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第42話 深淵への一歩

 朝の学院は、普段とはまったく違う騒がしさに包まれていた。

今日は――期末試験、地下迷宮探険の日。校舎の影から迷宮入口へと続く広場には、既に一年生が

ずらりと並んでいた。

 上級生たちがその周囲を取り囲み、緊張でこわばっている後輩たちに励ましの声をかけている。


 「気負うなよー! 戻ってくるまでが試験だからな!」


 「怪我しても魔法陣が守ってくれる! 自分を信じろ!」

 

 その声を聞きながら、ライアンは深く息を吸った。

胸の奥で固くなっていた不安が、少しずつほどけていく。列の中央で、ライアン、レグナス、

フィオナの三人は肩を並べて立っていた。

 前方にそびえるのは、学院の象徴とも言える巨大な金属の門。

黒鉄色の板は何重にも重なり、まるで怪物の口のように閉ざされている。


 「……すごいな。あの門の向こうが、地下迷宮……」

 ライアンが呟くと、レグナスも思わず息を呑んだ。


 「だよな。でも、開いた瞬間に試練ってわけか……」

 言葉とは裏腹に、レグナスの声がほんの少し震えている。

 

 ライアンは二人の顔を見つめた。

 「準備……できてる?」

 

 すると、フィオナが小さなポシェットを開き、持参した薬草の包みと手作りの弁当箱を見せた。

 「応急薬と……お弁当。長期戦になるかもしれないから、一応ね」

 

 続いてレグナスは腰のポーチを叩いた。

 「肉の干し肉、ナイフ、火打ち石! 完璧だ!」

 彼らの表情には緊張が残りつつも、しっかりと覚悟が宿っている。

その姿を見たライアンの胸にも、熱いものがこみあげた。

 (……大丈夫。三人なら必ず最深部に到達できる)

 

 その時、ざわめきが静まった。

アルヴェイン校長とダリオン先生が門の前に立ったからだ。


 「諸君――期末試験に臨む覚悟はできておるか」

 アルヴェインの声が、朝の空気を震わせた。

老いてなおよく通るその響きに、学生たちは一斉に背筋を伸ばす。

ざわついていた広場が、ぴたりと静まり返った。


 「まず一つ。迷宮内での独断行動は禁止じゃ。

  離れれば離れるほど、命の危険が増す。仲間を見失うでないぞ」

受験者たちの間を、不安の息が漏れる。


 「二つ。魔物と遭遇した際は、無理に討伐する必要はない。

  逃げる判断こそ、勇気の証と心得よ」


 「……逃げるのもアリなのか……」

 「いや、最深部行くなら絶対戦うよな……」

 小声の囁きがいくつも重なり、張り詰めた空気の中で揺れた。


 「三つ。試験中、非常に強力な防御魔法を施すゆえ、命の危険そのものは無い。

  だが――痛みは、感じるぞ。出血も骨折もする」


 「ひっ……」

 前列の女子の肩がビクッと震えた。


 「覚悟せよ。痛みは学びの糧にもなる。恐れるな」

 アルヴェインは一通りの注意を終えると、ゆっくりと大きな門へ歩み寄り、その冷たい金属に

両手を重ねた。広場全体が、息を呑む。


 次の瞬間――

 

 ゴウン……と低い振動とともに、門の表面に幾何学模様が浮かび上がった。

模様は複雑に絡み合い、緑色の光が血管のように走る。緑色の幾何学模様は、門の表面を這うように

上へと伸びていき、やがて頂点に到達すると、ひとつの像を結び始めた。

 

 絡み合う線は枝分かれし、大きく広がって――

まるで一本の巨大な樹が浮かび上がったかのようだった。

その瞬間、ライアンの胸が強く跳ねた。


 (……なんだ……これ……)

 

 初めて見るはずなのに――懐かしい。

旅の途中で見た景色のような、遠い昔に触れた記憶のような温度が胸に広がる。


 (知ってる……? いや……知らないはずなのに……なんで……)

 

 意味の分からないざわつきが、背骨を伝って冷たく駆け上がった。

ただの模様のはずなのに、一瞬“文字”にも見える。

 

 ――理由の分からない「懐かしさ」。

それが逆に恐ろしくて、ライアンは息を呑んだ。


 その時、ライアンの隣でフィオナが眉を寄せた。

 「……なんか……この紋様、見たことあるような……」

 

 ライアンの胸が一瞬止まる。

 「フィオナ、どこで?」


 「えっと……この前、図書館で読んだ歴史書に……似た紋章があった気がして……

  でも、どこの国だったか思い出せないの。珍しい形だったんだけど……」

 

 知識として思い出そうとするフィオナ。

対して、理由のない懐かしさに震えるライアン。


 (……もしかして、エルデア王国……? いや……まさか……なんで学院に……)

 

自分の胸に湧き上がった“記憶のような感覚”を否定するように、ライアンは強く拳を握った。


 (考えるな……今は試験に集中しないと)

思考を振り払おうとしたその時――

 

 ――ゴゴゴゴゴ……!


