第59話 生き残った復讐者
森は、まるで嵐が嘘だったかのように静まり返っていた。
つい先ほどまで空を裂いていた咆哮も、光も、炎も消え、ただ揺れ残る葉擦れの音だけが耳に届く。
力に酔いしれたセリオス殿下は敗れ、光の粒となって風とともに旅立った。
その余韻は、まだ森の空気を重く縛っている。
獣たちは黙し、ロニーもレグナスもフィオナも、言葉を失っていた。
悲壮な沈黙が、じわじわと広がる。
その静寂を引き裂くように、甲高い声が森に響いた。
「キィィィィッ!! くだらぬ! くだらぬくだらぬくだらぬッ!!」
東の魔術師だった。
肩を震わせて、地面を踏みつけながら叫ぶ。
「絆だと!? 赦しだと!? 滅んだ民族が醜い戯言を……!!」
深く被られた頭巾の隙間から、歪んだ唇が映った。
「エルデア人め……。どこまで私の邪魔をする気……」
指先が震え、爪が食い込む。
「私の計画を……完璧だった私の計画を……よくも、よくも台無しにしてくれたなァァァ!!」
その叫びは、理性を失った獣のそれに近い。
兄の死をあざ笑うその声音に、ラウルの胸の奥で何かが切れた。
彼はゆっくりと立ち上がって、まだ涙の跡が乾いていない頬のまま、まっすぐ東の魔術師を見据える。
「……計画って何だ」
低く、鋭い声だった。
「何のために兄さんを利用した! 何を企んでいる!」
東の魔術師は肩をすくめ、愉快そうに笑う。
「子供に崇高な理想を語っても無駄だ。貴様には理解できぬ」
そう言い捨てると、踵を返し、闇の裂け目を開こうとした。
その瞬間。
ラウルの姿が掻き消える。
「逃がすか!」
地面を蹴る音が弾け、次の瞬間、拳が風を切った。
「なっ!?」
東の魔術師は身を捻って避けようとしたが、間に合わない。
鈍い衝撃音が森に響き、彼の身体は後方へと弾き飛ばされた。
地面に転がり、頭巾が外れる。
隠されてきた闇は、ついに暴かれた。
そこに現れたのは、尖った耳を持つ白髪の青年だった。
赤い瞳が、ゆっくりとラウルを射抜く。
その場にいた全員の背筋に、冷たい汗が流れた。
「……まさか……」
ロニーが震える声で言う。
「あなた……魔族なのですか」
レグナスも息を呑む。
「魔族って……とっくに絶滅したはずだろ……」
ラウルは拳を握り締め、改めて問い詰めた。
「答えろ。お前は何者だ!」
白髪の青年は、しばらく黙っていた。
やがて、諦めたようにため息を吐く。
そして、赤い瞳でラウルたちを睨みつけた。
「……いいだろう。隠す必要もなくなった」
口元を歪める。
「我が名はヴァイス。魔族の生き残りだ」
森の空気が、ぴたりと張り詰める。
「私は、滅びた魔道国ノクティルカを復活させるために動いている」
その名を聞いた瞬間、フィオナの表情が変わった。
「ノクティルカ……?」
険しい声で、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「大陸東部にあった小国。魔族の住処で、高度な魔法技術を持っていたと伝承には書いてあるわ。
……でも、ある日突然、歴史から消えたと」
ヴァイスは薄く笑った。
「よく勉強しているな、人間の娘」
しかし、すぐにその笑みは消える。
「だが一つ訂正しよう。ノクティルカは“消えた”のではない。“潰された”のだ」
低く、重い声。
「……真夜中だった」
ヴァイスの声が、わずかに低く沈む。
「星は空を飾っていて、子供たちは穏やかに微睡んでいた」
赤い瞳が、遠い記憶を見つめるように細められる。
「そんな穏やかな夜に、奴らは大量の攻城兵器で……、ノクティルカに攻め込んだんだ。
気付いたら、燃え盛る石の雨が降っていた。家も、塔も、広場も、すべて炎に包まれた」
拳が震える。
「母が子を抱えて走り、父が結界を張り、若き術師たちが炎と雷で応戦した」
ヴァイスの声に、押し殺した激情が混じる。
「だが数が違った。奴らは笑いながら、遠くから石を降らせ、火を放ち、逃げ惑う我らを
嘲笑っていた」
目が血走る。
「やがて結界は砕けて、皆の魔力は尽きた。
その隙に、奴らは街に流れ込んで、大人も子供も女も虐殺していた……」
一瞬、言葉が詰まる。
「……私は、運よく瓦礫に覆われて、何とか生き長らえた」
爪が掌に食い込む。
「誰も守れなかったんだ! 私は、何もできなかった!
