第45話 灼光に立つ者
目の前に、黒鉄で造られた巨大な扉がそびえ立っていた。
その向こうから、地鳴りのような唸り声――人間のものではない、圧倒的な“何か”の声が
漏れ続けている。
迷宮最強の魔物――六腕の巨人。
ライアンは息を整え、横に立つレグナスとフィオナの顔を見た。
二人とも口元を硬く引き締め、深い覚悟を湛えた目で頷いた。
「……行くよ」
ライアンは静かに言うと、扉へ手を伸ばす。
指が触れた瞬間、黒鉄の表面に緑色の光が走り、巨大な樹木を思わせる幾何学模様が浮かび上がった。
模様が上端まで到達すると、扉は重々しい音を響かせながらゆっくりと内側へ開いていった。
冷たい風が吹きつける。その先は――まるで別世界だった。
円形の広間。
天井まで届く太さの石柱が一定の間隔で並び、古代神殿のような荘厳さを醸し出している。
そして、その中心に――山のような影が陣取っていた。
次の瞬間、広間がぱっと明るくなり、影の全貌が露わになる。
六本の丸太のような腕。
人間を嘲るかのような赤い双眸。
肌は血を思わせる朱。
そして何より、ただ立っているだけで大地が軋むような――圧倒的な“質量”の気配。
視線を向けただけで胸の奥が震える。
「……でけぇ……っ」
レグナスが乾いた声で呟く。普段の豪快さは影を潜め、わずかに震えている。
「目……赤い……あんなの、見たことない……」
フィオナの手は杖を握りしめて白くなっていた。呼吸が浅い。
(……これが……最深部の階層主……)
ライアンは思わず喉を鳴らした。
巨人はゆっくりと首を巡らせ、三人を見つけると――
「ニタァ……」と口角を歪め、嬉しそうに低く唸った。
獲物を前にした、残酷な捕食者の笑み。次の瞬間、地響きを立てながら巨体がライアンへ歩き出す。
「フィオナ、強化を!」
「う、うん……! 《身体強化》《魔力増幅》!」
柔らかな光が三人を包み、筋肉と魔力が一気に高まる。
ライアンは剣を握り直し、息を吸い込んだ。
「レグナス、頭を狙って撃て!」
「任せろッ!! 《フレア・アロー!!》」
レグナスが杖を掲げた瞬間、周囲の空気が震えた。
詠唱と同時に爆炎が迸った。
轟音。
炎。
咆哮。
六腕の巨人が怒りの雄叫びをあげ、ついに戦いの幕が切って落とされた。
レグナスの炎が巨人の頬を直撃した。轟音と爆炎が広がり、視界が赤く染まる。しかし――。
「……効いてねぇ……!?」
煙の中から現れた巨人は、傷ひとつ負っていなかった。むしろ興奮したように六本の腕を
大きく広げ、唸り声をあげる。
「来るぞ、避けろ!!」
ライアンの叫びと同時に、三人は左右へ跳ぶ。その直後、さきほど立っていた地面が、巨人の拳
によって深く抉れ、衝撃波が石畳を割った。あまりの破壊力にライアンは思わず唾を呑む。
(当たったら……終わりだ)
巨人はゆっくりと頭を巡らせ、獲物を選ぶように赤い瞳を光らせた。そして――ライアンを
真っ直ぐ捕らえる。
「来る……!」
巨人は大地を震わせながら突進し、拳を振り下ろした。地面に拳が刺さる一瞬の隙――。
「はあああっ!!」
ライアンは飛び込み、両手剣で腕を斬りつけた。金属が砕けるような衝撃と共に、一本の腕が
地面に落ちた。
「よし……! あと五本!」ライアンは拳を顔の前で握りしめて、笑みを浮かべた。
だがその油断を裂くように、フィオナの悲鳴が飛ぶ。
「ライアン、上っ!!」
「!?」
反射的に見上げた瞬間、別の腕が頭上に迫っていた。ライアンはぎりぎりで横へ飛んだが、
腕の一撃が頬をかすめ、鋭い痛みが走る。
「ぐっ……!」
石床に転がり、視界が揺れる。巨人は楽しげに喉を鳴らし、獲物を嬲るように一歩ずつ近づいてくる。
「ライアン、しっかりして! 【癒光】!」
後方からフィオナの光が降り、頬の傷がじわりと塞がる。温かい魔力が全身を満たし、呼吸が整う。
「……ありがとう、フィオナ」
立ち上がりながら、ライアンは唇を噛んだ。
(一本落としただけで浮かれて……完全に隙を見せた。こいつはそんな甘い相手じゃない……!)
