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第9話 街の思い出

 翌朝――。

 ライアンが食卓に着くと、珍しくロニーが令嬢ドロテアに向かって真剣な顔をしていた。


 「令嬢様。……提案がございます」

 普段は従順な青髪の使用人が、まっすぐ彼女に言葉を投げている。その声音は柔らかいが、

揺るぎない芯を含んでいた。


 ドロテアが片眉をわずかに上げる。

 「……何かしら」


 「ライアン様と令嬢様は……親子であると仰いながらも、まだ“思い出”をお持ちではありません。

 昨日のように無理に迫れば、心は離れるばかりかと。もし街で楽しい時間を共有できれば……

 少しは心を開いてくださるかもしれません」


 ライアンの耳は完全に人間の言葉を理解していない。けれど、ロニーが時折こちらに視線を

投げてくるたびに――(俺のこと、言ってる)と直感できた。

ドロテアはしばし黙し、指先でワイングラスをなぞる。やがて、深く息を吐いた。


 「……一理あるわね。いいわ、ロニー。あなたの言葉に賭けてみましょう。街へ行くのよ」


 (まち……? どこへ行くんだ)

 ライアンが眉をひそめる間もなく、話は決まった。


 初めて乗る馬車は、身体ごと揺さぶる奇妙な箱だった。

窓の外には、黄金色の麦畑が果てしなく続き、遠くには小川がきらめいている。

ライアンは最初こそ不安げな顔をしていたが、やがて瞳が赤く輝き始めた。

 (……風の匂い。森とは違うけど……ひろい。ひかり、きれい……!)


 ロニーがそっと笑い、窓を指差す。

 「……ライアン。あれは川だ」

 意味はあまり分からない。けれど声の調子で「見ろ」と言っていると理解する。

ライアンは素直に頷き、鼻を窓に近づけた。やがて石畳が響き、馬車は街の門をくぐった。


 石造りの建物が並び、屋台の声が飛び交う。

香ばしい焼き菓子の匂い、鉄を打つ音、人々の笑い声――ライアンは思わず息を呑んだ。

(……森じゃない。けど……生き物の声。にぎやかだ)


 ドロテアは満面の笑みを作り、ライアンの背を押す。

 「ほら、あれを見なさい。屋台よ。甘い飴玉、子供なら大好きなはず」


 ライアンはぎこちなく歩を進めるが、胸の奥にはまだ昨日の痺れる痛みが残っていた。

 (……忘れてねぇぞ。“母さん”と呼べって、この女……!)

 表情が固まる。だが、横に並ぶロニーが耳元で低く囁いた。


 「……楽しんでいいんだ。今は」

 その声に、少しだけ肩がほぐれた。


 しばらく歩くと、射的の屋台が見えた。ロニーはライアンに合図して、屋台へ案内した。

射的の屋台に並んだ木の的。ライアンは弓を受け取ると、目をぎらりと光らせた。

 (……これ、森で狩りしたときと同じだ。獲物を狙うみたいに……)


 矢を放つ。的の人形が倒れると、屋台の男が歓声を上げた。

 「すげえ腕だ! 一発で仕留めやがった!」

 意味は分からない。だが周囲が笑って拍手しているのを見て、胸の奥が熱くなる。


 「……っ」思わず口角が上がる。

 (狩りみたいで……楽しい!)


 ドロテアがぱちぱちと手を叩いた。

 「まあ……! なんて見事なの。ほらロニー、見た? 私の息子は才能があるわ!」

 得意げに言う彼女に、ロニーは苦笑を浮かべた。

 

 「ええ……ですが今は“遊び”ですから」

 ライアンは二人をちらりと見て、胸の奥で小さく呟いた。 

(あの女に褒められても嬉しくない。……でも、ロニーが笑ってくれるなら……)


 やがて三人は小さなカフェに入り、白い皿に盛られた苺のケーキを前にした。

ライアンは恐る恐るフォークを差し込み、口へ運ぶ。舌の上で甘酸っぱさが広がり、赤い瞳が

見開かれた。

(……あまい! やわらかい! なんだこれ……!)


