仕留めて仕上げて、日が暮れます(一)
「何だって? それは本当かい?」
驚愕の表情を浮かべるお禄に、頷いて見せたのは壱助だ。
「ええ。どうやら、あの栗栖って奴を殺したがっていたのは、あっしらだけじゃなかったみたいですぜ。片目の殺し屋とその子分たちは、間違いなく栗栖の命を狙っていました。しかも、居合わせたあっしらのことまで殺そうとしやがったんですよ。まあ、返り討ちにしてやりましたがね……って、蘭二さんから何も聞いてないんですかい?」
「う、うん。なんか、話しかけづらい感じでさ。こっちも、あえて聞かないようにしてたんだよ」
「やっぱりね。そんなことじゃないかと思ってたんですよ。だから、こうして来てもらったんでさあ」
お禄と壱助は、権太が借りている長屋に来ている。
今日は、珍しく店にいたお禄だった。ところが、裏口で掃除をしていた時のことだ。何者かが近づく気配を感じ、ぱっと振り向く。
そこにいたのは権太だった。大きな体を縮ませ、周囲を気にしながら囁く。
「悪いけどな、剣呑横町の長屋まで来てくれないか? 大事な話がある」
しばらくして現れたお禄に、権太と壱助は当日あったことを話したのだ。
ふたりから話を聞き終えたお禄は、眉間に皺を寄せつつ語り出した。
「そいつは、たぶん片目の鴈治郎だね。巳の会の殺し屋だよ。子分を連れて肩で風切って歩いている、ちょっとした顔役だったと聞いてるよ」
「ああ。確かに数人の子分を引き連れてたよ。全員、殺したけどな」
言ったのは権太だ。
「それはすまなかったね。けど、妙な話だよ。わざわざ奴らを差し向けるなんて、蛇次にしちゃあ大袈裟だね」
そう、妙な話なのだ。
巳の会の元締である蛇次が、阿片の密売人である栗栖を狙った……これは、不自然な話ではない。密売人に限らず、自分にとっての商売敵を潰すために裏の人間を使うのは、よくある話だ。
しかし、片目の鴈治郎を使ったというのが引っかかる。あの男は、裏の仕事師の中でもきわめて凶暴との噂だ。居合わせた無関係の者もろとも標的を消してしまうような、荒い仕事ぶりで有名である。
それに、自分たちより先に鴈治郎が栗栖を始末していたら、仕上屋にとって大きな痛手となっていたであろう。この仕事を依頼したのは、江戸の裏社会の大物である弁天の小五郎だ。その小五郎の面子を潰し、仕上屋の信用を失いかねない事態になっていたであろう。
「ひょっとしたら……誰かが、あたしたちを潰すために仕組んだ罠かもしれないねえ。まあ、その誰かってのは、考えるまでも無くわかるだろうけどさ」
お禄の言葉に、壱助は溜息をつく。巳の会の殺し屋が動いた……となると、もっとも疑わしいのは元締の蛇次であろう。
「そいつは厄介ですな。あっしも、しばらくは大人しくしていましょうかね。このままじゃあ、とんでもないことに巻き込まれそうだし」
頭を掻きながら、そんな言葉を吐いた。
「注意するに越したことはないね。あたしも、蛇次に探りを入れてみるよ。このままじゃ、釈然としないから」
そう言って、お禄は立ち上がった。
「ところで、蘭二の奴は大丈夫なのか? あいつ、かなり落ち込んでたみたいだが」
心配そうな顔で聞いたのは権太だ。
「大丈夫だよ。あいつは面だけ見るとひ弱そうだけど、意外と根性あるから」
「それはよかった。いずれ権太さんと一緒に、蘭二さんの面を見るついでに蕎麦でも食いに行きますから……おっと、あっしの場合は声を聞くだけですがね」
言いながら、壱助も立ち上がった。
・・・
夜の江戸は、昼間の喧騒が幻であったかのように静まりかえっている。
普通の市民なら、今は眠っている時間帯である。こんな時間に活動しているのは、大抵の場合まともな人間ではない。
今、提灯を片手に歩いている男もまた、まともな人間ではなかった。
「ねえ、ちょっといいかな?」
ふらふら歩いていた町人風の男に、不意に声をかけてきた女がいた。見れば、まだ若い上に可愛らしい顔だ。しかも、妙な色気を漂わせている。やや短い丈の着物を身にまとい、上目使いでこちらを見ている。
