第26話 剣と炎と祈りの誓約
洞窟の静けさの中、足音と息づかいだけが響いていた。
ライアンは両手剣を握り直し、前を見据える。
(……次は失敗できない。俺たち三人で乗り越えるんだ)
その思いが自然と口をついて出た。
「ねえ、少しだけ……次の動きを決めておかない?」
レグナスとフィオナが振り返る。真剣な瞳に気づき、二人も歩みを緩めた。
「今のままじゃ危ない。だから――」
ライアンは息を整えながら言葉を続ける。
「明かりはフィオナの魔道ランタンを使う。レグナスは後方から援護。僕が前に立って、
進む道を切り開く」
しばし沈黙が落ちる。
レグナスは一瞬きょとんとしたが、次の瞬間、口元を大きく歪めて豪快に笑った。
「ははっ! やっぱりな。お前、どう見てもリーダー向きだぜ」
いきなり頭をぐしゃぐしゃに撫でまわされて、ライアンは耳まで赤くなる。
「ち、違うって! 僕はただ……」
必死に否定するライアンに、レグナスはわざと真剣な顔を作ってみせた。
「よろしく頼むぜ、リーダー殿」
「ちょっと、からかわないの」
フィオナが呆れ顔で口を挟む。だが、その目は優しく細められていた。
「でも……ライアンの言葉で、私も安心したよ。立派だった」
「うぅ……やめてよ、そういうの……」
ライアンはうつむき、しどろもどろに言う。
「と、とにかく……行こう!」
レグナスとフィオナが「やれやれ」と肩をすくめながらも微笑んで、ライアンの後に続いた。
――。
ガラントの助言通り、彼らは左の通路を選びながら奥へと進む。空気は次第に冷たく、
重苦しくなり、岩壁に貼りついた水滴がぽたりぽたりと音を立てた。やがて、広い空間に出た。
魔道ランタンの淡い光では全貌をつかみきれない。 ライアンは足を止め、胸の奥がざわつくのを
感じた。
(……どうして、あの時見えたんだ? 偶然なのか……俺にそんな力があるのか……
わからない。でも――)
脳裏に、父狼の鋭い瞳がよみがえる。
(もう一度、父さんを思えば……あの時みたいに見えるのかもしれない)
戸惑いと不安が胸を締めつける。だが、レグナスとフィオナを守るために、試さずにはいられなかった。
すると、また瞼の裏に光が差す感覚。暗闇の奥が少しずつ輪郭を取り戻していく。
「……見える」ライアンは呟いた。
「な、何が見えるの?」フィオナが恐る恐る尋ねる。
「二人とも……ゴブリンの巣に来ちゃったみたいだ」
低く告げると、フィオナが小さく息を呑み、肩を震わせる。
ライアンは低い声で続けた。
「前方に……十体以上、岩陰や壁際に隠れてる。しかも奥の方には、まだもっと……ざっと二十はいる」
その言葉に、フィオナは目を見開き、青ざめた顔で首を振る。
「に……二十以上……!? そんな数、相手にできない……!」
レグナスも血の気を引かせ、冷や汗を浮かべながら叫んだ。
「巣だって?! 三人だけじゃ無理だ、すぐ退くぞ!」
レグナスの叫びに、ライアンはすぐに首を振った。
「駄目だ……もう囲まれてる。どの通路にも、ゴブリンの影が動いてる。退けない」
低く告げた声に、フィオナが息を呑む。目の端で、ゴブリンたちがじりじりと距離を詰めてくるのが
分かる。鈍い刃を握り、獲物を嬲るかのように笑っていた。
焦りに飲まれそうになる中、ライアンは必死に頭を回した。
(どうにか……一気に崩せる方法は……!)
