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書店部の内部事情  作者: 片羽京介
第三章『期間限定イチャラブキャンペーン(死)』
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恋愛労働手当て




あの後は結局、お互い一言も会話をせずに閉店の時間を迎えた。


笹本が散々俺のマネ(『は? 理事長ちょっと?』)を繰り返すのでその時だけは笹本を注意したが、後は終始無言に徹した。


お互い、これからの身の処し方を受け入れられないが為の沈黙である。


ーー理事長あのおっさんは卒業後、刑に服さない程度にボコる。

武闘派でもなんでもない書店部の店長と服店長の共通認識である。



この日はお互い限りなく素の状態のまま閉店作業に従事していた為、怒られた後の笹本は終始「?」状態であった。


そして俺と玲菜が一度だけ店頭で目を合わせてしまった時、その視線の間に立っていた近所のおばあちゃんは「おっかねぇ!」と叫んで逃げ出していった。


…あいつがあんな目で睨んでくるのが悪い。



結局、俺が店にネットをかけている間に玲菜は先に帰宅した。



…どちらも今後の接し方を相談するわけでもなく。


願わくば明日にでも書店業界など滅んでしまえと呪いながら。




そして火曜日も、お互い口数少なめで、友人からの声かけにも朧げな返事しかせずに放課後を迎えた。

店ではアオイに心配されながらも、「大人の事情だ」と一言だけ伝えて店の奥に篭り、そこで半日棚の入れ替え作業をして終わった。


二乃舞ショックから立ち直ったはずの俺の精神は、奈留のおふざけ公開放送でまた少し揺らぎ、理事長の思いつきで完全に打ち砕かれた。



…はあ、こんなとき彼女でもいればなあ。


とか言って頭に思い浮かぶのは、笑顔で角が血に染まった六法全書を持つ玲菜の姿だった。


これは、マジできちゃってるんじゃないか、俺。




ーーそうして、水曜の朝を迎えた。



「行ってきます…」



地方へ疎開するかのような面持ちで玄関を開ける俺。



ガチャ。



どうにかしなくてはと思いつつも、自分とあいつ両方を奮い立たせることの困難さを憂いてはまた殻に閉じ籠もる。ただそれの繰り返しだった。




「おはよ、悠里」



だから、我が家の前で玲菜が満面の笑みと共に俺に挨拶してきた時は、本当に心臓がその活動を停止させる時が来たと思った。


少なくとも、顔は恐怖で引きつっていたことだろう。


「遅刻ギリギリだよ。早く学校行こ?」


また笑顔。なんて笑顔だ。


ああ、どうやら彼女はついに法を犯すことに対して躊躇う理性を失ってしまったようだ。


「悠里?」


六法全書の角が俺の死、か。

市民を守るはずの法によって殺されるとは、やはり俺は人知の枠外の人間だったということか。


「…ねえ、悠里ってば」


くそ、六法は返品するのに版元の了解書がいるんだぞ。返品理由どうすんだよ? 「本書によって純然たる裁きが執行された為」とかか? 中二病も大概にしやがれ!



ガッ!



「…っ!?」

「行・こ?」


ついに目元の仮面が崩れ落ちた玲菜の、刺すような視線が俺の双眸を貫き脳内の妄想を惨殺した。

首元に玲菜の細くて白い腕が絡みついていた。



この間、俺は一言も発していない。



我が身の不憫さに、俺は登校している間、心の中で泣くことにした。






「…いつまで黙ってるのよ?」


陽炎すら生じそうな蒸し暑い朝の通学路を、心まで凍りつきそうな冷たい目線を真横に浴びながら進む。


いよいよ夏を隠しきれない感じの太陽は、開き直って長らく日本の上空に居座ることを決めたようだ。


「ねえ、悠里ってば」

「下の名で呼ぶな暑苦しい」


瀬名店長ってのにはクールな響きがある。何より俺を子ども扱いしていない語感が素晴らしい。


店長なりたての頃はお前に「店長」って呼ばれるだけで天にも昇る心地だったぜ。すぐに慣れちゃったけどな。



「じゃあ何て呼べばいいのよ?」


口をすぼめてこちらの意を窺ってくる玲菜。こいつが俺の意見を尊重してくるとは珍しい。


「いつものように『店長』とか『瀬名君』でいいだろ?」

「それ、『いつも』じゃないじゃないの」


……。


「何よ?」

「…別に」


玲菜は無意識だったのだろうが、俺は正直少し意外に思っていた。


こいつにとって、「店長」や「瀬名」という、いわゆる演技をしている時の呼び名は、いつもの呼び方ではないというのだ。


学校では圧倒的にそちらの呼び方の方が多いというのに。


ーー玲菜にとっては、絶縁して口もろくにきかない今でも、「悠里」という呼び方が普通なのか。



「もしかしてさ」

「え?」


俺より少し背の低い玲菜は、俺の言葉を聞く為に下から覗き込むようにしてこちらに顔を向けてくる。


「お前って、俺以上に子どもなんじゃないの?」



そう言って俺が優越感に浸っていた直後、ヒュッという風を切る音が聞こえたかと思えば、右ひざ裏側にドスッ! という鈍痛な衝撃が走った。


思わず呻いて前のめりになる俺。

なんていうか、漫画の幼なじみキャラがやる「げしっ」って感じのツッコミ的な蹴りの次元ではない。本気で相手の下半身をだるま落としが如く抜き去ろうかという、居合い切りの軌跡にも似た高速の抜刀術のようなものであった。


くそ、普段は俺のこと子ども扱いしているくせにっ…。


「…それで? 今朝は何であんな薄ら寒いことしたんだ?」

「練習よ。上から命令が出た以上、もう良い加減覚悟決めなきゃダメでしょ?」



…マジか。

いや、まあお前がそう言うのなら俺もやらざるを得ないがさ。


そう言う彼女の顔に嫌そうな表情はもう浮かんでいない。

既に「これも仕事」と割り切って、新たな演技を始めようとしているのだ。


つまり、表面上だけでも俺と恋人関係になる演技を。


…。

俺は玲菜を恨んでいるのだが、玲菜は俺をどれくらい憎んでいるのかは知らない。


ただ、約束を破り玲菜の正義を歪めさせたのは間違いなく俺なので、少なくとも俺と同等ぐらいには嫌っていることだろう。


そんな彼女が、もう心にけじめをつけて新たに俺と向き合おうとしている。

…ここで戸惑っていたら、益々玲菜に引き離されてしまうだけだ。


「…分かったよ。恋人、完ぺきに演じきってやろうじゃないか」

「はあ、結局、この学校でもこうなるのね。二人きりの時は目一杯さっきの蹴り食らわせてあげるから覚悟しなさいよ」


腕を組み、こちらを向いてニヤリと微笑む玲菜。高嶺の花が聞いて呆れるぜ。



こうして、俺たちは自らで学校を盛り上げていく為に恋人関係を演じていく決意を固めたのであった。



「あ、演じている間って時給発生するのかな?」

「本来なら正当な対価として頂きたいけど、言えるの? 恋愛労働手当下さいって?」






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