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第21話 週末の帰路

 週末の鐘が三つ鳴ったころ、門の外に見慣れた二頭立ての馬車が止まった。御者台から軽やかに

降りたのはロニーだ。青い髪を真ん中で分け、風に押さえられた前髪の下で、淡い黄色の瞳が

やわらかく笑う。

 「迎えに来た。調子はどうだ、ライアン」

 

 「……うん。大丈夫」

 

 ライアンは振り返り、寮の玄関前に立っていたレグナスに手を振った。

 「……僕、また来週戻ってくる」

寂しさを押し隠すようにそう告げる。


 玄関前に立っていたレグナスは一瞬だけ口をへの字に結んだが、すぐに豪快な笑みを浮かべた。

 「分かってるさ! お前が帰ってきたら、また騒がしくなるんだろ? 楽しみに待ってるぜ!」


 その明るさに救われるような気がした。

 

 フィオナも小走りで駆けてきて、三つ編みを揺らしながら手を振る。

 「ライアン、気をつけてね!」

 

 「うん。またね」


 馬車の扉が閉じ、石畳の上を車輪が軋む。ライアンは胸の奥にぽっかりとした穴を感じた。

 (……すぐに戻ってくる。だから、大丈夫だ)そう自分に言い聞かせる。


 帰路の馬車の中、ロニーが穏やかに尋ねた。

 「学院生活はどうだ」


 「楽しいよ。授業も面白いし、剣は……なんだか、体に馴染む感じがする。仲間もできた。

  レグナスとフィオナ」

 ライアンは思わず笑みを浮かべる。名前を口にするだけで、胸が温かくなるのを感じた。

 

 ロニーは頷き、陽だまりのような声で言った。

 「そうか。安心した」


 その時、ライアンは窓の外に視線を移しながら切り出した。

 「ロニー……エルデア王国の伝承、読んだんだ。森へ逃げた第二王子と魔術師は……

  その後どうなったんだろう」

 

 しばしの沈黙。ロニーの瞳に一瞬影が落ちた気がしたが、すぐにいつもの微笑が戻る。

 「さぁな。伝承は伝承。続きを探すのは、語り継ぐ者の役目だ」


 曖昧な答えに、ライアンの胸はざわついた。(……きっと、何か知ってる。でも今は聞けない)


 ◇◇◇


 屋敷に着くと、玄関の扉が音を立てて開き、白いドレスの影が駆けてきた。

 「ライアン!」

ドロテアが両腕を広げ、強く抱きしめる。頬を撫でる指先は優しいのに、どこか冷たさを孕んでいた。


 「……ただいま、母さん」

 口に出した瞬間、胸がきしむ。温もりを感じたいのに、心は縛られるようだった。


 腕をほどかれ、ライアンはドロテアと並んで食堂へ向かった。純白のクロス、銀の食器、

湯気の立つポタージュ。席につくと、ドロテアはグラスを傾けながら、優雅に問いかけた。


 「学院では、どんな日々を過ごしたの?」


 「授業は厳しいけど……面白いよ。剣術の授業では、最初全然うまくいかなかったけど、

  最近は少しだけ形になってきた。先生に褒められることもあったんだ」

 ライアンは照れくさそうに笑い、答えた。


 ドロテアは頷き、微笑を深める。

 「そう……努力は裏切らないものよ。続けなさい」


 心地よい調子に背中を押された気がして、ライアンは胸が温かくなる。思わず次の言葉がこぼれた。

 「……友達も、できたんだ。レグナスと、フィオナっていうんだ」


 その名を出した途端、ドロテアの瞳が冷たく細められる。

 「その二人は……貴族? それとも平民?」


 ライアンは一瞬言葉に詰まった。自分が聞いたこともないし、確かめようとも思わなかった。

 「……わからない。でも、そんなの関係ないよ。二人とも、僕にとって大事な仲間だから」

 

 ドロテアの口元がひきつり、甘やかな声に鋭さが滲む。

 「ライアン。あなたは貴族の子としてここにいるのよ。平民と親しくする必要はないわ。

  むしろ、距離を置きなさい」


 ライアンは胸の奥がぐっと熱くなるのを感じた。

 「違う! 二人は……一緒に笑って、一緒に戦ってくれるんだ。身分なんて、どうでもいい!」


 思わず声を張ると、ドロテアは立ち上がり、冷えきった瞳でライアンを見下ろした。

 「どうでもいいですって? あなたは何もわかっていないのね」

近づいてくる気配にライアンの背筋が硬直する。次の瞬間――ぱん、と乾いた音が広間に響いた。


 「っ……!」

 頬に鋭い痛みが走り、ライアンは思わず手を当てた。視界が揺れる。

怒りと悲しみで胸が張り裂けそうになる。

(どうして……俺の大切な気持ちを、否定するんだ……?)

 

 震える瞳でドロテアを睨み返す。

 「……二人は、僕にとって大事な仲間なんだ。平民かどうかなんて、関係ない!」


 しかし、ドロテアは耳を貸さず、ゆっくりとライアンの襟足へと手を伸ばした。白い指が髪を

撫でる。その仕草はかつて心を満たしてくれた温もりのはずなのに、今は冷たく恐ろしい鎖のように

感じられた。


 「ライアン。あなたは私の子。従うのは当然でしょう? ……言うことを聞かないなら……

  もうあなたを抱きしめることも、愛していると言うことも、二度とないわ」


 その言葉に、ライアンの心臓がきゅっと締め付けられる。

 (やめて……それだけは……!)

