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第52話 母を名乗る者

 焚き火の炎が、ぱちりと音を立てた。

赤い光が洞窟の壁を揺らし、獣と人の影を大きく伸ばす。

ラウルの姿に戻ったライアンはガルクの隣に座り、膝を抱えたまま火を見つめていた。

ロニーは少し離れた場所で、背筋を伸ばして座っている。

ベアトリスは焚き火の向こう側で、静かに皆の顔を見渡していた。

しばらく、誰も口を開かなかった。

やがてロニーが、深く息を吸う音が聞こえた。


 「……ガルク殿、ベアトリス殿。

  今回、私がラウルをこのタイミングで森へ連れ帰った理由を、きちんとお話しします」


 ガルクの耳が、わずかに動いた。

ベアトリスは黙って頷く。


 「失われていた王国の秘宝――

  『時の揺り籠』と、『盟約の書』を、私はようやく取り戻しました」


 焚き火がはぜる音が、やけに大きく響いた。

 

 「それを使い、この森を――

  永久に封印するつもりです」


 一瞬、空気が凍った。


 「……封印、だと?」

 ガルクの低い声が、洞窟に重く落ちる。

 「なぜだ」


 ロニーは視線を下げ、言葉を選ぶように一拍置いた。

 「まもなく、セリオス殿下と東の魔術師が動きます。

  彼らは、今もなおその秘宝を狙っている」


 ラウルの指先が、ぎゅっと握られる。

 「……俺の帰還も、もう気付かれているはずだ」


 ロニーはラウルを一瞬だけ見て、静かに頷いた。

 「力を失いかけているからこそ、

  彼らは急ぐでしょう。

  明日の朝にも、森を襲ってくる可能性が高い」


 ガルクの喉から、低い唸り声が漏れた。

 「……また、戦になるのか」


 ベアトリスが、ぽつりと呟く。

 「また……仲間が、傷つくのかい」


 焚き火の火が、小さく揺れた。

ロニーは、はっきりと首を振った。


 「いいえ。そうなる前に、封印を行います。太陽が昇ると同時に、大結界を起動する。

  それが、最も安全です」


 沈黙。

長く、重い沈黙。

やがてガルクは、大きく息を吐いた。


 「……ラウル」


 名を呼ばれ、ラウルは顔を上げた。


 「お前は……それでいいのか」


 ラウルは、焚き火を見つめたまま答えた。

 「……俺は、ここに帰ってきた。父さんと母さんがいて、皆がいる場所を、守りたい」

その声は、震えていなかった。


 ガルクはゆっくりと目を閉じ、やがて短く頷いた。

 「……分かった。ロニー、お前に託そう」


 ロニーは深く頭を下げた。

 「ありがとうございます」


 緊張が、少しだけ緩んだ。

ベアトリスが立ち上がり、ラウルの肩に手を置く。

 「今日は、もう休みなさい。長い一日だったろう」


ラウルは一瞬迷ってから、ガルクを見上げた。

 「……父さん。久しぶりに……その……」


 言い淀むラウルを見て、ガルクは鼻を鳴らした。

 「腹の上か。相変わらずだな」

そう言って、どっしりと地面に横たわる。


 ラウルは子供のように笑い、駆け寄ろうとして――

ベアトリスに軽く腕を掴まれた。

 「その前に」

彼女は洞窟の奥から、動物の皮で作られた服を持ってきた。

 「着替えなさい、ラウル」


 ラウルは目を輝かせ、受け取る。

腕を通した瞬間、胸の奥がきゅっと締めつけられた。

懐かしい匂い。

守られていた記憶。

思わず俯いたラウルは、ふと首元に手をやった。

 「……牙の首飾りが……」


 ラウルの様子に気付いたロニーが、静かに笑って、小袋を差し出した。

