第56話 絆の名のもとに
――火花が散った。
鋼と鋼が噛み合い、森に甲高い音が響く。
「くっ……!」
ラウルは踏み込み、両手剣を振り抜く。
だが、セリオス殿下は軽く身を捻り、紙一重で受け流した。
「甘いな、ラウル」
金色の剣が閃き、逆に迫る。
ラウルは歯を食いしばり、刃で受け止めた。
「兄さん……!」
「その呼び名で呼ぶな!」
怒声とともに、衝撃が走る。
腕が痺れ、足元の土が抉れた。
「どうして、ここまで……!」
ラウルは叫ぶ。
「王国を、獣を……皆を、壊してまで欲しいものなんて――」
「理解する必要はない」
セリオス殿下は冷たく言い放つ。
「弱きものを排し、力ある者が立つ。それが王の理だ」
「違う!」
ラウルは踏み込んだ。
「守るために剣を振るうのが、王だ!」
刃がぶつかり、再び火花が散る。
互いの息が、至近距離で交錯した。
「理想を語るだけの王など、不要だ」
「それでも……俺は、兄さんを止める!」
剣は止まらない。
言葉は届かず、想いだけが、刃となってぶつかり合っていた。
剣と剣が、何度も火花を散らした。
重い金属音が森に響くたび、地面が震える。
ラウルは歯を食いしばり、両手剣を振り抜き続けていた。
「はぁ……っ、はぁ……っ……!」
獣武装の力が、全身を満たしている。
筋肉が軋み、骨の奥から熱が湧き上がる。
(……父さんと母さんが力を貸してくれているけど、やっぱり兄さんの方が強い……)
セリオス殿下は、まるで疲れを見せなかった。
軽やかに剣を受け、流し、反撃する。
「どうした、ラウル」
余裕を含んだ声。
「獣の力を借りて、その程度か?」
光を纏う剣が、鋭く振るわれる。
ラウルは間一髪で受け止めたが、衝撃が腕を痺れさせた。
(父さん……母さん……俺、勝てるのか?)
心の奥で、二つの気配を感じる。
――立て、ラウル。
――恐れるな。
その声に、ラウルは再び前へ出た。
「まだだ……! 俺は……!」
叫びとともに、剣を振るう。
だが、セリオス殿下は一歩退き、距離を取った。
「……ふん」
小さく息を吐き、剣を構え直す。
「このままでは埒が明かぬな。ラウルよ、お互いの必殺技で、決着を付けよう」
そう告げて、剣を高く掲げた。
剣先に、眩い光が集まり始める。光は球となり、脈打つように膨れ上がった。
森が、金色に染まっていく。
「……何だ、この光?!」
ラウルは次で全てが終わると悟った。
すぐに両手剣を握り直して、両手剣ブレイヴフレイムに意識を向ける。
(ブレイヴフレイム、頼む! 炎を出してくれ! あの巨人を倒した炎を……!)
ラウルは胸の奥に、熱を思い描く。
生き抜いてきた炎。守るための炎。
そして、短く唱えた。
「……イグニート」
その瞬間、ブレイヴフレイムの刃から、螺旋状の炎が立ち上った。
熱風が吹き荒れ、木々がざわめく。
「ほう……」
セリオス殿下が、楽しげに口角を上げる。
「その技……中々強そうだな。だが、私に届かぬ!」
二人の剣が、同時に前を向いた。
「行くぞ、ラウル!」
「来い、兄さん!」
二人は同時に地面を蹴った。
炎と光が、正面から激突した。
轟音と共に、衝撃波が森を揺らす。
木々が軋み、葉が舞い上がる。
「……なんていう威力だ!」
離れた所でキメラと戦っているレグナスとフィオナが、思わず息を呑む。
ロニーも、言葉を失ったまま、その光景を見つめていた。
ラウルは歯を食いしばり、剣を押し出す。
「……うおおおおっ!!」
腕が悲鳴を上げる。
全身が、焼けるように熱い。
だが――
「はははは!」
セリオス殿下が、嗤った。
「足りぬな」
その背後で、金色のライオン――バルグラントが、苦悶の声を上げる。
光が、さらにセリオス殿下へ流れ込む。
「……やばい、押される!」
セリオス殿下からの圧力が、一気に跳ね上がった。
ラウルの足が、地面を削りながら後退する。
(くっ……!)