 地面が激しく震え、門が重々しく鳴動した。

学生たちが一斉に身をすくませる。


 「開門!」

 アルヴェイン校長の声が鋭く響くと、緑の紋様が一瞬強く輝き、巨大な鉄の扉がゆっくりと

左右に割れ始めた。少しずつ暗黒の空洞が姿を現した。


 中から湿った冷気が吹きつけ、肌にまとわりつくようだった。受験者たちの表情が一気に強張る。

扉が完全に開いた時、そこに覗いた“黒い穴”は――

まるで巨大な獣が、獲物を待つように口を開けているようだった。


 その前に進み出たダリオン先生は鋭い視線で学生たちを見渡し、声を張り上げた。

 「これより、期末試験を開始する!」


 広場の空気がぴりりと張りつめる。

 「迷宮内の魔物は討伐しても構わん。

  だが――他のチームを攻撃したり、妨害したりすることは厳禁だ。

  違反した者は即刻失格、退学処分とする!」


 ダリオン先生は一拍置き、さらに言葉を続けた。

 「また、戦闘不能者に関する規定も覚えておけ。チーム全員が倒れた時点で、その試験は終了だ。

  倒れた場所が地下五階またはそれより深ければ合格、浅ければ不合格となる。

  帰還したくなった場合は、ただ**『帰還!』と唱えればよい**。

  転送魔法陣が起動し、地上へ戻される。全員が意識を失った場合も、自動的に

  転送される仕組みだ。」


 周囲でざわめきが広がる。

 「また、衝突を避けるためにチームごとに間隔を空けて入ってもらう。

  呼ばれたチームは前へ。地図を受け取り次第、迷宮へ入れ!」

 

 ダリオン先生の厳しい声に、受験者たちは緊張した面持ちで並び直した。

やがて、第一声が広場に響いた。

 「――カイル、ミナ、エルナ。前へ」

 呼ばれたのは、剣士の少年カイルと、双子のように雰囲気の似た二人の女子魔法使いミナとエルナ

だった。


 「い、いよいよだね……カイル……」

 ミナが杖を握りしめながら震える声で言う。


 「だ、大丈夫。俺が前で守るから……!」

 そう言いながらも、カイルの手も僅かに震えている。

 

 エルナは深呼吸をし、二人の背を軽く叩いた。

 「ほら行くよ。ビビってたら余計魔物が寄ってくるんだから!」


 ダリオン先生は三人の前に地図を差し出し、低く指示した。

 「道は複雑だが、焦るな。引き返す判断も立派な戦術だ。……行ってこい」


 「は、はいっ!」

 三人はぺこりと頭を下げ、互いに顔を見合わせる。


 「よし……カイル、ミナ……絶対、全員で戻ろう」

 「うん……!」

 「い、いくぞ!」

 不安を押し殺しながらも、三人は決意を滲ませ、闇の中へと足を踏み入れた。

その後もチームが次々と呼ばれ、闇に姿を飲み込まれていく。


 そして――

 「ライアン、レグナス、フィオナ。前へ」


 ついに名前が響いた。

ライアンは息を呑み、二人に短く頷いて進み出た。


 ダリオン先生は三人の顔を順に見て、静かに微笑む。

 「――健闘を祈る。戻って来いよ」

ダリオン先生の声は厳しさの奥に、確かな温もりを宿していた。


 「……はい、行ってきます!」

 ライアンは素早く背筋を伸ばし、深く会釈して地図を受け取った。

その返事に、ダリオン先生は満足げに頷いた。ライアンは二人に振り返り、ぎゅっと拳を握りしめた。


 「……行こう、二人とも」

 「おう!」

 「うん、行こう!」


 三つの声が重なった瞬間、緊張と決意がひとつに結びついた。

三人は迷宮の闇へ――一歩、そしてまた一歩と踏み入れていった。

暗闇が、すぐに背後で入口の光を飲み込んでいく。


 しばらく進むと、周囲はじわじわと闇に沈みはじめた。

レグナスが手を掲げ、炎魔法の詠唱を口にしかけたその瞬間――


 しばらく進むと、闇が深まり、周囲の輪郭がほとんど見えなくなってきた。

レグナスが炎魔法を唱えようと手を上げた、その瞬間――


 「レグナス、待って!」

 ライアンは反射的にその手をつかんだ。


 「うわっ!? ……ど、どうしたんだよ急に」

 レグナスは少し目を丸くし、驚いたように手を引きかける。


 「……洞窟で、一度失敗しただろ? 今回はこっちを使おう」

 ライアンは落ち着いた声で言い、鞄から魔道ランタンを取り出した。


 レグナスは一瞬ぽかんとした顔のあと、気まずそうに笑い、後頭部をかいた。

 「……ああ、あれな。確かに……ランタンのほうがいいかもな」


 「フィオナ、杖の先端に掛けてくれる? フィオナなら安定して持てる」

 ライアンはそう言って、魔道ランタンをフィオナに託した。


 「任せて!」

 フィオナが誇らしげに微笑み、ランタンを掲げる。

柔らかな光が三人を包み、闇を少しずつ押し返した。


 「よし、行こう」

 三人は迷宮の奥へと歩みを進めていった。


 魔道ランタンの柔らかな光を頼りに、ライアンは地図を広げた。

荒い線で描かれた通路、分岐、そして魔物の簡易図――。


 「地下1階は……岩の洞窟みたいだ。生息してるのはゴブリンって書いてある」

 

