仕留めて仕上げて、日が暮れます(三)
「つまり、次はあっしらの番かもしれないってことですか?」
壱助が尋ねると、お禄は頷いた。
「ああ、そうさ。どこのどいつか知らないけど、迷惑な話だよ」
蕎麦屋の地下室には、例によって仕上屋の面々が集合していた。壱助と権太とお禄が椅子に腰かけ、蘭二は壁に背中を付けた状態で立っている。
そんな中で、お禄はお丁から聞いた話を語った。自分は仕上屋だと吹聴していた馬鹿がふたり、立て続けに殺された。これはひょっとしたら、仕上屋への宣戦布告かもしれない……と。
「そんなわけだからさ、あんたら気をつけるんだね。しばらくの間は、出歩くのを控えた方がいいよ」
その言葉で締めくくり、お禄は皆の顔を見回した。すると、壱助が顔をしかめる。
「困ったもんですね。どこのどいつなのか、見当はついてるんですか?」
「さあねえ。まあ、あたしらも今まで大勢殺して来たんだ。誰に狙われても不思議じゃないよ」
「ところで、その殺されたふたりだが、なんだって俺たちの仲間だなんて嘘を吹聴してたんだ?」
権太の問いに、お禄は苦笑した。
「やくざにもなれないような、中途半端な連中の中には、つまらない嘘をつく奴もいる。そういう嘘でもつかなきゃ、みんなから相手にされないような屑なのさ」
「そんなものなのか。俺には理解できんな」
難しい表情で首を傾げる権太を見て、蘭二はくすりと笑った。
「ごろつきという連中は、とかく大きなことを言いたがるものなのさ。仕上屋も、裏の世界ではそこそこ知られているからね。その仕上屋の一員ともなれば、周囲からは一目置かれるだろうね。それよりも、だ……この中で一番狙われやすいのは、やっぱり壱助さんだよ」
「まあ、そうでしょうね。めくらのあっしは、狙うには格好の獲物でしょうから」
壱助は、苦虫を噛み潰すような表情で言葉を返した。すると、権太が口を挟む。
「大丈夫だ。この件が片付くまで、俺がずっと壱助さんに付いて歩くよ。誰にも手出しはさせない」
「えっ? いやあ、そいつは悪いですよ。銭にもならねえのに、ずっと付いててもらうんじゃあ──」
「俺には表の仕事がない。だから構わないよ。金もいらん」
・・・
江戸の町外れの林に、一軒のあばら家があった。持ち主はだいぶ前に亡くなり、朽ち果てるがままになっている。
最近、そこに奇妙な二人組が住み着いていた。
お八と小次郎は、ござの上で並んで寝転がっていた。家の中は暗く、あるのは行灯の僅かな明かりのみだ。
「お八、次はどうするのだ?」
小次郎の問いに、お八は口元を歪めた。
「昼間、仕分人のお琴って女に会ってきたよ。金はかかったけど、仕上屋のことを詳しく教えてもらえた。最初から、こうすれば良かったよ」
「その仕分人のお琴は、信用できるのか?」
「ああ、信用できそうだね。少なくとも、巳の会の蛇次よりはましだろうさ」
「ならば、いよいよ本物の仕上屋とやり合うわけか」
「怖いのかい?」
言いながら、お八は体をすり寄せていく。その途端、小次郎の頬が赤くなった。
「ば、馬鹿を言うな。仕上屋など、しょせんはただの殺し屋だ。剣の道に生きてきた俺の敵ではない」
「ふふふ、頼りにしてるよ」
お八の手が、小次郎のはだけた胸元をまさぐる。だが、小次郎はされるがままだ。うぶな少年のように、体を震わせている……。
小次郎は今まで、女を知らなかった。
ひたすら武芸に打ち込んできた日々。だが仕官はならず、真面目すぎる堅物ゆえに他の仕事に就くこともままならなかった。
しかも、いかつい顔と体格のために女からは怖がられ敬遠される。女遊びも、その真面目すぎる性格ゆえに頑なに避けてきた。気がつけば、女と触れ合うことなく四十を超えてしまった。
そのままいけば、一生女を知らず人生を終えていただろう。だが、どういう運命のいたずらか、小次郎はお八と出会ってしまう。
ある日、小次郎は道で数人のごろつきと揉めた。些細なことから口論になり、挙げ句に向こうから殴りかかって来たのだ。しかし、しょせんは雑魚であり彼の敵ではない。刀を抜くまでもなく、全員を素手で叩きのめした。
その様を見ていたお八は、小次郎の腕に目を付ける。さらに、いい年をして女を知らない奥手であることも見抜いたいのだ。
彼女は言葉巧みに小次郎に近づき、その魅力で堅物の中年男をあっさりと落としてしまった。女に対し免疫のない小次郎は、いったん落ちてしまえば、支配するのは造作もないことである。
