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書店部の内部事情  作者: 片羽京介
最終章『いくつかの真実を隠したまま迎える終幕』
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最後の言葉



喉が乾ききっていた。無意識に挙動が不審になっている証拠だ。

しかし俺は真実を知りたくない気持ちを内心で押さえつけ、答えを聞きたい気持ちによって何とかその口を開く。


「つまり、おま…深千代さんは、大学でも仕事をしているのか?」

「そうよ。部活がない日はほとんどそちらでね。もちろん大学の書店部と出版社の両方」

「…マジ、かよ」


結果的に、押さえつけた恐怖心が何倍にも膨れ上がってしまった。玲菜を前に愕然とした表情を晒すという屈辱。

玲菜は演技によって性格こそ千変万化するが、むやみに嘘や誇張を振りまくような奴じゃない。その点においては仕事のパートナーとして確証がある。


つまり、今玲菜がさらっと発したその言葉たちは紛れもなく事実であり、それは最早、既に俺たちの勝敗なんて決したようなものだった。



……。



そこから玲菜が始めた話は、おおよそ俺が危惧した真実を少し悪くしたような、胸焼けと吐き気を催す最悪のものであった。



ーー去年の夏、玲菜は部長らの伝票チェックミスの尻拭いをする為に、都心にある新星大学の書店部本部へと足を運んだ。

本部の建物は外装に何の飾りもなく、質素でひたすら堅苦しい雰囲気が漂っていた。

大学の敷地内にあるその建物は、職員室のようなそこそこ静かでのんびりした雰囲気など微塵も感じられなかった。あるのは、ただ雑然と並べられた机の上にいくつもの書類とファイルと書籍が積み上げられ、その隙間を縫う様にして人々が慌ただしく働いていた。

そこにいる大人たちは、ある人は電話越しにひたすら書名と数字を交互に相手に伝え、それが終わるとまた新たな相手へと連絡し、同じ名前と数の呪文を繰り返していた。またある人は、紙束の山の中心に突き刺さったパソコン上で何やら統計ソフトを起動し、目を右から左へ慌ただしくスライドさせては一言二言手元にメモ書きし、再び画面を見つめていた。そのメモ書き代わりのふせんはパソコンの画面周り全方位に張り巡らされており、さながらハリネズミの様相だった。

そして鳴り止まない電話の音と、それに負けないくらい飛び交う声。

玲菜には彼らが忙しさに取り憑かれ、動きを止めれば死ぬ呪いにかけられていると思ったらしい。何ともお粗末な第一印象だが、それほどに本部の人々の慌ただしさは異様な光景だったのだろう。


彼らの息の根を止めぬ様、玲菜は細心の注意をはらって入り口手前にいた本部スタッフに声をかける。そして気がつけば差し出していた書籍はひったくられ、いくつかのサインと捺印と少しの小言と共に手元に返されていた。既にスタッフは玲菜に目もくれず、いくつかのファイルを抱えてコピー機の方へと小走りに駆け寄っていた。


…玲菜は今まで自分を仕事を丁寧にこなせ、かつ早く的確に済ませることができる方だと思っていた。確かにそれは誰がみても肯定するだろう。しかし、そういった“仕事ができる”という自信は、目の前の現実を見て簡単に崩れ去った。少し勉強を効率的かつ継続的にこなせてこれただけで、日常や書店部という社会の末端で思うがままに立ち回れただけで、何を自分は思い上がっていたのだろう。

大学からの帰路を、玲菜は数年ぶりに打ちのめされた気分で歩いたという。

俺はここまで聞いて、初めてこいつが真面目に将来を考えていること、そのことに気負いまくっていることに気がついた。

ずっと近くにいたのに、そういった内心の揺らぎはいつしか俺には見えなくなっていたらしい。



「だから、私はその夜から挑むべき壁を明確にした。朧げだった頂上を視覚に捉えた」


それは、附属高校の書店部に身を置きながら、大学本部の修羅場に飛び込んでいく決意を固めたということだ。普通ならその忙殺の具現を見て、相対的に学生の我が身を可愛がるものだろう。しかし玲菜にはそういった楽観的な物の見方はできなかった。それどころか玲菜は、自分もその忙しさの中に身を委ねたいとすら思っていたという。


