いつもの水曜日(後編)
主人公とヒロインの関係性が垣間見える回です。
いつもの水曜日(後編)
この辺りで、我が書店部について詳しく説明しておくとしよう。
主な活動は一般的な書店業務そのものである。
加えて、校内における教材の販売案内や、昼休みに行った一般書籍の新刊案内等も活動の一環だ。
夏になれば課題図書、秋の夜長に文庫フェアなどなど、イベント運営もほとんど自分達で行い、場合によっては図書委員会や文芸部などとも合同で活動する。
部員は現在12名。一日3〜4人で店を回し、日替わりでローテーションとしている。
部長達三年生は受験勉強の関係で土日のみの参加だが、一般の人も利用するのでやはり土日祝日が一番混む。そんな週末を請け負ってもらえるだけありがたい。
学校主体の店である為、例えば試験期間中や夏休みなどは、顧問の先生や母体の大学運営委員の人達が出向いて来てくれる(それでもいつもより営業時間は短縮している)
元より、生徒が授業を受けている間は先生と購買部のパートさん達がレジ番をしてくれているので、やはり100パーセント生徒経営という訳ではない。
それでも、出版社の営業さんとフェアの打ち合わせをしたり、地元を紹介する本が出たときは最寄りの駅前で出張販売を行ったり、といったことは全て俺たちの判断に任せられている。
時給換算で給料も出るし、開店した当初は結構な数の部員がいたと聞いている。
また最初の頃は、その「学校の中にある書店」という珍しさから、集客も今より倍近くあったそうな。
…一方で学生専用のフロアーまで一般の人が入ってくるようになって大いに混乱していたとも聞いている。今はその領域にゲートが設置されており、通るには学生証が必要な為、そのような問題は解消された。
それでも県の教育委員会からは常に厳しい目を向けられており、存続にあたっては大人達の緻密な取引が行われているらしい。
ーー書店部の表向きな内部事情は、こんな感じだ。
……。
…。
店裏の一室が部室になっており、ここが更衣室兼休憩室となっている。
広さは教室の半分くらいか。日に3人程で使うには持て余し気味だが、各々が私物を大量に持ち込んでいる為、最近は多少窮屈にすら感じる。
俺は自分のロッカーに上着を押し込み、代わりに取り出した緑色のエプロンを着用する。
エプロンの中には、書店員三種の神器「ハサミ」「メモ帳」「多色ペン」が入っている。
ハサミ以外は消耗品で割とすぐ使い切る為、購買部に頼んで格安価格でまとめ買いしてある。
すごくどうでもいい話を一つすると、俺が所持しているハサミは歴代の店長達が使用してきた伝統ある逸品だ。
名を「アブソリュートシザーフォース」と言い、正直バトルモノの主人公が愛用していてもおかしくないほどのシャープなフォルムと性能を持つ。
現部長曰く、「概念以外の全てを裁断できる」らしい。
歴代の店長達の頭の度合いが知れる逸品だ。
「ーーさあ、水曜日だ」
一度、ロッカーの鏡に映し出された自分に向けて、静かにそう言い放つ。
水曜日は嫌いだ。精神的に試練の日だ。
校庭からは既に、野球部やテニス部らの活き活きとした声が響いている。
読者は文化系活動だが、書店業務は体育会系である。つまり、外で駆け回る彼らと同じだ。
…心がへばると、肉体労働も辛くなる。
だから負けるな、鉄の心を持つんだ俺。
握った拳を前に突き出し、一息吐いた後、俺は店先に向かった。
「お疲れ様です、先生」
レジでスポーツ雑誌を読んでいた顧問の福田に挨拶する。
お客はまばらで、帰宅部の生徒が雑誌を立ち読みしている程度だ。
「おう、一等の前後賞君」
昼から購買部のパートさんの後を継いで、放課後まで先生にこの店を見てもらっている。
商品知識は皆無だが、女子部員が大半のこの部活では頼りになる存在である。
「お前は多方面からモテやがっていいよなぁ」
「いや、初耳っす」
「ん、そうか。そういや全然モテてないな」
かなり適当な性格をしている。
そのうちレジでタバコでも吸い出しそうだ。
そして読んでいるソレは売り物!!
