第43話 闇の奥で待つもの
迷宮の闇から現れたホブゴブリンは、その巨体からは想像できない速度で一直線に突っ込んできた。
「来るぞっ!」
ライアンは即座に両手剣を構え、後方に叫ぶ。
「レグナス、フィオナ! 下がれ! 僕が倒す!」
しかし二人は動かない。
「無茶だ! 一人でやらせるかよ!」
レグナスが怒鳴るように返し、杖を構えた。
「そうよ! 私たち、チームでしょ!」
フィオナの声にも決意の色が宿っている。
ライアンは一瞬だけ迷ったが、二人の瞳を見て腹を括った。
「……分かった。三人で倒そう!」
ホブゴブリンが吠えると同時にライアンは叫ぶ。
「レグナス、炎魔法頼む!」
「任せろッ!」
レグナスは杖を高く掲げ、息を吸い込む。
「《フレア・バースト》!!」
呪文と同時に杖の先端が赤々と輝き、螺旋状の炎が生まれ、空気を焼きながらホブゴブリンへ
一直線に伸びる。炎は途中でさらに膨れ上がり、巨大な火柱となって敵を丸ごと包み込んだ。
――ドォオオンッ!!!
爆発音が迷宮全体を震わせ、熱風が三人の髪とマントを激しく揺らした。
「やった……!?」
フィオナが息を呑む。
しかし――。
炎が消え、煙が薄れるにつれ、ホブゴブリンの影がゆっくりと浮かび上がってきた。
燃え跡ひとつない。
「……嘘でしょ……」
「ぜんっぜん効いてねぇ……!」
レグナスの顔から血の気が引いた。
ホブゴブリンはニヤリと口角を歪め、焼け焦げた石を踏み砕きながら前進してくる。
「グギィ……ギャアアアア!!」
挑発するように咆哮し、地面を割るほどの勢いで再び突っ込んできた。
ホブゴブリンは再びライアンめがけて走り出した。迷宮全体が揺れるような地響きとともに。
「行くぞ……!」
ライアンは恐怖を押し込み、迎え撃つように駆けた。
――ガァンッ!!
金属と金属が衝突する甲高い音が迷宮に響き渡る。
ライアンは必死に剣を振るい、ホブゴブリンの重い攻撃を受け流して反撃の隙を狙った。
(速い……っ! なんでこんな巨体で……!)
数合交えただけで腕に鈍い痛みが広がり、呼吸も乱れていく。
ホブゴブリンは隙を与えず、荒れ狂う嵐のように攻撃を繰り出してくる。
ライアンは必死に両手剣を振り回して応戦していたが、ついに疲労で姿勢を崩した。
「ライアン! 危ない!」
フィオナの叫びと同時に、柔らかな光がライアンを包んだ。
体力回復の魔法だ。呼吸が整い、力が戻ってくる。
「助かった……! フィオナ、ありがとう!」
ライアンは再び剣を握り直し、ホブゴブリンの動きを凝視した。
呼吸、歩幅、力の入り方――弱点を探すように。
その時、背後からレグナスの声が飛ぶ。
「ライアン! あいつの胸……なんか光ってるぞ!」
「胸……?」
ライアンは一瞬だけ敵の体勢を見極め、間合いをずらして視線を走らせた。
暗がりの中で、ホブゴブリンの胸部に――小さな宝石のような光が瞬いた。
(あれは……? もしかして、そいつの核……?)
ホブゴブリンの剣が振り下ろされ、ライアンはぎりぎりで横に跳んだ。
空気を裂くような重い打撃音が地面を揺らす。
「レグナス! フィオナ! 胸の光……そこが弱点かもしれない!」
二人は驚きに目を見張りながらも、すぐに戦闘態勢を整えた。
ホブゴブリンは、ギョロリと赤い瞳を光らせ、三人をまとめて叩き潰すかのように咆哮した。
迷宮の闇が震える。
ライアンは剣を握りしめながら、一瞬の隙を待った。
(……来い……もっと引き寄せるんだ……!)
ホブゴブリンは甲高い咆哮を上げ、地面を砕く勢いで突進してくる。
巨大な剣が天井に届きそうなほど持ち上がり――ライアンめがけて振り下ろされようとした。
「今だッ!!」
ライアンは地を蹴り、前へ飛び込んだ。
両手剣の刃に力を込め、一直線に突き出す。
――ズガァン!!
