世界の半分を象るもの
短いです。
俺が半泣きで階段を駆け下りていると、一階の廊下を通り過ぎる銀髪の少女が目に入った。
金曜以来だったので声をかけたかったのだが、今の状態を後輩に晒すというのも情けないのでここは素通りしよう。
そう思って後ろを通り過ぎようとしたのだが…。
「アオイ、例の先輩いるよ?」
「え?」
親切なことにクラスメートと思われる後輩が俺に気づき、アオイにそれを教えていた。というか、俺はすでに『例の先輩』で通るのか。一気に問題児になったような気分だ。
「あ、先輩!」
俺を確認したアオイが大きな声でこちらへ呼びかけてくる。だが今回は応えるわけにはいかない。平静を装ってはいるがいざ話しだしたら絶対にきょどってることがバレるだろう。
「…ごめんっ!」
なので俺は、ロクに彼女の方すら見ずに下駄箱とは逆方向へと走り去った。
アオイが寂しそうにその姿を見送っている様子が目に浮かぶようで実に胸が締め付けられる。
あとでちゃんと謝っておこう。
そんな傷心と罪悪感でボロボロな俺が行き着いた先は、教室でも当然書店でもなかった。
こういう場合、後は図書室等がありふれた学生の放課後校内スポットだが、俺はとある事情から図書室へは入ることができない。あの図書委員長の口が固いおかげで大事には至っていないが、もしアレが玲菜や生徒会に知られれば俺は停学を免れないだろう。
そういう意味では彼女の子分である圭太は色々と貴重な友人なのだ。
などと少し話が逸れてしまったが、とにかく俺が放課後を学校で過ごすとしたら、もうここしか残っていないのである。
「…まあ、私は別にいてくれて構わないけど」
そこは一階の離れにある部室塔。体育会系の煩雑とした部室の連なる片隅に、覗き窓から見ても本が所狭しと敷きつめてある部屋が一つある。そここそが新星大学附属高校文芸部の部室で、奈留の根城である。
元々は文芸部に体験入部という形で去年から出入りさせてもらっていたのだが、現部長の古川先輩が『不法滞在だ!』と一年経ってからようやく糾弾してきた為、しばらくは近づかないようにしていたのである。
「すまん、恩に着る」
俺はその古書店のような四畳半ほどの空間の端で、奈留が冬に膝元にかけるブランケットを頭から被ってガタガタと震えていた。
魔女に最上級の呪いをかけられた直後なので、小悪魔としてはいつ昇天してもおかしくない心境だった。何せあのシチュエーション、あのやり方だったからな。
「時間をかけてゆっくりと浸透させられた感じだぜ。最悪」
目を閉じると、あの光景はおろか、暑さや音まで思い起こされて汗が出てくるので、俺は瞳を閉じずに虚空を見つめ続けている。
…正直、玲菜の演技力には絶句せざるを得ない。あいつは演技の為なら自らに火を放てるのか。
そして恐らく、あいつは今回の経験でまた演技の幅を広げることだろう。あの時のあの空気、そして自身の中に生じた感情を玲菜は徹底的に研究する。研究した挙句、自らの表現力の一部に取り込んでしまうのだ。たとえ先ほどの動揺や照れが本心からだったとしても、次に同じ表情を見た時は、それは恐らくあいつの演技であることだろう。
「…何があったか、聞いてもいい?」
「同級生にナメられてたから『お前の瞳に煌めく星の数を数えていたいんだ』って言ってやろうとしたら、酷い返り討ちにあった」
「…ゴメン、分からないや」
やはり身の丈に合わないことはやるものではないな。もっと有夢の部屋の本で練習しよう。
「…本といえば」
「うん?」
俺は羽織ものを取り、周囲に敷き詰められた本棚を適当に物色する。今は俺と奈留しか部室にいないので、特に気兼ねすることなく本を物色できる。ふてぶてしい奴だと思われるかもしれないが、ここにある去年から増えた新刊書籍は、全てウチの店で俺が部員割引を適用して買ったことにした本たちだ。加えてこの部の予算減案に反対を唱えて学生にとっての読書の大切さを訴え減額を免れたのも俺と玲菜の働きかけがあったからこそだ。
「なんか恋愛の手本になるような本ってないかな?」
「れ、恋愛?」
意外、そんなの読むんだ、と言わんばかりのリアクションの奈留。まあ実際のところ読んだことはない。
「書店部の販促活動の為に必要なんだよ」
「ああ、そういうこと」
納得した文芸部員は、おもむろに棚から本をポイポイと抜き取る。その手際の早さは流石といったところか。
数分後、俺の目の前には山盛りの恋愛小説が置かれていた。
その量たるや、人一人が背後に隠れられるほどである。
「こ、こんなにあるの?」
「そうだよ。世界の半分は恋愛小説でできているからね」
何とも文芸部員らしいロマンチックかつ哲学的な表現である。きっと奈留はこんなことばかり考えているに違いない。
俺は感謝をしつつ、その中で面白そうな小説を数冊取り出して読み始めた。
奈留はその様子を嬉しそうに見守っていた。
続




