配属はどこか一つの館なのだが、なまじ附属時代に店長などを任されていたので特例でそういうことになっている。ここにはそういった店長経験のある生徒が他にも数人おり、彼らもみな所属を兼任している。
例えば…。
「おお! ユーリンお疲れー!」
「……」
そう、ちょうどこいつのことを例に挙げようとしていたところだ。附属時代から相変わらずの、ワイシャツ胸元全開なオシャレ仕事着スタイルでモデル体型。そしてその身なりに同調するようにして整えられた目鼻立ちと柔和の笑顔を併せ持つこいつは和佐至流。
高校時代は吉祥寺にある中央附属の書店部で店長をしており、同級生と後輩と理事長と異性問題を巻き起こしていた罪深き男である。
「おーい、挨拶を無視するなんて薄情じゃないかな?」
「お前は自分が『脳内メルヘンこと和佐至流くんオッス!』って挨拶されても笑顔で返せるかよ?」
「俺はファンタジーが好きなだけだってばー」
四年前からユーリンという呼び方をやめろと言っているのに一向に変えないから無視してんだっての。一方のこいつには、少し頭の中が妖精世界とリンクしちゃってることぐらいしかこき下ろせる点がない。先ほど述べたような異性問題とかがあるにはあるが、そんなマジ話をこんなとこでネタに使えるほど俺も無神経ではなく、同時にそこまで俺も至流を嫌っているわけでも…むむ。
「おはようございます、和佐先輩」
「おお、おはようアオイちゃん。雑誌に囲まれてて気づかなかったよ。いやあ本に紛れちゃうなんて相変わらずアオイちゃんは可愛いなぁ」
「…そうなのですか? どうもです」
俺を無視した同級生こと元後輩のハーフ、華宮アオイは、軽く至流に挨拶をした後、再び雑誌の開梱作業へと戻っていった。
その際にチラと俺の方に一瞥くれたのは、おそらく至流の「挨拶を無視するなんて~」発言を気にしてのことだろう。根は真面目で優しい子なのだ。
そろそろ説明をすると、俺はとある理由で大学進学を一度諦めて浪人し、とある理由でその浪人時代を経てからまた大学に進学した。ついでに高校時代にとある理由から親しかった後輩と仲違いして今に至る。
とある“理由”ってのは、地獄とか修羅場とかいう単語に置き換えても遜色ない類の出来事である。酒の力を借りても語ることのできない暗黒の時代の経験だ。
……そんなわけで、俺は同学年だったはずの奴らより一年遅れて大学に進学し、こうして後輩らしからぬこき使われ具合というか忠犬具合を発揮している。
「昨晩の内に準備しておいて良かった。アオイちゃん、今朝起きるの辛かったでしょー?」
「いえ、高校時代もよくこうして居残りからの朝練はしていたので。……っ」
「へえぇ、そんな重労働を課した店長さんはどこのどいつだろうね??」
……。
俺は何も答えずに黙々と新刊雑誌を平台に並べていく。そんな最中に、アオイと二人で電気が落ちても雑誌の場所空けをしていたいつかの夜のことを思い出していた。
今はこうやって口すらきいてくれないが、そうではなかった頃の思い出を共有してしまっていることがアオイに負担をかけてしまっている。
しかし俺がいるからなんて理由で彼女に書店部を辞めてほしくはないので、こちらからの接触は極力、ほんとに挨拶と簡単な連絡程度に抑えている。仕事後の打ち上げにも、アオイが出る場合は極力参加を控えてきた。
「ユーリン、自分のとこは大丈夫なの?」
「今日はどこの館も朝から忙しいだろうけど、まあうちに関しては問題ないよ」
理由は単純。すごく仕事のできる奴が朝から入ってくれる予定だから。
まあ性格に難ありではあるが。
「あー、“姫”は朝からご出勤なのね」
「逆に俺がいない方が作業捗るくらいだから。今日は講義まで各館を回る予定さ」
その“姫”と呼ばれる三年生は朝に弱い。低血圧なんだか知らないがとにかく寝起きの彼女はなかなかに強敵で、俺の浪人時代に何度か部屋に押しかけてきては勉強を見てくれて、そしてそのまま俺の部屋で一晩を明かすこともあったのだが、その際もずいぶんと手こずったものだ。
「いや、それはすぐに文芸館行った方がいいって。どうせ姫、ユーリンが朝から出張るって聞いて自分も朝練すること決めたんでしょ?」
「そういや、そうだったかな」
無駄にプライドの高い奴だからな。後輩になったとはいえ元ライバル校の店長である俺が朝から働くとあっては張り合わざるを得なかったのだろう。
「頭固いなーユーリンは」
「…? 何でさ?」
「んん! 和佐先輩、さっさと品出ししましょうよ!」
俺たちの会話はアオイの剣幕によって断ち切られた。どうやら俺がいるから気分を悪くさせてしまったようだ。
「じゃあ、俺あっち行ってみるわ」
アオイにこれ以上不快な思いをさせたくないしな。できれば今日のこの日までに仲直りしておきたかったんだけど、仕方ない、か。
「了解。今朝はありがとね。くれぐれも姫に後ろは取られるなよ?」
あいつは殺し屋か何かかって。
…と一瞬思ったがあながち間違いではなかったな。うん、気をつけるとしよう。
俺は二人に軽く挨拶をし、至流の返事を受けて雑誌館を後にした。
時刻は8時前。
至流が来るまでずっと黙って仕事をしていたので、てっきりもっと経っているかと思っていた。
