終わりは、殺陣で仕上げます(六)
満願神社には、今日も二人組の大道芸人が来ていた。お歌が三味線を弾き、相方の白塗り男が竹光を構えて舞い踊る。
今は午の刻(午後十二時頃)だ。日は高く昇り、人も多く出歩いている。だが、ふたりの芸に目を留める者はいない。皆、忙しない様子で通り過ぎていく。
そんな中、ひとりの女が彼女らに近づいていく。
それは、お禄であった。彼女は思い詰めた顔つきで、真っすぐふたりに向かい歩いていく。その存在に気づくと、お歌は演奏する手を止めた。相方の男も、動きを止める。
「姐さん、大丈夫ですか?」
お歌が心配そうに声をかけると、お禄は口元を曲げる。
「大丈夫じゃないね。今日は、あんたらに別れを言いに来たんだよ。あたしはもうじき、江戸を離れる」
その言葉を聞き、お歌は深々と頭を下げた。
「わかりました。お元気で……」
お歌の声は震えている。彼女も、だいたいの事情は理解していた。仕上屋がなくなった以上、お禄が江戸に留まることは出来ないのだ。
江戸に留まれば、命はない。
「あんたらには、ずいぶん面倒をかけたね。悪いけどね、最後にもう一仕事、頼んでいいかい?」
言いながら、お禄はそっと小判の束を手渡した。
「わかりました。なんでも言ってください」
「ある男のことを、探って欲しいんだよ」
数日後の夜。
ひとりの男が、夜道を歩いていた。蛇次である。巳の会の元締という立場にありながら、供の者も連れていない。
どんどん進んでいき、やがて河原へと到着する。ここは普段、夜鷹がうろついているような場所である。蛇次は、この周辺の者たちに話をつけていたのだ。夜鷹の中にも、磨けば光る上玉がいることもあった。この男は、そうした上玉の原石を自身の目で見極めるため、自ら足を運ぶのである。
河原を歩き、やがて高い草の生い茂る場所に来た時……背後で声がした。
「蛇次さんだね。ちょっと待っておくれよ」
姿を現したのは、お禄だ。彼女は短刀を抜き、じりじりと間合いを詰めて行く。
しかし、蛇次には怯えた様子がない。むしろ、楽しそうな表情だ。
「お禄さん、あんたが直接来たとなると……他の連中は、仕上屋を見限ったんだね。それなら、もう安心だ」
そう言って、笑みを浮かべる。
「ふざけんじゃないよ。小五郎さんから、話は全部聞かせてもらった。この、人間の屑が……お前ひとり殺すだけなら、あたしで充分なんだよ!」
叫ぶと同時に、お禄は短刀を構える。だが、背後から声が響いた。
「悪いけどな、そいつは無理だ」
聞き覚えのある声だ。お禄は、ばっと振り返った。
「お禄さん、駄目だよ店閉めちゃ。あんたんとこの蕎麦、結構気に入ってたのに」
言いながら、こちらに歩いて来たのは……上手蕎麦の常連客だった建具屋の政である。その隣には、仕分人のお琴もいる。
「ま、政!?」
驚愕の表情を浮かべるお禄に向かい、政はにやりと笑った。
「実はさ、俺も仕分人なんだよ。勇吉やお琴や渡辺の兄貴と一緒に仕事してたんだけどさ、この蛇次の旦那に誘われちまったんだよ。ま、長い蛇には巻かれろって訳さ」
「長い蛇には巻かれろ、かい。あんた、上手いこと言うね」
そう言って、くすりと笑ったのはお琴だ。直後、彼女は短筒を抜き構える。銃口は、真っすぐお禄に向いていた。
お禄は、ぎりりと奥歯を噛み締めた。
「この馬鹿娘が! 外道に、魂まで売り渡したってのか!」
「なに言ってんだい。あたしら、所詮は人殺しだよ。同じ穴の貉だろうが。だったら、少しでも儲かる方に付くのが当然じゃないか」
勝ち誇った表情で、お琴が得々と語っていた時だった──
「役人だ! 役人の手入れだよ! みんな逃げな!」
どこからか、女の叫ぶ声が聞こえてきた。この辺りにいるのは、夜鷹だけでない。凶状持ちが身を隠していることもある。そのため、役人が踏み込んで来たのかもしれない……皆の視線が、声の方を向く。
しかし、お禄だけは気づいていた。あの声は、女掏摸のお丁のものだ。なぜ、彼女がここにいる?
