第34話 時を継ぐ者
鍛冶師ガラントは、ライアンに最も合う剣を作るため、体の隅々まで寸法を測っていた。
測定が終わると、記録の書かれた羊皮紙を腕に抱え、奥の作業場へと戻っていった。
ライアンは上着のボタンを留めながら、ぼんやりと赤い瞳を伏せる。
――黒髪に赤い瞳の第二王子。
ガラントがそう口にした瞬間から、胸の奥がざわついて止まらない。
遥か昔の話なのに、なぜこんなにも心が騒ぐのか。自分でも理由が分からなかった。
ほどなくして、ガラントが戻ってきた。手には一冊の古びた本を持っている。
「これが……メリックの日記だ」
そう言って、慎重に両手で差し出した。
ライアンは息を呑みながら受け取った。表紙はひび割れ、縁は焦げたように黒ずんでいる。
指先に触れるたび、長い年月がそのまま染み込んでくるようだった。
かすかに鉄と油、そして煙のような匂い――それが妙に懐かしく感じられる。
(……この匂い、知ってる。どこで……?)
思考がふっと途切れ、胸の奥がきゅっと締めつけられた。
(なんだろう……初めて見たはずなのに、懐かしい匂いだ)
(どこかで……こんな匂いを嗅いだ気がする)
(でも、いつ……? どうして胸が、こんなにざわざわするんだ)
ライアンは無意識に本を抱きしめ、瞳を伏せた。
古い紙の温もりが、遠い記憶のようにじんわりと掌に残った。
険しい表情のまま本を見つめるライアンに、ガラントが問いかけた。
「どうした? そんなにエルデアのことが気になるのか」
はっと我に返り、ライアンは慌てて作り笑いを浮かべた。
「い、いや……知り合いに勧められて、ちょっと気になっただけです」
ガラントは口の端を上げて笑う。
「そうかい。なら、今日はそれを持って帰りな。俺はこれから剣を打つ。明日、もう一度来な」
「……えっ?」
レグナスは一瞬、耳を疑ったように固まった。
「ま、まさか、一日でできるのか!?」
目を丸くし、思わず前のめりになる。
「冗談だろ? 普通、剣を一本打つのに何日かかると思ってんだ……!」
ガラントはそんなレグナスの反応を楽しむように、にやりと笑った。
「冗談じゃねぇよ。腕と道具があれば、一日あれば十分さ」
レグナスは信じられないといった顔で身を乗り出した。
「どうやって……そんな真似ができるんだ?」
ガラントは無言で作業台に手を伸ばし、一本のハンマーを持ち上げた。
厚い手のひらに収まったその鉄槌は、長年の使用で鈍く光っている。
「これさ。俺の自慢の一本だ」
ゆっくりとハンマーを掲げながら、ガラントは説明を続ける。
「このハンマーには、“時間短縮”の魔法がかけられてる。
これで金属を打てば、素材が自ら完成に向かって形を整える。時間を飛ばすようなもんだ」
そう言って、ガラントは柄を強く握りしめた。
すると、ハンマーの柄と先端に沿って、緑色の幾何学模様が浮かび上がる。
模様は淡く脈動し、やがて先端全体が柔らかく輝いた。
「すごい……! 本当に光った!」
ライアンは思わず声を上げ、目を輝かせる。
レグナスが吹き出し、肘でライアンの脇腹を軽くつつく。
「ははっ、お前、本当に武器が好きなんだな」
ライアンは顔を真っ赤にしながら、慌てて姿勢を戻した。
「そ、そんなわけじゃ……ただ、すごいと思っただけだよ!」
その光景に、ガラントは満足げに笑い声を漏らした。
「ははっ、そう言ってるうちはまだ若ぇな。けど――その素直さ、嫌いじゃねぇぞ」
ガラントは笑みを収め、再びハンマーを見つめながら口を開いた。
「ただな、どんな鉄でも同じってわけじゃねぇ。
普通の金属なら、時間を縮めすぎると耐えられねぇんだ。
早く打ちすぎりゃ、刃がねじれたり、折れたりする」
レグナスが腕を組みながらうなった。
「なるほどな……便利すぎるにも限界があるってわけか」
ガラントは頷き、にやりと笑う。
「だが――オルゴナイトなら話は別だ。あれはどんな負荷にもびくともしねぇ。
だからもっと早く仕上げられる」
フィオナが目を丸くした。
「それも……エルデアの技術なの?」
「おう、そうさ」
