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第46話 獣の血が呼ぶとき

 ――暗闇。


 重い。

息ができないほど身体が沈んでいく。

 (……ここ……どこ……?)

 

 ライアンはうつ伏せで倒れたまま、指一本動かすことさえできなかった。

視界は真っ暗で、ただ痛みの残滓だけが全身にへばりついている。


 そのとき――

銀色の光が、暗闇を切り裂いて近づいてきた。

ふわりと漂う霧のように輪郭を結び、やがて四本の足が地を踏む音が響く。


 ――狼だ。

大きく、美しく、威厳のある銀狼。

その瞳は鋭く、それでいてどこか懐かしかった。


 「……無様だな。牙を折られた狼のようだ」

 その声を聞いた瞬間、ライアンの胸に何かが突き刺さった。


 「……もう……折れてるよ……とっくに……」

 弱々しい声がこぼれる。

 

 銀狼は鼻で笑うように小さく息を鳴らした。

 「このまま眠りたいのか? まだ――やることがあるはずだ」

 

 その問いが、深い井戸の底に落ちていた記憶を掬い上げる。

巨人の閃光、レグナスの崩れ落ちる姿、フィオナの涙。

自分は……守れなかったのか。


 「……勝てないよ。俺じゃ……無理なんだ……」


 銀狼はゆっくりと近付いて、ライアンの顔を覗き込んだ。

 「思い出せ。お前に流れている力を」


 「……力? 何も残ってないよ……全部、奪われた。思い出の髪も……誇りも……俺にはもう……何も……」

 

 その瞬間――

 「――情けないことを言うな!!」

 銀狼の咆哮が世界を震わせた。


 「奪われたら奪い返せ! 牙を折られたなら、爪で噛みつけ!

  お前はそんな弱い子ではない!!」

 

 胸の奥が熱くなる。

燃えるような何かが血流に乗って広がっていく。

腕に力が戻る。

足に力が宿る。

全身を焼いていた痛みが、ゆっくりと薄れていく。

 

 ライアンは銀狼を見上げた。

銀狼は微笑んでいた。誇らしげに、温かく。

 「お前は一人ではない。俺たちがいる。獣たちがいる。

  ――共に戦うぞ、ラウル」

 

 その名を呼ばれた瞬間、森の光景が脳に溢れた。

父狼――大きな背に乗って走った日々。

母ゴリラ――優しく抱きしめてくれた腕。

一緒に木登りをした子狼たち。

頭上を飛ぶ鷲、木陰から覗く熊、草を揺らす蛇。

 

――全部、自分の家族だ。

 

 熱が爆ぜた。

焼けただれた肌が再生し、傷が消えていく。

気力が満ち、視界が鮮明になる。銀狼はゆっくりと頷いた。


 「さあ――お前の真の名を叫べ。獣の子よ」

 

 ライアンは目を開けた。

倒れた石床の上で、ゆっくりと身体を起こし、落ちていた両手剣ブレイヴフレイムを握る。

胸の奥で何かが吠えた。


 そして――


 「俺は……獣の子、ラウルだぁ!!」

 

 叫びと共に、爆ぜるような風が周囲を駆け抜けた。

床に亀裂が走り、空気が震え、巨人の唸り声が遠くで反響した。

少年の体から立ち上る気配は、もはやただの人間ではなかった。

ライアンの咆哮は、石の円形広間に轟き、空気そのものを震わせた。


 その余韻が静かに消えていくと――遠くから、かすかな声が届いた。

 「……ライ、アン……?」

 「今の……あなた、なの……?」


 振り向くと、膝をついたままのレグナスとフィオナが、恐怖と困惑の入り混じった表情でこちらを

見つめていた。今の咆哮が、あまりにも“人のものではなかった”からだ。

 

 ライアンはそっと微笑んだ。

どこか優しく、しかし確かな自信を宿した表情で――二人に小さく頷いてみせる。


 「大丈夫。すぐ終わらせる……だから、隠れてて」

 その声には不思議な説得力があった。

 

 レグナスは息を呑み、フィオナの腕を取ると、戸惑いながらも石柱の陰へ走っていった。

ライアンは再び巨人へ視線を戻した。

巨人の足は完全に再生し、赤い瞳で獲物を見るようにライアンを捉えている。

大地を揺らして、一歩、また一歩と迫ってくる。


 (来い……)