 「袋、開けてみろ」

 言われるままに小袋を開くと、砕かれたはずの牙の首飾りが、元通りになっていた。


 「……ありがとう、ロニー……!」


 「直しただけだ。持ち主の元に、あるべきものだからな」


 ラウルは首飾りを身につけ、深く息を吐いた。

 「……これで、俺は……」


 ガルクとベアトリスが、同時に頷く。

 「帰ってきたな、ラウル」

 「おかえり」


 ラウルは微笑み、そしてガルクの腹に身を預けた。

焚き火の音だけが、静かに夜を満たしていた。

――嵐の前の、ほんの短い安らぎとして。



 翌朝、ラウルは穏やかな息とともに目を覚ました。

頬に触れるのは、懐かしい父の毛並み。柔らかくて、温かくて、安心できる感触だった。


 「……よく眠れた」

 思わず小さく呟く。

久しぶりに、夢を見ずに眠れた気がした。


 身を起こして周囲を見渡すと、洞窟の中はすでに朝の気配に満ちていた。

焚き火は小さく保たれ、洞窟の天井から差し込む光が、ゆっくりと円を描いている。

ベアトリスは火のそばで鍋をかき混ぜていた。

ロニーは少し離れた場所で、膝をつき、水晶玉――時の揺り籠を丁寧に磨いている。


 ラウルの気配に気付いたベアトリスが、穏やかに微笑んだ。

 「おはよう、ラウル。ちょうどいいところだよ」


 差し出された木のボールから、湯気が立ち上る。

ラウルは目を輝かせて、両手で受け取った。

 「ありがとう、母さん」


 一口含んだ瞬間、胸の奥まで熱が染み渡った。

野草と肉の、素朴で力強い味。

体が、ゆっくりと目覚めていくのが分かる。

 「……やっぱり、この味だな」


 ぽつりと漏れた言葉に、ガルクが鼻を鳴らした。

 「当然だ。お前の体は、森のものだからな」


 スープを飲み終えた頃、ロニーが立ち上がった。

その表情は、どこか硬い。

 「ラウル。早く準備しろ。すぐ出発するぞ」


 唐突なロニーの声に、ラウルは思わず顔を上げた。

 「出発……? どこへ?」


 一瞬、ロニーの視線が揺れる。

それから、覚悟を決めたように静かに言った。


 「城があった場所だ。そこで、時の揺り籠を起動させる」


 その言葉を聞いた瞬間、ラウルの胸がきゅっと締めつけられた。

記憶の奥底に沈めていた、母の声がよみがえる。

――北へ行ってはいけない。

――決して、森の北側へは近づくな。


 理由は教えられなかった。

ただ、「恐ろしいものがあるから」とだけ、何度も、何度も。

ラウルは幼い頃から、その言いつけを疑わずに守ってきた。

北へ続く獣道には一度も足を踏み入れず、視線を向けることすら避けてきた。


 「……もしかして」

喉がひりつく。

 「その城って……森の、北側に……?」


 恐る恐る問いかけると、ロニーははっきりと頷いた。

 「そうだ」

その一言で、すべてが繋がった気がした。

ベアトリスが決して詳しく語らなかった理由。

北を話題にするたび、声がわずかに強張っていた理由。


 ベアトリスの表情が、静かに曇る。

ガルクは低く唸り、奥歯を噛みしめた。

 「あの場所には……

  お前に見せるべきじゃないものが、あまりにも多すぎる」


瓦礫。

血の跡。

そして、帰らなかった命。

ラウルは、初めてその言葉の裏にある真実を悟った。


 ロニーは水晶玉と盟約の書を胸に抱き直し、きっぱりと言う。

 「時間がない。今すぐ――」


その時だった。


 洞窟の外から、切迫した叫び声が響いた。

 「ガルク様! 大変だ!」

 猿の獣が息を切らしながら駆け込んでくる。


 「森の東の入口に、人間が……!

