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第30話 赦しの焔

 沈黙が落ちた。暖炉の火がぱちりと弾け、ライアンの影が壁に揺れる。

フィオナの問いが、胸の奥で何度も反響した。――“嫌いな人って、誰なの?”

 

 ライアンは唇を噛んだ。本当のことを言えば、軽蔑されるかもしれない。

森で獣に育てられた――その事実が、頭をよぎる。だが、ロニーの声が思い出された。

 

 「人間は獣を怖がる。お前の過去を話すときは、気をつけなさい」

 その言葉が胸に突き刺さり、喉が詰まる。


 長い沈黙のあと、ライアンは小さく息を吸い、ゆっくりと口を開いた。

 「……僕は、ある村で暮らしてた。自然に囲まれた、静かな場所だ。

  毎日父さんと遊んで、母さんの料理を食べて……それだけで幸せだった」


 その声はかすかに震えていた。

 暖炉の火が小さくはぜる音が、涙のように響く。

 「でも、ある日――あの村に一人の女が現れた。長い筒みたいな武器を持って……村を襲ったんだ」

 

 フィオナが息を呑む音がした。

 「……襲った? その女は……?」


 ライアンは一瞬、視線を落とし、拳を握りしめた。

 「父さんと母さんは僕を守ってくれた。けど……撃たれて、倒れた。

  僕も抵抗したけど、針みたいな武器で撃たれて……気づいたら、眠ってた」


 言葉を絞り出すように続ける。

 「目が覚めたときには、もう……見知らぬ屋敷の中だった。

  そして、その女が、僕を“自分の子”にすると言った。」


 レグナスは眉をひそめる。フィオナは顔を強張らせた。

ライアンはゆっくりと二人を見つめ、吐き出すように言った。

 「――その女の名前は、ドロテア。

  貴族の女で……皆、令嬢ドロテアと呼んでいる」

 

 その名が部屋の空気を切り裂くように響いた。暖炉の火が一瞬揺らめき、三人の沈黙だけが残った。


 レグナスは腕を組んだまま、深く息を吐いた。

 「……(さら)われたあと、その女に......何をされた?」

 声は低く、慎重だった。

 「親を撃たれた。それだけで憎むのは当然だ。

  けど……お前の怒りは、それ以上のものに見えた。」


 ライアンは言葉を探すように唇を震わせた。

 「……あの女は、僕の“全て”を否定したんだ」

 そう言って、ゆっくりとうつむく。


 ライアンは胸の奥を押さえるようにして、ゆっくりと言葉を紡いだ。

 「……僕の髪は、昔はお尻のあたりまであったんだ。

  それはただの髪じゃなくて……父さんと母さんとの“絆”だったんだ」


 視線が揺れる。指先が無意識に髪へ触れる。震えが伝わった。


 「母さんは毎朝、大きな手で優しくとかしてくれた。

  痛くないように、ゆっくり、ゆっくり。

  それが終わると、父さんが後ろから毛先を優しく掴んで、

  『今日も立派な尻尾だな』って、からかうように笑って……。

  あの時間が、僕にとって一番幸せだった」

  そこまで語ると、ライアンは息を詰まらせた。


 「でも、あの女は……僕の髪を見て、“醜い”って言った。

  『人間らしくない』って......」

 喉が詰まり、声がかすれる。

 「無理やり、切られたんだ。僕の願いなんて聞かずに、笑いながら。」


 焚き火の音が静かに弾ける。

 「父さんも母さんも、あの時は傷ついて動けなかった。僕は、誰も守れなかった。

  あの髪を切られた瞬間……“家族とつながっていた証”まで奪われた気がしたんだ。」


 ライアンは拳を握りしめる。

 「父さんと母さんは、まだ生きてる。きっと、僕が帰るのを待ってる。

  でも――あの時の僕には、それがもう遠くに行ってしまったように感じた。

  生きてても、届かない場所に置き去りにされたみたいで……」


 息を吐くと、視線が揺れた。

 「だから、あの女を許せなかった。髪を切っただけじゃない。

  僕の中の“帰る場所”を切り落としたんだ」


 言葉の最後がかすれ、声にならなくなる。

その沈黙が、誰よりも雄弁に痛みを語っていた。


 ライアンは小さく息を吸い、震える指で首元を押さえた。


 「……あの女、ドロテアは......それだけじゃなかった。

  髪を切ったあと、僕の首に“首輪”を嵌めたんだ」

 その声は掠れていて、かすかに息が震えている。


 「言うことを聞かないと、そこから電撃が走った。

  ただ拒んだだけで、全身が焼けるように痛くなって……息もできなかった。

  何度も叫んだのに、あの女は笑って見てた」

 言葉が途切れ、喉の奥で小さな嗚咽が漏れる。


 「怖かった……。誰も助けてくれなくて、

  痛みよりも……“一人ぼっち”の方が、ずっと怖かった」

 拳を胸の上で握りしめる。


 「命令のたびに、心が少しずつ削られていくみたいで……

  自分が誰なのか、分からなくなっていった」

 ライアンの瞳が潤み、唇が震える。


 「もう二度と……あんな風に誰かに支配されたくない。

  だから僕は、あの女を……憎んでる」


 フィオナは両手で口を押さえ、目を潤ませた。

 「……そんな、ひどい……。どうしてそんなことを……」

声がかすれ、涙が頬を伝う。


 ライアンはゆっくりとレグナスの方を見た。

レグナスは無言で拳を握りしめていた。指先が白くなるほど力がこもり、顔をそらして唇を噛む。

その瞳の奥には、怒りと、言葉にならない悲しみが混じっていた。

暖炉の炎がぱちぱちと鳴る音だけが、静かな部屋に響いていた。


 ライアンの告白が終わると、部屋を満たしていた沈黙が重く沈みこんだ。

レグナスは腕を組んだまま、しばらく何も言わなかった。やがてゆっくりと息を吐き、

柔らかな声で言う。

 「……辛かったな。その憎しみを、あの男に利用されたんだな?」


 ライアンは小さく頷き、目を伏せる。

 「髪を切られる場面を見せられて……脅されたんだ。

  契約しなきゃ、全部切り落とすって言われて……怖くて、気づいたら……」

声が震え、言葉が途切れた。


 フィオナは眉を寄せ、静かに口を開く。

 「……なるほど。あの男、人の“弱さ”を使って心を縛るのね」

 