「…そんなに仕事するのが好きなのか?」


お前はそんな奴だったか? というニュアンスを含んだ俺の問いに玲菜は。


「仕事は麻薬のようなものよ」


と、訳のわからない回答をよこすのだった。


そして、本部での体験から二日と経たずに玲菜は次の行動に出る。それは如何にして高校生の自分が大学の中に働ける居場所を構築するかということで。


「ここがなかなか苦労した所ね。まずは部長に相談してOBづてでアルバイトの斡旋なんかできないか聞いてみたんだけど、生憎それはどれも高校生不可のありふれたものばかりでね。私にはそもそも資格がなかったの」



まだ玲菜がありふれた価値観を持っていたのならば、そこで諦めて書店部という箱庭で頑張ろう心機一転を図れただろう。

しかし、こいつはとことん常識はずれだった。


「で、理事長を頼ってまずは大学の書店部で面接。どうして働きたいのかとか、勉強や自分の方の店はどうするのかって問いに対して、用意していた答えを熱く語ってみせたわ」


その見てくれから面接の印象は言うまでもなく、質問に対する論理的で好印象な回答を用意する周到さも、そしてそれらを熱く語る演技の迫真さも一から聞くまでもない事だった。


かくして玲菜は最高の好印象と共に大学の組織に仲間入りし、持ち前の魅力と技量で周囲に取り入った。そして玲菜が再び本部の喧騒に、臨時スタッフとして足を踏み入れたのは去年の年末のことであった。


…なるほど。だから年末年始はほとんどシフトを入れてなかったのか。お陰で俺とアオイが出ずっぱりになったのにはそういうカラクリが。


あとは下らない予定調和だった。案の定、大学側に気に入られた玲菜を、理事長含めて多くの人間がそのまま上へ進学させることを希望した。そしてその希望は既に確約へと変わっているらしい。

一介の私立大学に過ぎない新星大だが、身の内に出版や小売を内包している為、なかなか企業じみた体質をしている。そういった他大学と違った思考で動く組織だからこそ、進学前の生徒の囲い込みなんてことが平然とまかり通ってしまうのだ。

まあこいつの成績ならばそのまま難なく上がれただろうが。


…普通は、たとえ大学の附属高校に在籍していようとも、成績や素行が悪ければ推薦はもらえないはずである。玲菜はあろうことかその逆に在学一年半で推薦の権利を勝ち取ってしまった。