仲間を守りたい気持ちと、母の温もりを失いたくない気持ちが、胸の中で激しくせめぎ合う。

 

 唇が震え、言葉が絞り出された。

 「……ごめんなさい」

視線を落とし、俯いたまま声を震わせる。

(俺は……なんて弱いんだ……)


 ドロテアは満足げに微笑み、優しく肩を撫でた。

 「そう。それでいいの。さあ、食事を続けましょう」

ライアンの胸には悔しさと恐怖と、どうしようもない虚しさが渦巻いていた。


 夜になり、部屋に戻っても胸のざわめきは収まらなかった。柔らかな寝具に体を沈めても、

まぶたを閉じても、母の声が何度も頭の中で繰り返される。

(俺は……母さんの子じゃなくなるのか……? あんなこと言うなんて……でも……仲間を捨てるなんて

 できない。レグナスも、フィオナも……俺の大事な……)

 

 片手で胸元をぎゅっと掴みながら、ライアンはベッドの上で小さくうめいた。

仲間の笑顔と、ドロテアの冷たい瞳。その二つがぐちゃぐちゃに混ざり合って、心の奥を引き裂く。

(どっちも失いたくない……。でも……もし本当に俺が母さんの子じゃなくなるなら……俺は……

 ひとりぼっちになっちゃう……)

 

 涙が枕に染み込んでも、眠気は訪れない。暗闇の中で何度も寝返りを打ち、朝を迎えることになった。

二日間の滞在は、まるで牢獄のようだった。母の前では従順な子を演じ、食事のたびに笑顔を作ろうと

する。しかし、胸の奥の不安はどんどん膨れ上がっていく。

 

 屋敷を発つ朝、ドロテアはライアンの前に立ち、優しい笑みを浮かべながらも鋭い声で告げた。

 「学院では、必ず上位の成績を取りなさい。できなければ……学院を辞めてもらうわ」


 ライアンは息を呑んだ。胸の奥に冷たい重りが沈んでいく。

 (また縛られる……。俺の居場所が……なくなる……)

必死に笑みを作って「……はい」と答えたが、心の中では不安と恐怖がぐるぐると渦を巻いていた。


(レグナス……フィオナ……。学院でまた会えるのは嬉しい。でも……こんな約束を抱えたままで、

 俺は……どうすればいいんだ)

 屋敷を出る馬車の中で、ライアンは窓の外に流れる景色を見つめながら、ひとり小さく拳を

握りしめた。

 


 学院の寮が見えてきた瞬間、ライアンの胸は締め付けられるように重くなった。

 (……またここに戻ってきた。けど……俺は本当にここに居ていいのか……?)


 ドロテアの声が脳裏にこだまする。

 「上位を取れなければ学院を辞めさせる」――その言葉が鋼の鎖のように心を縛る。


 寮の扉を押し開けたその時、聞き慣れた明るい声が響いた。

 「おーい! ライアン!」

赤髪を揺らしながら駆け寄ってきたのはレグナスだった。


 ライアンの心臓が一瞬強く跳ねる。しかし足は止まり、喉の奥が固まる。

 (……どうしよう。話しかけられて……俺は笑えるのか? もし母さんの言う通り、

  彼が平民だったら……離れなきゃいけない……? でも……)


 胸の奥で、迷いと恐怖がぐちゃぐちゃに絡み合う。挨拶の言葉が喉まで出かかったが、

声にならなかった。そんなライアンの曖昧な反応に、レグナスは一瞬だけ首を傾げた。


 「……おい、大丈夫か?」

そのオレンジ色の瞳が心配そうに覗き込む。


 ライアンは言葉を探しながら俯いた。

(違う……本当は会いたかったんだ。ずっと……早く戻りたかったんだ。でも……言えない。

 母さんが頭にこびりついて……)

 

 沈黙が流れた次の瞬間、レグナスが豪快に笑った。

 「まぁいいや! 元気そうで安心した!」

 

 ドン、と肩と背中を豪快に叩かれる。ずしりとした衝撃が走るが、不思議と嫌じゃなかった。


 「いってぇ……!」

 思わず声が漏れる。

 

 レグナスは大げさに笑い飛ばした。

 「ははっ! やっぱりライアンはそうでなくちゃな!」


 その笑顔は、何の打算も、縛りもない。

ただ「友達だから」という理由だけで、まっすぐに向けられるものだった。

(……母さんは、俺に条件をつけた。けど……レグナスは、何も求めずに笑ってくれる……)


 胸の奥が温かくなり、自然と頬が緩んでいく。

 「……ただいま、レグナス」


 笑顔を取り戻したライアンを見て、レグナスはさらに豪快に笑った。

二人の笑い声が、寮の廊下に響いた。


 ◇◇◇◇


 夕方、寮の食堂は新入生たちでにぎわっていた。

ライアンとレグナスが席を探していると、奥の窓際から小さく手を振る姿があった。


 「ライアン! レグナス!」

 三つ編みを揺らしながら駆け寄ってくるフィオナ。

その笑顔を見た瞬間、ライアンの胸が温かく満ちていく。


 「無事に戻ってきたんだね。よかった……」

 ほっとしたように息を吐くフィオナの声に、ライアンは少し照れくさく笑った。


 「心配かけた、ごめん。でも……もう平気だよ」


 レグナスがにやにやしながら二人の顔を見比べる。

 「おいおい、恋人みたいな会話すんなよ! こっちまで照れるだろ」


 「ち、違うってば!」

 ライアンとフィオナは同時に否定し、顔を赤らめた。


 その反応にレグナスは豪快に笑い出し、三人の笑い声が食堂に広がった。

――束縛も、恐怖も、この瞬間だけは遠くに感じられた。

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