さらに、草むらから立ち上がった者がいた……蘭二だ。彼はお禄の手を掴み、強引に引いていく。
「さあ、逃げるんだ!」
その言葉の直後、闇の中からお歌も現れた。彼女の横には、大道芸の相方である森乃介もいる。
「あんたたち、どうやって──」
「どうせ、こんなことだろうと思ってたんだよ! だから、お歌さんとお丁さんに話をつけておいたのさ! ほら、さっさと逃げるよ!」
言いながら、お禄の手を引く蘭二。その時、銃声が轟いた──
次の瞬間、お禄の背中に焼けるような痛みが走る。その激痛に耐えきれず、彼女は倒れた。
「逃がすとでも思ってんのか! ちょうどいい、まとめて死んでもらうぜ!」
声と同時に、政が合口を抜いた。蘭二も、懐に呑んでいた煙管を取り出す。
「お歌さん! 森乃介さん! お禄さんを頼んだよ!」
怒鳴ると同時に、蘭二は飛びかかっていった。政は、とっさに合口で斬りつけていく。しかし、蘭二は深く身を沈め、その一撃を躱した。
直後、政の足の甲に煙管を突き刺す──
悲鳴を上げ、思わず合口を落とす政。蘭二は素早い動きで立ち上がり、彼の延髄に突き刺すべく煙管を振り上げる。
だが、またしても銃声が轟いた。弾丸は、蘭二の心臓を正確に撃ち抜く──
鉛の弾丸が心臓を貫く僅かな間に、蘭二の脳裏に浮かんだもの……それは、最愛の女の顔だった。
お禄さん。
あんたには、大事な言葉を言いそびれたな。
私は、あんたを愛してた。
先に、地獄へ行ってる。
私の分まで、長生きしてくれ……。
お歌と森乃介のふたりは、懸命に逃げていた。
大八車にお禄を乗せ、ひたすら走り続ける。やがて、とある場所へと逃げ込んだ。
「壱助さん! お美代さん! 助けとくれ!」
廃寺の前で、お歌が叫ぶ。しかし、誰も出て来ない。
お歌は、もう一度叫んだ。
「お禄さんが死にそうなんだよ! いないのかい! いるなら、ここで助けてあげて!」
その時、中からひとりの女が姿を現す。顔に布を巻き、手には猟銃を構えている。
「その話、本当かい──」
「そんなこと言ってる場合じゃない! 早くしないと死んじまうよ!」
お歌の切羽詰まった表情を見て、お美代もようやく状況を理解した。
「いいよ。中に入れな」
その言葉と同時に、森乃介がお禄の体を担ぎ上げる。そして、廃寺の境内へと入って行った。
お禄の体を一目見て、お美代は顔をしかめた。
銃弾は、お禄の臓器を傷つけている。血も大量に流れた。こうなっては、もはや助からない。銃で多くの人間を仕留めて来たお美代にとって、見慣れたものだった。
まさか、お禄のこんな姿を見ることになろうとは──
その時、お禄の目が開いた。
「蘭二は……いるかい……」
その言葉に、お美代は顔を歪めた。お歌の方を見る。
すると、お歌は悲痛な表情で俯いた……。
彼女が何を言わんとしているか、お美代は即座に理解した。恐らくは、蘭二も死んだのだ。
だが、それを今のお禄の前では告げることは出来なかった。
「蘭二さんは、後から来るってさ。何か伝言があるなら、あたしに言いな」
その言葉に、お禄の表情が僅かに和らぐ。
「あいつに、言っといて欲しいんだ……あたしのことなんか、さっさと忘れなってね。次に追いかけるのは、もっと若くて可愛い娘にしなって……幸せになるんだよ、って……」
そこまで言った時、お禄の頭ががくりと垂れる。
お美代は、彼女の手首を掴み脈を調べた。次いで、胸に耳を付け心臓の音を聞く。
ややあって、震えながら顔を上げる。無言のまま、首を横に振った。
翌日──
闇が空を包む頃になっても、お美代は呆けた顔つきでしゃがみ込んでいたままだった。
壱助は彼女の手を握り、虚ろな表情で座っている。ふたりとも、昨日から何も食べていない。まるで、死んでしまったかのようであった。
彼らの前には、本物の死人がいた。お禄が横たわっている。目をつむり、眠っているかのような表情を浮かべていた──
その時だった。外から、足音が聞こえてきた。お美代は、ぱっと顔を上げる。
お歌と森乃介だろうか。
「おい、この足音は妙だぞ。あのふたりじゃない」
囁いたのは壱介だ。今の彼は、異様に耳が鋭くなっているのだ。視力と引き換えに得たものなのだろう。
お美代は、ちっと舌打ちする。ひょっとしたら、蛇次たちにこの場所が嗅ぎ付けられたのだろうか?
「上等じゃないか。ぶっ殺してやるよ……」
誰にともなく呟くと、凄絶な表情で猟銃を手にした。ここまでやられた以上、奴らには死んでも屈しない。命ある限り戦ってやる。
巳の会の奴らを、ひとりでも多く道連れにしてやる──
「あんた、下がってな」
低い声で壱助に言うと、ゆっくり猟銃を構える。その時、壱助が彼女の袖を掴んだ。
「俺も付き合うぜ。死ぬ時は一緒だ」
言いながら、仕込み杖を握る。両目を奪われ、片足を潰されても、なお戦い続けようというのだ……。
お美代は、口元を歪めた。
「地獄でも、あんたと一緒なのかい。まったく、世話の焼ける人だよ」
「悪いな。俺は、お前がいないと駄目らしい」
言葉を返す壱助の表情は、既に死を覚悟した者のそれだった。
やがて、足音の主は境内に入ってきた。みしみしと床板の鳴る音が響く。
と同時に、お美代ほ立ち上がり銃を構える。
「この野郎! ぶっ殺して……」
お美代の言葉は、そこで止まった。侵入してきた者の顔を見るなり、驚きのあまり銃を取り落としてしまう。
一瞬の間を置き、お美代はどうにか言葉を搾り出した。
「あ、あんた……そんな……」