「これじゃああいつはまだいないだろうな」
今頃、家で目覚ましを叩きながら寝ぼけ眼でベッドから這い出しているのではないだろうか。いや、女子って確か朝から色々準備があるらしいから流石にそれはないか。
俺は文芸館を目指す途中で他の館もざっと見渡してみる。
各館の地上から三階までは売り場になっているため、誰かが作業していれば明かりがついている。見たところ、林立している各館でまだ作業しているところはないようだ。流石に繁忙期とはいえ、雑誌館以外で開店(10時)の二時間前に来るような奴はいないよな。
…まあ、あくまで店舗では、だけどな。
実際、三階より上のところで明かりがついている館が二ヶ所ある。一つはオリジナル館の最上階。オリジナル館というのは、いわゆる同人作品と呼ばれる一般流通のない書籍を扱う特殊な館だ。大抵は自費出版している本が並んでいて、中には色々とグレーゾーンを行く本なんかも並んでいる。とは言えあれば何故か売れるので、頭の固い大学本部も黙認している。
ちなみにそこは、新星大学で絶大な権力と実績を誇る有名クラブ『終星同人会』の部室棟でもある。かつて多くの作家がここで創作に励み、そのままプロへと巣立っていった伝統ある部だ。部活動でありながらちょっとした専門学校のような力の入れ具合である。
そんな棟の最上階は、一番位が高いように見えて実はその逆。元々三階までを本屋に陣取られている我が校は、実際のところエレベーターと階段が地獄な現状である。普通にお客さんも使うからね。
なので、基本的に店のすぐ上の四階が一番位の高い場所になる。
というわけで、あの棟の最上階には比較的新しい部員が在籍している…とくれば話は簡単なのだが、ややこしいことにオリジナル館だけはそうではない。
あの最上階にこもって執筆することを好んでいる物好きな三年生が一名いるのだ。元々は寡黙な文学少女だったのだが、いつからか読む側から読ませる側へと華麗に転身を成し遂げていた。
「…はは、なんでこんな時間にもういるんだよ」
相変わらずだな。俺は思わず微笑んでしまう。
あとで差し入れでも持っていってやろうと思いつつ、俺は明かりの灯っていない文芸館へと足を踏み入れていった。
「やっぱり入荷少ないな。これは開店前三十分で済みそうだ」
内部へと足を踏み入れた俺は、入り口に積まれた入荷書籍の山を見て胸を撫で下ろす。
基本的に書店というのは前日までに入荷数とか入荷書籍とかが分かるものなのだが、たまに予告なしに仲介問屋からどかっとセットが入ってきたりすることがある。
浪人時代を除いて四年間書店部で働いていた間に、何度かそういう入荷テロに遭遇したことがあった。今日みたいな特例な日にそんなことがあったら嫌だなと思っていたのでとりあえず一安心。
さて、じゃあ新刊から開けるとします……。
「…だーーれだ?」
ピタリ、と。
何者かの手が背後から俺の両目をふさいだ。
ついでに背中から腰元にかけても何か柔らかいものが密着している。多分、今目にあてられているものの本体のどこか、だろう。
「え、早くない? 亜理亜」
「ふふ、悠里が遅いんですのよ?」
目隠しの張本人こと姫は、本名を二乃舞亜理亜という。
流れるような手入れの行き届いた金髪ロングに、キリッとした目元に合う端整な顔つき。誰もが認める、誰もが見惚れる美少女である。
至流と同様に高校時代に新宿にある第二附属高校で店長をしており、ついでに生徒会副会長まで兼任していた超絶エリートだ。
「おかげで徹夜の努力が台無しになるかと、私不安でしたわ」
「…力を入れるベクトルが絶望的におかしいぞアリア」
こいつのいた第二附属と俺の高校は理事長がライバル同士ということで、しばしば売上で競い合っていた。そして、そんなつばぜり合いの中で俺たちは自然に仲良くなり、今ではこうして暗闇で後ろから襲われるほどに…いやいや。
「あ、亜理亜さ…。そろそろこういうことは控えた方がいいと思うよ?」
「あら、どうして?」
「年考えろって!」
至流の『ユーリン』同様、こいつのこの過剰スキンシップも高校時代から何度も注意しているのだが、まったく曲者揃いで嫌になる。
「逆に、そろそろこの程度のことで動じるような年齢ではなくなるのではないかしら?」
「…ろくでもない持久戦に持ち込むなよ」
俺が恥ずかしがることを諦めたらこいつは次に何をしだすか分からない。ああ、ガキで良かった。精神的に。
「…あるいは、私がこの生殺しな現状に痺れを切らす方が先かしらね」
「……っっ! 息を吹きかけるなっ!」
チェーンソーってのはジェイソンが振り回すことで恐ろしさが倍増するわけで、亜理亜みたいな美少女がそういうことするのは単純に魅力を二乗させる行為になってしまい、非常に危険だ。
「効率的な提案をするわよ? 薄暗い店内。いるのは一組の男女。課せられた仕事は、そうね、私と悠里ならば二十分もあれば処理できる程度のちょっとした量。さて、残りの二時間余りの間に私たちがするべき生産的なこととは何かしら?」
「選ぶ言葉か意味を間違えてますよ二乃舞先輩!?」
「え、先輩プレイさせてくれるの? はあはあ」
こいつヤバイ!
