負の因果(前編)
五月は売上もそこそこに、次第に気温の上昇を肌で感じながら、問題なく過ぎていった。
結局、剣崎先輩はあの後も特に代わった様子もなく、そもそも俺と深千代の関係にすら触れてくることもなかった。
改善の困難さを悟って身を引いてくれたのならありがたいが、あの愚直な先輩が簡単に諦めるとも思い難い。うーむ…。
そんなこんなで今は六月。梅雨と綺麗に分けられた黒と赤の数字がカレンダーに並ぶ、湿気の割に無味乾燥とした月だ。
月末には期末テストを考えなければならないこと以外には、学校行事も地味で中継ぎ投手のよな存在感である。重要なんだけどね、中継ぎ。
「陽射しも何やら平和に感じるぜ」
登校中、思わずそんなことをつぶやいてしまう。
今日は六月最初の水曜日だが、不思議と嫌な感じはしなかった。
閑散期で忙しくないからだろう。
…まあ、後はやっぱりお互い無視したまま店内で作業する、っていうのは精神的に辛かったのかな。
我ながら女々しい見解である。
「よ、ユーリ」
のんびり通学路を歩いていると、後ろから声をかけられた。
同じクラスの塚越圭太が、これまた太陽のような笑顔で後ろに立っていた。
「うっす。何やら朝からテンション高そうじゃないか」
「そりゃそうよ。今日をどれほど待ちわびたことか!」
…?
何か新しいゲームの発売日だっただろうか。
友人は両拳に力を入れてブルブルと震えている。
「ん? なんか今日出るっけ? まさか学校行事じゃないよな?」
先ほど述べたように、今月の校内イベントは影の薄いものばかりである。およそ出会い厨の圭太が浮かれるような催しはないはずだが。
「ゲームのこと言ってるのか? 今月はロクなのねぇよ。そしてお前は今日学校で何があるのか忘れているようだな!」
「え、マジで学校行事なのか。なんかあったっけかな?」
俺の言葉に、圭太は人差し指を目の前で左右に振ってきた。
うわ!なんか古臭!
「チッチッチッ、重要なイベントを一つ忘れているぜ」
「…何だ、教えてくれよ」
「ふふん、校門までたどり着けば分かるだろう」
そう言って俺に先を急がせる圭太。
どうせ新体操部の公開練習があるとか、そんな感じの煩悩にまみれた事だとは思うがね。
そんな肩すかしを十二分に想像しながら校門の前までたどり着くと、圭太の言っていたことが瞬時に理解できた。
ーー俺は、その場で戦慄した。
『歓迎!第二高校生徒会副会長、 二乃舞亜理亜 様』
………。
俺が白目同然でその校舎にかけられた横断幕を見ている横で、圭太がドヤ顔をしながら俺を見ていた。
「生徒会交流イベント。ついに副会長に就任した二乃舞様が我が校にいらっしゃるのだ!」
「ウソだろ……」
あの現実破壊者がウチに?
近い内に顔を出すと言っていたのはこのことだったのか。
「ってか、何だよ二乃舞様って。同級生だろ?」
「職員室前に貼られた第二高通信を知らないのか?毎月あの場で拝むだけだった二乃舞様の御姿をようやく現実で拝めるんだぞ。これを待望、渇望と言わずして何と言うのか…」
…そんなものあったのか。
俺が知らなかっただけで、どうやら彼女は他校のアイドル的な存在であったらしい。
当校にはすでに高嶺の花こと深千代がいる。同じ書店部ということで何かしら交流ができるかもな。
以前、二乃舞と会った時に深千代と似ていると言ったが、まったくウチの生徒の長いものに巻かれよ(髪型的な意味で)信仰は異常だな。
「どうか穏便に済ませてくれよな」
正直、ウチのヘタレ男共では顔すら覚えてもらえないだろうがな。
「任せろ。もしも彼女と交流が生まれたなら、俺は図書委員の
役目を放棄して書店部へとこの身を捧げよう」
人手は間に合っているが、男手は貴重なので是非そうなってもらいたいね。
…などと俺は、完全にこの件を他人事として頭の隅に追いやってしまったが、いま思い返すとどうかしていた。
一度しか会ったことがないとはいえ、彼女は俺と同じ店長職に就くもので、そして非現実的な事柄が大好き。
二乃舞が我が校に舞い降りた時点で、俺の運命はすでに決定していたのだ。
「外の見た?新宿の附属高校の副会長さんが来るんだって!」
教室に入ると、クラスは二乃舞の話題でもちきりだった。
後ろの席のうら若き文芸部員もその熱気にあてられたようである。
「前話してくれた人だよね?店長と副会長を兼任するなんて凄いね」
「確かに、同い年の中では総スペックが群を抜いているとは思う」
性格に大いに難ありだがね。
あの引き込まれそうな自信に満ちた瞳と、その後に見た恍惚の表情は忘れられん…。あれは魔的だ。
「ん? 瀬名君、顔赤いよ?」
「え!?」
「おいおい、さては今さらになって二乃舞様の魅力に気づいてしまったな!」
圭太声でけーよ!
