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第37話 封印された名 ― 東の魔術師 ―

 シュタインルー村を出てから、半日が過ぎていた。

陽はすでに頭上にあり、真昼の光が大地と彼らの背を照らす。遠くに見える白い塔が、

学院の象徴のようにそびえ立ち、三人の胸に懐かしさが込み上げる。


 「やっと帰ってきたな」

 レグナスがしみじみと呟いた。

 

 ライアンも目を細め、記憶の底をたどるように微笑んだ。

 「いろいろあったけど……いい経験になったと思う」


 フィオナはそんな二人のやりとりに頷きながら、穏やかな笑みを浮かべた。

旅の間に、三人の間に流れる空気はどこか柔らかくなっていた。

互いに支え合い、同じ景色を見てきた仲間――その静かな絆が、言葉にしなくても伝わるようだった。


 学院の門が見えたとき、フィオナがふと立ち止まり、前方を指さした。

 「ねえ、あそこ……誰かいるよ」


 その声に二人も目を向ける。高い門の前で、ひとりの影がじっとこちらを見つめていた。

陽光の逆光の中で輪郭がはっきりしない。だが、ライアンはその姿を見てすぐに気づいた。

 「……ダリオン先生だ」


 先生の表情は険しく、いつになく厳しい。ライアンは思わず背筋を伸ばし、レグナスも黙り込んだ。

三人が門の前にたどり着くと、ライアンたちは一斉に立ち止まり、丁寧に頭を下げた。

 「ただいま戻りました、先生」


 ダリオン先生は腕を組んだまま、三人を順に見渡した。

 「――お前たち、シュタインルー村に行っていたのか」

 

 低く抑えた声に、ライアンは少し緊張しながらも頷いた。

 「はい。村の人たちに、いろいろ助けてもらいました」

 

 先生は短く息を吐くと、何も言わずに背を向けた。

 「……ついて来なさい」

その声には感情がほとんどなく、ただ事実だけを告げるようだった。


 レグナスは珍しく表情を強張らせ、小声でライアンに囁く。

 「な、なんか怒ってるのか……?」

 

 ライアンは首を横に振り、ただ先生の背を追った。

フィオナも心配そうな目で二人を見やりながら、静かにその後を歩いた。


 ダリオン先生は何も言わず、ただ足音だけを響かせながら学院の長い廊下を進んでいた。

昼の光が窓から差し込み、床に並ぶ影がゆっくりと揺れる。

ライアンはその背を見つめながら、胸の奥に小さな不安を抱えた。やがて、こらえきれずに口を開く。

 「……あの、先生。どこに向かっているんですか?」


 ダリオン先生は歩みを止めず、わずかに息を吸い込んだ。

そして、低く重い声で答える。

 「――シュタインルー村から、まだ戻っていない生徒がいる」

 

 その瞬間、空気が凍ったように感じた。

ライアンの脳裏に、あの洞窟の光景が蘇る。薄暗い闇の中、操られたように立っていたシグムントの姿。

胸の奥を冷たいものが走り抜ける。

 「……シグムント、のことですか」


 ダリオン先生は静かに首を縦に振った。

 「校長先生が、その件を詳しく聞きたいとおっしゃっている。

  いま、村に行った生徒たちを集めて事情を聴いているところだ」


 その言葉に、ライアンの喉が詰まる。

“校長先生”という響きに、理由もなく背筋が伸びた。隣を歩くフィオナに、小声で尋ねる。

 「……校長先生って、どんな人なんだ?」

 

 フィオナは一瞬きょとんとしたあと、口元を緩めた。

 「ちょっと、ライアン……まさか名前も知らないの? アルヴェイン先生だよ」

そう言って小さく笑い、肩をすくめる。

 「ほんとに剣術以外のこと、全然覚えてないんだから」

 

 ライアンは少し恥ずかしそうにうつむき、「ありがとう」と照れたように返した。

そのやり取りに、レグナスが思わず吹き出しそうになる。

しかし、前を歩くダリオン先生が軽く咳払いすると、すぐに空気が引き締まった。

やがて、彼は立ち止まった。

 

