猫を飼いならす少女
昼休みの公開生放送のせいで、午後はクラスメートから過去最大級の集中放火を浴びるはめになった。
今まであんなに質問責めのオンパレードだったというのに、その勢いは今まで以上である。
「いや、他クラスはまだ騒いでいるようだが俺たちはもう何も言わんよ」
「ああ。流石にこれは茶化したりするのは野暮だって気がついたぜ」
「二人共ガチ過ぎるんだもーん。なんかもう二人を見てるだけでニヤけてくる」
散々俺の昼の発言を弄くり倒した挙句にこの言いようである。
もはや俺たちに弁解の機会すら与えてくれない。
……まったく、自分でも信じられない。あんなことを口走った自分がだ。
「『玲ちゃん』って呼び方どうしてやめちゃったの? 瀬名君ならそういう呼び方してても違和感ないのに」
俺はそう聞いてきた女子に一度ムッとした表情を見せ、何も言わずに机に突っ伏す。
これは単に不快だったからという訳ではなく、その昔の呼び名を口ずさんでしまったことが恥ずかしかったが故の行動だ。恐らく今、俺の顔は真っ赤なことだろう。
ーーあぁくそ、左頬がまだジンジンしやがる。
放送直後にくらった玲菜の渾身の右拳は、俺の心身両方に少なからずのダメージを与えた。
しかし、これについては俺は反論のしようがないと思う。
だってそうだろ? 年頃の女の子が同級生と、小さい頃とはいえ一緒に…なんて事を全校生徒に向けて発信されてしまったのだから。
しかも相手(つまり俺)とは犬猿の仲なわけで、玲菜からしたら嫌がらせにすら思えたことだろう。
…何というか、いよいよ俺たちの関係も完全に終わったのかな、とか思ってしまう。
今まで仲違いしていても何となく繋がっていた感じがしたが、それもこれにて終了の見通しか。まあ、中学以降こうして一緒の学校・部活にいること自体が奇跡みたいなものだったわけだしな。
俺は突っ伏しながら「はあ…」とため息を吐く。
……。
…いやいや。待て。
喜ばしいことじゃないか!
玲菜と完全に縁を切られるなら、それは俺の高校時代の目標を達成したことになるぞ。
もう劣等感と嫌悪感と、それと少しの罪悪感を抱いて学校生活を送ることもない。
ーーうん、そうだな。
やはり、玲菜とは元の関係に戻ろう。
元の、とは、言うまでもなく私的な会話を一切しない関係のことだ。
今回の騒動の発端は、元をたどれば俺と玲菜の関係が変化したことに起因する。
やはり俺たちが馴れ合うと世の中に災いが降りかかるようだ。
そういう法則ならば、仕方ない。
「ははは…」
つい苦笑が口をついて出てしまう。
「おい瀬名が何か笑ってるぞ!」
「まさか白昼堂々フィアンセとのイチャラブな妄想を?!」
…もうホントに災いとしか言いようがない。
無邪気な友人達の笑い声が、この日はやけにしんどかった。
そして放課後。
今日はシフトも入っていないので寄り道もせずに帰る予定だ。
「うん、帰って部屋に籠もろう」
意欲とか好奇心なんてものをまるっと置き勉してきたかのような、強大なアパシーに支配されていた。
夕日って、こんなに眩しかったっけ?