 読み上げたその瞬間。

 ――コツ、コツ……ガラッ。

前方から小石が弾けるような音が響いた。


 「っ……何か来るぞ!」

 レグナスが即座に杖を構え、ライアンとフィオナを庇うように前へ出た。


 暗がりの奥で、緑の影が蠢く。

やがて数体のゴブリンが、ギャアギャアと叫びながら姿を現した。


 「ゴブリンだ! 皆、気を付けろ!」

 ライアンは迷わず背中の両手剣を引き抜き、重心を落として構えた。

 (……十体……。思ったより多いな……)

 

 乱戦になれば、レグナスとフィオナが巻き込まれる。

ライアンは一瞬で危機を読み取り、奥歯を噛みしめた。


 (……正面から三人でやり合うのは危ない。数が多すぎる……!)

 

 すぐに別の案が頭に浮かぶ。

 ――自分が囮になって、奴らの注意を引きつける。

ある程度まとまったところで、レグナスの広範囲魔法を叩き込む。それなら最も安全で早い。

 

 呼吸を整えながら、ライアンは二人に短く指示を飛ばした。

 「レグナス、フィオナ……僕が前に出て引きつける!

  まとまったところで、レグナスの炎魔法で一気に焼き払ってくれ!」


 二人は驚いた表情を見せたが――すぐに覚悟の色に変わった。

 「……分かった! 任せろ!」


 「わたしも援護する!」

 

 背中に仲間の声を受けて、ライアンの決意はさらに温度を増す。

 (大丈夫……この作戦ならいける!)

闇の奥から、ゴブリンの荒い呼吸音が聞こえる。土を蹴る音も――近い。


 フィオナは杖を握り直し、息を整える。

 「まずは……ライアンから。力を上げるね!」

 「――《ブースト・ストレングス》!」


 柔らかな光がライアンの胸元に吸い込まれ、一瞬、心臓の鼓動が強く跳ねた。

 (……っ、腕に力が……湧く!)

手にした剣が、さっきより軽く感じる。 筋肉が熱を帯び、身体の中心から力が

押し上げてくるようだった。


 「レグナスには――魔力強化。いくよ!」

 「《アーク・チャージ》!」

紫色の光がレグナスの額から背中へ走り、 パチッ…と小さな火花が散る。


 「お、おぉ……! 魔力が溢れてくる……!」

 レグナスが息を呑んで目を見開いた。


 フィオナは二人の背に隠れつつ、震える声で言った。

 「ふたりとも……前は任せたよ……!」


 「……フィオナ、ありがとう。よし……行くぞ!」

 ライアンが前に踏み込み、石を蹴る音が洞窟に響く。


 ゴブリンたちも一斉に叫び声を上げ、飛びかかってきた。

剣が唸り、一体を斬り伏せた。ライアンはすぐに横へ飛び、わざと大声を張り上げた。

 

 「こっちだよ、ゴブリンども――!」

 ゴブリンたちの視線が一斉にライアンへ向かった。


 それを見たレグナスは素早く杖を掲げて、ゴブリンの群れに向けた。


 「今だ! 《フレアバースト》!!!」

 轟音と共に炎が爆ぜ、ゴブリンの群れが灼熱に飲み込まれた。

焼けた皮膚の臭いが立ち込め、洞窟の湿った空気と混ざる。

やがてゴブリン達は光の粒となって、迷宮の闇に消えた。


 「よっしゃああああ!!」

 レグナスが勝ち誇った声を上げ、ライアンの肩に腕を回す。


 「お前の指示、マジで完璧だったぞ、リーダー! 天才か!」

 「いや……二人が強いからだよ」

 ライアンは照れ笑いを浮かべた。

 

 しかし、その緩んだ空気を、突き破るように――。


 「っ……きゃあっ!!」

 フィオナの悲鳴が響いた。


 「フィオナ!?」

 二人が急いで振り向くと、フィオナは震える指で通路の奥を指していた。

 

 そこには、闇の中からゆっくりと姿を現す巨体――。

緑ではなく、くすんだ褐色の皮膚。ライアンの二倍はある体格。

肩幅は丸太のように太く、手には人間のものではない巨大な刃を握っている。


 「な……なんだ、あれ……」

 ライアンの声が震えた。

レグナスが息を呑み、掠れた声で答える。


 「あ、あれ……ホブゴブリンだ……!

  ゴブリンの上位種で……普通のやつの比じゃねぇ……!」

 

 三人の喉が同時に鳴り、固唾を飲む音が響いた。

ホブゴブリンは、獲物を見据えるように赤い瞳を光らせ、ゆっくりと剣を構えた。


――次の瞬間、その巨体が弾けるように地を蹴った。



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