第20話 エルデア王国の伝承
――静寂。
遠くで鳥の鳴き声が響き、光がまぶたを透かして揺れた。
(……ここは……)
ゆっくりと瞼を開ける。白い光が視界に滲み、やがて形を結ぶ。高い天井、真っ白な壁。横に並ぶ
幾つものベッド。薬草の匂いと、淡いランプの光。
(……ベッド?)
起き上がろうとした瞬間、頭が重くのしかかり、鉛のように体が沈んだ。まるで誰かに
押さえつけられているかのように。荒い呼吸を整えていると、足音が近付いてくる。
「ライアン!」
「やっと目を覚ましたか!」
赤い髪が炎のように揺れ、快活な声が響く。レグナスだった。
その隣には三つ編みの少女――フィオナが、安堵に頬を緩めて立っていた。
ライアンはしばらく天井を見つめていたが、やがて両腕に力を込めて、上体をゆっくりと起こした。
背を壁に預け、荒い息を整える。まだ体は重いが、二人の顔を見て話したい――そう思ったのだ。
「大丈夫? 気分はどう?」
フィオナが身を屈め、心配そうに覗き込む。
「……少し、眩暈がする。でも……痛みは、もうない」
ライアンはゆっくりと答えた。声がかすれて、自分でも弱々しいと感じる。
レグナスは険しい顔で腕を組む。
「お前な……本当に危なかったんだぞ。血は止まらねぇし、体の奥まで傷が達してたって
学院の治癒師が言ってた。防御魔法がなかったら、助からなかったんだ」
「え……!」
ライアンは驚いて息を呑む。あの時の痛みと、意識が遠のいていった感覚が蘇る。
フィオナもそっと微笑んで口を開いた。
「治癒師の人たちが一生懸命、強い癒し魔法をかけてくれたの。それでも足りなくて、
高級ポーションまで使ったんだよ。……だから安心して眠ってたんだと思う。丸一日も、ね」
「一日……?」
呟いた声が震えた。胸の奥にずしんと重さが沈む。
「僕が弱いせいで……二人に迷惑ばかりかけた」
言葉は小さく、視線は膝に落ちた。
「馬鹿言うな!」
レグナスが肩をがっしりと掴む。オレンジ色の瞳が真剣に燃えていた。
「お前は弱くなんかない。最後に見せたあの技……俺、本気で感動したんだぜ」
フィオナも微笑みを浮かべて頷く。
「そうそう。ライアンが咆哮した時、ちょっと獣っぽくて……正直、怖かったけど……
でも、すごく格好よかった」
「……獣っぽい……」
その言葉に、ライアンの胸がひゅっと縮む。
(……ロニーが言ってた。人間は獣を嫌うって……。もし、俺が獣だと知られたら……)
目を伏せ、表情を隠す。仲間を怖がらせる自分が嫌で、喉の奥が詰まった。
(嫌われたくない……レグナスも、フィオナも……失いたくないんだ)
「……ライアン?」
レグナスが心配そうに首をかしげる。
「まだ痛いとこあるか?」
「いや、大丈夫!」
慌てて笑顔を作る。
「お腹も空いたし……食堂へ行こう」
「ったく……お前はどこまでも食い意地が張ってるな」
レグナスが苦笑し、手を差し伸べる。ライアンはその腕を借りてゆっくりと体を起こし、着替えて
三人で食堂へ向かった。
◇ ◇ ◇
食堂は昼時で賑わっていた。木製の机と椅子、漂う香ばしい匂い。ライアンの前に出されたのは
湯気を立てるおかゆと、鶏肉を練り込んだ団子のような料理。
「無理しなくていいけど……少しでも食べた方が、体が楽になるよ」
フィオナがにっこり笑い、皿を押し出す。
「……うん」
一口おかゆを口に運ぶと、温かさが喉を滑り落ち、じんわりと体に力が戻っていくのを感じた。
「……美味しい」
「ガッツリ食えよ! 早く元気になってくれなきゃ困るからな!」
レグナスが豪快に笑い、隣で自分の皿をかき込む。
ライアンは改めて仲間の温かさを感じながら、次々とスプーンを動かした。その時、不意に
脳裏をよぎる声があった。
(……エルデア王国の物語を記した本を探せ……)
ロニーの言葉。学院に入る前に聞いた、あの不可解な囁き。
「……ねえ、二人とも。『エルデア王国の物語』って……聞いたこと、ある?」
レグナスは顎に手を当ててしばらく考え込むが、やがて首を振った。
「悪い、俺は知らねえな」
「私は……」
フィオナが眉を寄せ、思案するように顎に手を当てる。
「そうだ、図書館で見たことがある。あの奥の棚に、分厚い本が……」
ライアンの瞳が輝く。
「本当に!? ……案内してくれ!」
食いつくように頼むと、レグナスが怪訝そうに首をかしげた。
「へぇ? どうしてその本なんだ?」
「えっと……知り合いに勧められて、ちょっと気になっただけ」
慌てて笑いながらごまかす。心臓の鼓動が早くなるのを隠すように。
◇ ◇ ◇
三人は食事を終えると、学院の図書館へと向かった。扉を開いた瞬間、ライアンは息を呑む。
ずらりと並ぶ木製の本棚。天井と壁を照らす魔法ランタン。木の香りが漂い、どこか懐かしさに