  狩人が、大勢現れました!」


 ラウルの背筋に、冷たいものが走った。

 「……ドロテアだ」


 思わず漏れた声に、ガルクが鋭く目を細める。

 「やはり来たか」

不敵な笑みを浮かべ、ゆっくりと立ち上がった。

 「封印の前に、まず邪魔者を片付ける」


 ロニーも静かに頷く。

 「同意します。放置すれば、必ず背後を突かれる」


 ガルクは猿に短く命じた。

 「案内しろ。そいつらを歓迎しねぇとな」


 ラウルは拳を握りしめ、皆の背中を見つめた。

――ついに、避けられない時が来た。

一同は足並みを揃え、森の東へと向かって走り出した。



 森の東の入口に到着したラウルは、見慣れた女の姿を見た瞬間、胸の奥が、冷たく締めつけられた。


 「……ドロテア」

 その名を聞いた女は、にやりと笑い、

次の瞬間――その笑みを、はっきりと歪めた。


 「……なに、その姿」

 視線は、真っ先にラウルの髪へ向けられていた。

腰まで伸びた野生の色をした長い黒髪。

獣の匂いをまとった体。

牙の首飾り。


 「気持ち悪い……」

 吐き捨てるような声だった。

 「せっかく私が整えてあげたのに。

  ちゃんと“人間の子”にしてあげたのに……

  どうして、そんな獣みたいな姿に戻っているの?」


 ドロテアの背後で、狩人たちが一斉に緊張する。

だが彼女は構わず、一歩、また一歩と前に出た。


 「ライアン。戻りなさい」

 その呼び名に、ラウルの肩がぴくりと揺れた。

 「あなたは人間よ。

  清潔で、従順で、賢くて……

  私の言うことを聞いていれば、ちゃんと幸せになれたのに」


 ラウルは、静かに息を吸った。

 「……俺は、ライアンじゃない」

 低い声だったが、はっきりとしていた。

 「俺の名前は、ラウル!

  獣の子だ。あんたの息子じゃない」


 一瞬、ドロテアの表情が凍りついた。

だがすぐに、笑みが張り付いたように戻る。

 「そんなこと、今さら言っても無駄よ」

 声が、甘くなる。

 「怖かったのね? 森に戻って、変なことを吹き込まれたんでしょう?」


 彼女の視線が、ゆっくりとロニーへ移った。

 「……ロニー」

怒りを含んだ声。

 「あなた、何をしているの?」


 ロニーは、何も言わずにドロテアを見返した。

その沈黙が、彼女の神経を逆撫でするようだった。


 「私が、どれだけ信頼していたと思っているの。

  あの子の世話を任せていたのに……

  まさか、森へ逃がすなんて」


 ラウルが、前に出た。

 「ロニーは、俺を助けただけだ」


 ドロテアの視線が、再びラウルに突き刺さる。

 「黙りなさい」

今度は、はっきりとした怒声だった。

 「あなたは、私のものよ。

  私が守って、私が育てて、私が決める」


 ラウルの拳が、ぎゅっと握られる。

 「違う」

 震えはあったが、退かなかった。

 「俺は、誰のものでもない。

  もう、首輪もない。

  言葉も、味覚も、髪も……全部、取り戻した」


 一拍の沈黙。

その間に、ドロテアの顔から、完全に“母の仮面”が剥がれ落ちた。


 「……なら、仕方ないわね」

声が、冷える。

 「言葉で分からないなら――

  力づくで連れ戻すしかない」


 彼女は、背後に手を伸ばした。

 「捕まえなさい。今度こそ、逃がさないで」


 その合図と同時に、狩人たちは一斉にライフルを構え、銃口を森へ向ける。

照準の先にいるのは、ラウルを囲むように立つガルクとベアトリスだった。


 「撃ちなさい」

 冷たく、命令が落ちる。

 「獣は皆殺し。

  ――ライアンだけは、生け捕りよ」


 狩人たちの喉が、ごくりと鳴った。

その瞬間だった。

――――ォオオオオオオオオオッ!!

