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第39話 割れた静寂

 馬車が停まると、ライアンはロニーと共に御者台から降り立った。

夕暮れの冷たい空気の中、屋敷の大きな扉が勢いよく開く。

 「ライアン!」

 白いドレスの裾を揺らして、ドロテアが駆け寄ってきた。

次の瞬間、ライアンはぎゅっと抱き寄せられ、息が詰まるほどの力で胸に押し付けられた。


 「……っ、ただいま、母さん」

 内心は虫唾が走るほど嫌だった。

でもロニーの言葉――「適当にかわしておけばいい」という助言を思い出し、表情を取り繕う。

 

 ドロテアは涙ぐんだような目で、ライアンの頬に触れた。

 「帰りが遅いから……どれほど心配したと思うの?」


 「……ごめんなさい。少し学院で手間取っちゃって」

 軽く頭を下げると、ドロテアは安堵したように微笑んだ。


 その笑顔を見て、胸の奥で小さな嫌悪が疼く。そのまま二人は屋敷の中へ入り、豪華な晩餐が並ぶ

食卓に並んだ。ダイニングに漂う香りは確かに食欲をそそるはずなのに、ライアンの胸は落ち着かない。


 「それで……どうして遅くなったのかしら?」

 フォークを置いたドロテアが、柔らかく問いかけてくる。


 「学院の課題で、シュタインルー村へ行って……そこでちょっとトラブルに巻き込まれたんだ」

 事実をぼかして言うと、ドロテアの表情がさらに曇った。


 「トラブル? どんな?」


 「ゴブリンを退治しに行ったんだけど……盗賊に襲われて」

 言葉を選びながら、ライアンは肩をすくめる。

 「少し怪我したけど……もう治ったよ」


 「……っ!!!」

 ドロテアは椅子を倒しそうな勢いで立ち上がり、ライアンの頬に両手を添えた。


 「怪我!? どこ!? 痛くないの!?」

 その必死な声に、ライアンは苦笑で返した。

 

 「大丈夫。本当にもう治ってるから」

 その言葉を聞くと、ドロテアは胸を押さえてへたり込みそうになり、涙を浮かべながらライアンを

抱きしめた。


 「……無事でよかった……本当に……っ」

 強く抱きしめられた瞬間、ライアンの身体がびくりと固まった。

だが、その腕の温かさに、思わず息を呑む。


 (……え? こいつの腕……あったかい……?)

 (なんで……? なんでドロテアのくせに……母さんみたいな……)


 胸の奥に、森で母ゴリラに抱かれたあのぬくもりが、かすかに蘇る。

あの時の安心感が……ほんの一滴だけ、同じ匂いをしていた。


 (もしかして……本当に俺のこと心配して……?)

 (……ドロテアって、もしかしたら……)

 そこまで考えた瞬間、脳裏に閃く。

 ――冷たい床。

 ――大事な家族の絆である髪を無理やり切られた痛み。

 ――泣いても笑われ、傷つけられ続けた日々。


 (……違う。絶対に違う。こいつは俺を、あんな目に……)

 胸の奥の温かさが、すっと冷めていく。


 (こんなの……騙されてたまるか)

 ライアンはゆっくりと顔を上げ、笑顔を浮かべた。

それは心からの笑みではなく、ロニーに教えられた“偽りの仮面”だった。


 「……心配かけて、ごめん」

 ライアンは静かにドロテアの背中に腕を回した。

ドロテアは嬉しさで顔をほころばせ、指先でライアンの髪を撫でる。


 「もう……すっかり人間の子みたいになったわね、ライアン。

  昔は言葉も通じなくて、ただ吠えるだけの獣だったのに……こんなに可愛く育つなんて」


 撫でる手は優しげだが、その声には“所有物を褒める”ような色があった。

 「髪も短くなって素敵よ。もう汚い獣の面影はないわ。笑い方も上手になったし……

  これこそ、理想の息子だわ」


 (……こいつ、やっぱり俺を自分の思い通りにしたいだけだ……)

