第31話 三人の約束
朝靄の残るシュタインルー村に、鳥のさえずりが響いていた。
木の家々の屋根からは白い煙が上がり、窓を開けて掃除をする人々の声が穏やかに交わる。
昨日までの重苦しい空気が嘘のように、村は柔らかい朝の光に包まれていた。
その道を、ライアンたちは並んで歩いていた。
「さてと――今日はガラントさんの工房に顔を出すんだったな」
レグナスが両手を頭の後ろで組みながら、気楽そうに言った。
「オルゴナイト、ちゃんと持ってきたか?」
フィオナは微笑んで頷く。
「ええ。昨日、少し磨いておいたの。これで、ライアンの新しい武器を作ってもらえるわ」
彼女の声は静かで、どこか優しい響きを帯びていた。
ライアンは苦笑いを浮かべながら言った。
「改めて聞くけど……本当に僕なんかでいいの? オルゴナイトって、すごく貴重なんだろ?」
「ははっ、何言ってんだよ!」
レグナスは肩を叩きながら、豪快に笑った。
「オルゴナイトってのは、剣とか槍、盾みたいな“殴る系”の武器に向いてるんだろ?
俺は杖しか使わねぇし、そんなの持っても飾りにしかなんねぇよ。
だったら、お前が使う方がよっぽどマシだ」
フィオナも笑いながらうなずいた。
「そうね。私たちが使ってもただの石だけど、ライアンの手ならちゃんと剣になるわ。
オルゴナイトも、戦える人に使われたいはずよ」
ライアンは頬をかきながら、少し俯いた。
「……ほんと、ありがとな。二人とも。なんか、照れるけど……嬉しいよ」
陽光の下で、三人の影が並んで伸びていく。
その先には、ガラントの工房――新たな旅の始まりを告げる扉が待っていた。
工房へ向かう道すがら、朝の光を受けた露が小径をきらめかせていた。
家々の窓からは焼きたてのパンの香りが漂い、通りには村人たちの穏やかな挨拶が交わされている。
その光景を見ながら、ライアンはふと足を止め、ぽつりと呟いた。
「……きれいな村だな」
レグナスが横目でちらりと見て、にやりと笑う。
「だろ? 朝の空気もうまいし、パンの匂いもしてくるしな。腹減ってきたわ」
ライアンは吹き出して、肩をすくめる。
「感動してたのに、いきなり食い物の話かよ」
「ははっ、俺にとっちゃ“きれい”も“うまい”も同じようなもんだ!」
穏やかな風が三人の間を抜け、木漏れ日が小道を照らす。
ライアンはその暖かさを肌で感じながら、ゆっくりと息を吐いた。
重く閉じていた心の扉が、ようやく少しだけ開いた気がした。
目的地は、もうすぐ目の前――。
しばらく歩いたところで、レグナスがふとライアンを横目に見た。
「なぁ、ライアン。お前の村も、こんな感じのとこなのか?」
突然の問いに、ライアンは少し身を固くした。
「え、あ、うん……まぁ、そうだよ。普通の村だった」
声が少し上ずる。
レグナスは小首をかしげた。
「普通の村、か……なんか、もっと特別な場所で育った感じするけどな」
肩を軽く叩きながら冗談めかして言うと、ライアンは苦笑いを浮かべて視線を逸らした。
フィオナがくすっと笑って、横から覗き込むように言った。
「村の名前は? 地図で見てみたいね」
ライアンの喉がひゅっと鳴った。
「な、名前? うーん……小さい村だから、たぶん地図には載ってないよ」
作り笑いを浮かべてごまかすと、フィオナはしばらくじっとライアンの表情を見つめた。
「……今の顔、なんか優しいね」
「え?」
「ううん。ただ、さっきまでよりちょっと……昔のこと、思い出してるみたいだったから」
ライアンは言葉を詰まらせ、視線を落とした。
「……まあ、懐かしい人たちのことを、少し思い出しただけ」
「そっか……」
フィオナは小さくうなずくと、ほんのり笑みを浮かべた。
そして、ふと何かを思い出したようにライアンの横顔を見つめた。
「ねぇ、ライアン。前に言ってたでしょ? 昔は髪、すごく長かったって」
「……あ、うん。そうだけど?」
「やっぱり気になるなぁ。見てみたい、その頃のライアン」
その言葉に、ライアンの動きがぴたりと止まった。
頬がじわじわ熱くなっていくのを感じながら、頭をかいて誤魔化す。
「……見せてもいいけど、たぶんフィオナ、笑うだろ?」
フィオナはぱちぱちと瞬きをしてから、くすっと笑った。
「笑わないよ。たぶん、見たら“きれいだな”って思うだけ」
「そ、そうかな……?」
ライアンは耳まで赤くしてうつむく。
その様子が可笑しくて、フィオナは少しだけ歩幅を合わせた。
「ふふっ、照れてるね。やっぱり見てみたいな、長い髪のライアン」
レグナスはニヤリと笑い、フィオナの肩越しにライアンを覗き込んだ。
「ははっ、俺も見てみてぇな。長ぇ髪で剣振り回すライアン、きっとカッコいいぜ」
「か、かっこいいって……そんなこと言われても……!」
ライアンの顔は一瞬で真っ赤になり、言葉が喉でつかえる。
レグナスは満足げに笑い、両手を腰に当てて言った。
