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猟師、仏を射ること  作者: 小山 優
1/5

彼らが生きる、彼らも生きる。

 暗い、木が鬱蒼と繁った林を、小動物の群れが駆け抜けていた。

 茶色の体毛に大きな尻尾。目の周りだけは隈の様な黒い毛が被っている。

――狸。

 日本に古来から生息している彼らが、十数匹の集団で走り続けていた。

 否、正しくは、『何十匹いたものが減った上での』十数匹。

 そして彼らはただ走っているのではなく、

「右だ、追え!!」

逃げていた、弓と短剣を持った狩人から。

 狩人の数は三人。一人が、老齢だが壮健な顔立ちの熟練者。他の二人は、老人の弟子とおぼしき若者だ。

 彼ら三人は素早く動き、狸達を包囲するように連携する。

 もし、この場所に狸の生態に詳しい者か、狩猟に秀でた者が居たなら、違和感に気づくだろう。

 本来は家族単位でしか行動しない狸が、何故徒党を組んでいるのか。そして、狩るのが簡単な狸を、何故狩人がわざわざ分け前を減らすように複数人で狩猟するのか。

 二つの違和感には、同じひとつの回答が与えられる。

「――! 避けろバカ野郎!」

 老人がそう叫び、片方の弟子が横に飛び退く。

 その残像があった場所を通りすぎたのは、

『死ねッ! 人間!』

――狸。

 その動きには、ただの狸とは思えない俊敏さと、命の奪い合いをするという必死さがあった。

 化け狸。

 長く生きた狸が妖怪になったのか。それともそういう生物なのか。

『右から囲め!』

 何にせよ、人語を解す彼らは人と対立し、殺す殺されるの生存競争を行っていた。

『喰らえ!』

 狸の一匹が叫ぶと、その口から炎の球が発射される。妖術の類いだ。

「効くかよ!」

 だが、人がそれに対処しない訳もない。

 猟師の一人が、特別に精錬し、神仏の加護を受けた短刀で火球を切り裂き、防御する。

 また別の一方では、老狩人が果敢にも三匹の狸を相手取っていた。

「…………」

 老人は静かに身構え、成熟した気風を漂わせる。

『…………』

 三匹は円形に回りながら老人を包囲し、今にも飛びかかろうと構える。

『――!』

 最初に動いたのは、老人の背後に回った一匹だった。

 攻撃はただのかみつき。しかし、化け狸の脚力で生み出された跳躍は、人の常識を覆すほどの速度を作り出していた。

 視覚外からの跳び付きは、

「…………ぬるい」

しかし、老人が素早く回転し、手刀を食らわせることで回避された。

 だが、狸の攻撃はそれで終わらない。

 一瞬できた隙を狙い、残りの二匹が、片方は高く飛んで頭上から、もう片方は身を低くして足下から老人に迫る。

 それに対して老人が行ったのは、

「…………弱ぇ」

『!?』

 まず、肩に背負った弓を高速で外し、その弦と弧の間に飛んできた頭上の一匹の頭を入れる。

 頭を入れながら、その動作をするために生まれた体の回転を利用して、足下の一匹を蹴り上げる。

 半回転したところで、弓を引き寄せ、本体ごと弦をひねり、弦が狸の首を閉める形にして、それをそのまま、

「ふんッ」

――ねじ切った。

 細く、しなった弦に切られ、狸の首がゴロリと地面に落ちる。

 次いで老人は、右手で腰から短刀を、左手で背中の矢筒から矢を取り出し、

「…………」

短刀を蹴りあげた狸に投げつけ、矢を、手刀を食らわせた方に刺した

 三匹が声もあげず、ほぼ同時に絶命する。

 狸の数が減った一方で、

「離れろ…………!」

『断る!』

 別の場所では、弟子の一人が若い狸に噛みつかれ、妖術によって動きを止められていた。

『そのまま抑えてろ!』

 年長者の狸が叫び、彼の周りに魔方陣が現れる。

『喰らえ!!』

 そこから現れた炎が狩人に向かって伸びていき――

「アアァぁぁ…………!」

焼き尽くした。

 殺し合いと仇の討ち合いが行われる光景から少し目を動かせば、

『兄弟を連れて早く逃げろ!』

家族の庇い合いが生まれていた。




 呼び掛けていたのは、若い狩人を殺した、狸の族長。呼び掛けられていたのはその子。まだ若い小狸だ。

『父さん!』

 子供は、戦いから少し離れた茂みに身を隠し、早く逃げようと父親に鳴く。その後ろには、雌や他の子狸、群れの守るべき者達が隠れていた。

『先に行け! お前は生きなきゃいけねぇんだよ!』

 父親は前を向き直し、仲間たちと共に対峙する。

『…………俺達は、ここでこいつを仕留めねぇといけないんだよ』

 目の前にいるのは、熟練の老狩人。彼の足元には、子供や伴侶を守るために散った、狸達の骸が転がっていた。

『でも…………!』

『早く行け!』

 父親の叱咤に、子は唇を噛み、他の仲間たちと一緒に逃げていく。

『…………守ってやるよ、俺らの未来をよぉ』


「…………追え」

 老狩人がそう、逃げた小狸達の追跡を命じた先は、後ろに控えた弟子だった。

「…………わかった、師匠」

 頷きながらも、弟子は苦い顔をする。それは、師匠が十匹以上の狸を一度に相手できるのかという疑問であり、心配だった。

「…………気にすんじゃねぇ」

 老人は、しかし笑って言葉を返す。

「元より、奴等をここで始末しなけりゃいけねぇんだ。ガキ供のためにもよ」

 自分の子供や孫が、化け狸に襲われないように、安心して生活できるように。

 まだ妻も子もいない弟子は、控え目な笑みを浮かべ、林の奥に走っていく。

「…………ガキのために、孫のために死ねるなんて、最高に幸せじゃねぇか、俺はよう」


 一人と一匹の――否、二人の父親と老人は、向かい合った。

 そして、諦めたようにどちらもが笑う。

 その笑みには、子供達を守るという決意や、あるいはお前も大変だな、という労いがあった。

 狩人は刀を抜き、狸は火の玉を用意する。

 両者が得物を構え、踏み込む用意をした、達人的な一瞬の後、

―――― !

