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制圧へ:村

夕暮れの光が麦畑を薄い金に染めるころ、村はいつもどおりの静かな働きに包まれていた。藁ぶきの小屋が列をなし、石造りの教会の尖塔が遠く空を突く。水車の軋む音、鍛冶屋のハンマーが鉄を打つ低い律動、子供たちのはしゃぐ声——それらが合わさって、一日の営みが終わろうとしていることを知らせる。


だが、その平穏は脆い。道端には役人の印章が押された羊皮紙が風に翻り、納屋の戸口には固く結ばれた袋が置かれている。領主の徴税吏が残していった割符タリー・スティックや、「追徴」の朱印が、家々の中で静かに重くのしかかっている。教会には十分のタイズを納めるための箱があり、村人たちは刈り取った穀物の一部をそこへ差し出す。さらに年に何度か課される臨時の賦課は、来るときには容赦なく、翌日の糧さえ奪っていく。


田畑では、老若男女が黙々と働いている。丈夫な牛を操る男は額に土を刻み、女たちは麻を紡ぎ、鍛冶屋は古い鋤の柄を木で繕う。言葉は少なく、冗談も控えめだ。彼らの動作に怒りや反抗の鮮やかさはない──選択肢がないからだ。封建的な義務として領主のために働き、必要な労働(コルヴェ=一定日数の労働奉仕)を果たし、余ったものをわずかに手元に残す。それが長年のならわしであり、生きる道でもある。


それでも、そこには小さな温もりがある。共同で食卓を囲み、子供が泣けば隣り合う者が手を差し出す。老女は素手で焼いたパンを若い母に渡し、若者は壊れた車輪を夜に直す。祈りは必ず教会へ向かい、鐘の音が響くと皆は一瞬立ち止まり、言葉少なに横一列に並ぶ。外見は穏やかで、日常は淡々と続いている──だがその淡さの下には、毎年積み重なる徴税の帳と、いつ果てるとも知れぬ労働が確かに横たわっている。


遠くから見ると、この村は平和そのものだ。家々の煙はまっすぐに昇り、犬は縁側で眠る。だが近づけば、木箱に刻まれた領主の紋章や、納屋に残された空の袋、帳面に赤で添えられた数字が見える。人々は働き続けるしかない——それが彼らの世界の最も現実的な祝祭であり、また最も残酷な日常でもあった。


しかし、そんな村に突然変化が起きる。

麦畑にかかる夕陽が沈みきる直前、村の空気が一瞬、止まった。

人々の背筋を撫でる冷気——それは風ではなく、空そのものがざわめいた合図だった。


次の瞬間、影が大地を覆った。

厚い雲の切れ目から、光の羽音とともに巨大な軍勢が降り立つ。金色の甲冑が西日の光を跳ね返し、地上に白い閃きを散らす。それは村人がかつて絵画や聖歌の中でしか見たことのない存在——天の軍勢だった。


先頭に立つのは天空城の王、ノア。漆黒のマントがはためき、その背に広がる気配は威圧ではなく、絶対的な「上位者」の存在感であった。人々は畦にしゃがみ込み、手にしていた鍬を落とし、ただ口を開けて見上げるしかない。


ノアの隣に歩み出たのは、長い銀髪を光に揺らすノエル。普段は温和な眼差しの彼女だが、ノアに付き従うその姿はどこか熱に浮かされ、村を射抜く視線には狂気めいた揺らぎが見えた。彼女が手をかざすと、空気が軋み、村の井戸水さえ揺れる。誰ひとり抗う気配を見せないのに、力はそこに示されるだけで十分だった。


やや遅れて、黒髪の少年のような姿をしたフィンが地面に降り立つ。無表情のまま、彼は冷静に村の路地や納屋を見渡す。探索の魔法を展開すれば、隠された武器も、潜んだ人影も、すべて光の網に浮かび上がった。逃げ場はない。そんなことを、村人は知る由もない。しかし、それは本能なのであろう。村人たちは、全てを見られているような感覚を生存本能で感じ取り、心臓は早鐘のように打ち始める。


最後に、甲冑のきしむ音とともに、巨岩のような影が降り立った。第六使徒ヒューだ。全身を覆う重装甲から覗く素顔を知る者はなく、ただ圧倒的な質量と存在感だけがそこにあった。彼が一歩踏み出すたび、地面は鈍く鳴り、村人たちは思わず身を引いた。武器を構えるでもなく、ただ立つだけで「抗えば粉砕される」と直感させる。


そして——暴力はなかった。

血も、叫びも、なかった。


村の広場に、天使軍の軍靴が規則正しく並んだ。夕闇に金の甲冑がぼんやりと光り、その中心にノアが立つ。王の眼差しは静かに、しかし底知れぬ深さを持って村人ひとりひとりを見渡していた。


「——顔を上げよ」


ただの一言。それだけで、村人たちは抗えずに頭をもたげる。視線が交わった瞬間、心臓が凍り付くような感覚が走る。ノアの瞳は夜空の底のように深く、覗き込む者の意思を飲み込む暗い泉だった。


ノアが静かに片手を広げると、空気が震えた。無形の波が広がり、村全体を覆っていく。光でも音でもない——それは精神を直接撫でる「力」だった。


次の瞬間、村人たちの脳裏に声が響く。

それは彼ら自身の思考と区別がつかないほど自然に、しかし否応なく刻まれていく。


——「汝らの主は誰か」

——「この地を導くのは誰か」

——「我を崇めよ」


老人は震える唇で静かにその名を繰り返し、女は幼子を抱きながら涙をこぼし、少年は迷うことなく地に膝をついた。誰もそれを「強制」とは認識できない。ただ、「そうであるのが当然」と思い込む。まるで、生まれたときからノアに仕える運命だったかのように。


ノエルはその光景を見つめ、狂おしいほどの熱を胸に宿していた。

「ノア様……これで、この村はすべて、あなたのものです」

銀髪が揺れ、彼の瞳は陶酔に震える。


フィンは澄ました顔で、だが心の奥で微かな棘を感じていた。ノア様という尊い存在を知れば、讃えるようになるのは当たり前だが、その気持ちとは裏腹に、ノア様の存在が他の奴らに知られていく事に苛立ちを感じてしまう。だが、フィンにはその気持ちは何なのかまだ、理解すること出来ないでいた。


広場を沈黙が覆っていた。

村人たちはすでに膝を折り、ノアを仰ぎ見ている。だが、王はまだ満足していなかった。


ノアはわずかに顎を動かす。それだけで、使徒筆頭ノエルが一歩前に出た。

彼女の白く細い指が振るうと、光を帯びた剣が村人の首筋へと滑る。冷たい刃が皮膚をかすめ、赤い線が走った。


「……ッ!」

一瞬の出来事で、思わず目を閉じる者もいたが、次に訪れたのは悲鳴ではない。

首筋の傷口を手で押さえながら、その村人は恍惚の表情で笑みを浮かべた。


血がぽたりと土に落ちる。だが彼は痛みを「喜び」と錯覚し、隣に並んだ者もそれを羨むように手を伸ばした。やがて広場のあちこちで、同じ言葉が繰り返される。


「我らを裁き、導くはノア様」

「血を賜るは、祝福……」


それを見て、ノアは静かに微笑む。

血と喜悦が入り混じるその光景——それこそが、自らの洗脳が完全に浸透した証だった。

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