胸が揺れる。
「こっちだよ」
フィオナが先頭に立ち、奥の棚に向かう。やがて一冊の分厚い本を取り出し、ライアンに手渡した。
表紙には森に囲まれた城。その下に獣たちの姿が描かれている。ライアンは胸がざわつきながら、
椅子に腰を下ろし、机に本を置いた。レグナスが左に、フィオナが右に座り、三人で一緒に
ページを開く。
――遥か昔、東の森に小さな王国があった。名を「エルデア王国」という。
文字が目に飛び込む。そこにはこう記されていた。
エルデアの民は獣と話す特別な力を持ち、獣と協力して暮らしていた。
中には魔道具作りに長けた者たちがいて、便利な生活道具から武器、さらには王国を守る結界まで
生み出した。兵士の中には獣の力を一時的に借り、驚異的な力を振るう者もいた。
ゆえに王国は難攻不落だった。
しかし、第一王子が闇に唆され、獣を支配の対象とみなし始めた。首輪型の魔道具を作り、
従わぬ獣の首に嵌めては、電撃で痛めつけて無理やり服従させたのだ。 国王は何度も戒めたが、
第一王子は聞き入れなかった。
やがて王妃は一人の男の子を産んだ。国王はその幼子に王位継承を託そうと考えていた。
その知らせを耳にした瞬間、第一王子の胸に黒い炎が燃え上がった。
「自分こそが正統な後継ぎであるのに……生まれたばかりの赤子に玉座を奪われるのか」
屈辱と怒りはやがて狂気へ変わり、王子は「王座を取り戻すためなら、弟も国そのものも
滅ぼして構わぬ」とまで言い放った。
やがて王子は己に従う貴族や兵を糾合し、反乱の狼煙を上げた。王国は内から裂けるように
戦火に包まれていった。王妃は産まれたばかりの我が子を信頼する魔法使いに託し、森へ逃がした。
その直後、結界は破られ、国土は炎に飲まれ、エルデア王国は滅亡した――と記されていた。
しばらく三人は黙って本の最後の一行を見つめていた。紙の上に残された「滅亡」という冷たい
言葉が、妙に重く胸にのしかかる。
最初に声を上げたのはレグナスだった。
「はぁー……すっげぇ話だな。けど俺からしたら、遥か昔より今どう生きるかの方が大事だぜ。
ま、戦争だの反乱だのはごめんだけどな!」
豪快に笑う声に、少しだけ張り詰めた空気が和らぐ。
フィオナは顎に手を当てて、真剣な表情で呟いた。
「……でも、ただのおとぎ話にしてはリアルすぎる気がする。もしかしたら、本当にあった出来事を
もとにしてるのかも」
その目は、学者のようにきらきらと輝いている。
ライアンは二人の横顔を見つめながら、胸の奥がざわつくのを覚えた。
(獣と話す力……獣の力を借りる技……)
思い返す。森で母ゴリラの温もりを感じ、父狼と心を通わせた日々。
そして、あのレースの最中――全身を駆け巡った、あの得体の知れない力。
(……俺の体に流れたのは、これと同じものだったのか?)
本の中の言葉が、自分の過去と不思議に重なっていく。
それが偶然なのか、それとも必然なのか。ライアンには分からなかった。
ただ、はっきりしているのは――この伝承が、他人事では済まされないということ。
(……もしかして、俺に関係している?)
視線を伏せ、机の木目を指先でなぞる。胸の奥がもやもやと膨らみ、答えを探そうとするほど
霧は濃くなる。
思わず眉を寄せて考え込んでいると、隣からレグナスの声が響いた。
「なぁライアン。……お前、もしかして字が読めねぇんじゃねえのか?」
「はあっ!?」
ライアンが椅子ごとガタッと音を立てる。
「ちょ、ちょっと! そんなことあるわけないでしょ!」とフィオナが慌ててフォローするが、
同時にくすっと笑いを漏らした。
「でも確かに……あんまり黙ってるから、そう見えるかも」
「……僕だって、ちゃんと読めるよ!」
ライアンは耳まで赤くして反論するが、二人は顔を見合わせて堪えきれず笑い出した。
「わ、笑うな! 本当に読めるんだから!」
ライアンが必死に弁明すると、レグナスは豪快に肩を叩き、
「悪い悪い! でもさ、お前が難しい顔してると、ついからかいたくなるんだよな!」
「僕はいつも真面目なんだよ!」
「そこが余計にからかいやすいんだって!」
にやりと笑うレグナスに、ライアンは頬をふくらませる。
フィオナも「うん、確かに」と真顔で同意してきたので、思わずライアンは机に突っ伏した。
「二人してひどい……」
机に突っ伏したまま、くぐもった声で抗議するライアンを見て、二人はまた声を上げて笑った。
笑い声が静かな図書館に少し響いて、通りかかった司書が「静かに」と注意してくる。慌てて三人は
姿勢を正し、顔を見合わせて今度は小声でくすくす笑った。
いつの間にか、胸の奥を占めていたざわめきが薄れていく。
仲間と笑い合うひとときが、何よりも心を軽くしてくれたのだった。