 再び沈黙が落ちた。レグナスは目を閉じ、深く息を吸ってから問いかける。

 「ライアン……もう一度聞く。あの時、殴ってたのは誰だ?」

 

 ライアンはゆっくり顔を上げ、真っすぐにレグナスを見つめた。

 「ドロテアだ。あの女の顔が見えて……止まらなかった」


 しばらくレグナスは何も言わなかった。やがて小さく笑って、しかしその目は真剣だった。

 「正直に言っていいか? ……お前のこと、少し怖かった」

 

 ライアンの目が揺れる。

 

 「突然、獣みたいに咆えたり、すごい力で物を壊したり……。

  いつか、その力が俺に向くんじゃないかって。……この先、一緒に旅をしていいのか、迷ってた」


 ライアンは息を詰まらせ、震える手でレグナスの足を抱きしめた。

 「……やだ……そんな言い方、しないで……」

 

 声が震え、涙が床に落ちる。

 「僕……レグナスは、僕を見捨てないって……信じてた……。

  でも……怖かったんだ……嫌われるって……わかってたのに……。

  それでも……もう一度、笑いたかったんだ……一緒に……」

嗚咽が喉を詰まらせ、言葉が途切れ途切れに溢れた。


 「もう……誰にも、否定されたくない……! 嫌われたくない……!

  僕、なんでもするから……だから……そばにいてよ……!」


 その声は幼い子のように震え、必死に縋りつくようだった。そして掠れた声で絞り出す。

 

 「……お願いだよ、レグナス……僕を……独りにしないで……」


 嗚咽混じりの声が部屋に滲んだ。暖炉の火がぱちりと弾け、空気がわずかに揺れる。

レグナスは腕を組んだまま、しばらく視線を落としていた。


 「……そうか。そこまで俺のこと、想ってたのか」

 低く漏れた声は、怒りでも嘲りでもなく、どこか優しかった。


 そして、ほんの一瞬だけ口元が緩む。

 「――さっき、“何でもする”って言ったな?」

 

 レグナスは鼻で笑うと、拳を軽く握りしめた。

 「じゃあ――覚悟しろ!」


 軽い衝撃が頭頂を叩いた。

鈍い痛みが一瞬走り、次にふっと力が抜ける。

恐る恐る顔を上げると、レグナスがいつものように白い歯を見せて笑っていた。

その笑顔を見た瞬間、胸の奥がじんと熱くなる。


 「……え?」

 思わず間の抜けた声を漏らすライアンに、レグナスは肩をすくめた。


 「これでおあいこだ!」

 その声は、怒りではなく、晴れやかだった。


 呆然とするライアンの様子を見て、レグナスはおかしそうに笑いながら続ける。

 「なあ、ライアン。お前、俺のどんなとこが好きなんだ?」


 「……レグナスの笑顔だ。レグナスが笑うとさ、嫌なこと全部どうでもよくなるんだ」

 その答えは震えていたが、確かに心の底からの言葉だった。


 レグナスは目を細めて笑い出した。

 「ははっ、そんなこと言われたら照れるじゃねぇか!」


 そう言って手を差し出す。

 「これからも、俺の笑顔をたくさん見せてやるよ」


 差し出された手は、焔のように温かかった。

ライアンは震える指でその手を掴み、ゆっくりと立ち上がる。

しばらく二人は、言葉もなく見つめ合った。胸の奥から、長く凍っていたものが少しずつ溶けていく。


 「……ありがとう。ほんとに、ありがとう」

 かすれた声でそう言うと、レグナスは小さく息をつき、笑いながらライアンの涙を親指で拭った。

 

 「まったく、泣き虫だな。……でも、もういい」

 そして、少しだけ真面目な声で続けた。

 「これからは、辛いことがあったら一人で抱えんな。

  仲間がいるってこと、忘れるなよ」


 ライアンは深く頷いた。その瞳に、ようやく確かな光が戻っていた。


 そのとき、ライアンは隣に立つフィオナの方を見た。

怯えていたあの瞳を思い出し、胸が締めつけられる。

 

 「……フィオナも、ごめん。怖い思い、させたね」


 フィオナは目を見開き、すぐに首を横に振った。

 「ううん……もういいの。あなたが戻ってきてくれただけで、十分だから」


 言葉の途中で、フィオナは涙をこぼしながらライアンに抱きついた。

その温もりに、ライアンの体の力がふっと抜ける。

気づけば、レグナスも笑いながら二人を抱き寄せていた。

三人は互いの体温を確かめるように、しっかりと抱き合う。


 少し離れた暖炉のそばで、ガラントが鼻をすすり、苦笑した。

 「まったく……若いってのは、眩しいな」


 ぱち、ぱち、と焚き火の音が響く。

その音に包まれるように、三人の笑い声が静かに溶けていった。

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