森を震わせる、獰猛な咆哮。

ガルクが前に出て、胸を張り、牙を剥き出した。

その声は命令であり、宣告だった。


 森の奥が、ざわりと動く。

木々の影から、

地を揺らして現れる巨大な熊。

牙を鳴らす猪。

枝を這う無数の蛇。

猿の群れが木々を渡り、

上空では鷲が羽音を轟かせた。


 数が、違う。

気迫が、違う。

狩人の一人が、後ずさる。

 「……お、おい……」


 だが、ドロテアは叫んだ。

 「怯むな! 撃てと言っているでしょう!!」


 震える指で、引き金が引かれる。

銃声が、森を裂いた。

同時に――

獣たちが、動いた。

熊が突進し、狩人を地面へ叩き伏せる。

猪が横薙ぎに突き上げ、隊列を崩す。

猿たちは銃を奪い、枝へと消え、

蛇が足に絡みつき、

鷲が上空から狙撃手を引き剥がす。

森は、銃声と咆哮で満たされた。


 その時、ラウルは一歩、前へ出ようとした。

 「父さん、俺も――」


 だが、ガルクは振り返らず、首を横に振った。

 「いい」

 低く、しかし確かな声だった。

 「お前は、もう十分戦った。

  今は――俺たちに任せろ、ラウル」

その背中は、大きく、揺るがない。


 ラウルは歯を食いしばり、言われた通り、ガルクの背後へ下がった。

混乱の中、ドロテアは獣の壁の向こうにいる少年を見つめ、声を張り上げた。


 「ライアン……!」

 その声は、懇願のようでいて、命令だった。

 「戻りなさい。あなたの居場所は、こんな汚らしい森じゃないわ」


 彼女は一歩、また一歩と進もうとする。

だが、ガルクを先頭に、獣たちは一斉に前へ出た。

低い唸り声が、森を満たす。


 「邪魔よ……退きなさい!」

 ドロテアは苛立ちを隠そうともせず、獣たちを睨みつけた。

 「命令よ! どきなさい! ライアンは――私の息子なの!!」


 獣たちは動かない。それどころか、さらに距離を詰め、牙と爪を見せつける。

ドロテアの表情が、醜く歪んだ。

 「……もう、いいわ」

 吐き捨てるように呟き、彼女は銃を構えた。

 「どきなさい。撃たれたくなければ――」

引き金が、引かれる。


 その瞬間だった。

 「――やめろ」

 低く、鋭い声。

 ロニーが前に出て、手をかざす。

 「……お前の好きには、させない」


 彼の口から、短い詠唱が零れ落ちた。

 「《クロノ・ストップ》」


 放たれた弾丸は――

空中で、ぴたりと止まった。

回転するはずの鉛が、静止したまま震え、やがて力を失って、地面に落ちる。


 「……は?」

 ドロテアの目が、大きく見開かれる。

 「な、なにを……!」


 彼女は狂ったように引き金を引いた。

一発、また一発。

だが、弾丸は次々と空中で止まり、

無力な鉄屑となって落ちていく。


 「ふざけないで!!」

 甲高い叫びが、森に響いた。


 「返しなさい!

  ライアンを!!

  あの子は私が育てた!

  私が、私の理想通りに――!」


 ロニーは、静かに首を振った。

 「違う」

一歩、前へ出る。

 「お前は奪っただけだ。

  名前も、自由も、心も」

彼の視線は、冷たく、しかし揺るがない。


 「――もう終わりだ、ドロテア。

 ラウルは、誰の所有物でもない」


 ドロテアは歯を食いしばり、銃を握りしめた。

彼女は、膝を震わせながら、周囲を見回す。

静まり返った森で、立っているのは、ドロテアだけだった。

 「……どうして……」

 掠れた声。

 「どうして……

  息子に、会わせてくれないの……」

愛情と絶望が、歪んで滲む。


 その時――

空が、突然裂けた。


 「困っているようですね」

 どこか楽しげな声が、上空から降ってくる。


 裂け目の向こうから現れたのは、黒衣の男と、金色の光を纏う青年。

森の空気が、一気に凍りついた。


 ロニーは、その姿を見た瞬間、

顔から血の気を失い、震えた声で名を呼んだ。


 「……セ、セリオス……殿下……」

 思わず、一歩、後ずさる。


――本当の戦いが、ここから始まる。


皆さん、明けましておめでとうございます!

今年もよろしくお願いします♪

さあ、物語はいよいよクライマックスに突入します。

ラウルと獣達の運命を、どうか最後まで見届けてください。

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