 ライアンは両手剣を強く握りしめ、巨人に向かって地を蹴った。

その跳躍は先ほどまでの彼とは別物――まるで獣が獲物へ飛びかかる瞬間だった。

巨人は吠え、六本の拳を乱雑に振り下ろした。


 その瞬間――


 《右だ、ラウル! もっと低く潜れ!!》

 父狼の野太い声が脳内を震わせた。


 「ガァッ!!」

 ライアンは本能のまま喉を震わせ、獣のような唸り声を漏らしながら地を滑るように回避する。

その勢いのまま、巨人の腕に斬撃を叩きつけた。

肉が裂け、腕が飛ぶ。


 《そこで止まるな! 次だ、左上から来るぞ!!》


 「オォォォッ!!」

 雄叫びを上げながら振り返りざまに剣を振り抜くと、降りかかる別の腕が真横に断ち割られた。

切り落とされた腕は光粒になって消え、すぐに再生しては再び襲いかかる。


 「しつこいんだよッ!!」

 ライアンは叫びながら走った。


 巨人の拳の雨の中、ひとつひとつの攻撃に父狼の声が重なる。


 《もっと速く! もっと激しく!》

 《お前の声を轟かせろ、ラウル!!》


 その声が流れ込むたびに、筋肉がさらに熱を帯び、視界が鋭さを増す。

 (何だこれ……。体が軽い……。これなら勝てる!)


 動きに迷いは一切なくなり、剣は稲妻のように唸りを上げて巨人の腕を次々と断ち切った。

巨人は怒気を孕んだ雄叫びを上げ、いったん拳を止めると――

赤黒い光が瞳に集まり始めた。

フィオナが息を呑む声が後方から聞こえた。


 (……来る!)


 巨人はライアンを射抜くように顔を上げ、灼熱の閃光を放つために魔力を収束させていく。

目は灼けるような真紅――

広間に重い振動が走った。

ライアンは剣を構えたまま、牙を剥くように低く唸って、跳躍した。

 「また……灼熱の閃光を放つつもりだな!」


 石柱の上に着地したライアンは、その光に射抜かれそうになり、思わず足がすくんだ。

(……また、あの痛みが来る……!)


 瞬間、全身に走ったあの焼けつく痛みが脳裏に蘇る。

骨が砕け、皮膚が焼け、呼吸さえ奪われた、あの絶望。


 ――怖い。

 その弱音が心の底から浮かび上がった、その時だった。


 『怯むな――ラウル! まだ折れるな! 吠えろ!!』

 雷鳴のような父狼の咆哮が、ライアンの胸を激しく打ち抜いた。

その声は怒りでも嘲りでもなく、まっすぐな叱咤と愛情の混じったものだった。


 『痛みを恐れるな! お前は獣の子だ! 立て、ラウル!!』


 ライアンの喉が震えた。

胸の奥に、小さく灯った火が次第に膨れ上がっていく。

そんな時――ふと、ガラントの言葉が脳裏に滲んだ。


――その剣は、おまえの心に応える。

――強く願えば、必ず力を貸してくれる。


 ライアンは深呼吸し、まぶたを閉じてレグナスとフィオナの笑顔を思い浮かべた。

二人を守るために、自分はここに立っている。


 (……守る。今度こそ、絶対に守る――!!)

 

 その決意をブレイヴフレイムへと託した瞬間――

剣の表面に赤い幾何学模様が鮮烈に浮かび上がり、眩しい光を放ちはじめた。


 「……頼む! 俺に力を――!!」


 叫びとともに石柱を蹴る。風を裂き、巨人の顔面へ向かって一直線に飛び込んだ。

瞬間、ブレイヴフレイムの周りに螺旋状の業火が巻き起こり、轟音と共に空間が震えた。


 「喰らえええぇ!!――《ブレイヴ・インフェルノ》!!」

 

 炎を纏った剣が巨人の額へ叩き込まれる。

火花が散り、巨人の目の前に展開されていた赤黒い魔法陣が、ガラスのように砕け散った。

巨人が怒号を上げる。


 『──グオオオオォォッ!!』

 