 胸の奥に黒い感情がせり上がる。

だがライアンは、ロニーの言葉を思い出し、必死に笑みを作った。


 「……母さんが喜んでくれるなら……僕も嬉しいよ」

 その笑顔が偽物だと気付かないかのように、ドロテアはさらに満足そうにライアンを抱き寄せた。


 「本当に治っているようだね。安心したわ……」

 ようやく落ち着いたドロテアは、席に戻って、再びナイフとフォークを手に取る。

その顔は安堵と独占欲が入り混じった、複雑な柔らかさを帯びていた。


 ライアンもぎこちなく食事を再開する。

静かな食卓に食器の音だけが響き、重いようでいて妙に穏やかな時間が流れた。

やがて皿が空になった頃、ドロテアは満足げに微笑んだ。


 「ふふ……今日はもう自分の部屋に戻っていいわ、ライアン。

  ゆっくり休みなさい」

 

 ライアンは軽く頭を下げた。

 「……うん。おやすみ、母さん」


 その一言に、ドロテアは嬉しさを隠しきれず表情を綻ばせる。

 「おやすみ、ライアン。いい子ね」


 その声は甘く、どこか所有を示すような響きがあった。

ドロテアが満足した様子でダイニングを後にすると、ロニーがそっと近づいてくる。

 「行くか、ライアン。荷物もあるしな」


 「うん……行こう、ロニー」

 二人は静かに廊下を歩いて自室へ向かった。

屋敷の灯りは暖かくとも、ライアンにはその光の奥に冷たい影がひっそりと潜んでいるように

感じられた。


 部屋に戻るなり、ライアンは大きく息を吐き、勢いよくベッドに倒れ込んだ。

全身から一気に力が抜け、シーツが体を飲み込むように柔らかく沈む。


 「……はぁ……もう疲れた……」

 ぽつりと漏れた声は、自分でも驚くほど弱々しかった。

ドロテアの前で張り付けた笑顔が、まだ頬に張り付いているようで胸がむかつく。


 「もう……あの顔、二度とやりたくない……」

 枕に顔を埋めながら、ライアンは小さく唸った。

その様子を見たロニーが、くすっと笑う。


 「お前、さっきの対応……上手かったじゃないか。ドロテア、完全に喜んでたぞ」


 「全然嬉しくない……」

 ライアンは顔を背けて、むすっとした表情をつくる。

 

 ロニーは苦笑しながら、ライアンの頭をそっと撫でた。

 「悪かったよ。ほら……お詫びに、寝る前にあったかい紅茶でも淹れてやる。好きだろ?」


 「……うん」

 機嫌を取り直したライアンは、ベッドの上でごろりと寝転がる。

ロニーは棚からティーポットを取り出し、ゆっくり湯を沸かし始めた。

その時、ふとライアンの脳裏にあのエルデア王国の伝承がよぎった。


 「……僕も、セリオス殿下みたいに……反乱起こして逃げようかな……ドロテアから」

 ぽつりと漏らした独り言。


 ――パリンッ!


 突き刺すような破裂音が、静まり返った部屋を切り裂いた。


 「うわっ……!?」

 ライアンは反射的に身体を起こし、ベッドの上で跳ねるように振り向いた。

心臓が大きく脈打ち、背中に冷たい汗が滲む。


 「な、なに……!?」

 目に飛び込んできたのは、床一面に散ったティーポットの破片だった。

光を反射した白い破片が鋭く輝き、静かな部屋に異様な存在感を放っている。


 「ロニー……?」

 ライアンは声をかけ、ベッドから身を起こしてロニーの方へ顔を向けた。

すると、ティーポットの破片の前に立つロニーが、ひどく強張った表情で震えているのが目に入った。


 「……セリオス……殿下……?」

 ロニーの唇がかすかに動き、絞り出すような声が漏れた。

その言い方は、まるで“忌まわしい名前”を口にしたかのようだった。

普段のロニーからは考えられない怯え方に、ライアンは胸がざわつく。


 「ロニー……? どうしたの? セリオス殿下がどうした?」

 心配して声をかけると、ロニーははっと目を見開き、急いで表情を整えた。

無理に作ったような、いつもの穏やかな笑み。


 「いや……なんでもないよ。ちょっと疲れてただけだ。ごめんな」

 震えた手で破片を拾い集めながら、視線だけはライアンに向けない。


 「紅茶は……明日にしようか。今日は……もう休もう」

 ひどく急いだ動作で片付けを終えると、ロニーは逃げるように部屋を出ていった。

扉が閉まる音だけが、やけに大きく響いた。


 「……どうしたんだろう、ロニー……?」

 胸に小さな疑問と不安を抱えながら、ライアンはそのままベッドへ沈み込む。

疲れが一気に押し寄せ、意識は暗闇へと落ちていった。


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