普段は圧倒的なカリスマ性で後輩はおろか先輩たちまで指示出すような出世頭のくせに、絶望的なくらい変態的な本性を持ち合わせているのが二乃舞亜理亜という少女である。
「…冗談はともかくさ、俺朝のうちに他の館も見て回っておきたいんだよ。ビジネス書館とかはいてもあまり役に立たないけど」
「そうですわね。冗談はここまでにして、さっさとそちらの目的に移行しましょうか」
「…まるで最初からお前も同行するかのような物言いだな」
「当然ですわ。秋からのここは私たち二人で指揮をとっていきますのよ?」
色々ツッコミどころがあるが、友人としてせめて至流を頭数に入れてあげろよ!
そんな感じで、この日の朝は元店長が三人出張って各館をフォローした為にスムーズに作業を終わらせることができた。
そして今は一時間目の法学の講義中。
俺は一番後ろの席で早起きと重労働の対価として強制的にスリープモードを実行していた。
「なあ、そういえば今日だよな。附属の子の入学式」
前の席の同級生の会話が耳に入ってくるが、俺は特に気にもせず意識を深層へと埋没させていく。
「ああ、そうだな。受験組の為の正式な入学式は明後日だったか。まったくうちの附属上がりへの扱いの悪さったら酷いぜ」
…確かに、数少ない春休みを一日とは言え帳消しにされることは憂鬱だったな。
「まあ、ろくに受験勉強しないで進学できるだけマシじゃね?」
「それもあるか。あと、部活してる側としては新入生を勧誘する機会が増えるんだよな」
「それでさ、さっき校門でイベントホールに向かう新入生見てたんだけど、一人かなり気になる子がいたんだよ」
……新学期そうそう何やってんだよ。そんなことするくらいなら本を読めや。
「マジで? どんな子?」
「黒髪ロングでさ、スタイルもめっちゃ良かった」
「へえ、顔は?」
「そこが見どころでさ。まあめっちゃ可愛いわけ。童顔なのかな。ただ目つきめっちゃ鋭いのよ」
…………………………………。
「うわぁ、じゃあ性格キツそうな感じか」
「そこ、それがさ、その子校門に立ってる誘導係の人に場所か何か聞いてたんだけど、その時めっちゃ恥ずかしそうにしててさ。そんで教えてもらった後に何度もお辞儀して小走りで去っていったんだよな」
「はあ? 根暗なのかな?」
さあ、と、前の席の奴はその問いに対して肩をすくめるのだった。
……うーん、これ多分、知り合いだわ。
「でもさ、なんか顔立ち見てると附属の頃を思い出しちゃうんだよな」
「え、なんで?」
……だめだ、もう眠い。おやすみ。
俺は夢の世界へと埋もれていった。
「似てるんだよ? 一個上の先輩に同じ見た目で目線キツい人いただろ?」
「ああ、あの氷の生徒会長な。確か書店部の副店長もしてたよな」
「そうその人。なんか彼氏いたっぽいから完全に諦めてたけど、後輩だとなんか期待持てね?」
「…いやぁ、もし妹とかだったら絶対無理。高嶺の花すぎる」
「かなぁ…。マジ可愛いんだぜ? 胸とかもめっちゃあったし」
「そこの君たち、今は法学の授業なんだが判例にされたいのか?」
…結局、目が覚めたら前の二人は黙り込んでいて、居眠りしていた俺はしっかり怒られてしまった。
続