この男、先ほどまで酒場で飲んでいた。したたかに酔っており、店を閉めるからと言われて追い出されたものの、まだ酔いは醒めていない。今夜は博打で大勝ちし、いつになく機嫌も良い。
そんな時だけに、警戒心が緩んでいた。しかも、見れば可愛らしい娘である。
「おう、俺は構わねえぞ」
男は、陽気に答える。すると、女が近づいて来た。
「あんた、鋳掛け屋の太助さんだろ?」
「えっ? 俺を知ってるのか?」
「ああ、知ってるよ。あんたに、是非とも聞きたいことがあるんだ。ちょっと付き合ってくれないかな? 教えてくれたら、いいことしてあげるからさ」
言いながら、女は妖艶な笑みを浮かべる。太助は、鼻の下を伸ばしながら頷いた。今日は、本当についている……などと思いながら。
「おう、構わねえぜ。何だって教えてやるよ。何が聞きたい?」
「あんたさ、有名な仕上屋と仲がいいって聞いたんだけとさ、本当なのかい?」
「仕上屋? ああ、よく知ってるよ。何たって、この俺さまは仕上屋の一員だからよ。まあ、あんまり大きな声じゃ言えないけどな」
そう言うと、得意そうに胸を張る。すると、女は彼にしなだれかかって来た。
「だったらさ、是非とも聞かせとくれよ。誰も聞いてない場所で、ふたりっきりでさ」
女は、太助の手を引いていく。もちろん、太助が断るはずがない。鼻の下を伸ばし、誘われるがまま付いていく。
やがてふたりは、夜の闇に消えた。
・・・
その翌日、お禄はいつものごとく町中を歩いていた。
店にいる蘭二とは二言三言、言葉を交わしただけだが……今のところ、何事もなかったかのように蕎麦屋の仕事をしている。
蘭二に対する不安はあるが、それよりも、今は優先すべき問題がある。お禄は、足早に道を進んで行った。
あちこち歩き、ようやく目当てのものを見つけた。
「お久しぶりですねえ、蛇次さん」
道端で捨三と立ち話をしていた蛇次に、近づいて行き声をかける。
すると、蛇次は向きを変えた。
「おお、お禄さんじゃないか。どうかしたのかい?」
「いや実はですね、うちの連中が先日、片目の鴈治郎とちょいと揉めたらしくて……鴈治郎とその子分を全員、殺っちまったらしいんですよ」
「ほう、そんなことがあったのかい」
答える蛇次は、にこやかな表情を浮かべている。しかし、目は笑っていない。
「鴈治郎は、巳の会の殺し屋でしたよね。奴らは、栗栖って名の阿片の密売人を狙ってたそうです。ご存知でしたか?」
「ああ、知っていたよ。しかし、片目の鴈治郎を殺るとは大したもんだね。さすがは仕上屋さんだ」
そう言うと、蛇次は笑い出した。なんとも不気味な笑い声である。お禄は思わず顔をしかめつつも、言葉を続けた。
「わかってると思いますが、うちも栗栖を仕留めるように依頼を受けてたんですよ。ところが、鴈治郎も栗栖を狙ってたようです。そこで運悪くかち合い、鴈治郎と子分たちが仕掛けてきたので、うちの連中が返り討ちにしたんですよ。好き好んで、鴈治郎を殺った訳じゃありません。そこのところ、誤解しないでください」
「わかっているよ、そいつは仕方ない話さ。この稼業には、そういうこともある。俺は、あんたらを咎める気はない。だがねえ、こんなことが続くようだと、お互いのためにならないなあ。もっとも、仕上屋さんがうちに入ってくれれば、全ては丸く収まるんだがねえ」
そう言うと、蛇次はお禄をじっと見つめる。
彼女は、ようやく事態を呑み込んだ。これは蛇次からの警告であり、同時に意思表示でもある。
巳の会に入れ、でなければ今後もこのようなことがあるぞ……という脅しなのだ。
「お禄さん、あんたは頭のいい人だ。今すぐとは言わないが、考えておいてくれよ」
蛇次の言葉に、お禄は下を向いた。この男は、何を考えているのだろうか。
仕上屋と鴈治郎たちは、本気で殺し合った。生き延びたのは仕上屋だが、これが逆になっていたとしてもおかしくない。
それを仕組んだのは、間違いなく蛇次だ。鴈治郎は、蛇次にとってかなり使える手駒だったはず。