その時だった。
――パキッ。
嫌な音が、確かに聞こえた。
両手剣ブレイヴフレイムに、細かな亀裂が走る。
「……嘘、だろ……?」
刃が、悲鳴を上げる。
「終わりだ!」
セリオス殿下が、吼えた。
光が、限界まで膨張する。
そして、次の瞬間。
――砕けた。
乾いた、嫌な音がした。
「……っ?」
一瞬、何が起きたのか分からなかった。
視界が白に染まり、世界が裏返る。
腹部を、焼けた鉄杭で貫かれたような衝撃が走った。
「がっ……ぁ……っ!!」
喉から赤い液体が溢れた。
肺がうまく動かない。息が吸えない。身体が宙を舞い、背中から地面に叩きつけられる。
鈍い衝撃で骨が悲鳴を上げる。
(……なに、が……)
視線を落とした瞬間、理解した。
腹に――穴が空いている。
熱い。
焼けるように熱いのに、同時に、ぞっとするほど冷たい。
血が、止まらない。
自分の中から、命が零れ落ちていく感覚。
(……痛い……)
そんな言葉じゃ、足りない。
(怖い……)
胸の奥が、きゅっと縮む。
視界の端が、暗く滲み始める。
地面に叩きつけられた衝撃すら、もう遠かった。
熱いはずの血が、冷えていく感覚だけが、やけに生々しい。
(……俺は、このまま……終わるのか……?)
視界は滲み、空と木々の境界が溶けていく。
耳の奥で、歪んだ笑い声が響いた。
「はは……はははは!」
セリオス殿下だった。
勝者の余裕に満ちた声。見下ろす視線が、肌に突き刺さる。
「哀れだな、ラウル。それが“守る”と決めた者の末路か?」
血まみれの身体を、面白がるように眺めながら、彼は満足げに笑った。
「絆も、仲間も――結局は無力!
最初から、私に敵うはずがなかったのだ」
その声が、遠ざかっていく。
「――ラウル!!」
そして、重なった叫び声が響いた。
駆け寄る足音。
土を踏みしめる、焦った気配。
「ラウル! ラウル、しっかりしろ!!」
レグナスの声だった。
彼は震えた腕でラウルの頭を抱き上げた。
「おい……聞こえるか……!? 返事しろよ……なあ……!」
必死に呼びかける声が、ラウルの胸を締めつけた。
「……やだ……」
震えた声が、すぐ近くで聞こえる。
フィオナだった。
涙をこぼしながら、彼女はラウルの腹に手を伸ばす。
「今……今、治すから……! 大丈夫……大丈夫だから……!」
必死に詠唱が紡がれる。
青白い光が、ラウルの身体を包もうとする――
だが。
「……っ」
光は、傷に触れた瞬間、掻き消えた。
深く抉られたラウルの腹部は、血が止まらず、生命が零れ落ちていく。
「……そんな……」
フィオナの声が砕ける。
「治らない……。……傷が……深すぎる……!」
その言葉に、空気が凍りついた。
「……どいてください」
今度は、ロニーの声。
震える手で、ラウルの右手を握りしめる。
「治癒魔法がだめなら、時間を巻き戻す魔法で治せるかもしれない」
ロニーはそう呟いて、必死に詠唱を試みる。
だが――何も起きない。
「……そんなバカな?! 俺の魔力は、尽きた?!」
ロニーは何度も呪文を唱えようとしたが、魔力は応えない。
彼の肩が、がくりと落ちた。歯を食いしばり、唇から血が滲む。
「……俺が……、俺が……もっと力を残していれば……! ラウル殿下、申し訳ございません……」
悔恨の声が、震えながら落ちていく。
「ラウル……」
低く、掠れた声。
ガルクだった。鋭い牙を噛みしめ、爪が地面を削る。
「……すまぬ……。父として……何も……」
その隣で、ベアトリスもまた、ラウルを見つめていた。
大きな手が、そっとラウルの頬に触れる。
「……よく……頑張ったね……」
声は、震えていた。