ガラントは誇らしげに胸を張った。
「エルデアの技師たちは、特に“時間制御”の研究に力を入れてたらしい。
時間を縮めたり、金属の冷却を早めたり、果ては“時間そのものを閉じ込める”なんて話まである。
このハンマーも、その理論を応用して作られたんだ」
フィオナは息を呑んだ。
「……時間を、閉じ込める……?」
ガラントは軽く笑って、ハンマーの頭を指で叩いた。
「まあ、そこまでは夢物語だ。だが、ほんの少し時間を“圧縮”するくらいなら、実際にできちまう。
だからこそ、このハンマーで打てば、早く剣が仕上がるってわけさ」
「俺も最初は信じちゃいなかったが、メリックの日記を読んで驚いたね。
あの国じゃ、獣と会話したり、今じゃ考えられねぇ魔法を平然と使ってたらしい」
「まるで……おとぎ話ね」
フィオナは感嘆の息を漏らし、遠い昔に想いを馳せた。
ガラントは豪快に笑い、手のひらで膝を叩いた。
「だろう? だがな、エルデアは本当に存在したんだ。確かにな」
その言葉に、ライアンの胸がざわついた。
理由のわからない不安が、静かに胸の奥を締めつける。
(どうしてだ……。あの国の話を聞くたびに、胸が痛くなる)
そんなライアンの様子を見て、ガラントは穏やかな声で言った。
「気になるなら、その日記をゆっくり読むといい。きっと何か掴めるはずだ」
ライアンは顔を上げ、真剣に頷いた。
「……ありがとう、ガラントさん」
「礼なんざいらねぇ。お前らもすぐ旅立つんだろ? 一日で仕上げてみせるさ」
その言葉に、ライアンの瞳がぱっと輝いた。
「本当に……!? ありがとうございます!」
ガラントは腕を組み、胸を張って笑った。
「任せとけ。明日には、お前の相棒がここで目を覚ます」
三人はそろって一礼し、扉の外へと向かった。
工房の中に残ったのは、再び熱を帯びる鍛錬炉の音と、職人の息遣いだけだった。
しばらく歩いて、三人は村の宿に戻った。
扉を開けると、昼下がりの柔らかな光が部屋の床を照らしている。
ライアンはベッドに腰を下ろし、手にした古びた本をそっと見つめた。左隣にはフィオナが座り、
右にはレグナスが腕を組んで覗き込む。
「……読んでみるか」
ライアンは深呼吸し、慎重に表紙を開いた。
途端に、古い羊皮紙の匂いがふわりと鼻をかすめる。
黄ばんだページと、掠れた黒いインク。指先に伝わるざらつきが、長い年月を物語っていた。
(これが……メリックさんの生きた証か)
意を決して一行目に目を通す。
そこに綴られていたのは――思いのほか愉快な言葉だった。
「今日はいい天気だった。市場で美味い串焼きを食い、吟遊詩人の音楽を楽しんだ。
夜は親友と酒を酌み交わし、世間話で笑い転げた。酒場のお姉ちゃんともいい雰囲気で、
もしかして俺に気があるかもしれん。エルデアに生まれて本当に幸せだぜ!」
ライアンは思わず吹き出しそうになった。
「……なんだこれ、思ってたより明るい人だな」
フィオナも苦笑して、肩をすくめた。
「ね。てっきり堅物の職人かと思ってたけど……意外と陽気なのね、メリックさん」
レグナスも頷きながら笑った。
「どこにでもいる普通のおっちゃんって感じだな」
穏やかな空気の中、ライアンは次のページを捲る。ページの隙間から、かすかに鉄の匂いが漂った。
「今日はセリオス殿下の十五歳の誕生日だ。
長い金髪が陽の光を受けて輝き、青い瞳はまるで湖のようだった。
鍛えられた腕と胸――その姿はまさしく次期国王に相応しい。
殿下のために、オルゴナイトをふんだんに使い、光の魔法を宿した剣を献上した。
陛下も王妃も喜び、この上ない褒美をくださった。
どうか、この剣と共に殿下が民を導く光となるように」
読み終えた瞬間、ライアンの指が止まった。
「……セリオス殿下」
小さく呟いたその名に、胸の奥がひやりと冷たくなる。
彼の脳裏には、ガラントが語った“第一王子の反乱”の言葉が浮かんでいた。
(これが……あの王国を滅ぼした人の名……?)
ページの向こうに広がる、まだ見ぬ過去の光景が、静かな宿の部屋に、じわりと重たい影を落とした。