「レグナス!」振り返りざまに声を張る。
「もっと強力な魔法はないのか? 一気に吹き飛ばせるような!」
問われたレグナスは一瞬目を見開き、すぐに唇を噛んだ。
「……あるにはある。“インフェルノ・サーペント”。広範囲を焼き尽くせる……
けど、詠唱が長い。発動に時間がかかるんだ」
「短縮する方法は?」
ライアンが食い下がると、レグナスはちらりとフィオナに視線を送る。
「……魔力を強化してくれれば、半分以下に短縮できる。ただ――」
レグナスの言葉に、フィオナが険しい顔で割り込む。
「その間、私は他の支援ができなくなるの。ライアン、あなたに回復も身体強化もかけられない。
無防備のまま戦うことになるわ」
それを聞いたライアンは迷いなく首を横に振った。
「心配しないで。僕は支援がなくても戦えるから! 二人は全力で魔法に集中して!」
両手剣を握りしめ、ライアンの瞳がぎらりと光る。
「僕が時間を稼ぐ! その間に、レグナスは魔法を完成させろ!」
「ライアン……!」
レグナスは思わず声を荒げる。
「無茶だ、そんなの……!」
だが、隣のフィオナがそっとレグナスの肩に手を置いた。揺れる瞳が、それでも確かな強さを
帯びている。
「信じましょう、レグナス。今のライアンなら……きっと守ってくれる」
レグナスは息を呑み、そしてゆっくりと頷いた。杖を胸に抱きしめ、目を閉じる。
「……分かった。ライアン、悪いな。お前に全部背負わせる」
次の瞬間、彼の口から長い詠唱が紡がれ始める。杖先に赤い光が宿り、空気が熱を帯びた。
ライアンは剣を構え直し、迫りくる無数の影に視線を走らせる。
「大丈夫。僕が守る。二人とも……任せてくれ!」
ゴブリンたちが吠え、ついに地を蹴った。鈍い光を放つ刃が振り上げられる。
それを正面から迎え撃ちながら、ライアンの足は一歩も退かなかった。
ゴブリンの群れが、じりじりと迫ってくる。暗がりの奥で光る鈍い眼。ナイフや錆びた剣を
振りかざし、唸り声をあげながら包囲を狭めてくる。ライアンは両手剣を握り直し、深く息を吐いた。
背後には、魔力を込めるレグナスと、それを支えるフィオナ。二人を守れるのは自分だけだ。
(絶対に通させない――!)
最初の一体が飛びかかってくる。牙を剥き、短剣を突き出す。ライアンは足を踏み込み、
剣を横に払った。刃が骨を裂き、光の粒が宙に散る。すぐさま二体目が側面から襲いかかる。
振り返りざまに剣の腹で受け止め、体ごと押し返す。鈍い衝撃が腕を痺れさせたが、怯む暇はない。
踏み込み、腹を一閃。
血飛沫ではなく、光が弾ける。その煌めきが視界を照らす間に、さらに三体が迫る。ライアンは
低く構え、獣のように動いた。父の狼を思わせる直線的な突進。両手剣の切っ先が一体の胸を貫き、
続けざまに体を回転させてもう一体を弾き飛ばす。残る一体は爪を振りかざすが、刃の軌跡がそれを
裂いた。背後から甲高い鳴き声。振り返ると、四体が一斉に迫ってくる。ライアンは呼吸を整え、
剣を正面に構える。喉が焼けるように乾いていたが、足は止まらない。
「来いよ……!」
自ら挑発するように声を張った。怒声に釣られたゴブリンたちが一斉に飛びかかる。
一撃、二撃――剣が弧を描き、火花のように光の粒が舞った。だが数は減らない。刃が服を裂き、
肩に浅い傷を刻む。熱い痛みが走るが、構わない。ライアンは咆哮を上げるように踏み込み、
渾身の一撃を叩き込んだ。
刹那、空気が震え、三体が同時に弾け飛ぶ。荒い息を吐きながら剣を振り抜き、ライアンは
地面を蹴った。次の群れがまた迫ってくる。
(負けない……! 絶対に、ここでは倒れない! 二人のために……!)
