終わりは、殺陣で仕上げます(一)
「権太さん、ここらで大丈夫ですよ。いつも済まないですね」
壱助が、ペこりと頭を下げる。
「気にするな。どうせ暇だ」
ぶっきらぼうな口調だが、権太の優しさはよくわかっている。実際、朝から夕暮れまで壱助の仕事に付いていてくれているのに、三文ほどの銭しか受けとらないのだ。
そんな権太に頭を下げ、壱助は寝ぐらに向かい歩いて行こうとした。が、すぐに足を止める。
「あっ、そういえば……前から聞こうと思ってたんですが、あんたの女って、どんな人なんです?」
「えっ、どんな人って言われても……」
言葉を濁し、言いにくそうに下を向く。壱助は、慌てて言い添えた。
「すみません。言いたくなけりゃ、言わなくて大丈夫ですよ」
「いや、そうじゃないんだ。なんて言うか、普通じゃないんだよ」
「普通じゃない、ですか。まあ、あっしらみんな普通じゃありませんけどね。そんなことより、あっしなんかに構ってて大丈夫なんですか? たまには、綺麗な着物やかんざしでも買ってあげたらどうです?」
「そういうのには、興味がないんだ。あいつは、外に出るのも好きじゃないしな」
「へえ、外に出るのが嫌いなんですか。お美代と一緒ですね」
「えっ、お美代さんが?」
「そうなんですよ。お美代は、暗くならないと外に出ないんでさあ」
壱助の表情は、いつしか曇っている。
聞いている権太は、ふとナナイのことを思った。彼女も、暗くならないと外に出ない。
もっとも、ナナイの場合は日光に当たると肌が火傷してしまうのだが──
少しの間を置き、壱助は再び語り出した。
「お美代はね、江戸に来たばかりの頃、昼間に道を歩いていただけで、餓鬼に石を投げられたそうなんですよ。化け物、なんて言われてね。ですから、仕事以外では外に出ないんです。まあ、気持ちはわかりますけどね。あっしも、たまに石を投げられたりしますから」
子供は、本当に残酷だ。権太は、聞いていて気の毒な気持ちになった。
もっとも、同じ化け物じみた姿でも、権太のような大柄な大人には絶対に石を投げて来ない。それが、子供という生き物である。
「大変だな」
「でも、今は石を投げられることもなくなりました。あなたのおかげですよ」
「そうか。なら、明日も付き合おう」
「そうしてもらえると、あっしとしても助かります。ただ、無理はしないでください」
権太に挨拶し、壱助は寝ぐらにしている廃寺に向かい歩いていた。
だが、そんな彼に声をかけた者がいた。
「壱助さん。申し訳ないが、私と一緒に来てもらえないかな?」
その声に、壱助は動きを止める。
声の主は、若い同心だ。名前は渡辺正太郎であり、壱助とは顔見知りである。
「その声は、渡辺さんですか。どうかしなさったんですか?」
さりげなく聞いた。この同心は、手抜きの仕事をやることで有名である。そんな渡辺が、何用で壱助のような座頭に接触してきたのだろうか。
「いやな、大したことじゃないんだよ。ただ、ここらで妙なことが起きてな。何か見ていないかどうか、お前に聞きたいと思ったんだよ。ただ、それだけだ。すまないが、ちょっと来てくれ」
「申し訳ないですが、あっしはめくらなんですよ。何も見えやしませんぜ」
そう返したが、渡辺に引く気配はない。
「ああ、そうだったな。だったら、何か聞いてないかどうか、ちょっと聞かせてもらたいんだよ。なあ、頼む。すぐ終わるからさ」
言いながら、壱助の肩を軽く叩いた。
どうもおかしい。渡辺は、昼行灯の異名を持つお気楽同心だ。お世辞にも、仕事熱心とは言えない。それなのに、今日のしつこさは何なのだろう。