ただ侵略者どもが去るのを待つしかできなかった……」
怒りと悔恨が、声を震わせる。
「それを……“歴史から消えた”などと、軽々しく語るな」
森の空気が重く沈む。
その時、黙って聞いていたレグナスは恐る恐る尋ねる。
「……その奴らとは、まさか……」
「あぁ、お前ら、人間だぞ!!」
その怒りに満ちた声は、森の静寂を裂いた。
「お前らの先祖は奪った。ノクティルカの魔導炉も、術式も、研究も。今お前たちが使っている
魔法の基礎は、我らの血の上に築かれているのだ!」
ヴァイスの口から放たれたその言葉は、ラウルの心を震わせた。
自分の知らない世界の闇を、また一つ知ってしまった。
それでも、ラウルは素直にその言葉を受け入れることができなかった。
「ヴァイス、お前が言っていることが本当なら、確かに俺らに非があるだろう。
でも、それはエルデアを滅ぼしていい理由にはならない!
お前はただ自分の欲望で人を傷つけているだけだ!」
ラウルの反論を聞いたヴァイスは、目を丸くして、腹を抱えながら呟いた。
「欲望だと? ハハハハッ!! お前、本当に世間知らずのガキだな。
ここまで説明しても、まだ分からないのか?」
「な、何を?」
「ノクティルカを潰して、その技術を奪ったのは、お前らエルデア人だったんだ!
お前らが使っている獣武装、国全体を覆う大結界、その時間を操る魔道具、
全部、全部ノクティルカから盗んだ技術だぞ!」
ヴァイスは赤い眼差しでロニーが抱えている水晶を睨みつけた。
突然睨まれたロニーは一瞬怯んだように一歩引き下がったが、すぐにヴァイスに向き直って、
力強く言葉を返した。
「エルデア人はそんな野蛮なことしない! 俺らは自ら知恵を振り絞って、王国を築き上げたんだ!
この「時の揺り籠」も……、何年もかけて師匠と一緒に作ったんだ」
「知恵? 猿みたいなお前らに知恵等あるものか!」
ロニーの言葉を遮るように、ヴァイスの悲痛な叫びが森に響いた。
相反する正義がぶつかり合って、両者は言葉を発しないままお互い睨みあっていた。
しばらく沈黙が続いた後、ヴァイスは歪んだ笑みで語り出した。
「まあいい。その魔道具を奪って、今まで集めてきたオルゴナイトを過去に持ち帰って、
人間どもを滅ぼすつもりだったけど、もっと面白い事を思い付いた」
ヴァイスはそう告げて、視線をラウルに移した。
「だが、駒は潰されたし、今回はこれくらいにしてやろう」
「待て! 逃げる気か?!」
ラウルは慌てて両手剣ブレイヴフレイムを拾い上げて、ヴァイスに飛び込もうとした。
だが、ヴァイスと名乗った魔術師は、空気を裂くように腕を振るった。
ビリ、と不快な音がして、空間が黒く裂けた。
闇が扉のように広がり、その奥には底の見えない亜空間が揺らめいている。
「待て!」
ラウルが叫ぶより早く、ヴァイスはその闇へ足を踏み入れようとした、その時だった。
「ヴァイス様っ!」
横から細い影が飛びつく。
白いドレスの裾を泥で汚しながら、令嬢ドロテアがヴァイスの足にしがみついていた。
「お願い……お願いです……!」
乱れた髪の隙間から、涙に濡れた瞳が覗く。
「ライアンを……取り戻して……! あの子は、私のものよ……!」
必死に縋るその姿は、もはや気高い令嬢の面影などなかった。
ヴァイスは露骨に眉をひそめる。
「……鬱陶しい」
足を振り払おうとする。
「貴様にもう用はない」
「約束したんじゃないんですか! 私の息子を、取り戻してくれると!」
子供のように泣き叫びながら、ドロテアはさらに強くしがみつく。
「もう一度……首輪を嵌めれば……!」
「やめろ!」
ラウルの声が森に響いた。
「俺はライアンなんかじゃない! 絶対にお前の息子にならないぞ!」
怒りと嫌悪が混じった叫び。
ドロテアは一瞬、ラウルを睨みつけたが、すぐにまたヴァイスへ縋る。
「お願い……見捨てないで……!」
ヴァイスの赤い瞳が冷たく細まる。
「……面倒だ」
だが、森の気配を察したのか、舌打ちをした。
「これ以上ここにいるのは得策ではない」
彼は無造作にドロテアの腕を掴み上げる。
「きゃっ……!」
抵抗する間もなく、ヴァイスは彼女を引きずるようにして闇の裂け目へと踏み込んだ。
「待て、ヴァイス!」
ラウルが駆け出すが、黒い空間は無情にも閉じ始める。
最後に見えたのは、ヴァイスの赤い瞳と、泣き叫ぶドロテアの姿だった。
バチン、と音を立てて闇が消える。
森には、再び静寂が落ちた。
残されたのは、ラウルと仲間たち、そして黙って見守る獣たちだけだった。