その手駒を失いながら、平気で自分たちを仲間に引き入れる……その神経がわからない。
いや、そんなことよりも──
「ひとつ、聞いていいですか?」
「何だい?」
「今の江戸には、あなたに逆らおうなんて馬鹿はいやしません。なのに、あなたは巳の会をさらに大きくしようとしているように見えます。これ以上、何を望むんです?」
堅い表情で尋ねた。すると、蛇次の目が光った。
「俺はね、見てみたくなったのさ」
「何を見たいんです?」
「この裏の世界の全てを、巳の会が仕切る。その時見える風景は、いったいどんなものだろうねえ」
そう言うと、蛇次は笑い出した。くっくっく……という不気味な笑い声だ。
お禄は眉をひそめた。この男、狂っているとしか思えない。だが、頭は切れる上に巳の会の長だ。
もはや、誰にも手が付けられない。止められる者がいるとしたら、弁天の小五郎くらいか……。
そんなことを思うお禄に、蛇次はなおも言葉を続ける。
「俺はね、十五の時に親父を殺した。その時、お袋に言われたんだよ。お前なんか産むんじゃなかった……ってね。だから、お袋も殺してやったよ。以来、俺はつまらないんだよ……なあお禄さん、俺はつまらなくて仕方ないんだ」
「あなたの人生がつまらないのは、誰のせいでもないです。あなた自身のせいですよ」
お禄の発した言葉に、蛇次は目を細める。
「ほう、言ってくれるねえ」
「あなたが何を考え何をしようが、それはあなたの勝手です。ですが、仕上屋は……晴らせぬ恨みを晴らし、許せぬ人でなしを消します。そこだけは曲げられません。ですから、巳の会には入れないんです。今後も、うちはうちでやっていきますんで」
そう言うと、お禄は軽く会釈した。
向きを変え、去って行く。
「お前は、俺の怖さを分かってないらしいな。馬鹿な女だよ」
残された蛇次は、誰にともなく呟いた。
・・・
「あんた、仕上屋と知り合いなんだって?」
仕事の帰り、五助はひとり夜道を歩いていた。
そんな彼に、こんな声をかけてきた者がいる。誰かと思い振り返ると、ひとりの女が立っていた。まだ若いが、綺麗な顔立ちだ。着物越しではあるが、体つきもなかなかのものに見える。
「おう、そうだよ。俺はな、仕上屋の一員だよ。で、何か用かい?」
にやにやしながら尋ねた。すると、女は近づいて来た。上目遣いで彼の裾を引っ張る。
「あんた、噂の仕上屋なんだあ……すごいね。あたし、いろいろと聞かせてもらいたいことがあるんだけど」
言いながら、女は手招きする。五助は鼻の下を伸ばしながら、女の後を付いて行った。
「こいつも違うみたいだよ。ったく、男って奴は……何で、こんなつまらない嘘を吐くのかねえ」
町外れのあばら家。
その中では、先ほどの女がぶつぶつ言いながら、全裸の五助を蹴飛ばす。だが、五助は倒れたきり何の反応もしない。
「ったく、どいつもこいつも嘘つきばっかりだ。仕上屋ってのは、どこにいるんだよ」
憎々しげな表情で言いながら、女はなおも五助を蹴飛ばす。しかし、五助は何の反応もしない。
それも当然だろう。何せ、彼は既に死んでいるのだから。傍らには、五助の着ていた服や持ち物が置かれている。言うまでもなく、お八は全てをいただくつもりだ。
「おい、お八。こんなことを続けていたら、いずれ奉行所の役人に目を付けられるかもしれんぞ」
そう言ったのは、険しい顔つきの男である。野武士のような荒々しい風貌であり、体つきも逞しい。大小二本の刀を腰に差しているところから見るに、侍のようだが……身にまとっている着物はぼろぼろだ。
全体的にみすぼらしい雰囲気ではあるが、着物から覗く腕は太く逞しい。数々の修羅場を潜っていることは、鋭い面構えからも窺える。
「んなこと、言われなくても分かってるよ! あんたは黙って、あたしの指示に従ってりゃいいんだよ!」
そう言った後、お八は虚空を睨む。そこに、憎い仇がいるかのように。
「仕上屋……絶対に潰してやるよ。お父ちゃんたちを殺した罪を、あたしが償わせてやる」




