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書店部の内部事情  作者: 片羽京介
第四章『瀬名玲菜』
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純情と純情


夕方。文芸部の部室は静寂に包まれていた。

かすかに聞こえてくるのは、建物を挟んで向こう側の校庭から聞こえてくる部活動の声と、奈留がページをめくる音くらいであった。


無音の俺はというと、奈留に持ってきてもらった恋愛小説を流し読みする作業も疲れたので、背表紙の内容紹介の部分だけにひたすら目を通していた。紹介の無いものは省き、面白そうな作品だけを手元に積んでいった。


やがて部室には白熱灯が灯り、真っ赤な夕陽は遠くの濃紺に沈み込んでいった。


「どう? 参考になった?」

「うーん、なんかイマイチ実用的な知識は得られなかったかなぁ」


俺がそう漏らすと、奈留は読書を止めてこちらの隣に移動してきた。

そういえば、そろそろ部活も終わりの時間だ。奈留は何時までここにいるのだろう。


「この積んである本が読んだもの?」

「ああ。読んだって言っても登場人物の男女が付き合い始めた辺りを適当に、だけど」

「ふーん…」


そう言って奈留は、俺が参考にした作品たちをパラパラと眺め始めた。

…なんか、奈留の読書中の表情って好きだな。ぱっと見は感情の無いロボットみたいなんだけど、時々そこに驚きや笑みが浮かぶのだ。本を読むことに没頭しているのと、作品に一喜一憂する素直さが奈留らしくてついつい見入ってしまう。


一冊五秒ほどのハイペースで流し読みを終えた奈留は、しばらくその場で考え込んだ後、こんなことを俺に問うてきた。


「瀬名君さ、女装とかしたことある人?」

「うぇ?!」


思わず変なリアクションをとってしまった。いきなり何を言い出すんだこいつは。

別段、奈留の目に冗談や冷やかしの色は感じられない。そして俺自身そんな嗜好は持ち合わせていないはずなのだが、否定する寸でのところで中央高校に潜入した先週の一件を思い出してしまった。


「ど、どうしてそんな風に思ったんだ?」


背中に嫌な汗が伝う。

思い起こせば中学校の生徒会選挙の時も、玲菜を破滅に追い込む為に渾身の変装を試みたのだった。しかも結果は俺の上を行く玲菜の七変化で敗北だったし。


「私ね、その人の読んだ本をいくつか聞いて嗜好や性癖を分析するのが趣味なの。完全に私の

独断と偏見に基づいた診断だけどね」


巻きに巻いた髪の毛を弄りながら、奈留は少し恥ずかしそうにして自身の癖を告白する。


「それによるとね、瀬名君の選んだ本は、まあ全部恋愛小説な訳だけど。その中でも君は、ほとんど女性が主人公の作品を選んでいるんだよね」

「マジでか…」


そんなこと少しも意識していなかったぞ。でも言われてみれば、確かに俺は女性の恋愛心情に主眼を置いて本を読み漁っていた気がする。それは女の人の気持ちの方が恋愛を知るには参考になるだろうと思ったからなのだが…。


「つまり、恋愛を無意識のうちに女性の気持ちとして捉えていたってことだよね。わたし的に恋愛に対するスタンスって、その人の本性を投影していると思うの。素の自分が特に表れる部分だと思うから」


奈留が饒舌な口調で持論を述べている。その熱心さには最早俺が横槍を入れる余地など存在しない。


「それで瀬名君は、例えばこの『セカチュー』とか男性視点の恋愛小説に一切見向きもせずに、ひたすら女の子目線の作品を選び抜いた。私も選ぶ時に男の子だから、って思って男性視点の本を結構選んだつもりだったけど、瀬名君それらを全て弾いてるよね」


……。


なんだろ、大したことではないのに自分が異常者みたいに思えてくるんだけど。


「でもね、だからといって別に瀬名君が同性愛者かっていうと、違うじゃない?」

「当たり前だ!」

「そうだよね。玲菜さんとの接し方見ててもそう思う。あくまで恋愛の対象は異性。でも恋愛に関する思考の根幹も女性。これってつまり…ホームズ、君には女装癖があるのではないかな?」


……。


真顔で言っているが、もしかしてホームズネタはギャグではないのか?