「じゃ、あとよろしくー」
そう言って福田は、レジにいる俺と文庫本コーナー辺りに手を振って職員室へと戻って行った。
……なんだ、もう来てたのか。
福田が手を振った方など見向きもせず、俺はレジで新刊の配本表に目を通し始めた。
……。
…。
「お疲れ様です、先輩」
十分ほど後、エプロンを着た華宮アオイが出勤してきた。
一番小さいサイズのエプロンでさえ、彼女の背丈には大きすぎるようで、こうしてちゃんと着用してくることは稀である。
「ういっす。制服の汚れはアルコールで叩くようにして落とすんだぞ」
「……なんですか急に。別にスパゲッティなんかこぼしてませんから」
そっぽ向かれた状態でレジに入ってくるアオイ。割とおっちょこちょいな所がある点は奈留に通じるものがある。
「あ、おはようございます。深千代先輩」
ちょうどその時、文庫本コーナーにいたらしいクラスメートがレジカウンターまでやって来た。
「おはよう、アオイ。朝はあの後間に合った?」
「はい。やっぱり朝練の最終ラインは8時45分が限度ですね」
深千代玲菜の胸元にはいくつかの文庫本が抱えられていた。先週売れた書籍の補充分だろう。
今日はこの三人で店を回していく。
「おはよう、店長」
「おはよう、深千代さん」
ここで、本日最初の深千代との会話。表情はお互い営業スマイルだ。
「今日はあまり、書籍の入荷はなかったようだね」
「ええ。だから夜から児童書のストッカー整理をしようと思うの。先にやっておいてほしい事、ある??」
「いや、ないよ。任せる」
了解、と言って、深千代はまた店頭へと戻って行った。
「瀬名先輩。今日も放送流れてましたよ?」
アオイは無邪気なニヤニヤ笑いをしながら、本日の昼休みの事件を振ってきた。
「先輩が変なこと言ってるからご飯吹き出しちゃいました私」
「ああ、それでパスタどばー、か」
「ぅ……」
トレーシングペーパーのように心情が透けて見える奴である。
「にしても、俺そんな変なこと言ってたか?」
「言ってましたよう。一等の前後賞とか昨晩の閉店後の話とか、あとあと深千代先輩のことも……」
そこまで聞いて、俺はレジカウンターに本を持った学生が近づいてくることに気づいた。
「お、華宮、お客さんだ。よろしく」
そう言い残して俺は店奥へと消えた。背後からはアオイの、多少あたふたした「いらっしゃいませ」が響いてきた。
……なるほど。松方副会長の
言った通りだな。
言動には注意することとしよう。
……。
…。
その後は、少し忙しいがいつもの水曜日の放課後であった。
幸いにして補充分の書籍(売れた本が一週間ほどして再入荷したもの)が少なかった為、この日は割と時間に追われず作業をすることができた。
「お兄さんよー、今朝NHKKで紹介してた本どこにあるんかのう?」
「腰痛は歩いて治せ、でしたっけ?アレ今品切れて注文になっちゃうんですよー」
「英検の申込みをしたいんですけど」
「かしこまりました。願書のご記入はお済みですか?」
「悠里、俺の注文したワンピまだ入ってない?」
「あー今日まだだわ。明日あったらメールするよ」
「瀬名団長…」
「団長…」
「ーー金曜の夜まで待つのだ」
…こんな感じで、休憩もとりつつ夜まで時間は順調に経過した。
……。
…。
「では、先輩たち、お先に失礼します」
「うい、お疲れー」
「お疲れ、アオイ」
そうして午後8時。本日の部活を終えたアオイが先に退勤する。
胸元の汚れをバッグで隠しながら下校する様は、さながら眠れない夜に枕を持って母親のベッドに忍び込む子どものようであった。
「……」
「……」
…………。
その後の閉店までの一時間は、客も数人出たり入ったり程度で、それへの挨拶以外は静寂が支配する空間となった。
俺たち二年生は、平日はこうして閉店までのシフトを任されている。
店長と副店長は率先して店頭に出るという伝統がある為、火・金は俺が、月・木は深千代が、そして水曜日は二人で閉店までの業務となっている。
「……」
「……」
…………。
店内から聞こえてくる音は、レジの微かな駆動音と、店内で作業をしている深千代が立てる僅かな本を整理する音のみ。
彼女は時々カウンターまで本を置きに戻ってくるが、その際もお互い目を合わせることもないし、当然会話なんか一言もない。
おそらく、アイツ的にはもう自分一人しか残っていないような感覚なのだろう。俺がそうであるように。
…カウンター裏の窓から外を見やる。
そこには既に野球部らの影も見当たらず、黒で塗りつぶしたスケッチに、数滴垂らした水滴のような滲んだ外灯がうかがえるだけであった。
……。
…。
「ありがとうございました」
閉店時間直前、最後の客に声かけをし、俺はカウンターから離れて閉店作業を始める。
念のために、閉店後は店の領域に防護ネットをかけておくのだ。
監視カメラも設置されてはいるが、画像もコマも荒い為、正直半分飾りとなっている。
壁を挟んで向こう側が職員室だということは生徒のみならず、表札で一般客も認知しており、それが一番の万引きへの抑止力となっている。
…俺がネットをかけている間に、深千代は明日入ってくる雑誌の場所空けを完了させ、特に挨拶もせずそのまま各々帰宅するのが習慣である。
ーーもちろん、このような習慣は、部員も顧問もクラスメートも、誰も知らない。
ふう、今日も無事に終わってよかった。
主に8時以降のことなのだが、俺はネットをかけ終わって、一人胸を撫で下ろす。
アイツはもう、帰っただろ。
店内を見渡し、人のいないことを確認すると、俺は照明を落として部室へと戻った。
部室にももちろん深千代はいなかったが、彼女の(とアオイの)香水だか何かの匂いが室内に残っており、改めて男女同室の更衣室でもあるという事実を目の当たりにする。
「………」
多少ながらも赤面しているだろう自分に大層辟易した。
乱暴にエプロンをロッカーに投げ込み、鞄を担いで足早に部室から出ようとする。
と…そこに。
ーーガチャッ
掴んでいたドアノブが不意に回転し、扉がおもむろに内側に開かれた
一度帰ったはずの深千代が、戻ってきたのだ。
「あ……」
「………」
深千代は微かな驚きの声を漏らしたが、すぐにその大きく開かれた瞳は…。
細長く…そう、据わった目つきに変わった。
おそらくは、俺もそのような目をしているのだろう。
一般生徒なら、この「高嶺の花」こと深千代玲菜との深夜の部室での邂逅に心ときめかせてしまうのかもしれない。
加えて、どうやら少し小走りで戻ってきたようで、息遣いが若干荒く、上気した頬にはだけた制服という状態の彼女を見てしまえば、高校生なら一晩中瞼に焼き付いて離れないだろう。
しかし、俺と彼女の世界にはそんな「幻想」は存在しない。
冒頭で言ったように、ここは魔術も超能力も存在しない、面白み最小限の現実世界。
俺たちは、その現実世界の魔王と魔王である……それだけだ。
「……」
「……」
冷酷で無慈悲な視線が交差すること数秒。
その後、どちらからともなく扉
を離れ、俺たちは隣り合わせの自宅へと別々に帰宅していったーー。
続