第14話 部屋を探す、友達ができる
寮の廊下は長く、同じ扉がずらりと並んでいる。石の床がひんやりして、靴底から冷たさが
上ってきた。
(……どこだ。地図だと、この角を曲がって二つ目、のはず――)
「やぁ! 迷子?」
不意に声。ぱっと顔を上げると、炎みたいな赤い髪を逆立てた少年が、笑顔で手を振っていた。
オレンジ色の瞳がきらりと光る。
「……えっ」
「初日あるあるだよな。俺も最初は回廊で三回転んだ。……っと、俺はレグナス。魔法クラス。
お前は?」
距離を詰めるのが早い。差し出された手は、もう目の前にある。
(近い……! 人間、距離の詰め方が早い……!)
ライアンは半歩だけ身を引いた。が、少年の目はただ明るく、押しつけがましさはない。
「……僕は、ライアン。えっと、剣術クラス、の予定」
「ライアン! よし、覚えた。よろしくな!」
握手。掌の熱が伝わる。
(……馴れ馴れしい……でも、悪い人じゃない……かもしれない)
「で、部屋は?」
「ここら辺のどこか。地図だと……たぶん、この並び」
「貸して」
レグナスは地図をさっと受け取り、くるりと回して壁際の番号札と見比べる。
「ふむふむ……おっ、ここ曲がって三つ目。ていうか――」
笑って親指で自分の胸を指す。
「俺の隣。運命ってやつだな、ライアン」
「……え」
ばん、と背中を叩かれて、ライアンは前につんのめった。
「うわっ……! な、なにするんだ!」
思わず振り返って、むっと眉を寄せる。
「ははっ、ごめんごめん! つい嬉しくてさ。気を悪くするなよ、相棒!」
「……相棒?」
「今決めた!」
呆気に取られたまま、ライアンは言葉を失った。
人混みの森みたいな廊下を、レグナスが風を切るみたいに進む。ライアンは少し早足になって、
その後ろを追った。
(賑やかだ。けど……この背中、妙に安心する)
角を一つ曲がり、扉の前で止まる。番号が地図と一致していた。
「はい、ここがライアンん家。俺ん家は隣。困ったら壁ドンでも天井叩きでも何でもしてくれ」
「……壁は、叩かないよ」
「真面目だなぁ! じゃ、鍵は?」
鞄から鍵を取り出し、ぎこちない手つきで差し込む。金属の擦れる音、かすかな解錠。扉が内側へ
開いた。ふわりと木と布の匂い。部屋は広くない。だが、窓辺に机と椅子、壁際に衣装棚、奥に
ベッド。壁のランタンには小さなつまみが付いている。
「おお……」
(火、ないのに光ってる……)
ライアンが目を丸くしているのに気づいたレグナスが、にやりと笑い、ランタンのつまみに指を
添えた。
「これ、魔導ランタン。こうやって――ほら」
カチ、カチ……明かりがじわりと強くなり、部屋の影が薄くなる。
「……すごい。明るさが……変わる」
ライアンはランタン型の魔道具をじっと見つめ、つまみを恐る恐る回した。部屋の光が強くなったり
弱まったりするのを見て、思わず声が漏れる。
「ん? そんなに珍しいか?」
レグナスが不思議そうに首をかしげる。
「え……いや、その……」
言いかけて、ライアンは慌てて口をつぐんだ。森のことを口にするのは、どこか危うい気がした。
レグナスは少し首をかしげたが、すぐににっと笑ってごまかした。
「まぁ、不思議だよな。魔法道具ってやつは。慣れりゃ当たり前になるけどさ」
レグナスが机の上の羽ペンをつまみ、ひょいと持ち上げる。黒い小瓶と一体になっていて、瓶の側面に刻印が光る。
「自墨のペン。振るとインクが染みる。こぼれにくい。授業中に転がしても大惨事に
なりにくい。たぶん」
「たぶん、なんだ」
「俺は一回やらかした」
二人で小さく笑う。胸の緊張が、少しだけほどけた。
「水は――」
レグナスが部屋の隅の小さな洗面台へ歩き、蛇口の根元のルーン紋章に指を当てる。
「ここの紋にちょいと触れて……回すと」
細い水の糸が静かに流れだす。
「止めるときは戻す。夜中は静かにね、怒られるから」
「……不思議だ。川、いらない」
レグナスが温石を持ち上げる。触れると、ほのかに温かさが広がった。
「冬はこれ。足元がぽかぽかになる」
「……ぽかぽか?」
「そうそう。寒い夜でも凍えずに眠れるってわけだ」
「……それは、いい」
ライアンは窓辺に歩み、外の校庭を見下ろした。遠くに高い塔、練兵場、若者の声。
(森と違う。よく分からないものばかりだ。……でも――)
机の端に、見覚えのある布袋が置かれているのに気づく。自分の荷物だ。丁寧に積まれた衣類、包みに入った牙の小袋。