クラスのみんながクスクス笑いながら俺を見ていた。
これは学生が最もなりたくないシチュエーションだぞ…。
女子友達と談笑していた深千代は、その会話の合間の一瞬に、こちらに冷ややかな視線を向けてきた。何あいつ怖すぎ。
始業前、俺は圭太が振りまいた誤解の火種をひとつひとつ消して回っていた。
…しかし、俺の弁解が必死過ぎてむしろ炎上させてしまったようだった。
悪魔の証明という事象の難しさを痛感させられる。
「良い機会じゃないか。お前も一皮剥けて二乃舞様に夢中になろうぜ!」
「最悪だ…」
直に会わずとも俺の立ち位置を脅かす二乃舞は、やはり災害的存在である。
ーーその時、不意に教室の前側の扉が開かれた。
俺は、そこから顔を覗かせた少女の顔を見て息を呑む。
「興味深いお話をしておりますのね?悠里」
聞き慣れない声がしたかと思えば、派手な髪色をなびかせて、一人の少女が教室に入ってきた。
え? という虚をつかれたクラスメートの声が至るところから聞こえてくる。
「まだ一時間目も始まっていないぞ…」
俺一人だけが毒づいていたが、そんな陰口に耳を傾ける輩などいない。
「御機嫌よう、附属高校二年E組の皆様。わたくしは附属第二高校生徒会副会長、および第二高校書店部店長の二乃舞亜理亜と申しますわ」
そして間もなく、その静寂は大いなる歓声によって破られた。
「うおー初めて見た!」
「すげー!モデルみてー!」
「金髪がケバくない!不思議!」
口々に称賛と感動を述べる男共。もちろん女子も黄色い声援を送ってはいるが、彼ら二乃舞信者と比べるとやはり熱気が違う。
で、先生も来る前に堂々と他校の教室に入って来られるこいつは何なんだ?何かライセンスでも持っているのか?
…っていうか、どんどんこっちに歩いて来てるし。
委員長、クラス委員長!
キャーキャー言ってないで来賓を出迎えろよ!
「約束通り、こちらから出向いて差し上げましてよ?」
「…はは、わざわざどうも」
仕方なく、俺はいつもの書店員モードに切り替えて対応する。
長居されると何を言われるか分かったものではないので、早々に退場してもらわなければ…。
「あら、もう少し喜んでくれても良いのではなくて?私は貴方に会いに来たのよ?」
キャー
と叫んだのは男女両方であった。男の甲高い悲鳴なんて初めて聞いたぞ。
俺が書店部の店長だからそういう言い方をしたのだと分かればすぐに復活するだろうが。
俺は苦笑いした後に黒板の上の時計を見る。とっくに一時間目は始まっている時間だが、担任の渋谷は未だに姿を見せない。
「それともう一人、えっと、名前は何と言ったかしら…」
キョロキョロとクラスを見回す二乃舞。
…この流れ、マズい!
「に、二乃舞店長!悪いけど一時間目始まっているからさ。続きは休み時間辺りにしてとりあえず授業受けようぜ!」
「心配はいりませんわ。もちろん先生方からは許可を得て時間をお借りしていますもの」
クラスは歓喜の声で湧きに湧いた。
退屈な古文教諭の授業を潰してくれたということで、他校のカリスマは一気に我が校でも求心力を高めていった。
「ということなので、皆様。ここはわたくしと代表生徒による討論会の場にしたいのですがいかがでしょうか?」
救世主の言葉にクラスメートは口々に同意の言葉を返し、俊敏な動作で机を隅に追いやり、椅子を円形に並べてその円の中心に討論場を設けた。
俺はいそいそとその円周の一部になろうとしたのだが…。
「瀬名君はあそこでしょ」
「頼んだぞ。俺たちが聞きたいこと、分かるよな?」
既に俺の立ち位置は、椅子取りゲームであぶれた側の人間になっていた。
中心には二乃舞がキラキラ、いやギラギラと目を輝かせて俺を待っている。
周囲の視線だって、期待・不満・絶望、といった感じでなかなかに居心地が悪い。
ーー仕方ない、と諦めようとしていたその時。
「待って。そちらにはもう一人参加して頂きたいわ。深千代副店長はいらっしゃるかしら?」
「ーーーー!」
こいつ…!
二乃舞の目に怪しい光が灯っていた。これは、第二高校で見た彼女の裏の表情だ。
そして、事情も知らずにこちらへ向かってくる深千代。表情はすましているが、手元がおぼつかない。明らかにめんどくさい、厄介だと思っている。
気がつけば椅子は三つに増えており、俺・深千代・二乃舞がそれぞれ向かい合う形で座ることになった。
これで、この救世主様が望んだ歪な図式の完成である。もっとも、そのことに気づいているのは当事者たちだけだが。
「はじめまして、予想通りの見目麗しさだわ」
「…はじめまして。附属高校書店部副店長の深千代玲菜です」
…おお、深千代の演技が固いぞ。公モードになりきれていない。
「第二高校の噂はかねてから窺っていました。私達も見習いたいものです」
「…ふふ、貴方も悠里と同じなのね」
その一言は、深千代に今の状況を理解させるのに十分だったらしい。彼女の表情から緊張が消えた。
俺と同じ、つまり、大衆向けの顔を持っている、ということ。
「よろしく、二乃舞店長。楽しい討論になりそうね」
「亜理亜、でよろしくてよ。有意義な話し合いにしましょう」
そう言い交わして、二人は不敵に微笑んでいる。
俺の魂は肉体を離れてどこかへ飛んで行きそうである。
続




