第15話 仕掛けられた決闘
翌朝。練兵場には冷たい朝靄が薄く漂い、土の匂いが胸に落ち着きをくれる。石畳の端には木の並柱が規則正しく並び、壁面には練習用の木剣が等間隔で吊られていた。
「全員、更衣室へ。稽古着に着替えろ」
ダリオン先生の低い声が響き、ざわめきが走る。白い長袖のシャツ、黒の動きやすいズボンへと
着替え、紐を結ぶ音がそこかしこで重なった。配られた木製の片手剣は掌に馴染む重さで、握り直すたびに
節の感触が分かる。
「まずは素振りだ。背筋はまっすぐ。肘を締めて、肩の力は抜け。ほら、こうだ」
ダリオン先生が木刀を構え、すっと振り落とす。無駄のない軌道、足裏から腰、肩、手首へと連なる
滑らかな連携――音は小さいのに空気が震えた気がした。
(きれいだ……ああやるのか。体の“繋がり”が途切れてない)
合図とともに、一斉に素振りが始まる。ライアンは深く息を吸い、足を地に噛ませ、肩の余分な力を
押し流すように意識して木刀を振った。土を抑える足、腰の回転、肘の角度――森で鍛えられた体が
指示を待っていたように応える。
「一、二……!」
掛け声が自然に漏れる。汗が額を伝い、視界の端で光る。思い出すのは昨日の金色の水晶――
あれは、俺の道じゃない。けど、刃なら――。
(振るたび、体の中の何かが“整う”。これなら、俺はやれる)
遠くで、見張っていたダリオン先生の口元がわずかに上がった。気づいた瞬間、ライアンの胸が
どくりと跳ねる。
(え、今の……俺、なにか――変だったか? 悪いこと、してないよな……!)
「やめ!」
短い号令。木刀の音が順々に止み、息を吐く音だけが連なる。
「次は“当てる”前の振り方だ。横薙ぎ、縦、突き、パリィ――基本をひとつずつ叩き込む。説明する。
目を逸らすな」
先生は空気を相手に、胴を断つ横振り、頭上からの打ち下ろし、素早い踏み込みの突き、そして
相手の刃を払う受け流し――四つを連続して見せる。どれも短い軌道、だが要点がくっきりしている。
「今の四つ。順は任せる。“そこに敵がいる”と想像して振れ」
「はい!」
声が重なり、再び木刀が歌いだす。ライアンは足の指で地を掴み、頭の中で先生の動きを巻き戻して
は再生した。横、縦、突き――続けてパリィ。木刀の軌道に、見えない相手の刃先を重ねる。
(横のあと、相手が上から来るなら……ここで受け流し。突きのあとに空いた右側――戻りは最短で)
迷いはある。けれど、動きを考えるたび、体が答えをくれる。声を出す。汗が顎先から落ち、
土へ染みる。
「――そこで止まるな」
背後から、ふいに先生の声。びくりと肩が跳ね、振りを納めて振り返る。
「君、昨日の……剣は初めてか?」
「は、はい。はじめて……です、先生」
「そうか。じゃあ――私が受けよう。構えて、来い」
「え……僕が、先生に?」
喉がひゅっと鳴る。だが、すぐに木刀を両手で包み、足を送った。先生の前に立つと、胸の奥に
冷たい緊張と熱い期待が同時に灯る。
(来いって言った。やれるか――いや、やるんだ)
踏み込む。横薙ぎ――パシン、と軽く弾かれた。縦の打ち下ろし――ふっと空を切る。突きを
伸ばす――先生の木刀が、羽のように俺の刃先を撫でて消す。
「力み過ぎだ。“ずっと強い”は、弱い。振りはじめと、当たる寸前だけ力を乗せろ。途中は流せ」
「……はい!」
(途中は流す。森の枝をしならせるみたいに……)
横薙ぎの途中、肩と肘の力をわずかに逃がし、当たる寸前でぐっと掌を握る。木刀が軽くなり、
最後にだけ重さが乗る。
先生の目が細くなった。「今の一太刀は悪くない」
(よし――!)
続けて縦、突き。受け流されるけれど、さっきよりも木の手応えが“鳴る”。胸の奥で黄色い火が灯る。
「次だ。動きが単調だ。ひとつ振って“終わり”じゃない。“次”を“今”から考えろ。相手の剣先がどこへ
流れるか、見ろ。推測しろ」
推測。あの女の授業で、嫌というほどやらされた作業――絵と言葉、音と意味を結びつける、
あの感覚だ。
(右に弾いたら――相手の刃は左に流れる。上を弾けば、重心が下に落ちる)
何度も何度も受け、弾かれ、叩かれた。前腕に鈍い痛みが染みる。歯を食いしばる。
(痛い。けど――“今の次”を先に掴め)
先生の刃が右に抜ける。“次は”上――来る。木刀を斜めに立て、払う。「パリィッ!」
コツン、と軽い音。先生の木刀が跳ねる。先生の口角がはっきり上がった。
「――よし!」
ぐしゃ、と大きな手が髪を乱暴に撫でまわす。「いい目だ。短時間でここまで“読む”のは上出来だ」
「……あ、ありがとうございます」
(撫で方、レグナスに似てる……いや、あいつの方が遠慮ないけど)
「五分休め。水を飲め。すぐ再開する」
「はい!」
桶の水を煽り、熱い肺を冷ます。土と汗と木の匂い。遠くで誰かが笑い、誰かが愚痴をこぼす。
木陰で息を整え、木刀の柄を握り直したとき――影が、地面に落ちた。
「よぉ、出来損ない」
聞き飽きた響き。シグムントが、下から覗き込むように笑っていた。今日も艶のない黒い瞳。
唇の端に浅い嘲り。
「さっきの“お稽古”――よく頑張ってたじゃないか。ほめてやるよ、出来損ないなりに」
背筋を伝って、熱が冷えた。
(またこいつか……今は、やめてくれ)
「……なんの用だい」
「決闘だ。ここで。先生もいる。問題ないだろ?」
周りがざわめく。剣術組の何人かが小声で囁き、魔法組の生徒も顔を出し始める。
シグムントは顎をしゃくった。「条件をつけてやる。俺が勝ったら――お前は俺にひれ伏して足を
舐めて、“あの子”を置いていけ。金色の子猫は俺の方が似合う」
薄い笑い声が混じる。胸の奥で何かが音を立てた。
(ふざけるな……フィオナは、物じゃない)
喉が焼ける。言葉は凪いだ声で出す。「――受ける。逃げない。先生、審判をお願いします」
ダリオン先生は短く頷いた。「分かった。円を作れ。ルールは簡単だ。どちらかが戦闘不能――
立ち上がれなくなるまで。魔法は禁止だ。木刀のみ」
生徒たちがぐるりと円を作る。砂埃が足元で舞い、風が汗を撫でる。輪の端、レグナスとフィオナの
姿が見えた。レグナスは拳を握り、フィオナは胸の前で両手を組んでいる。緑の瞳が真っ直ぐこちらを
射た。
(見られてる。――大丈夫だ、俺はやれる)
ライアンは木刀を握りしめて、深呼吸をして、覚悟を決めた。