剣を振るたび、腕は重くなる。だが光の粒が弾けるたび、仲間を守れていると胸に刻まれる。
レグナスとフィオナのいる背後を振り返ることなく、ライアンはただ前を見据えた。
その姿はまだ未熟な少年でありながら――どこか、伝説の戦士を思わせる迫力を帯びていた。
ライアンは荒い息を吐きながら、必死に両手剣を振り続けていた。息を吸うたび胸が焼けるようで、
腕は鉛の塊のように重い。だが足を止めることはできない。刃を振るたびに散る光の粒が、
仲間を守れている証拠だった。
その時――耳を裂くような甲高い音が響く。
「……っ!」
思わず剣を目の高さに掲げて見つめた。刃には無数の細かなヒビが走り、先端がわずかに欠けている。
力を込めれば込めるほど、もう折れるのは時間の問題だ。胸を冷たい汗が伝い、鼓動が耳の奥で
やけに響いた。
(……くそ、ここで折れたら――)
その時、轟くように声が飛んできた。
「ライアン!」
振り返ると、レグナスが杖を構えたまま叫んでいる。
「もういい、下がれ! 準備はできた! 俺の後ろに!」
息を呑む暇もなく、ライアンは最後の一体を振り払い、砕けそうな剣を強く握りしめて走り出した。
「ここに立て! 俺の後ろだ!」
「……ああ!」
言われた位置に滑り込み、ライアンはレグナスの背後に構えた。すぐ後ろからフィオナも駆け寄り、
杖を握ったまま並ぶ。
「二人とも、そこから動くな! 俺の魔法は広範囲に燃え広がる。巻き込まれたら
ひとたまりもない……安全圏はここだ!」
声はかすれていたが、鋭く響いた。
ライアンは深く頷き、胸の鼓動を落ち着けるように呼吸を整えた。フィオナも緊張に揺れる肩を
押さえ、震える指先でランタンを握りしめる。彼女は自分に言い聞かせるように小さく頷き、
じっとレグナスの背中を見つめた。
「――さあ、ここからは俺の番だ!」
レグナスは大きく息を吸い、天へ杖を突き上げた。
「――燃えろ! 全てを呑み尽くせ……《インフェルノ・サーペント》!」
その瞬間、洞窟の天井一面に赤い光が走った。幾重もの魔法陣が重なり合い、血のように赤黒い輝きが
空間を覆い尽くす。眩しさにライアンは思わず腕で顔を覆ったが、その隙間から見た光景に息を呑む。
魔法陣から這い出るように、炎の蛇が次々と姿を現した。うねる度に岩壁を溶かし、熱風が肌を焼く。
蛇たちは洞窟全体を埋め尽くすほどの規模で絡み合い、やがてゴブリンの群れへと襲いかかった。
「ギャアアアアッ!」
「ギィィィ――!」
断末魔が連鎖する。炎が群れを貪り、ゴブリンの皮膚も武器もまとめて光の粒となり、空へ弾け飛ぶ。
逃げ惑う影は次々と焼き尽くされ、洞窟は赤熱した風に震えた。眩い残滓が舞い散り、まるで
光の嵐の中にいるかのようだった。
ライアンはレグナスの背に身を寄せながら、言葉を失っていた。目の前の光景は「炎」ではない。
まるで意思を持った獣が獲物を狩るかのようだった。洞窟は昼間の太陽を超える光で照らされ、
熱気に息を吸うだけで喉が焼ける。
「……すごい……」
思わず零した声は、炎の咆哮にかき消された。
やがて渦巻く炎は頂点を迎え、最後の一体を呑み込み、静かに消えた。残されたのは黒く焦げた岩と、
無数の光の粒が床に落ちて輝く光景だった。ゴブリンの核が転がり、洞窟の空気が一瞬にして
冷めたように静まり返る。
その時、レグナスが杖を下ろそうとした瞬間、足元がふらついた。
「っ……」
前のめりに崩れそうになる身体を、ライアンが慌てて支える。
「レグナス! 大丈夫か?!」
「……平気だ。魔力を……使い過ぎただけだ……」
掠れた声は震えていたが、気丈に笑おうとしていた。
フィオナは青ざめたレグナスの姿を見て、胸を押さえた。