「待って! 瀬名君!」
校門の前で沈みかけの太陽に身を焼かれる思いでいると、後ろから奈留が駆けつけてきた。
「なんだよ探偵かぶれ」
「アレは咄嗟の演技!」
「玲菜ならもっとゆっくりやるね」
「ん、そりゃあ深千代さんと比べたらそうだけど…」
どこか不満気ながらも手を後ろで組んモジモジしている奈留。
こいつもつくづく暇な奴だな。文芸部ってイメージからしてユルそうだし、参加の度合いとか個人の自由なんだろうな。
「で、何か用? 悪いが今日は帰りにどこか寄る気力はないぜ?」
「……怒ってないの?」
「怒ってる」
「うう…ごめんなさい」
割とマジメな奴なので、奈留はこちらが後ずさるほど深々と頭を下げた。
顔は泣き出す寸前である。
俺は、そんな奈留の頭を優しく撫でつける。
「え、何?!」
「頭上げろよ奈留」
そう言われておずおずと姿勢を戻す文芸部員。
怒られるのではないかと不安げな面持ちで、こちらに上目遣いを向けている。
「お前が仲の良い友人の前ではお調子者になることも知ってるし、他人に嫌な思いをさせるような事をしないことも知ってる」
「……」
黙って俺の話に耳を傾ける奈留は、やはり怒られている子どものようだ。アオイは見た目からして子どもだが、奈留は割と発育しているくせに行動が幼稚なのでタチが悪い。
奈留が俺や圭太の前でしか冗談を言わないことや、いたずらがバレた子どものような無邪気な笑みを浮かべないことは、クラスでの彼女の言動を観察していればすぐに分かった。
そんなに他人に遠慮することないのにと憤る反面、心を許せる存在として俺を意識してくれていることに、ある種感謝の念を覚えていた。
「ちょっと今日はふざけ過ぎだったけどな」
「はい。反省してます…」
グス、と鼻まですすりだす始末である。
「俺は別に構わないけど、玲菜はかなり被害くらってると思うからちゃんと謝れよ?」
「うん。さっき謝った。…そしたら、気にしてないって、“笑顔”で…」
…ははあ、なるほど。
先ほど奈留が玲菜の演技力を知っているかのような節があったが、どうやら直に目の当たりにしていたからだったのか。
「その“笑顔”見てどう思った?」
「…深千代さんが、凄く遠い存在に感じた。ミステリー小説から抜け出してきたみたいだった」
その瞳には少し怯えの色が浮かんでいる。
いつもならそんなボロは出さない玲菜だが、今日はあいつも相当参っていたのだろう。だから奈留に感付かれてしまった。
何気に、玲菜の仮面に気づいた他人は奈留が初めてだ。
「…まあ、あまり詳しくは言えないけど、俺と玲菜は普通じゃないんだよ」
「…そうなの?」
聞き返す奈留の表情に邪気はない。俺は彼女の裏表のない性格が割と好きだったりする。
奈留に真実を伝えるなんて絶対に嫌だ。この大人しい文学少女は、既に俺が正常でいられる防波堤のような存在になっているからだ。
俺はこの時、一年前の春の事を思い出していた。
初めて登校した入学式、同じクラスに見るのも嫌な幼なじみが在籍している事を知って、俺の精神は大きく波立っていた。
嫌悪の対象は次第に学校全体にまで広がり、まだ入学して間もない四月の時点で、何とかしてこんな学校潰せないかな…などと危険な思想を抱いていた。
俺はこの新星附属高校に平和で現実的な学生生活を望んでいたんだ。玲菜の進学しそうな第二高校を蹴ってまで、片田舎のこの学校を選んだのだ。
なのに、これでは何も変わらない。人間関係はリセットされたから、表向きは普通の交友を育むことができるだろう。
だか、その裏でまた玲菜を恨み続けていなければならない。
同じ枠組みの中にいる以上、外面的には無視できても心の中でまで気にしないではいられない。
だからって、玲菜にへりくだるなんて絶対に嫌だ。あいつは俺を陥れて見下す悪癖がある。
正義なんて掲げているが、あいつこそ現代に堕とされた魔の子だ。
もしもあいつがこの学校でも俺を凋落させようとするのなら、俺は今度こそあいつを……。
ーーそんなことを、俺が屋上で考えていた時だ。
階下の図書室から何とも素っ頓狂な、けれどもどこか優しい声色が聞こえてきた。
「…なんだ?」
なかば叫ぶようにして、声の少女は何事かをひたすら唱えていた。
「小芝居のような、いや、朗読劇か?」
しかし聞こえてくる内容が、何というか、異様だ。
俺は屋上から身を乗り出して、真下の図書室を覗き込んだ。
「『お、俺の目の前には生まれたままの姿の麗華が立っており、思わずその美しさに…』うう……古川先輩、ホントにこれ読み続けるんですかぁ?!」