巨人は六本の腕をゆっくりと広げ、喉の奥で湿った空気を震わせた。
そして――獣とも人ともつかない、不気味な嘲笑を漏らす。
「……グルルル……フ、フフ……ァァァーハハハァ……」
その低く濁った笑い声は、石壁に反響して何倍にも膨れ上がり、
まるで迷宮そのものが嘲笑っているかのようだった。レグナスの背筋が震え、思わず息を呑む。
「うわ……なんだよ、あの声……! 笑ってんのか……?」
フィオナも青ざめた顔で唇を震わせる。
「き、気味悪い……こっちを“遊び相手”みたいに見てる……!」
巨人は赤い瞳を細め、さらに口角を吊り上げる。
ライアンははっと目を見開いた。地面に転がっていたはずの巨人の腕が、まるで煙のように光へと
崩れ、跡形もなく消えていく。それに代わって、巨人の肩口に、にゅるりとした肉塊が盛り上がり、
新しい腕が生えた。
「……再生するのかよ……!」
ライアンは悔しさを噛みしめ、奥歯を強く噛んだ。
倒すどころか、時間をかければかけるほど不利になる。
その時――閃光のようにひらめく記憶。
(……そうだ。あの洞窟で……レグナスが撃った“あの魔法”なら……)
「レグナス!!」
ライアンは巨人の拳をかいくぐりながら駆け寄り、レグナスの肩を掴んだ。
「“インフェルノ・サーペント”だ! あれなら……焼き尽くせるかもしれない!」
「……分かった! 少し……時間を稼いでくれ!!」
レグナスの表情が一瞬で決意に染まる。
彼は杖を構え直し、魔力を集中させるために後方の石柱へと走った。
「任せろ!」
ライアンは振り返りざま、フィオナへ叫んだ。
「フィオナ! 身体強化をもう一度!」
「うんっ……ライアン、気を付けて!」
フィオナの両手から柔らかな光が溢れ、ライアンの体に吸い込まれていく。
筋肉が熱を帯び、視界が鮮明になった。
「よし……!」
ライアンは巨人に向かって駆け出した。
「こっちだ!! かかってこい!!」
巨人が六本の腕を大きく広げ、狂気じみた声で笑った。
「――グオォォハハハ!!」
巨大な拳が、雨のように降り注ぐ。
ライアンは紙一重で避け続け、巨人の足元、脇腹、腕へと切り込むが――
(くそ……! 切ってもすぐ再生する……!)
焦りが胸を焼く。
しかしその時――。
ライアンの手に握られた両手剣、ブレイヴフレイムの表面に、じわりと赤い幾何学模様が
浮かび上がった。まるで、剣自身が鼓動しているかのように。
「……ブレイヴフレイム……!」
赤い光はライアンの心にも呼応するように力を与えた。
呼吸が整い、恐怖が溶けていく。
(――絶対に、倒す!)
「はあああああっ!!」
ライアンは跳び上がり、巨人の右太ももを横薙ぎに斬り裂いた。
赤い光が軌跡となって走り、巨人が悲鳴を上げて膝を崩す。
「グ……オォオオ!!」
巨体が揺れ、床が震える。
それとほぼ同時に、背後からレグナスの叫びが聞こえた。
「ライアン!! 離れろ!! 撃つぞ!!」
その声は、これまでとは違うほど強く、覚悟に満ちていた。
ライアンは振り返り、石柱の陰に走り込んだ。
「……レグナス、頼んだ!」
レグナスは杖を掲げ――燃え盛る魔力を腕にまとわせていた。
そして、張り裂けるほどの声で技名を叫んだ。
「――インフェルノ・サーペント!!!」
瞬間、天井に幾重もの赤い魔法陣が咲いた。
魔法陣はゆっくり回転しながら輝度を増し、その中央から灼熱の蛇が次々と飛び出した。
――ッゴオオオオオオォォォォ!!!
炎の蛇たちは唸りを上げ、空をのたうちながら巨人へと突進する。
まるで無数の竜が牙を剥いているようで、迷宮全体が赤い光に染まり、熱風が渦巻いた。
「いけぇぇぇ!!」
ライアンは拳を握りしめ、声を枯らして叫んだ。
勝てる。これなら――!
……と彼らは思っていた。
巨人は突然、六つの腕を大きく広げると、ぎょろりと眼を見開いた。
「――ッガアアアアアアアアア!!!!」
耳をつんざく咆哮。
巨人の目前に、赤黒い魔法陣が浮かび上がる。
フィオナが青ざめた顔で叫んだ。
「ま、まずい……! あれ、巨人の必殺技……“灼熱の閃光”……!」
その言葉に、ライアンとレグナスは同時に息を呑んだ。
最初の炎の蛇が巨人の額へ飛び込もうとした、その刹那――
――ドッッッッ!!!