(ロニーが……運んでくれたのか。ありがとな)
胸のうちで短く礼を言う。
「なぁライアン」
「ん?」
「最初、俺のことちょい引いてたろ?」
レグナスが悪戯っぽく笑う。
「……ちょっとだけ」
「正直でよろしい。俺、でけぇ声だし、距離近いしな。でも、困ってたらすぐ言え。俺、面倒見るの得意だから」
真面目な声音。
(……こういうの、弱い。森で言う群れの“兄”みたいだ)
「ありがとう、レグナス。助かる。僕、まだ……いろいろ分からないから」
「分かんなくて当たり前。だから学院がある。な?」
「……うん」
レグナスは部屋を一回り見渡し、満足げに頷いた。
「よし。ベッドはふかふか。机はまぁまぁ。棚は……ぎゅうぎゅう詰めにしない。ランプは青。完璧」
「なんで先生みたいなんだ」
「将来は先生かもしれないし?」
「ふつ」
笑いが残る。部屋の空気が、さっきよりも柔らかい。
「じゃ、今日はひとまず落ち着け。夕方になったら食堂行こう。俺、迎えに来るから」
「……一緒に?」
「もちろん。初日の飯は相棒と食う、これ規則」
「そんな規則、ある?」
「今作った」
扉のところで、レグナスが振り返った。
「ほんとに、困ったら隣の扉、ノックしろよ。……無理すんな」
「……うん。ありがとう」
扉が静かに閉まる。
しんとした部屋に、ランタンの明かりだけが揺れている。ライアンはベッドの縁に腰を下ろし、
掌で温石の温度を確かめた。
(知らない物だらけだ。……でも、怖いだけじゃない)
ランタンのつまみに指を添え、そっと回す。明かりが少しだけ強くなり、机の上の自墨ペンが淡く
光った。
(少しずつでいい。少しずつ、覚えればいい。――いつか森に帰る、その日まで)
小さく息を吐き、目を閉じて背を倒す。柔らかい寝具が、音もなく体を受け止めた。
(夕方になったら、レグナスが来る。……相棒、か)
口の端が、ほんの少しだけ上がった。
どれくらい時間が経ったか分からない。
重たいまぶたを押し上げた瞬間、コンコンと扉を叩く音が響いた。
「ライアーン! 起きてるか? 飯行こうぜ!」
寝起きの頭でぼんやり返事をして、扉を開ける。
そこには、満面の笑みを浮かべたレグナスが立っていた。
「……ご飯?」
まだ寝ぼけた声でつぶやくと、レグナスは胸を張って答えた。
「そう! 食堂だ! 新しい仲間と食う飯は格別なんだぞ!」
ぐぅ、と腹の奥から小さな音が鳴った。
(……言われてみれば、朝からろくに食べてない)
恥ずかしそうに目をそらしながら、ライアンは小さく頷いた。
「ちょっと待って……えっと」
机の上に置いた地図を手に取り、視線を走らせる。
寮は左右に分かれ、中央の講堂に食堂があると示されていた。
「ここだな。ほら、早く行こうぜ!」
レグナスが軽くライアンの肩を叩く。
その無邪気な笑みに、ライアンは苦笑を浮かべ、後を追った。
レグナスに連れられて到着した食堂は、ライアンの想像を遥かに超えていた。高い天井にずらりと
並ぶ木製の机と椅子。人々のざわめきと食器の音が混ざり合い、圧倒されるほどの光景が広がっている。
「……すごい」
「ははっ、そうだろ? よし、飯を取るぞ!」
列に並び、ようやく順番が来ると、料理係のおばさんが優しく声をかけてくれた。
「新入生かい? はい、どうぞ」
渡されたトレイの上には、肉の煮込み、パン、水が乗っている。
湯気の立つ肉料理に、ライアンは思わず顔を綻ばせた。
「美味しそう……。早く食べたい」
「いい顔するなぁ! たんと食えよ!」
レグナスは豪快に笑い、二人で席を探した。
ざわめく食堂の中、ライアンは隅の空席を見つけて声を上げた。
「……あそこ、空いてる!」
レグナスも頷き、二人で歩き出した――その瞬間。
「どけよ、出来損ない!」
嘲る声と同時に、ライアンの脛に鋭い衝撃。次の瞬間、彼の身体は前のめりに倒れ、トレイが宙を
舞った。
肉の煮込みが顔にべったり張り付き、床に大きな音を立てて崩れる。
「っ……!」
熱さと羞恥で顔が火照る。あまりの惨めさに、立ち上がる気力さえ奪われそうだった。
耳に届いたのは、下品な笑い声。
「ははっ! 見ろよ、このザマ。やっぱり出来損ないには泥が似合うな!」
シグムントが肩を揺らして嘲笑する。周囲の何人かもつられて笑い、ライアンの胸に悔しさが
突き刺さった。
(……また、俺を――!)