「そうだ! 新入生はみな避けては通れない道なのだ!」
「ううう…。『ち、違うんだ。これは不可抗力で…』」
髪の毛にクセのある少女が、顔を真っ赤にしながら女の子が表紙の文庫本を朗読していた。
声は震えていたが、やはりどこか人を惹きつける声色だ。何というか、弦楽器みたいな聞き心地の良さなのだ。
後から奈留より聞いた話だが、文芸部の新入部員歓迎の儀として「ランダム小説一章読み」というものがあるらしい。
その名の通り、一年生がくじによって無作為に選ばれた小説の第一章を窓から外へ向けて音読する、という内容だ。
大人しい部活だと思っていた奈留は大いに驚いた。そして彼女が引き当てた「扉を開けると、そこは湯けむりであった」とかいうライトノベルの内容には更に驚かされたという。
主人公が扉を開けるたびにお風呂場に行き当たってしまうという、低俗下品極まりないこの作品。
恥ずかしがり屋の奈留には入学以来最大の試練だったことだろう。
俺は屋上に寝転がり、事情はよく分からないが面白いことになっている少女の奇行にしばし耳を傾けることにした。
「『な、なんだこの靄は?! そしてこの湿気は?! うーん、分からなくもないんだが、ここで引き返したら男が廃るってもんよ!』」
「『よっしゃあ行くぜー! 俺は意を決して靄の中に飛び込んでいった! カポーン!』」
「…不憫すぎる」
これはいじめか? その割には外野の応援する声に緊張を感じる。
そんな事を考えながら携帯を取り出すと、直後の真っ暗な画面に意外なものが映っていた。
「…え? なんでニヤケてんの俺」
それは画面を覗きこんだ自分の顔だったわけだが、その表情は自らの意に半して笑顔だった。
「『な、なんてこったー! よりによって生徒会長のお風呂場に繋がっちまったぜー! か、かっこ棒読み』」
「くくく…やっぱダメだ」
笑いを堪えきれず、俺は即座に起きあがり屋上から再び階下を見下ろす。
もはやその朗読劇は、キャラクター毎に声色を変えようともせず、セリフと地の文の区別もなかった。
……。
見ているとすごく馬鹿らしいのだが、何故か聞いていたいと思ってしまう。
そして何より、今俺は久しぶりに声高らかに笑いたい気持ちなのだ。テンション最悪だったはずなのに。
「…いいな。あんな子が同じクラスにいてくれたらなぁ」
結局、俺は彼女の既に黒歴史と化してそうな小芝居を最後まで鑑賞していた。
その日は家に帰っても時々思い出して笑っていた為、妹に大いに引かれたのだった。
そして次の日、俺は教室で仰天することになる。
昨日のラノベ朗読の少女を、秋篠奈留を自分のクラスで見つけたからだ。
元々、玲菜がいるということ以外は興味がなかったので、他のクラスメートの顔などろくに見ていなかったのだ。
見つけた瞬間、俺の心は180度変化した。
表に出ていた負の感情を全て裏側に押し込んだような感覚なのだが、とにかく俺はこのとき、学校に対するスタンスを変えようと思った。
ーー玲菜になんか構っている必要はない。あいつ中心の学校生活から脱却するんだ…!
俺はそう意を決して、教室の隅で読書をしている物静かそうな少女に声をかけた。
……。
それから、無理矢理彼女と会話を始めて、強引に放送委員会へと一緒に立候補してもらった。
こんなに仲良くなれたことは、少なからず俺の中で大切に思っている。
…だからこそ、奈留には。
「…うん、確かに二人は普通じゃないよね」
「え?」
「深千代さんは言うまでもないけど、瀬名君だって先輩達に追いかけられたり生徒会長に追いかけられたり、なんていうか地味なのに問題児って感じだよね」
「…くっ、お前また人を茶化しやがって」
そこで奈留はふわっとした柔らかい笑みを浮かべる。
夕日を背後に何とも印象的なシチュエーションだった。
「そうだよ。私は瀬名君の前でしか冗談を言わない。瀬名君に笑ってほしいから」
「……」
何というか、言葉が出て来なかった。
自身がどんな表情をしているのかも分からない。
ただ、とにかく、顔が熱かった。
「ん? 何か変なこと言ったかな?」
「いや、別に」
うんそう、変なことは言っていない。ただその声と表情とシチュエーションが変な化学反応を起こしただけであって…。
その時、俺の携帯が急に鳴りだした。
「…店から?」
俺は何だろうと思いつつ、すぐそばの書店の方を見ながら電話に出る。
「もしもし」
「すぐ店に来て」
名前を聞かずとも分かる。それは深千代の声だった。
続