「だめ……このままじゃ魔力が尽きて倒れちゃう……!」
必死に杖を握り、声を震わせながら詠唱を紡ぐ。
「――《マナ・リカバー》!」
青白い光が波のように広がり、レグナスの身体を包む。吸い上げるように失われた力が戻り、
蒼白だった顔に赤みが差していく。乱れていた息が徐々に整い、力の抜けた肩がようやく持ち上がった。
「……っ、ふう……助かった……」
息を吐き出し、顔を上げたレグナスの表情には、いつもの豪快さではなく、心底ほっとした安堵が
浮かんでいた。
しばし沈黙ののち、レグナスは横目でフィオナを見やった。
「今の……《マナ・リカバー》だろ。あれは上級魔法じゃないか。どうしてお前が……?」
驚きと感心が入り混じった声音だった。
フィオナはぎゅっと杖を握りしめ、俯いたまま小さく息を吸った。
頬に朱が差している。
「……いつも、ライアンとあなたが前で必死に戦ってるのを見てたら……
私も、もっと頑張らなきゃって思ったの。だから……誰にも言わずに練習してたのよ」
レグナスは一瞬目を瞬かせ、それからゆっくり笑った。
「そうか……だからあんなに安定してたのか。お前、いつの間にそんな努力を……」
その声には、からかいよりも本気の驚きと誇らしさが混じっていた。
ライアンは二人のやり取りを見つめながら、胸の奥がじんと熱くなるのを感じた。
床に散らばる光の粒を見つめ、荒い息を整えながらぽつりと呟く。
「……二人とも、本当にすごい魔法だった。僕も……魔法が使えたらよかったのに」
声が震えていた。指先に残る剣の感触が、逆に自分の限界を突きつける。
「僕は、剣を振り回すことしかできない。結局、二人に頼ってばかりで……迷惑かけてばっかりだ」
俯き、言葉を絞り出すように謝る。
その瞬間、レグナスが人差し指でライアンの唇を塞いだ。
「それ以上、言うな」
低い声。真剣な瞳が、真っ直ぐにライアンを射抜いた。
「いいか? さっき俺が魔法を撃てたのは、お前が剣で時間を稼いでくれたからだ。もしお前が
いなかったら、俺もフィオナも、とっくにゴブリンの餌だ」
レグナスはわざと肩をすくめ、笑い混じりに続ける。
「魔法は俺たちがやる。だけど剣は――お前の領分だ。胸を張れ、ライアン。お前は十分強い」
そこで、ふっと真顔に戻る。
「……お前の剣さばきは誰よりも速くて、正確だ。俺は炎しか飛ばせねぇけど、お前の一振りは
敵の動きを止められる。あれは俺にはできない芸当だ。胸張っていいんだぞ」
ライアンは目を見開き、頬が少し熱を帯びる。
「……僕の剣、そんなふうに見えてたんだ。僕はただ必死で振ってただけなのに」
レグナスは豪快に笑い、またライアンの肩を叩く。
「必死にやれる奴が一番強ぇんだよ。俺はそう思うぜ」
ライアンも照れくさそうに目を逸らし、口元を緩めた。
「……ありがとう、レグナス」
隣で聞いていたフィオナも、そっと頷いた。
「……みんなそれぞれ違うんだから、得意なことがあって、できないこともあるのは当たり前よ。
だからこそ、チームなんだと思うの」
彼女は少し照れたように笑みを浮かべ、続けた。
「ライアンが前に立ってくれるから、私は安心して支援できるの。
……それがすごく心強いし、誇らしいの」
ライアンの胸に熱が広がる。
(……お前は一人じゃない)――父狼の声が、脳裏に蘇った。
唇を噛みしめ、俯いていたライアンは、やがて照れくさそうに笑った。
「……うん。僕は僕の得意をやればいいんだね。二人に会えて……本当に、よかった」
レグナスは満足げに頷くと、豪快に腕を回してライアンの頭をわしゃわしゃとかき乱した。
フィオナも肩の力を抜き、柔らかな笑みを浮かべて見守る。