戦いを、始めた。



 走った。

 一人、それとも一匹は、闇の中を、木々の間を、月の下を駆け抜けた。

 片方は追い、片方は追われて。

 途中で仲間とはぐれ、獲物を見つけ、殺し殺される。

 気付けば東から日が登り、自分の居場所も相手の居場所もわからなくなっていた。

 両者は、周りを見渡しても誰一人として仲間がいないことに気付き、項垂れる。

 もう、自分しかいないのか、と。

 そして、逃げなくちゃ、追わなければ、と前を向き、仇敵を意識する。

 そんな中、その一匹の身には――



 虎ばさみ。初歩的な罠だった。

 金属の仕掛けに、ある程度の加重が掛かれば作動し、動物を拘束する。

 一晩中走り続けていなければ、疲れていなければ難なく逃れられた。

 しかし、今は四足の自由を奪われ、血がとくとくと流れる。

 つまり――族長の子供、小狸は、死の淵に瀕していた。

『こんなところで、死んじゃダメなんだ…………』

 父が守ってくれた命を、こんなところでなくしてはいけない。

 だが、願って助かるほど、文明の利器は優しくない。

 抜け出そうと足を動かせば、刃が食い込み、体力と気力を奪う。

 ああ、もうだめかもしれない。

 ふっ、とおぼろ気にそう思って、

「おや、狸が捕まっておるわ」

人の声が聞こえた。

 おしまいかな、と短絡に結論付けた。夕飯の狸汁になるのが関の山だろう、と。時間的に朝飯か、とも。

 頭をあげて目に入ったのは、

「南無阿弥陀仏。死んどらんことを願おうかのぉ」

後光の眩しいハゲだった。

 最初は、やけに太陽が近いと思った。まるで手の届くところにあるように。

 ついで、太陽が徐々に近づいてきているのがわかった。しかもにこやかな表情を浮かべながら!

 血の流れすぎで気が触れたのかと思った。太陽が笑いながら近づいてくるなんてどんな怪談だ。

 すこしして、それが髪を剃った和尚ということに気づく。

 状況は変わった。しかし、

 狸汁はなくなったけど、お札張られて消滅かな。

 ただ死に方が変わっただけだと言い聞かせる。

 ほら今だって虎ばさみを外そうと…………

――?

 え、と呟きかけて、慌ててやめる。ここで喋ったらどうなるか解らない。

 和尚は老体に鞭打って罠を外したあと、服の袖を破り、こちらの足に巻いてきた。

 やがて、妖怪の治癒力もあり、歩ける程度に回復する。

「ほお、もう大丈夫か」

 虎ばさみをどけていた和尚は笑い、頭を撫でてくる。

「ほら、早く逃げなさい」

 腹を叩かれ、森の中へと追い立てられる。足は痛むが動きに支障はない。

 そそくさと木の裏に隠れ、一息つく。

 どうして助けてくれたのだろうか。

 人は、自分達を狩り、食らうものだと教わってきた。もちろん、仲間が食われるのも幾度となく見てきた。

 だけどあの人は…………。

 わからなかった。

 人間に殺されかけて、人間に助けてもらう。

 首をかしげながら、木から顔を出す。

 そこには、谷から水を汲んできたとおぼしき和尚が、山の上に見える寺に帰る姿があった。

――命の恩人…………。

 もらった恩は返せ、父から教わってきたことだ。

――返さないと。



 その日の昼、狸が忍び込んだのは、寺の書物庫だった。

 心地良く冷たい秋の空気を惜しみながら入ったその部屋は、紙と墨の匂いが漂う空間だった。

――どうやって恩を返そうか。

 和尚にしてもらった恩を返す――そう決めたはいいが、人間がされて喜ぶことなど健闘もつかない。唯一浮かんだのは、狸汁を馳走することくらいだ。

 それを調べるために、和尚の身辺調査を行おうと忍び込んだのだが、

――この部屋なら、何かわかるかも。

 文を読むことはできないが、文字の意味ぐらいはわかる。

 本を開けば何かわかるはずだ、と手近な本棚に登り、一冊をひっぱり出す。そして気付く。

 捲れない…………。

 自分の指は狸のそれで、本を捲るどころか両手で持ち上げることすらできない。

 どうしよう、と悩んでいると。

『あっ…………』

 本の重みにフラリとよろけて、本と一緒に床に落ちる。

 顔面から床に衝突し、視界に星が飛ぶ。

『本は…………』

 大丈夫か、と辺りを見回して、近くに落ちて、その拍子に開いていた本を見つけた。

 丁度良い、捲らなくてもすんだ。

 開いた項を見ると、文のとなりに挿し絵が描いてあった。

『ふ・かしこ…………ダメだ、わからない』

 その説明は、『普賢菩薩乗像図』。線がぐちゃぐちゃとして、読む気にもなれなかった。

 だが、文に『尊』や『神』、『仏』という字が書いてある辺り、とても縁起の良いものなのだろう。

――もし、これが目の前にいたら、和尚は喜ぶだろうか。

 幸い、自分は変化の妖術を会得している。この絵のモノになるのも簡単だ。

 和尚に御披露目するのは、明日の夜にしようか。それまで練習だ。

 頑張ってみよう。

 不思議と、心が跳ねていた。


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