剣先が光る核を正確に貫いた瞬間、ホブゴブリンの動きがピタリと止まった。
「ギ……ギャアアアアアア!!」
絶叫を上げ、肉体が崩れ始める。
身体は砂のように細かく砕け、無数の光粒となって宙に散った。迷宮の空気が静まり返った。
「……ふぅ……」
ライアンは大きく息を吐き、額の汗を手の甲で拭った。
ほんの数秒後、レグナスが歓喜の声を上げながら走り寄ってくる。
「やったなライアン!! 完璧な一撃だ!」
「すごい……本当に倒しちゃった……!」
フィオナも瞳を輝かせて駆け寄った。
二人の顔を見た瞬間、胸の奥が熱くなった。
恐怖でも焦りでもない――確かな手応え。
この三人なら、もっと先へ進める。ライアンははっきりとそう感じた。
(……行ける。きっと、最深部まで……)
その時、突然足元の地面が淡く輝いた。
「え……?」
不思議な現象に、ライアンは思わず後ずさった。
金色の紋様が床一面に広がり、複雑な魔法陣を描き出す。次の瞬間、強い光が走った。
「転移魔法陣よ!」
フィオナが急いで二人を振り返る。
「早く乗って! 閉じちゃう!」
ライアンとレグナスは慌てて魔法陣に足を踏み入れた。
「うわ、なんか変な感じだな……」
「目が……光で……!」
あまりの眩しさにライアンは目を手で覆った。
魔法陣がさらに輝きを増し、三人の身体を包み込む。
視界が白く弾けた。
強い光が収まると同時に、空気が変わった。
ひんやりと冷たい風が頬を撫で、周囲には湿った土と苔の匂いが漂っている。
「……ここが、地下二階……?」
ライアンが辺りを見渡すと、そこは地下一階よりもわずかに狭く、壁が少し迫っているように
感じられた。天井も少し低いが、迷宮特有の湿った空気と闇は、やはり奥へ奥へと続いている。
ランタンの光が届かない向こう側には、濃い影がじっと息を潜めているようだった。
レグナスが鼻を鳴らした。
「一階より、空気が重いな……魔力の密度、上がってるかも」
その横でフィオナがそっと杖を握りしめる。
「この階層、たしか……狼型の魔物が出るって書いてあったはず……」
ライアンはすぐに地図を開き、周囲と見比べて眉をひそめた。
「……おかしいな。地図だと、僕たち……“この階段を使って”二階に来るはずなんだけど……」
レグナスが覗き込み、首をかしげる。
「だよな? 階段なんて使ってねぇよな。いきなり光って、気付いたら二階だったし」
その時、フィオナが「あ、やっぱり気付いた?」と小さく声を上げた。
「実はね……この迷宮、通常の階段移動と“もう一つ”の仕組みがあるの」
「もう一つ?」
ライアンが問い返すと、フィオナは得意げに説明し始めた。
「――階層主を倒したチームには、“資格あり”として迷宮が反応して、転移魔法陣を出現させるの。
これは迷宮そのものが課す特別な試練で……昔の本にそう書いてあったんだ」
レグナスは目を丸くした。
「つまり……階層主を見つけてぶっ倒せば、階段まで行かなくても次の階に行けるってことか?」
「うん。効率よく進みたいなら、そのほうがずっと早い。もちろん危険も増えるけど……」
フィオナの説明を聞き終えたライアンは、ごくりと喉を鳴らした。
「……なるほど。だから、階段を使わずに地下二階に来れたんだな。
だったら――これからも“階層主を探して倒す”ほうが早いってことか」
レグナスが勢いよく拳を握った。
「よし! 決まりだな! 階層主を片っ端から倒して、最深部まで一直線ってわけだ!」
フィオナは苦笑しつつも、小さく頷いた。
「……危ないけど、効率は確かにいい。三人なら……きっと行けるよ」
ライアンも剣の柄を握りしめ、強く頷いた。
「そうなると、体力の温存も大事だな」
ライアンは剣を握り直し、気を引き締めた目で二人を見る。
「レグナスは攻撃と前方支援。フィオナは僕たちの回復・強化に集中してくれ。
役割をはっきり分けて、消耗を減らしながら進もう」
二人は力強く頷いた。
「任せて。回復と強化は絶対切らさない」
「おう! 火力は全部任せろ!」
心強い返事が返ってきた。
三人は迷宮の奥へ慎重に歩を進めた。
地下二階は、一階よりも魔物が強く警戒心も高い。小型の影が走り抜ける度に、
三人の手が武器にかかる。やがて、遠くから低い唸り声が聞こえてきた。
「……ライアン、あれ……!」
フィオナが震える指で指した先――
巨大な影がゆっくり姿を現した。四足歩行、黒い体毛、鋭い牙。
そして、額に一つだけ光る赤い角。
「――赤角狼……!」
レグナスが青ざめた声を漏らす。
「これ、普通の狼じゃねぇ……間違いなく、階層主だぞ……!」
ライアンは剣を構えたまま目を細めた。
(……こいつを倒せれば、次の階層へ行けるってことか)
赤角狼は低く唸り、地面を爪で引っかく。
その瞬間、空気が震えた。
「くっ……来るぞ!!」
狼は地を削りながら、一気に加速して突進してくる。ライアンは両手剣を握りしめて覚悟を決めた。
「ライアン、強化いくよ!」
フィオナの声と同時に、二つの光が走った。
「《ブレイブ・ブースト》!」
「《スウィフト・エア》!」
力と速度が全身にみなぎり、ライアンは剣を構え直す。
「レグナス、右へ回って牽制!」
「了解ッ!」
レグナスの炎弾が軌道を描き、狼の側面をかすめた。
狼は怒りの咆哮を上げてレグナスへ向かおうとする。
「行かせるかッ!」
ライアンは真横から狼に斬りかかる。
刃は確かに肉を裂いた――が、
「硬い……!」
浅い。赤角狼の体毛と皮膚は異常なほど硬い。
狼は反転し、ライアンの胸元を爪で切り裂こうと跳び上がった。
「ライアン!!」
フィオナの叫びと同時に、薄い光の盾が発動する。
狼の爪が光の膜に当たり、火花のように魔力が散った。
「助かった! フィオナ!!」
ライアンは地を蹴って距離を取り、呼吸を整えた。
(……弱点はどこだ? どこに隙がある……?)
狼は再び低く唸り、今度は赤い角に力を集中させ始めた。
「待てよ……その角……」
レグナスが目を見開いた。
「光ってる……! あれ、魔力器官だろ!
壊せば、動きを止められる……!」
ライアンは力強く頷いて、レグナスに告げた。
「分かった! 角を折る!!」
「じゃあ俺が注意を引くッ! 『《フレイムアロー》!!』」
レグナスの炎矢が狼を射抜き、狼は怒ってレグナスへ標的を変えた。
「ライアン、いまだよ!!」
フィオナの叫びが響く。
「うおおおおっ!!」
ライアンは全力で地を蹴り、赤い角へ向かって剣を振り下ろす――!
刃が角に触れた瞬間、火花が散り、轟音が迷宮に響き渡った。