考えているうちに、壱助は面倒くさくなってきた。何を調べているかはわからないが、どうせ大した事件ではないだろう。いざとなれば、袖の下を掴ませれば済む話だ。一朱か二朱も渡せば、すぐに帰らせてもらえるだろう。
出来れば、したくない出費ではあるが。
「わかりました。話だけで済むなら、行きましょう」
「いや、助かるよ。なに、すぐに終わるから」
渡辺は穏やかな表情で頷き、歩いていく。少し遅れて、壱助も付いて行った。
・・・
その翌日。
江戸の町外れにある古い廃寺に、堂々と入っていく者がいた。周囲は雑草が伸び放題であり、時おり鼠や蛇などが横切る姿も見える。昼間でも人が近づかない、いわくつきの場所だ。
そんな場所に、権太はずかずか入って行った。ただでさえ大柄な体格である。足音も大きい。
やがて、彼は廃寺の前で立ち止まった。
「お美代さん、いるか?」
周囲を窺いつつ、そっと声を出してみた。
ややあって、中から不機嫌そうな声が聞こえてきた。
「誰だい?」
「俺だ、権太だよ。今朝、壱助さんと会うはずだったんだが、いつまで経っても姿を現さない。だから、来てみたんだ──」
言い終わる前に、お美代が姿を現した。布を巻き付けた顔とみすぼらしい着物姿で、出てくるなり喋り出した。
「実はね、昨日から帰って来ないんだよ。あんたも知らないのかい?」
「いや、俺は知らない。昨日の夕方には、家に帰ると言ってたんだぞ。こんなことは、前にもあったのか?」
「いいや、初めてだよ。ただ、近頃はあんたと一緒に仕事してるって聞いてたからね。てっきり、あんたと一緒に飲んだくれているんじゃないかって……」
「俺は酒は飲まない。さっきも言った通り、昨日の夕方には家に帰ったんだ。明日も、また会おうって言ってな。どうなってるんだ」
権太は、強い不安感を覚えた。壱助の身に、何か起きたのだろうか。やはり、家に帰るまで付いているべきだったか。
「どこをほっつき歩いてんだろうね、あの人は……」
言葉は乱暴だが、お美代の声は微かに震えている。彼女も、心配しているのだ。
権太は顔を歪めた。もしかして、また壱助を狙う馬鹿が出てきたのだろうか。
「やっぱり、帰るまで俺が付いているべきだった。今から、ひとっ走り行って探してみる。あんたは、ここで待っててくれ」
・・・
その日、お録は店の奥でそろばんを弾いていた。今は客もなく、蘭二は外に出ている。お春は、彼女の隣で暇そうに絵草子を見ている。
「やあ、お禄さん」
その言葉と共に、店に入って来たのは蛇次であった……黒い作務衣に身を包み、不気味な笑みを浮かべている。
「おやおや、蛇次さんじゃありませんか」
笑顔で迎えたものの、本音をいえば今すぐ店を閉めたい気分だった。巳の会の元締である蛇次が、自ら足を運ぶとは……確実に、良くないことだ。
「ちょっと話があるんだがね、いいかな?」
いいわけはなかった。が、追い出すわけにもいかない。お録は、お春の方を向いた。
「悪いけどね、今日はもう家に帰ってな。給金は、今日の分もちゃんと付けておくから。もし、途中で蘭二に会ったら、すぐに戻るように言うんだ」
お春が店を出たのを確認すると、お録は愛想笑いを浮かべつつ尋ねた。
「わざわざ、どうしなさったんです?」
「めくらの壱助なんだがね、昨日、怖い連中に引っ立てられて行ったそうだよ」
その言葉を聞いた瞬間、口から心臓が飛び出そうになった。
「めくらの壱助ってえと、あの坊主頭の按摩ですか。あいつ、何やらかしたんです?」
どうにか平静を装いながら、さらに尋ねてみる。すると、蛇次はにやりと笑った。
「とぼけなくてもいいよ。壱助は、あんたの手下だろう。調べはついてるんだよ」
蛇次の言葉に、お禄の表情も変わった。鋭い目で睨みつける。
「どういう意味です?」