怒りも、悲しみも、どうすることもできない。
ただ、歯ぎしりするしかなかったように映った。
(……みんな……)
ラウルの意識は、ゆっくりと沈んでいく。
声が遠のいていく。
光が滲む。
(……ごめん……)
謝りたかった。
守るって、言ったのに。視界が、完全に暗くなる。
音も、温もりも、すべてが薄れて――
ラウルの意識は、深い闇へと落ちていった。
しばらくして、ラウルは再びまぶたの裏に光を感じた。
――明るい。
ゆっくりと目を開けると、そこは森でも、学院でもなかった。
どこまでも広がる、色鮮やかな草原。
柔らかな緑が風に揺れ、花々が静かに息づいている。
「……ここ、は……?」
戸惑いながら、ラウルは上体を起こした。
(……あれ? 痛くない……)
あれほど血を流し、骨まで砕かれたはずの体は、どこにも傷がなかった。
指を握ってみると、力が入る。軽い。まるで、何事もなかったかのように。
そのとき、ラウルは自分の姿に気づいた。
「……え? 何だ、この白い服?……」
身にまとっているのは、見覚えのない白い衣。
柔らかく、清らかで、どこか儀式めいた佇まいだった。
空を見上げると、青空を白い雲がゆっくりと流れていく。
微風が吹き、長い黒髪を優しく揺らした。
胸の奥が、静かに落ち着いていく。
不思議と、恐怖も不安もなかった。
――そのとき。
「……ラウル」
背後から、名を呼ぶ声がした。
ラウルは即座に振り返って、声の主を確かめた。
そこに立っていたのは、一人の男性と、一人の女性だった。
男性は、逞しい筋肉に覆われた体を持ち、肩まで伸びた白髪と、立派な髭をたくわえている。
その佇まいには王の威厳がありながら、眼差しは驚くほど穏やかだった。
隣に立つ女性は、腰まで流れる艶やかな黒髪と白い肌を持ち、細身の体に優しい黄色の瞳を湛えていた。
その視線は、まるで何年も探し続けていた宝物を見るようだった。
「……」
初めて会ったはずなのに、ラウルは胸がきゅっと締めつけられると感じた。
懐かしい。
どうしようもなく、懐かしい。
気づけば、ラウルはふらふらと二人に近づいていた。
「……カイレオン、陛下……?」
「……リアナ、王妃……」
ぽつりと零れた名に、女性――リアナは、はっと息を呑み、深く頷いた。
そして、リアナ王妃と呼ばれた女性は、ラウルを強く抱きしめた。
「……ラウル……!」
震える声。
その腕は、驚くほど温かかった。
「母様……でいいのよ」
その一言で、何かが決壊した。
胸の奥から、熱いものが込み上げてくる。
気づいたときには、頬を伝って涙が零れていた。
この温もりは、違う。
育ての母ベアトリスとも、ドロテアとも違う。
――これは、失われていた“実の母”の温もりだ。
しばらくして落ち着いたラウルの頭を、リアナ王妃は優しく撫でた。
「大きくなったわね……また会えて、本当に嬉しい」
その言葉に、ラウルの胸は温かくなると同時に、わずかな恐怖が芽生えた。
「……母様。俺は……死んだんですか? ……ここは、どこなんですか」
リアナは、静かに首を振る。
「ここは安息の地。地上での役目を終えた、エルデアの民が安らぐ場所よ」
その答えを聞いた瞬間、戦場の光景が脳裏をよぎる。
セリオス殿下。
仲間たち。
まだ、終わっていない。
「……俺の役目は、まだ終わってません」
そう告げると、今度は男性――カイレオン陛下が一歩前に出て、ラウルの肩に手を置いた。
「その通りだ、ラウル。お前には、まだやるべきことがある」
ラウルは唇を噛みしめる。
「……兄を……セリオス殿下を止めなきゃいけない。でも……俺の力じゃ……」
その言葉に、カイレオン陛下は諭すように言った。