「…いやあ参ったね。まさかこの僕がそんな嫌疑をかけられるとは。ワトスン君には申し訳ないが、その疑いには胸を張って否定することができるよ」


とりあえず、いつもの新海文庫版ホームズのノリで返す俺。ちょっと心を落ち着かせる為に駆け込んだ文芸部室であったがとんだ濡れ衣をかけられてしまった。

あっちでも演技、こっちでも演技かよ。


「確かに僕は昔から精神的に未熟なところがあって、よく女子から頭に髪留めとかをつけさせられたことはあったがね。それでも僕は生まれてこの方、ずっと男であり続けてきたわけだよ」

「や、君はそう思っていても、実は無意識のうちに異性のファッションに興味を持っていたんじゃないのかな? 実際女装癖の男性は自身が異常だと第三者に見られるまで無自覚なケースが多いと聞くよ」


何それ、めっちゃ怖いじゃん。根拠のない話なのに不安になりそうだよ。

…でもな。


「うーむ、それでもあり得ないよ。君は一つ重要なことを忘れているからね」

「ほう、それは何だい?」

「僕が奇行に走ると、スコットランドヤードが黙ってはいないんだなあ」

「……ああ」


今日はそっち役なのね、と奈留は呟く。事象を否定する証明というのは容易ではないが、この場合はあいつの大正義加減が十分な証拠となってくれるだろう。

その為に、俺は一つの苦い思い出を引き合いに出すことにした。


「仲良しな時も険悪な時も、僕は常に彼女からマークされていたよ。特に中学生の頃は酷くてね。とある事情を白日の下に晒されて、教師は退職し、僕は停学と副会長権を剥奪されたことがあるんだ」

「……え?」


奈留が急に素に戻った。何気なくこぼしたその過去は、やはり他人にはインパクトが強すぎるようだ。


「その後の中学後半は酷い有様だったよ。女子は誰も口を聞いてくれないし、そうなるとほとんどの男子も不通になってしまってね。いやはや、多感な中学生時代に随分な経験をしてしまったものさ」

「…それ、本当?」


心の底から悲しそうな顔をしながら、素の奈留が問いかけてくる。俺はそれに、目を閉じて肯定の頷きを返す。


「ま、自業自得だから仕方ないって思っていたけどね。ただ、その件以来、俺は玲菜に罪悪感を抱くことはなくなったよ」

「罪悪感?」

「あ…いや、気にしないで」


この件に関しては、今は全ては語らない。生徒会長になるには足を引っ張る過去でしかないからな。

この学校にも同中の生徒は数人いるが、当然入学時に話はつけてある。少し強引な手を使ったこともあったが、今では皆口をつぐんでくれている。


…そういった現状も含めて、奈留には知ってもらいたくはないのだ。


「…玲菜さんがそんなことをする人だなんて、私には信じられないよ」

「別に玲菜も悪いことをしてるわけじゃないからな。基本悪は俺だと思ってくれていいよ。ただそれは昔の事だけだ。今は違う」

「……」


俺は再び背中に汗を感じた。どこで話が逸れたのかは分からないが、奈留との関係にヒビが入りかねない危険な状況になってしまった。濡れ衣の解消の為とはいえ、いくら心許せる奈留でもやはり話すべきではなかったか。


「奈留…」

「え」


俺は気づけば、膝に置かれた奈留の手を両手で握っていた。

お前は一番の友達だから、どうか信じてほしい。


「もう、昔みたいに道を誤らない。確かに今でも問題的な言動は目立つかもしれないけど、俺はもう誰も傷つけないと誓うよ」

「あ、あの…えと…」


一年の春、屋上で聞いた奈留の朗読劇を俺は未だ鮮明に覚えている。あの出会いがなければ、俺はもしかしたらまた同じ過ちを繰り返していたかもしれない。こうして今、書店部の店長をしていられるのは、間違いなく奈留のお陰なのだ。

思い起こせば、この新星高校での思い出の半分は玲菜との影の戦いだが、もう半分の大部分は奈留との記憶である。


今さらながら俺は、奈留に対して特別な感情を抱いてしまった。それは一番の親友という関係を超えたもののような気がして…。


「……」


俺は奈留に、そのことを感謝を込めて心から伝えた。

実に学生らしい、突拍子もない友情表現だと思った。

人見知りな奈留の顔は真っ赤に染まっていた。


…友情…表現?