不惑の年を過ぎてから、初めて知った女体の味。その魅力に、小次郎は完全に虜になってしまったのだ。お八は若く美しい。その上、男を骨抜きにする技も心得ている。
さらに、小次郎は己に魅力がないことも分かっていた。自身が醜男であることなど、物心付いた時から知っている。お八が、自分を本気で愛していないことも承知の上である。
それでも彼は、お八から離れることが出来なかった。この悪女以外には、自分を相手にしてくれる女など、この世には存在しないという思いからだ。
お八もまた、そのことを熟知していた。
小次郎は、武芸に関しては凄腕である。だが、男女の秘め事に関しては素人以下だ。
お八の方は、男を落とす技をひたすらに磨いてきた。ひとえに復讐のため、自身のたったひとつの武器を研ぎすませてきたのである。この歳まで女を知らなかった堅物の中年男に、対抗できるはずもなかった。
四十を過ぎた小次郎が、自分の娘ほどの年齢のお八に支配されている……ふたりは、そんな異様な関係であった。
「いいかい、次こそは本物の仕上屋を狙うよ」
仰向けになっている小次郎の耳元で、お八は優しく語りかける。その表情は、子に対する母のようであった。小次郎は、これから来るであろう快感への期待に、顔を歪めながら頷いた。
「わ、わかった。俺に任せておけ」
「ふふふ。小次郎、好きだよ」
言いながら、お八は小次郎にのしかかる。その唇を、優しく吸った。小次郎は仰向けになったまま、うぶな少年のように悶え、彼女にされるがままになっている。
だが、お八の目には冷酷な光が宿っていた。
・・・
翌日──
「ごんた、いそがしいの?」
夕暮れ時の小屋にて、突然に発せられたナナイの言葉……権太は戸惑った。
「ま、まあな。なぜ、そんなことを聞く?」
一応は尋ねてみたものの、その答えは察しがつく。最近の権太は、ナナイと過ごす時間が少なくなっている。
仕上屋が狙われているらしい、と聞かされれば、自分も動かないわけにはいかない。ただ、それゆえに彼女は寂しい思いをしているのかもしれない。
「さいきん、あちこち、でかける。あんまり、きてくれない」
その言葉からは、寂しさが感じられる。権太はうつむいた。考えてみれば、この女は自分以外に知り合いがいないのだ。
それ以前に、ナナイは人間ではないが──
「寂しい思いをさせてすまないな。今は、仕事の方が大変なんだ。だが、片付いたら暇になると思う──」
「ほかに、すきなひと、できたか?」
いきなりの問い。表情も先ほどまでと違い、真剣そのものだ。さすがの権太も唖然となった。
「お前、何を言っている。俺に惚れる女なんか、いるわけないだろ」
即座にそう返したが、次の瞬間に間違いに気づく。彼女の言う「すきなひと」とは、色恋の絡む話ではない。知り合い、友達、仲間……そういった存在が、お前の人生に現れたのか? とナナイは言っているのではないか。
さらに言うなら、その「すきなひと」は、自分より大切な存在なのか? と問うているのではないだろうか。
ナナイは、こちらに背を向けた。人の血液が固まったものを、ばりばりかじっている。拗ねているかのようだ。権太は、何を言えばいいのかわからず下を向く。
そして思った。かつての権太にとって、仕上屋は仕事を斡旋してくれる場所に過ぎなかったはずだ。お禄たちに対する仲間意識など、欠片ほどもなかった。もし自分を裏切るようなら、何が何でも生き延びて全員の首をへし折ってやる……その覚悟を秘めて、仕上屋の面々と付き合っていたのだ。
ところが、月日が立つにつれ彼らとの関係が深まってしまった。特に壱助と蘭二に対しては、複雑な思いを抱いて見ている。ふたりの抱える問題を、手助けしてやりたい気持ちもある。
もし、半年前に「仕上屋とナナイ、どちらが大事だ?」と聞かれたら「ナナイ」と即答していただろう。だが今は、即答できる自信がない。
無論、ナナイの方が大事なのは間違いない。彼女の存在が、漂着した直後の自分にとってどれだけ大きかったか。ナナイがいなかったら、恐らく自分は生きていまい。
しかも、ナナイには助けてくれる人間が誰もいないのだ。権太は、彼女のためなら何でもする気だ。そもそも、ナナイのために今まで人を殺し続けてきたのてまある。
その時、嫌な考えが頭に浮かぶ。
万一、ナナイが仕上屋の標的になったら?