だが、その時。
横をかすめた小さな火花が、シグムントのトレイを直撃した。
ぼふん、と煙が立ち上り、彼の料理は一瞬で黒焦げに変わる。
「な、なんだとっ!?」
顔を真っ赤にしたシグムントが振り返る。そこには拳を握ったレグナスの姿があった。
「……やりすぎだぜ、シグムント」
普段の明るさは消え、低く鋭い声が響く。
「俺の相棒を傷つけるなら――ただじゃ済まさねぇ」
オレンジの瞳がぎらりと光った。
食堂のざわめきがわずかに静まり、周囲の生徒たちが息をのむ。
シグムントは一瞬たじろいだが、すぐに鼻で笑った。
「……相棒、ねぇ。くだらん。だが――今はここで騒ぐ場じゃない」
わざと肩をすくめて見せ、レグナスとライアンを見下すように言い放つ。
「せいぜい安心してろ。次は、“試合の場”で叩き潰してやる」
吐き捨てるように言うと、シグムントは踵を返して食堂を後にした。
レグナスが慌てて駆け寄り、倒れたライアンを支え起こした。
「おい、大丈夫か!? ……ったく、派手にやられたな」
額や頬にこびりついた煮汁を見て、レグナスは布巾を取り出す。
「ちょっとじっとしてろ」
そっと顔を拭ってくれる。力は強そうなのに、意外と手つきは優しい。
「……ありがとう」
ライアンは小さく呟き、視線を逸らした。
レグナスはにかっと笑い、親指を立てる。
「礼なんかいらねぇよ。俺は放っとけない性分なんだ」
その何気ない一言に、胸の奥がじんわり温かくなる。
(……変な奴だけど、悪いやつじゃない……)
二人は席に着いた。ライアンの皿は無惨な状態で、ほとんど食べられそうにない。
それを見たレグナスは、自分のトレイをひょいと差し出した。
「ほら、これ食えよ」
「……でも、君の分が……」
「気にすんな。俺、さっき大盛り頼んだからな。まだ腹いっぱい食える余裕あるし」
笑いながら、パンをひとつ丸ごとライアンの皿に置く。
「……ありがとな」
ライアンは思わず顔を赤らめた。
「おう! 隣の部屋のよしみだ。困ったときはお互い様ってやつだろ?」
レグナスは軽く肩を叩き、いつもの調子に戻った。
「それに、一緒に食った方が飯もうまいしな!」
その明るさに、ライアンは思わず笑みをこぼした。
パンを頬張りながら、ライアンはふと隣のレグナスを横目で見た。
さっき放った炎の玉――ほんの小さな魔法だったが、確かにシグムントを驚かせた力。
(……すごい。俺も、あんなふうにできたら……)
気付けば口に出ていた。
「なぁ……さっきの、火の玉。どうやって出したんだ?」
レグナスは飲んでいた水を一気にあおって、ニカッと笑った。
「おっ、興味あるか? ありゃ《ファイアースパーク》っていう初級魔法だ。火打石みたいに
ちょっとした火を作るだけのやつ」
「……あんな小さい火で?」
「小さくても使い道はあるんだぜ。料理の火をつけたり、真っ暗な夜に灯り代わりにしたり。
魔物相手なら目くらましくらいにはなる」
ライアンの胸が高鳴る。
「……僕も、やってみたい。魔法……」
その声は、無意識に子供のように弾んでいた。
レグナスは顎に手を当て、わざとらしく考えるふりをした。
「んー……ライアン、魔力量は?」
「……ほとんどないって、さっき言われた」
思い出すだけで胸がちくりと痛む。
しかしレグナスは笑って手を振った。
「気にすんな! 魔力量が少なくても、コツを掴めば火花くらいは出せるさ。俺が保証する」
「……ほんとに?」
「ほんとほんと! 授業が終わったら裏庭で練習だな。師匠レグナス様が直々に鍛えてやる!」
勢いよく胸を叩くレグナスを見て、ライアンは思わず笑みを漏らした。
(……変なやつ。でも、なんだか安心する)
食事を終えると、二人で食堂を出た。
夜の寮の廊下は魔導ランタンが等間隔に灯っており、柔らかな光が床を照らしている。
部屋へ向かう途中も、レグナスは楽しげに話し続けた。
「明日の授業、剣術組と魔法組に分かれるんだってさ。俺は魔法! でもなぁ……正直、剣も
ちょっと触ってみたかったんだよな」
「……僕は、剣術だ」
ライアンは静かに答えた。
「へぇ! だったら二人で最強コンビじゃねーか!」
レグナスは大げさに笑いながら、また背中を軽く叩いてきた。
やがて、自分の部屋の前にたどり着く。隣にはレグナスの部屋がある。
「ほら、ここだ。ちゃんと着いたな」
レグナスは満足げに腕を組んだ。
扉に手をかけながら、ライアンは少しだけ口を開いた。
「……ありがとな。色々助けてもらって」
「気にすんな! 俺たち、もう隣同士の仲間だろ? 困ったときはお互い様!」
レグナスは笑顔で手を振り、自分の部屋へ入っていった。
ライアンは扉を閉め、薄暗い部屋に一人残された。
ベッドに腰を下ろすと、胸の奥から小さな温もりが込み上げてくる。
(……友達。俺にも、できるのかもしれない)
そう呟きながら、ライアンは布団に潜り込んだ。目を閉じると、不思議と眠りはすぐに訪れた。