 ライアンは力の限り剣を押し込み、そして――


 「うおおおおおぉぉッ!!」

 雄叫びとともに、ライアンは剣を縦に振り下ろした。

螺旋炎が尾を引きながら燃え上がり、巨人の身体を真っ二つに裂いた。

 

 瞬間――。

 

 六腕の巨人は信じられないというように赤い瞳を見開き、

喉の奥から、地鳴りのような断末魔を絞り出した。


 「――――ガアアアアァァァァ……!」

 

 裂け目が全身へ走り、巨体が大地を揺らしてよろめく。

それでも巨人は、消えたライアンの姿を探すように空を睨みつけ、最後の抵抗のように六本の腕を

震わせた。


 しかし、その腕も膝も、ついには力を失った。

巨人の赤い瞳が虚空を見つめたまま――

ゆっくりと、崩れ落ちていく。


 ドンッ、と床が震えた。

遅れて、その巨大な肉体は淡く光り始め、

ひび割れるように形を失っていった。


 そして……。

その身体は光の粒となり、静かに、雪のように舞い散った。

赤い残滓が空気に溶け、炎の渦が消えていく。

光の雨が完全に消えた時――

ライアンは剣を握ったまま、静かに吐息を漏らした。

次の瞬間、ライアンは剣を掲げ、獣のような咆哮を上げた。


 「――ウォォォォオオオオッ!!」

 その勝利の声は広間に響き渡り、空気さえ震わせた。

 

 その声に反応したように、石柱の陰からレグナスとフィオナがそろそろと姿を現す。

 「……か、勝った……のか……?」

レグナスはまだ信じきれないというように、巨人が崩れ落ちた残光を見つめていた。


 フィオナも胸に手を当て、震える声で言う。

 「ライアン……本当に……巨人を倒したの……?」

 

 ライアンは荒い息を整えながら、二人に向かって柔らかい笑みを浮かべた。

 「二人とも……怪我はない?」

 

 その一言で、レグナスとフィオナの緊張が一気に解けた。

二人は同時に目を潤ませ、ようやく現実を理解したように顔を見合わせた。

次の瞬間――


  「「ライアン!!」」

 二人は勢いよく駆け寄り、ライアンに飛びついた。

レグナスは豪快に、フィオナは泣き笑いの表情でしがみつく。

ライアンは驚きながらも、そっと二人を抱き返し、深い安堵が胸に満ちていった。


 レグナスは歓喜のあまり、ライアンの頭をわしゃわしゃとかき回すように撫で、

 「よくやった! お前、本当にすげぇよ!」

と子どものように笑った。


 フィオナも涙を拭いながら微笑み、三人は束の間の勝利を味わった。


 だがその時――。


 ゴゴゴゴゴ……ッ。


 広間の中央の床が震え、石がせり上がる音が響いた。

地面から石の祭壇が姿を現し、青白い光を放ちながら脈動している。


 「校長が言ってた“報酬”だ……きっとあれだ!」

 ライアンは二人を振り返り、嬉しそうに頷いた。

レグナスとフィオナも息を整え、三人は並んで祭壇へ歩み寄る。


 近づくにつれ、祭壇の上に置かれた分厚い一冊の本がはっきりと見えてきた。

ライアンはそっと手を伸ばした――。


 その瞬間。


 「ご苦労さん」

 

 低く、乾いた声が背後から降ってきた。

次の瞬間、世界が――止まった。


 空気も、光も、音も、すべてが凍りつく。

ライアンは目を見開いたまま、身体が石のように固まり、指一本すら動かせない。

レグナスも、フィオナも、呼吸の途中の姿勢で完全に静止していた。


 (……な、に……だ……? 体が……動かない……!)


 静寂だけが広間を支配する。

その中で、ひとつだけ。


 コツ、コツ、コツ……


 優雅で軽やかな足音だけが響き、祭壇へ近づいてくる。

やがてライアンの視界に、その人物の姿が映り込んだ。


 肩まで流れる淡い青髪。

 白と青を基調とした長い衣。

 肩には鳥の羽のような装飾。

 涼やかでありながら、どこか薄ら寒い気品をまとった男。


 男は祭壇の前で立ち止まり、ゆっくりとこちらへ振り向いた。

そして――野心に満ちた笑みを浮かべた。


 ぞくり、とライアンの背筋に氷が走る。

 「お……お前は……」

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