「…私、瀬名君の役に立ってたんだね。すごく嬉しい」


そう言う奈留はいよいよ泣き出しそうである。こんなに情に脆い奴だったとは、少し意外だ。

つられて、こちらも顔が熱くなっているのを感じた。


「私、あまり人と接するの得意じゃないし、一緒に放送委員やっていても迷惑ばかりかけていたから…」

「奈留は俺や圭太の前では明るく話せるじゃないか。いずれその本心が誰にも見せられるようになるよ。放送委員に関しては、お、俺が無理やり引き入れたんだから、気にすることはないさ」


いつものように励ますつもりだったが、何故か俺は奈留を直視できなくなっていた。それだけならまだマシだったが、視界から外れると、次は奈留の果実系の優しい髪の香りが鼻孔をくすぐり、そっちから胸がドキドキしだす始末だった。


「……瀬名君?」

「ん、なに?」


しばらく動きを止めていた俺を不審に思い、奈留は下からこちらを覗き込んできた。

とっさに俺は目線を逸らし、距離を置いて自身の胸に手を当てた。


…やばい、めっちゃドキドキしてる。

不思議な感覚の中に、何故か既視感があった。


「どうしたの? 大丈夫?」

「ああ、気にしないでくれ」


そう返しながら、俺は机に広げたシャーペンやらノートやらを鞄に押し込み帰り支度を始める。

頭の中では、先ほど感じた既視感の正体が段々と形を成し始めていた。


「悪い、ちょっと急用を思い出したから帰るわ」

「え、じゃあ一緒に帰ろうよ」

「うーん、ごめん。多分迷惑かけるから先に帰るよ。じゃ!」


そう言い残して俺は一目散に部室を抜け出そうとした。


「ま、待って!」


真っ暗な廊下まで飛び出した俺だったが、背後からの呼び止めに思わず足が止まってしまう。

一呼吸置いてから、俺は平静を装って奈留の方へ向き返る。


「…あの、急いでいるみたいだから簡単に言うね。

…わ、私は、瀬名君の言うことなら何でも信じるよ。あと、女装癖とかあっても、あるいは時々悪い事考えていても、そばにいたいっていう気持ちは変わらないと思う。だから、そんな心配そうな顔、しないでよ…」


…………。


俺は、結局走り去るまで何も言葉を発しなかった。

ただ、奈留の目の前で顔が再びカーッと熱くなり、首元まで真っ赤になったような感覚を覚えてすぐに走り出した。

俺の豹変を見た奈留は、驚いたような顔をしていたな…。全く玲菜といい奈留といい、俺の周りには心が読めそうで読めない女子が多すぎる。


学校から脱出することばかり考えていた為、俺はつい無意識的に最短ルート上の書店部の前を通過してしまっていた。しかし今更そんなことを気にしていられない。


「ああ、困ったな」


走りながら、そんなことを呟いていた。実際のところ何に困っているのかはよく分からない。

ただ、先ほど感じた既視感の中にその一端が垣間見える気がする。



ーー入学以来ツルんできた男友達。

ある日、ちょっとした外的要因からそいつに今までの思い出を感謝と共に伝える。

そして、照れ臭そうにその言葉を受けて優しく微笑む友人。

その時、“彼女”の中で不思議な感情が芽生える。

途端、胸の動悸は早まり、友人を直視できなくなる彼女。

逃走の際にかけられた一言に再び胸の高まりを感じ、脇目も振らずに走り始める。



いや、ホント困ったぜ。

俺、さっき読んだ小説の主人公と全く同じ行動してるじゃん。


校門を出てしばらく走った後、俺はおもむろに後方を振り返る。

魔王の根城に見えていた闇をたたえる夜の校舎。その隅に佇む部室塔に灯る小さな明かりにすら、俺の胸は密かに高鳴るのだった。







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