 廊下の突き当たりにある、重厚な木製の扉の前。古い真鍮の取っ手が陽光を受けて鈍く光る。

ダリオン先生は扉の前に立ち、静かに一度だけノックした。

しばらくの沈黙のあと、中から落ち着いた声が返ってくる。


 「――入れ」


 その声は低く、しかし確かな威厳を帯びていた。

ダリオン先生は小さく頷き、三人の方へと振り返る。穏やかな目で彼らを見つめ、静かに言った。

 「さあ、入りなさい」


 その一言に、ライアンたちは自然と姿勢を正した。

緊張と期待が入り混じる中、重い扉がゆっくりと開かれていく。


 ライアンたちは扉を潜り、静かな校長室へ足を踏み入れた。

壁には古い書物と地図が並び、窓辺の陽光が薄く揺れている。

その奥に、一人の老人が立っていた。背丈は高く、細身の体。

肩まで伸びた白髪が光を受けて淡く輝き、紫の瞳が静かに三人を見つめていた。


 老人はゆっくりと微笑み、穏やかな声で言った。

 「……おお、よく戻ってきたのう。無事で何よりじゃ」


 その優しい声に、張りつめていた空気が少しだけ和らいだ。

ライアンは慌てて姿勢を正し、胸の前で手をそろえる。


 「は、はいっ……! ただいま戻りました。ライアンと申します。えっと……剣術科の一年です」

声がわずかに裏返り、言葉の終わりが途切れた。


 老人はその様子を見て、目を細めた。

 「そんなに緊張せんでもよい。ここは戦場ではないからのう」

その言葉にレグナスとフィオナが小さく笑い、ライアンも恥ずかしそうに息をついた。

 「さあ、座りなさい」

三人がソファに腰を下ろすと、老人はゆっくりと椅子に腰を下ろした。


 「改めて名乗らせてもらおう。わしが学院長、アルヴェインじゃ」

 柔らかくも威厳を帯びた声が、部屋の隅々に響いた。

 「さて……本題に入ろうかの。シュタインルー村に行ったシグムントたちが、まだ戻っておらん。

  おぬしたちが知っておることを、できるだけ詳しく話してくれぬか」

 

 ライアンは息を呑み、目を伏せた。

そして覚悟を決めるように拳を握り、静かに語り始めた――。


 洞窟での出来事――ゴブリンの大量発生、オルゴナイトの発見、そして、黒いマントの男の襲撃。

シグムントがその男に操られていたことを、できる限り正確に説明した。


 話を聞くうちに、アルヴェインの穏やかな表情が徐々に険しくなる。

 「その男の特徴を、覚えておるかね」

 

 ライアンは目を閉じ、記憶の奥を手探りするように答えた。

 「全身を黒いマントで覆っていて……顔も頭巾で隠していました。ほとんど見えなかったです」

 

 隣のフィオナが小さく頷き、言葉を添える。

 「ずっと不気味に笑ってたの。声も、どこか誘惑的で……あれは本当に怖かった」

 

 アルヴェインは白い髭をゆっくり撫で、静かに頷いた。

 「なるほど……では、その“操り”について、もう少し話してくれるかの」

 

 ライアンの肩がぴくりと震えた。

 心の奥から、あの洞窟の暗闇が押し寄せてくる。


 「……僕も、あの時……操られたんです」

 言葉を絞り出すように呟く。

 「気づいたら、体が勝手に動いて、レグナスを――」

 声が途切れ、目が揺れる。

横にいたレグナスが、そっとライアンの肩に手を置いた。

何も言わず、ただ首を横に振る。“気にするな”という、静かな意思がその仕草にこもっていた。

 

 ライアンは小さく息を吐き、震える声で続けた。

 「……あの男に、自分の“恐怖”を見せられたんです。

  そして、それを打ち消すための力をやるって言われて……。

  追い詰められて、僕は……受け入れてしまいました」

 