「お前は、まだエルデア人の本当の力を知らない」
そして、真剣な眼差しでラウルを見つめる。
「問おう。仲間を救う覚悟はあるか。闇に囚われた兄を、取り戻す覚悟はあるか」
ラウルに迷いはなかった。
「あります。仲間を救いたい。そして、兄を……闇から救いたい」
その答えに、カイレオン陛下は優しく手のひらをラウルの額に置いた。
「ならば、お前を次期国王として認めてやろう」
その言葉を受けた瞬間、ラウルの胸が大きく波打った。
「……次期、国王……?」
思わず、声が掠れる。
喜びよりも先に、戸惑いが込み上げてきた。
(……俺が? こんな、未熟で、弱い俺が?……)
ラウルは視線を落とし、拳を握りしめた。
「……無理です」
絞り出すような声だった。
「俺は、まだ何も成し遂げていません。剣も、力も……兄には及ばない。
守られてばかりで……他人を導くなんて……」
不安が、恐怖が、正直な想いが溢れ出す。
その様子を、カイレオン陛下は静かに見つめていた。
否定も、叱責もせず――ただ、父としての眼差しで。
やがて、陛下は低く、しかし確かな声で語りかける。
「ラウルよ、エルデア人の力は、剣でも魔力でもない」
その言葉に、ラウルは顔を上げる。
「我らの力の本質は――絆だ」
理解できず、ラウルは首を傾げた。
「……絆、ですか?」
カイレオン陛下は頷き、続ける。
「エルデアの国王に選ばれた者は、森に生きる、すべての獣の力を借りることができる」
その言葉に、ラウルの目が見開かれた。
「……全ての獣たちの、力を?」
「そうだ。だが、力は命令では得られぬ。信頼がなければ、応えてはくれない」
陛下の声に、悔しさが滲む。
「反乱の時……獣たちは、王家を信じてはいなかった。ゆえに、私はその力を使えなかった」
一拍置き、視線がラウルへ戻る。
「だが、お前は違う」
その声は、誇らしさを帯びていた。
「獣たちは、お前を受け入れている。守り、守られ、共に生きてきた。
その絆こそが――王の資格だ」
ラウルの胸に、森の記憶が蘇る。
父ガルクの咆哮。
母ベアトリスの温もり。
名もなき獣たちの眼差し。
(……俺は、ひとりじゃなかった)
ラウルは、ゆっくりと膝をつき、深く頭を下げた。
「……分かりました。俺は、まだ未熟です。でも……皆となら、歩ける気がします」
顔を上げ、真っ直ぐに言う。
「その力で、兄を止めたい。森も、人も……誰も失わないために」
その答えを聞いたカイレオン陛下は満足そうに微笑み、再び手のひらをラウルの頭に置いた。
「よろしい。この場で――」
声が、草原に響き渡る。
「ラウルを、正式に次期国王として認める!」
その瞬間。
光が弾け、周囲に白い衣を纏った老若男女が次々と現れた。
皆が拍手し、声を揃える。
「ラウル陛下!」
「新たなる王に祝福を!」
まるで王の凱旋を祝うように、白い衣をまとった民衆の間に喜びが弾けた。
突然の出来事に戸惑いながらも、ラウルは背筋を正して、カイレオン陛下に視線を向けた。
「……陛下、いや、父様、俺を認めていただき、感謝します」
カイレオン陛下は頷き、告げる。
「我が息子よ、新たな力で、役目を全うせよ」
ラウルは力強く頷いた。
「必ず……兄を止めます」
胸の奥で、確かに何かが変わっていた。
力の正体はまだ分からない。
だが、迷いは消えていた。
「……父様、ありがとうございました。では、森へ……戻らせてください」
その瞬間、ラウルの体がゆっくりと薄れていく。
草原も、空も、光へと溶けていく。
しかし、時間を超えてラウルに届いた親の温もりは、彼に勇気の炎を灯すのであった。




