やさしさだけでは、生きていけません(二)
昼過ぎ、お禄は町を徘徊していた。
あちこちの店に顔を出し、愛想笑いを浮かべながら挨拶する。傍からは、暇を持て余した年増女が遊び相手を探してふらふらしているように見えるだろう。
いうまでもなく、彼女の本当の目的は違う。お禄が欲しいのは、裏の世界に関する情報だ。
近頃、江戸全体に妙な空気が漂っている。裏の世界で、これまで闇に潜んでいたはずの者たちが動き出した。結果、全体の流れがおかしな方向に向かっている……言葉では上手く説明できないが、そんな気配を感じるのだ。お禄は通りを歩きながらも、油断なく耳をすませていた。
そんな彼女を、呼び止める者がいた。
「お禄さん」
その声に、お禄は振り向いた。
目の前に、若い女が立っている。華奢な感じの娘だが、器量はなかなかのものだ。上目遣いでちょっと声をかければ、大抵の男は鼻の下を伸ばしてついて行くだろう。
だが、お禄にはわかっていた。この女、裏の世界の住人だ。どこかで見た覚えはあるが、はっきりとは思い出せない。
「あたしを知ってんのかい。でも、あたしはあんたを知らないね。どこの誰だい?」
眉間に皺を寄せて尋ねるお禄に、女は愛想よく答える。
「お初にお目にかかります。あたしは、仕分人のお琴です。今後とも、よろしく」
「ふうん。あんたが、噂の仕分人かい」
お禄の目が、すっと細くなった。その手は、懐に呑んだ短刀へと伸びる。と同時に、目だけを動かし周囲を見回す。数人の町人らしき者たちが歩いているだけだ。が、油断は出来ない。
その時、お琴がくすりと笑った。
「そんな怖い顔しないでくださいな。皺が増えますよ」
「んだって……」
じろりと睨むお禄に向かい、お琴はぺこりと頭を下げる。
「冗談ですよう、あんまり嫌わないでくださいな。あたしら同業じゃないですか。仲良くやりましょうよ」
「それは、あんたら次第だね」
「何を言ってるんですか。あたしは、お禄さんのことは尊敬してますから。それじゃ、失礼します」
お琴は、そそくさと去って行った。
その後ろ姿を、じっと見つめるお禄。一瞬、後をつけてみようかという考えが頭を掠めた。だが、彼女はそういう芸当は上手くない。何より、元締の自分がここで下手を打つわけにはいかないのだ。
もっとも、この件は放っておくわけにもいかない。お禄は、満願神社へと向かった。
神社に着くと、入口のところで二人組の大道芸人が芸をしていた。お歌が三味線を鳴らし、白塗り姿の男が竹光を片手に踊る。この場所では、いつもの光景だ。お禄は、少し離れた場所からさりげなく目配せする。
お歌は、三味線を弾きながら頷いた。
やがて演奏を終えると、お歌は相棒に耳打ちして立ち上がる。同時に、お禄は向きを変えて歩き出した。
人気の無い路地裏に行き、物置小屋へと入り込む。息を潜め、お歌の来るのを待った。
ややあって、こつこつという音がした。
「姐さん、お歌です。どうかしましたか?」
「大したことじゃないんだけどね、さっき仕分人のお琴ってのと会ったよ」
「えっ、本当ですか? 何か言われましたか?」
「いや、大したことはないんだよ。挨拶して、今後ともよろしく……だってさ。今のところ、あたしらと殺り合う気はないみたいだね。ただ、向こうはあたしらのことを知ってる。でも、あたしらは向こうのことを知らないってのは、あんまり気分がよくないね」
言いながら、お禄は顔をしかめた。本当に気分がよくない。向こうがどの程度の戦力なのか、接触してきた目的は何なのか、そのあたりが全くわからない。
今までは、仕分人とはかかわらないつもりでいた。だが、こうなるとそうも言っていられない。
「わかりました。これから、きっちり調べてみます」