今の俺は、仕上屋の連中を皆殺しに出来るだろうか?
・・・
同じ頃、町外れのあばら家に四人の男女が集まっていた。既に日は沈み、外は闇に覆われている。
あばら家に集まっている男女もまた、心に闇を抱いている者たちであった。
「あんた、お八とかいったな。本気で、仕上屋を潰す気なのか?」
ざんぎり頭の中年男が、お八に尋ねる。この男、名を鍵屋の清治という。かつて仕上屋に息子を殺され、密かに復讐の機会を狙っていたのだ。
「もちろん本気さ。でなかったら、こんな所にあんたらを集めたりしないよ」
そう言って、お八はにやりと笑う。すると今度は、若い男が口を開いた。
「おめえを信用していいのかね。俺は、女とは組みたくねえんだがな。女なんかに、何が出来るんだよ」
その言葉に反応したのは、お八ではなく小次郎であった。瞬時に刀を抜くが、若い男の対応も見事であった。一瞬にして立ち上がり、両の手に短刀を抜き構えている──
「待ちなよ二人とも。達吉さん、あんたの女嫌いなんざ、こっちの知ったことじゃない。仕上屋と殺り合うのが怖いなら、さっさと抜けな」
お八の言葉の奥には、美しい顔からは想像もつかない凄みがある。達吉は舌打ちし、短刀を収めた。
この達吉もまた、裏の仕事師である。とはいっても、名の知れた大物ではない。街を徘徊する破落戸に毛の生えたようなものだ。
かつて、お禄に向かい「女が元締かよ。仕上屋も、噂ほどじゃねえなあ」などと軽口を叩いたことがあった。
お禄も、最初は相手にしていなかったが……調子に乗った達吉は、さらに失礼なことを言い続ける。結果、傍にいた蘭二にこっぴどく痛めつけられた挙げ句、肩を外されてしまった。
その傷がようやく癒えた今、蘭二に対する復讐のためにお八と組んでいるのだ。
「いいかい、まず狙うのはめくらの壱助だ。奴をさらい、他の連中の情報を吐かせる」
「そんな面倒なことをする必要があんのかよ? 手っ取り早く、元締のお禄と蘭二を殺ればいいだろ。頭さえ潰せば、あとは雑魚だ。壱助はめくらだし、権太は腕は立つが一匹狼だ。どっちも、殺すのは難しくねえ」
達吉が口を挟む。だが、お八はかぶりを振った。
「そうもいかないんだよ。奴らの中には、鉄砲使いがいる。下手に襲って、鉄砲使いに撃たれたらしまいだよ」
「ああ、そいつは俺も聞いたことがある。仕上屋の仕事には、必ず鉄砲で殺された奴がいる。だが、その鉄砲使いがどこの何者なのか、誰も知らないって話だ。仕上屋の誰かに聞かなきゃ、わからねえよ。もっとも、聞いたって教えちゃくれないだろうがな。痛めつけて吐かせないといけねえよ」
言ったのは清治だ。この男、まがりなりにも裏の世界でそこそこ長く生きている。仕上屋が楽な相手ではないことを熟知しているのだ。
「だから、まずは一番弱そうな壱助をさらい、鉄砲使いについての情報を聞き出すんだ。他の連中は、その後だよ。わかったね?」
お八の言葉に、皆が頷いた。