……。


「生徒会長補佐っていうのも、理事長が新設して与えてくれたものなの」

「…そうなのか」


てっきり剣崎先輩の思いつきかと思っていた。どうやらその役職は俺の想像よりも遥かにオフィシャルな地位であるようだ。


「……それって、なんかさ…」


……。


「どうしたの、店長?」


俺は何かを言おうとして、結局言えずに口をつぐんでしまう。

こんな決定的に勝敗を突きつけられているというのに、俺は理性とは真逆なベクトルの意見口走ろうとしていた。


……。


「??」

「…あまり危ないこと、するなよ」


結局、衝動的な感情を抑えることができず、しかし明確に相手に伝わることも恥ずかしがった結果、ただの乱暴な指摘に留まってしまった。


何ていうか、社会って汚れきってるようなイメージがあるから、さ…。


玲菜は俺の要領を得ない言葉を聞き、先ほどまでの自信ありげに見下したような目線をやめた。その代わりに、表情から温かみが消えた。


もう、閉店してから何分経ったのだろう。用務員のおっさんは何をしているんだ。俺は一刻も早くこの苦痛の時間から解放されたいのに。


「店長」

「…ん?」


とっくに五分は過ぎているのに、二人共書店部であることをやめない。

いや、やめられないんだ。

今の俺たちは、とりあえず始めた高校という第二の戦場の勝敗を決しようとしている。

そのことを、悲願していたはずの戦いの決着を、何故か今は素直な心で受け止められないんだ。

それは何故かを、今の俺は追求することができない。


「こんな感じで、私は陰で色々とやってきたのだけど。何か言いたいことはあるかしら?」


……。

それでも玲菜は求めてくる。“優劣が決まった後の二人の関係”を求めてくる。


「…言いたいことは、ないかな。俺の完敗だ」


…もう、どうやっても俺が生徒会長になることは無いのだと知った。剣崎先輩の期待に応えられないと知った。

そして何より…。


「最後に一つ聞かせてくれない? 深千代さんはどうして生徒会長になりたいのかな?」

「将来の為に、ここでできる経験は可能な限りしておきたいからよ。そんなの、言うまでもないでしょ?」


玲菜は、俺との関係を解消しようとしている。

目を合わせずに返答してくるのがその証拠だ。

それは仲直りとかではなく、文字通り関係をゼロにしようとしているのだ。過去の因縁に囚われず、大学で目にした未来への壁に挑もうとしているから。将来に関心を持つようになったから。


「…少しも気づかなかったよ。色々と、さ」


玲菜は、一月ほど前に再び会話を交わしたときには、もう俺を見ていなかった。

その後に見せた笑顔も、照れも、焦りも、涙も。全て今日という決定的な決別を突きつける為のカモフラージュだった。

俺と玲菜には、もう成績とか技量とかではどうにもならないような差が開いていた。それはそのまま俺たちの心の距離となってお互いの間に横たわっている。


……。

駄目だ。何を今更、俺は…。


「…悠里」


玲菜が、唐突に演技を解いた。俺は一気に心が脆くなったような気がした。

その証拠に、呼ばれたのに言葉が口から出てこない。


「悠里」

「…っ、なんだよ」


絞り出した返事には何とも幼稚な響きがあった。俺は改めて自信の傷心…小心者具合に辟易した。

玲菜はそんなことも気にせず言葉を続ける。


「あたしからも、一つだけ質問いいかな?」

「……」


この上に玲菜は何を話したいというのだろう。俺はもう何もないのに。


「悠里、今の学校生活は楽しい?」

「…っ」


それは、俺がかつて玲菜にした質問だった。こいつをクラスに馴染ませたくて、本心を聞き出すために問いかけたのだ。

それを今、逆に問うてくるというのは…。


「どうなの?」

「…そんなの、楽しいに、決まってるだろ」


即答、できたと思う。少なくとも内心の迷いを顔に出さずに答えられたと思う。


「だって、そうだろ? 今の俺には居場所があるし、親しい先輩も後輩も、同級生も、いるんだからさ」


そう“弁解”する様は、我ながら自分に言い聞かせているようだった。

胸がざわつく。原因を探ろうとすると、心にとても切ない感情があふれ出してくる。


なんだよ、これ…。


「悠里。今から言うのはあたしからあなたへの最後の言葉」

「…え?」


ようやく、俺は玲菜と久しぶりに目を合わせた。その双眸には今まで見せたことの無いような温かみと、寂しさが映っていた。

いや、違う。それはいつかまでは当たり前のように見せていた表情。俺にだけ見せてくれていた笑顔だった。


「悠里がもし学校を楽しいと思っているのなら、誰かの作戦はとりあえず成功。でも、誰かの願いとしては逆」

「…玲菜っ!」


俺は思わず、感情を露わにする。それは自分の心と向き合った結果だった。


玲菜はしかし、俺からの追求を避けるようにして店を飛び出して行ってしまった。それは後から考えれば突発的な行動だったのだが、当時の俺には玲菜が俺を拒否したという事実だけがただショックだった。


時刻は10時半を回った。照明の落ちた廊下と対象的に、店にはまだ煌々と明かりが灯っている。


もう、生徒会長への道が途絶えたことなんかどうでも良かった。先輩とか後輩とか、誰かと関わることなんかどうでも良かった。



…最後の最後に、こんな気持ち気づかせやがって。


中学後半のときのようにやさぐれた訳じゃない。多分、明日からも俺は店長として店に立っているだろう。

それでも、今の瀬名悠里はこの時、死んだんだ。






「ーー瀬名くん」





大切だったはずの奴の顔を思い浮かべながら、俺は背後から誰かに名前を呼ばれたような気がした。







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