 ライアンは息を詰まらせながら続けた。

 「次の瞬間、体が軽くなって……目の前に、一番嫌いな人が見えたんです。

  僕を見下して、笑っているような……そんな姿でした」

言葉が震える。

 「でも……本当は違ったんです。

  現実では、そこにいたのはレグナスでした。

  あの男は、闇の力でレグナスを僕の恐怖の象徴に見せかけたんです」


拳を握る音が、静かな室内に響く。

 「僕はその幻を信じて……闇の力で殴ってしまった。

  それが、大切な親友だとも知らずに――」


 悔しげな声に、アルヴェインは深く頷いた。

 「つらい記憶を話してくれたな。……自分を責めるでない。

  シグムントも、おそらく同じように操られたのじゃ」


 ダリオン先生が口を開く。

 「――シグムントの行方は?」


 ライアンは目を伏せ、短く答えた。

 「……あの男に、連れ去られました」


 ダリオン先生の顔が険しくなる。

 「……その男はいったい何者なんだ」

低く絞り出すような声に、場の空気が一段と重く沈んだ。


 アルヴェインは再び髭を撫で、遠くを見るように呟いた。

 「黒いマント、不気味な笑み、顔を隠す頭巾……。

  まるで――東の魔術師のようじゃな」


 その言葉を聞いた瞬間、ライアンの背に冷たいものが走った。

脳裏に、メリックの日記の一節が鮮やかに蘇る。

 ――東の魔術師。セリオス殿下をたぶらかした、あの謎の男。


 ライアンは喉の奥が乾くのを感じながら、勇気を振り絞って口を開いた。

 「……東の魔術師って、もしかして……昔、エルデア王国の第一王子、セリオス殿下を唆した人物の

  ことですか?」


 その言葉を聞いた瞬間、アルヴェインの瞳が大きく揺れた。

 「……な、なんだと?」


 机に置いた手がわずかに震え、声もかすかに上ずる。

 「東の魔術師が……セリオス殿下を唆しただと? そんなこと……誰に聞いた?!」


 ライアンは思わず身をすくめた。

 「い、いえ……! 誰かに聞いたわけじゃなくて……」

少し狼狽えながらも、なんとか言葉を繋げる。

 「シュタインルー村で、エルデア王国の鍛冶師の子孫に会いました。

  その人に、“メリック”という先祖の日記を見せてもらったんです」

 

 アルヴェインは息を呑み、眉間に深い皺を刻んだ。

 「……メリック、か」

 小さく呟くその声には、懐かしさと動揺が入り混じっていた。

白い髭に手を添えたまま、彼はしばらく黙り込む。

紫の瞳には、遠い記憶を見つめるような光が宿っていた。その一瞬、ライアンは奇妙な感覚に襲われた。

まるでアルヴェイン自身が、エルデア王国の時代を実際に見てきたかのようだったのだ。

しかし、そんなはずはない。エルデア王国が滅びたのは遥か昔――人の寿命では到底届かない過去だ。


 ライアンは首をかしげながら、恐る恐る尋ねた。

 「……アルヴェイン先生は、エルデア王国に詳しいんですか?」

 

 老人はしばらく黙り込み、やがて小さく微笑んだ。

 「本で読んだだけじゃよ。昔話のようなものさ」

その穏やかな声の裏に、どこか重たい沈黙が落ちた。やがて、その沈黙を破ったのはレグナスだった。

 「……連れ去られたシグムントたちは、どうなるんですか?」


 アルヴェインは彼を見つめ、静かに答える。

 「学院で捜索を始める。心配せずともよい。

  だが、もし再びその男に出くわしたら――戦おうとしてはならん。

  すぐに逃げ、教員に報告するんじゃ」


 「……分かりました」

 三人の声が重なり、部屋に再び静寂が戻る。

外では風が吹き抜け、窓の外の木々が小さく揺れていた。

その音だけが、学院に漂う不穏な気配をそっとかき消していた。


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