 気付けば夢中で食べ進め、ロニーが微笑む。

 「おいしいか」

 意味は不明。でも、声色に込められた優しさで、ライアンはこくりと頷いた。

 

 ドロテアもその姿を見て、唇を吊り上げる。

 「ねえ、見てロニー。ほら、こんなに楽しそうに食べているわ」


 ロニーは穏やかな笑みを浮かべ、声を落とした。

 「……無理に笑わせても、心は動きませんよ。ですが、好きなことや安心できる瞬間に触れれば、

  この子は自然と笑うんです」

 

 ドロテアは一瞬だけ目を細めた。


 夕暮れが近づいたころ、ロニーが予約していた店に入る。

蝋燭の灯りに包まれた店内は、昼の喧騒とは違い、静かで落ち着いた空気を漂わせていた。

木製のテーブルには真新しい白布がかけられ、窓辺のガラスには街灯の光が揺れる。

 運ばれてきたのは、香草で焼かれた肉のロースト、バターを落とした温かなスープ、ふわりと

香る焼き立てのパン。皿の縁を飾る彩り豊かな野菜は、まるで小さな庭のように鮮やかだった。

 ライアンは目を瞬かせ、喉を鳴らした。

(……すごい匂いだ。森で食べた肉と同じはずなのに……全然違う。柔らかそうで……なんか、

 きれいだ……)

 手が伸びかけたところで、向かいの女――ドロテアの冷ややかな視線に気づく。ライアンは

指を引っ込め、渋々フォークとナイフを握った。

 

 「ゆっくり。慌てて食べるのは獣のやり方よ」

 彼女は静かに告げ、ワインの入ったグラスを傾けた。

横に座るロニーが、少しだけ苦笑する。

 「……まあ、今日はお祝いみたいなものですから。少しくらい夢中になってもいいん

  じゃありませんか」


 ライアンは唇を尖らせつつも、肉を口に運んだ。噛んだ瞬間、舌が震える。

(……! な、なんだこれ……! やわらかい……なのに力があふれてくる……!)

 気づけば二口、三口と続けて口に運んでいた。スープをすすると、体の奥がじんわり温まる。

パンをちぎれば、指先まで香ばしい香りが染みわたった。

(……俺、森でも腹いっぱい食べたはずなのに。なんで……涙が出そうなんだ……)

 赤い瞳が潤む。慌てて俯いたが、ロニーの視線が横からそっと支えていた。

 そのとき――。

 扉がきいと開き、一人の若い吟遊詩人が現れた。

高く結われた彼の緑髪は、動くたびに尾のように揺れる。


 「旅の者です。……もしよければ、一曲歌わせていただけませんか」

 店内がざわめく。吟遊詩人は静かにリュートを抱え、歌い出した。


「母と子のために、一曲――」

 爪弾かれた旋律に合わせ、澄んだ声が流れた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

吟遊詩人の歌


光をくれた腕 あたたかな声

遠く離れても 胸に生きている

ぼくは歩いてゆく その道の上で

母の願いを 灯火に変えて

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 ライアンは息を止めた。意味は分からない。けれど――胸の奥が震えた。

(母さん……父さん……これ……森で聴いた声に、似てる……あったかい……!)

 赤い瞳がにじみ、指先が震える。

 

 ドロテアの表情も変わっていた。瞳が揺れ、歌に呑まれるように動かない。

(……少し、急ぎすぎたのかもしれない。電撃で呼ばせようとするのは“母”のやり方ではなかったわね)

 けれど、その瞳の奥にはまだ固い意志が燃えていた。

(だからといって諦めはしない。この子は必ず、私の理想の息子に育てあげる――)


 歌が終わると、店内は拍手に包まれた。吟遊詩人は深く頭を下げ、ライアンへと視線を向けた。

にこやかな微笑み。唇が「大丈夫」と形を作る。意味は分からない。けれど、ライアンの胸には

確かに伝わった。

 (……励ましてる。俺に……!)

 視線が交わる。ライアンは無意識に小さく頷いていた。


 その夜以来、ドロテアは無理に「母さん」と呼ばせることをやめることにした。

罰の電撃も影を潜め、授業は言葉と読み書き、そして温かな食卓へと変わっていった。

帰りの馬車の窓辺。ライアンは街の灯を遠くに見ながら、胸の奥で呟いた。

 (今日は……なんか変だった。あの女も……ロニーも……みんな笑ってた。

  森とは違うけど……あったかかった)


 視線を感じて振り返ると、ロニーが静かに頷いた。

 ドロテアは瞳を閉じ、歌の余韻を抱きしめるように沈黙していた。

 三人の胸に、それぞれ違う“街の思い出”が刻まれていた。


作中に出てくる緑髪の吟遊詩人、誰だろうね~ w

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