巨人の目が赤黒く輝き、そこから放たれた閃光が炎の蛇を直撃した。
一体目の炎の蛇は爆ぜ、光の塵となって消えた。
続けて――二体、三体……無数の蛇が次々と閃光に飲まれ、爆音と光が交互に辺りを打ちのめす。
まるで飛ぶ虫を叩き落とすように、巨人はゆっくり首を回しながら降り注ぐ炎の蛇を“処理”していった。
「なっ……!? 嘘だろ……!?」
レグナスは震え、悔しさと恐怖に声を荒げた。
魔力の出力をさらに上げようとしたその瞬間――
パリン、と乾いた音を立て、レグナスの魔法陣が崩れた。
「ぐっ……! 魔力が……切れ……っ……!」
レグナスは膝をつき、肩で荒い呼吸を繰り返す。
「レグナス!!」
フィオナは飛びつくようにレグナスの肩を支え、震える手で魔力回復魔法をかけようとする。
だが。
巨人は低い笑い声を響かせながら、ゆっくりと二人の方へ首を向けた。
「……グフッ……グルルルル……」
その瞳に宿る赤い光が、じりじりとレグナスとフィオナを狙う。
「レグナス!! フィオナ!! 逃げろ!!」
ライアンが絶叫した。
そんなライアンに、残酷な現実が突きつけられた。
「……無理だ。もう……動けねぇよ」
レグナスの声は、今までで一番弱かった。
レグナスはふっと笑うように、ライアンへ視線を向けた。
そして、親指を立てて見せる。
「ライアン……お前は、生きろ」
その言葉が突き刺さり、ライアンの心が揺らぐ。
「……そんな……やだよ……っ!」
「ライアン……」
フィオナも泣きながら微笑み、震える声で言った。
「一緒に冒険できて……本当に楽しかった……ありがとう……」
直後、ライアンの脳裏に光景が溢れた。
――学院の初日、不良たちからフィオナを助けた時の優しい笑み。
――森で感じたことのないドキドキの感情。
――いつも隣で励ましてくれたレグナスの無邪気な笑顔。
――三人で食堂のパンを笑いながら分け合った温かい時間。
「……いやだ……いやだ……!」
喉が焼けるほど力を込めて、ライアンは叫んだ。
握りしめた両手剣は震え、手汗で柄が濡れる。それでも離さない。離せない。
「絶対に……守る……! 僕が……守るんだ!!」
涙が頬を伝い、熱い呼吸が胸を震わせる。
巨人は赤い眼孔を細め、狙いをレグナスとフィオナへ定めるように首を下げていく。
――やめろ。
やめてくれ。
お願いだから……二人を奪わないでくれ。
「やめろおおおおおッ!!」
絶叫は、裂けるような痛みと共に飛び出した。
迷宮には“死なないための防御魔法”が施されている。
それは頭では分かっている。だが――この閃光は違う。
焼かれる。
砕かれる。
動けなくなる。
生きているのに、生きたまま壊される。
そんな苦しみを、あの二人に味わわせたくない。
いつも豪快に笑っているレグナスが教えてくれた温かい友情。
時々可愛い笑顔で揶揄うフィオナが教えてくれた恋の感情。
三人で過ごした温かい記憶。
あの幸せを――絶対に壊させない。
「だったら……!」
ライアンの足が勝手に前へ踏み出していた。
――だったら、自分が行くしかない。
「やめろおおおおおお!!!」
肺が裂けるほどの叫びが、石柱の森に響き渡った。
その瞬間、世界がすべて遅くなる。
巨人の六本の腕は静止したように見え、灼熱の閃光だけが細く収束しながら、レグナスとフィオナを
貫こうとしていた。
「絶対に……させない!!」
ライアンは地を蹴った。
床の石を踏み砕くほどの踏み込み。振り返ったフィオナの泣き顔と、動けないレグナスの苦笑が
視界の端にあった。
時間が伸びる。
閃光の赤が、世界を焼くように染める。
耳鳴りの中で、ただ一つだけはっきりしていたのは――
大切な仲間を守りたいという、胸の奥を突き上げる衝動。
(お願いだ……間に合え――!!)
ブレイヴフレイムを構え、両腕に込めた力が震えるほどだった。
刀身に走る赤い幾何学模様が、心臓の鼓動と同じリズムで脈打つ。
巨人の閃光が放たれる瞬間――
ライアンは飛び込んだ。
「うおおおおおおおッ!!」
刀身が赤い奔流へぶつかった。
閃光が、剣の表面で暴れ狂う。光の波がライアンの頬を裂き、皮膚を焼き、腕を灼いた。
世界が白く弾けた。
衝撃は大地を割るようで、爆炎が胸を蹴りつけるように押し返してくる。
それでも――ライアンは剣を離さなかった。
やがて、刃に食らいつく閃光が、軌道を逸らされ、床を舐めるように横へと逸れていく。
その直後、巨人の咆哮と石柱が砕け散る爆発音が円形の広間に響き渡った。
そして、爆風がライアンの全身を容赦なく飲み込んだ。
「っ……ぐ、ぁぁぁあ!!」
熱と衝撃が怒涛のように押し寄せ、彼の身体は弾かれたように宙を舞い――
無慈悲に石壁へ叩きつけられた。
骨が軋む。
腕の皮膚が焦げ、視界がぐらつく。
呼吸ができないほどの痛みが全身を貫いた。
(守れた……? ちゃんと……)
かすむ視界の向こうで、レグナスが何か叫んでいる。
フィオナも泣きながら必死に手を伸ばしている。けれど、その声はもう水の底のように遠かった。
「……よかった……」
そう呟いたのが最後だった。
ライアンの身体は、崩れるように地に落ち、すべての音が――闇に沈んだ。