「頼んだよ。近頃は、ちょっと怪しい雲行きだからね」
物置小屋を出た後、お禄は足早に歩いた。今日は、ここまでにしよう。まずは帰って、蘭二とこれからの相談をしなくてはならない。
この先、どう動くか……などと思いながら歩いていると、いきなり現れた男たちに道を塞がれる。見れば、かなり柄の悪い連中だ。間違いなく、堅気の人間ではない。
「えっ? ああ、こりゃ失礼しました。お兄さんたち、どうぞどうぞ」
愛想笑いを浮かべながら、さりげなく脇を通りすぎようとする。見たところ、典型的な悪人面の若者たちだ。こんな連中に関わっていられない。
しかし、男たちはお禄の前に出て来る。行く手をふさいだのだ。
「あなた、お禄さんですよね? 小五郎の親分が、あんたに会いたがっているんですよ。申し訳ないですが、今から一緒に来てもらえないですか」
ひときわ貫禄のある男が、ぶっきらぼうな口調で言った。言葉は丁寧だが、有無を言わさぬ態度だ。
お禄は、堅い表情で頷いた。また、仕事の依頼のようだ。最近、小五郎絡みの仕事が多すぎる。このままでは、小五郎の手下として扱われてしまうのではなかろうか。お禄は微かな不安を覚えながらも、大人しく従った。
「ようお禄さん。ここんとこ、あんたには世話になりっぱなしだな」
町外れの出会い茶屋……そこの大きな一室で待っていた小五郎は、笑顔でお禄を迎える。恰幅の良さは相変わらずだ。
「いえいえ、小五郎さんから仕事をいただけて、こちらとしても助かります」
お禄も、笑顔で頭を下げる。
しかし、内心ではうんざりしていた。小五郎は蛇次に比べれば、かなりましな人物ではある。しかし、このところの仕事に関しては、私情が混ざり過ぎている気がするのだ。
彼女とて、阿片が江戸に蔓延するのを良しとしているわけではない。だからといって、小五郎の阿片に対する狂気にも似た思いにもまた、両手を挙げて賛成できない部分はある。
さらに言うなら、その私情による制裁に自分たちが使われているというのもまた、釈然としないものを感じる。
自分たち仕上屋は、晴らせぬ恨みを晴らし、許せぬ人でなしを消す商売だったはずなのだ。もちろん、小五郎には阿片に対する恨みはあるだろう。だが、本来の自分たちの仕事ではないはずだ。
そんなお禄の思いをよそに、小五郎は語り出す。
「お禄さん、とうとう見つけたんだよ。この江戸に、阿片を流行らせている悪の根源をな」
「そうですか。で、どこの何者なんです?」
「町外れのあばら家に住んでる、蘭学者くずれの若造だよ。栗栖とか名乗っているらしいが、本名かどうかは分からねえ。だが、名前なんざぁどうだっていいんだよ」
そう言うと、小五郎は懐に手を入れた。中から、小判の束を取り出す。
「こいつさえ殺れば、江戸に出回る阿片は大幅に減るはずだ。殺ってくれるな、お禄さん」
目の前には、小判の束がある。だが、お禄は即座に返事が出来なかった。このままでは、小五郎に取り込まれ、いいように使われてしまうのではないだろうか……という懸念がある。
しかし、お禄は首を縦に振った。
「わかりました、殺りましょう。あたしら仕上屋にお任せください」
そう言うと、お禄は小判を受け取った。ここまで来た以上、引き受けない訳にもいかないだろう。小判を懐に入れると、神妙な面持ちで頭を下げた。
部屋を出た後、お禄は歩きながら思案していた。今回の標的は、栗栖という男ひとりだけ。大した相手ではないだろう。壱助と蘭二とお美代、それに権太。果たして、誰に殺らせるか。
いや、念のため全員を送り込もう。万が一の時のための備えは必要だ。たかが蘭学者くずれひとり殺すのに四人がかりとは、さすがに大げさではある。が、たまには楽な仕事もいいだろう。