「おう、褒めてんだよ。今度、伸ばして見せてくれ」
ライアンは困ったように視線を逸らしながら、小さく頷いた。
「……そこまで言うなら、いつか見せるよ」
けれど、次の瞬間には表情が少し曇る。
「でも……あの女と一緒にいる限り、きっと髪は伸ばせない」
その沈んだ声に、フィオナはそっと近寄った。
気づけば、フィオナはライアンのすぐ背後に立っていた。彼女の手がそっと伸び、ライアンの
後頭部に触れる。指先が髪を撫で、やわらかく何度も梳くように動いた。
「――えっ!? ちょ、ちょっと!? フィ、フィオナ!?」
ライアンは思わず前のめりになり、耳まで真っ赤に染めながら慌てて声を上げた。
心臓がうるさく鳴って、何を言えばいいか分からない。
「な、なにしてんの!? ひ、人が見てるってば……!」
フィオナはその様子にくすりと笑い、撫でる手を止めない。
「髪が早く伸びるおまじない。……効くかもしれないよ?」
「な、なんだよそれぇ……!」
情けない声を出すライアンを見て、レグナスは肩を震わせて笑いをこらえていた。
「いいじゃない、別に。髪は触っても減らないでしょ?」
「ひ、減るとかじゃなくてっ……! み、みんな見てるってば!」
ライアンが顔を真っ赤にして周囲を見回すが、フィオナはまるで気にしていない。
「見られて困ること、してないでしょ?」
悪戯っぽい笑みを浮かべながら、彼女はさらに距離を詰める。
両腕をライアンの肩に回し、背中へそっと体を寄せた。
胸元が軽く当たる感触に、ライアンは呼吸を忘れそうになる。
「ひゃっ……! フィ、フィオナ!? ちょ、ちょっと本当にっ……!」
「ダメ。離さない。あの時、あなたが遠くに行っちゃいそうで――怖かったんだから」
囁くような声が、ライアンの耳を掠めた。
「そ、そんなこと言われても……! も、もう行かないってば! 本当だからっ!」
ライアンは顔を真っ赤にしながら、身をよじって必死に抵抗する。
しかし、フィオナはさらに頭を撫でながら、微笑を深めた。
「ほんとに? もう、どこにも行かない?」
その声は少し震えていて、冗談の裏にほんのわずかな不安が滲んでいた。
「い、行かないってば! 本当だって!」
ライアンは必死に否定するが、耳まで真っ赤だ。
フィオナは小さく笑って、彼の髪をもう一度優しく撫でた。
「なら、ちゃんと証拠を残さなきゃね」
「しょ、証拠!? な、何の!?」
「こうして触ってる間は、信じてあげる」
「~~っ!! だ、だから離せってばぁっ!」
その情けない悲鳴が上がった瞬間、後ろから豪快な笑い声が響いた。
「おいおい、朝っぱらから見せつけてくれるじゃねぇか!」
威勢のいい声が飛んだ。
はっとして振り向くと、そこはもうガラントの工房の前だった。
いつの間にか、笑いながら歩くうちにたどり着いていたらしい。入り口には腕を組んだガラントが
立っており、白い歯を見せてにやりと笑った。
「まったく……若いってのは、眩しいもんだな!」
ライアンは真っ赤になって慌ててフィオナから離れたが、ガラントの豪快な笑い声が響く。
「ほら見ろ、顔がリンゴみたいに真っ赤だぞ!」
レグナスが肩を揺らしてからかうと、ライアンは必死に声を上げた。
「やっ……やめろ、レグナス!」
その言葉を合図に、工房の前は笑い声で満たされた。
笑いの余韻が残る中、ガラントは腰に手を当て、喉の奥から豪快に笑った。
「はっはっは! まったく、若ぇ連中は見てて飽きねぇな!」
笑いながらも、その眼差しはどこか優しく、誇らしげだった。
「ようやく来たか。まったく、お前ら、顔を見せねぇから心配してたんだぞ」
ガラントは鼻で笑いながら腕を組む。
「で? わざわざ三人揃って押しかけてきたってことは――何か面白ぇ話でも持ってきたのか?」
その声に、レグナスが一歩前へ出て告げる。
「実は――頼みがあって来たんだ、ガラントさん」
そう言って、肩にかけた袋を開け、中から拳ほどの光沢石を取り出した。
光を浴びて鈍く輝く黒紫の石。それを見た瞬間、ガラントの太い眉がぴくりと跳ねた。
「……ほう、こいつは……まさか、オルゴナイトじゃねぇか!」
驚きと興奮が入り混じった声が響く。
ガラントは石を手に取り、まじまじと見つめた。
「……おお、こいつぁ見事だな。まさか、本当に見つけてくるとは思わなんだ」
嬉しそうに口の端を上げ、掌で石を転がす。
「こんな上物、何年ぶりだろうな……。まるで昔の勘を試されてるみてぇだ」
フィオナが一歩進み、少し得意げに笑う。
「ふふっ、ライアンが見つけたの。これで、ライアンの新しい剣を作ってほしいの」
「ライアンの剣、だと?」
ガラントはにやりと笑い、燃えるような目を三人に向けた。
「面白ぇ! よし、話は中で聞こう。どうせ外じゃ風も冷てぇ、ゆっくりしてけ」
そう言うと、ガラントは扉を押し開け、
熱気と金属の匂いが漂う工房の奥へ三人を導いた。




