第4話 檻の中の食卓
新しく着せられた服は、布の癖に妙に重たかった。足元の革靴も石のように硬く、歩くたびに
ぎこちない音が響く。ライアンは内心で唸りながらも、導かれるまま食堂へ足を運んだ。
扉が開かれた瞬間、甘い匂いが押し寄せた。
宝石のように光を放つ肉料理。彩り鮮やかな野菜。湯気を立てる黄金色のスープ。
その光景にライアンは目を奪われ、鼻腔を広げた。
(……肉だ! やっと食える……!)
空腹で干からびた体が一斉に叫び、喉の奥から涎が溢れる。理性より先に手が伸び、肉の皿を掴もうとした――。
パシッ!
甲に激しい痛みが走り、手が弾かれた。思わず身を縮める。
「人間の食卓で、獣のような真似は許さない」
冷たく笑う令嬢が、教鞭を握っていた。白い指先が椅子を指し示す。
唇を噛み、喉の奥で低く唸る。
(クソっ……腹減って死にそうだってのに……! なんで邪魔するんだよ……!)
抵抗すれば食べ物は遠ざかる。
仕方なく椅子に腰を落とすと、令嬢は優雅にナイフとフォークを持ち上げ、ライアンの目を覗き込んだ。
「ナイフ。フォーク。言ってみなさい」
口を開いた。だが舌は思うように動かず、漏れたのは片言のような声。意味をなさない音。
令嬢は子供に言葉を教えるかのように微笑んだ。
「そう……何度でも教えてあげる」
彼女はナイフで肉を切り、フォークで突き、口に運んでみせる。
ライアンに視線を向け、顎をしゃくった。
(手で掴めば早えだろ……! こんな細けぇ棒、何の意味があるんだ……!)
そう叫びたかった。だが、これに従わなければ食べられない。
渋々、彼はぎこちなく刃物を握った。
肉を口に運んだ瞬間、舌が震えた。
噛むごとに溢れる濃い味。鼻に抜ける香り。
体の奥まで熱が満ち、赤い瞳が大きく揺れる。
(……な、なんだこれ……! めちゃくちゃ……うまい……! こんな味、森じゃ……!)
理性が追いつく前に、手が動いた。肉、野菜、スープ。次々に口へ運び、喉を通る。
痩せた体に力が戻る。胸の奥で血が騒ぐ。
夢中で食べるライアンを見て、令嬢は口元を綻ばせ、使用人のロニーへと声を投げた。
「ロニー、見て。あの子は食器を使っているわ。森で吠えていた獣が、こうも素直になるなんて……
やはり私の手腕ね」
唇が冷たく吊り上がる。
「ゴリラや狼に負けるものですか。私はもっと深い愛情を注いでやる。人間界の魅力をたっぷり
教えて、森のことなど忘れさせる。そして――可愛く、従順な少年に育て上げるの」
嫉妬と狂気が滲む声。ライアンは肉を噛み砕きながら、胸の奥で炎を噛みしめた。
食事を終えると、ライアンは息を吐き、周囲を見回した。
椅子から扉までは遠くない。令嬢は本を手に取り、視線を落としている。ロニーも食器を片づけていて、背中を向けている。
(……今なら……!)
全身に力が戻った。森で鍛えた足が床を蹴る。椅子を弾き飛ばし、扉へ走った。
――自由だ。
胸に灯った光が広がる。扉まであと少し――
その瞬間、首から電撃が走った。
「――ッアアアッ!!」
全身が痙攣し、力が抜ける。床に膝を打ちつけ、喉から悲鳴が迸る。
背後から甲高い笑い声が響いた。
「ふふ……やっぱり逃げたわね」
令嬢の声。熱に浮かされたように震えている。
「首輪はよくできているでしょう? 私から一歩でも離れようとすれば、電の鞭が迎えてくれるの。
だから大人しくしていなさい、可愛い子。――あなたに自由なんて、初めから与えていないのだから」
ライアンは荒い息を吐き、床に手をつく。
(また……檻か……! ここでも、逃げられないのか……!)
令嬢が近づき、膝を折る。白い手が短く切られた襟足を撫で回す。
「森の匂いも、獣の影も、全部消えてしまったわね。いいことよ……これからは私の子として、
人間の道を歩むのだから」
冷たい声が耳を刺す。
短く刈られた髪――それは人間にされた証。その感触を何度も植えつけ、彼女は心に刷り込もうとしていた。
(やめろ……! 俺は人間なんかじゃない……獣だ! 母さんと父さんの……!)
唇を噛み、赤い瞳を燃やす。だが、声は電撃に奪われ、体は動かない。
やがて、項垂れる。悔しさで心が張り裂けそうになりながらも、頭を下げるしかなかった。
令嬢はその姿を見て狂気の笑みを深めた。
「そう……それでいいの。あなたはもう、私の子なのよ」
「ロニー」
令嬢が名を呼ぶ。
「寝室へ連れていきなさい」
ロニーが無言で頷き、ライアンを立たせた。
暗い顔で並んで廊下を歩く。長い廊下に飾られた調度品も、ライアンの瞳には映らなかった。
寝室に辿り着いた時、ロニーはポケットから小袋を取り出した。
柔らかな笑みを浮かべ、それをライアンに渡す。
中を覗くと――砕けた牙。母と父との誓いの証。令嬢に踏み潰された首飾りの欠片。
ライアンの目に涙が滲む。
「……ありがとう」
獣の言葉で呟いた。伝わらないと知りつつ、それでも吐き出さずにはいられなかった。
だがロニーは微笑み、肩をぽんと叩いた。
――頑張れ。
言葉ではなく、その仕草が伝えてくる。
やがてロニーは部屋を出て、外から鍵をかけた。
ライアンは着せられた服を乱暴に脱ぎ捨て、ベッドに飛び込んだ。
顔を枕に埋める。だがそこにあるのは父の毛並みではなく、冷たい布。
(父さんの腹の上で眠るのが好きだった……ここは……冷たい)
小袋をぎゅっと握りしめる。砕けた牙が掌に食い込む。
(帰る……絶対に森へ帰る……!)
涙が枕を濡らし、意識は闇に沈んでいった。