「そのまんまの意味だよ。壱助だけじゃない、権太とかいう大男もあんたの手下だ。ちゃんと調べはついているんだよ。他にも手下はいることはわかっているんだがね、そっちはまだ判明していない」
その判明していない手下というのは、お美代のことだろう。考えてみれば、彼女は一度も店に来ていない。だからこそ、蛇次にばれずに済んでいるのだろう。
もしかしたら、お美代の存在が交渉の鍵になるかもしれない。
頭の中で計算を巡らすお録の前で、蛇次はなおも語り続ける。
「さすが仕上屋だね。この俺にさえ、手下の尻尾を掴ませないとは……大したもんだ」
そう言うと、蛇次は声をひそめた。
「ひとつ提案がある。あんたら全員、巳の会に入らねえか? そうすれば、俺が壱助の口を封じてやるよ」
その瞬間、お録の目が吊り上がった。
「どういう意味です?」
「いいかい、壱助を拉致してる連中はね、奉行所にも顔が利くんだよ。奴らは、いずれ奉行所の役人に壱助を渡すつもりだ。そうやって恩を売り、代わりに目こぼししてもらおうって算段なのさ。壱助が奉行所に送られたら、仕上屋は全滅だ」
「何を言っているのか、さっぱりわかりませんね。さっさと帰ってくれませんか」
言いながら、お禄は懐から短刀を抜いた。その目には、はっきりとした殺意があった。
すると、蛇次は笑みを浮かべて飛び退く。
「おいおい……そんな物騒なもんは出さないでくれよ。俺を敵に回しても、何も得はしないぜ。まあ、じっくり考えてみるんだな。損するのは、あんただしね」
言いながら、蛇次は店から出ていった。
ひとり残されたお禄は、忌ま忌ましげな表情で舌打ちする。これは、非常事態だ。果たして、どう動くべきか……。
だが、考える前にやらなくてはならない事がある。お禄は短刀を懐に収めると、すぐさま店を出た。
掏摸のお丁は、すぐに見つかった。絵草子を売っている店で、店主と何やら話している。
お録は、鋭い表情でつかつかと近づいて行った。彼女の襟首を掴み、怒鳴りつける。
「この泥棒猫が! 人の男に手を出しやがって! 話つけようじゃないか!」
喚きながら、彼女を乱暴に引きずっていく。
お丁も、何が起きているのかすぐに察した。口汚く罵りながら、お禄に掴みかかる……ふりをする。唖然としている店主を無視し、ふたりは人気のない路地裏へと入っていった。
そこで、お録はいきさつを説明する。
「えっ、壱助がさらわれたんですか?」
顔をしかめるお丁に、お禄は頷いた。
「そうなんだよ。草の根わけてでも探して欲しいんだ。必要なら、金をばらまいても構わないよ」
そう言うと、懐から小判の包みを取り出し、お丁に手渡す。
その途端、お丁の目が丸くなった。
「えっ、五両もあるじゃないですか!? 姐さん、いいんですか!?」
「いいよ。こいつは、仕上屋にとって最悪の事態だからね。金に糸目はつけない。壱助の情報をくれた人間には銭を出す。だから、早いとこ探すんだ」
もうひとりの密偵・お歌を見つけるのは簡単だった。大道芸人の彼女は、相棒と共に神社で芸をしている。お歌が三味線を鳴らし、相棒の男が舞い踊る。もっとも、見ている客は少ない。
いつもなら、会話しているところを見られないように注意を払い、人気のない場所に呼び出す。それが、彼女たちのやり方である。
だが、今はそんなことを言っている場合ではない。お録は早足で近づいていき、耳元で囁く。
「壱助が、どっかの馬鹿にさらわれた。すぐに探すんだよ」
その途端、お歌の目は丸くなった。そんな彼女の手に、そっと小判の束を握らせる。
「いくらかかっても構わないよ。乞食や河原者たちの情報網を使って、草の根わけてでも壱助を探すんだ。今すぐ取りかかるんだよ。いいね?」




