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必殺・仕上屋稼業  作者: 赤井"CRUX"錠之介


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43/62

春には、春の花が咲きます(二)

 あれは、二年前のことだった。




 当時、権太は島で暮らしていた。流されて来た罪人たちと、肩を寄せ合い生きていた時代である。凶悪な罪人たちも、大きな体と奇妙な技を使う彼には一目置いていた。

 そうなると、腕っぷしの強い権太に取り入ろうとする者も現れる。もっとも、身ひとつで流されてきた罪人たちに出来ることといえば、面白い話くらいのものだ。権太は罪人たちから、様々な話を聞かされるようになった。

 やがて権太は、江戸という町に強い憧れを抱くようになる。美味しい食べ物、洒落た着物、美しい女たち、時を忘れさせる様々な娯楽……罪人たちから聞いた江戸は、獣や罪人が住む涅槃島とは真逆だった。

 言うまでもないことだが、権太は生まれてから、島を出たことがない。彼を取り巻く世界は、過酷な自然と罪人たちが全てである。だからこそ、噂に聞く江戸という町に憧れるようになった。

 時を重ねていくにつれ、権太の中で、江戸に対する想いはどんどん強くなっていった。彼の中では、江戸という町はもはや桃源郷と化している。一度でいいから、江戸に行ってみたい……その考えが、心を完全に支配してしまっていた。

 そんな折、とある罪人たちの会話を盗み聞きしてしまう。四人の男たちが、島抜けを計画していたのだ。夜中に用意しておいた小舟に乗り込み、海をって江戸に帰る……というものである。

 はっきり言えば、正気の沙汰ではない。幕府の船であっても、涅槃島に着く前に嵐で転覆することもあるのだ。冷静に考えれば、失敗の危険が高いことに気づいたはずだ。

 だが、権太は彼らに頼み込んだ。自分も一緒に連れて行って欲しい、と。




 計画当日の夜、五人の男たちは小舟で島を脱出した。

 だが出発した三日後、小舟は嵐に巻き込まれる。大風と波の前にあっては、小舟は木の葉のように脆いものだった。

 沈没こそ免れたものの、仲間のひとりが海に落ちて命を失った。その上、小舟に積んでおいた僅かな食糧や水の半分以上が波にさらわれてしまう。

 権太と三人の仲間たちは、飢えに苦しめられていた。残っていた僅かな食料を巡り、殺し合いが起きそうな雰囲気が漂っていた。


 時が過ぎ、もうひとりが死亡する。

 生き延びた三人を、恐ろしい空気が包み込んでいた。彼らの目の前には、肉がある。食ってはならないはずのもの。昨日まで仲間だった者が、肉塊と化して横たわっている。

 これを食べてしまえば、自分たちは人ではなくなる。だが、飢えは容赦なく三人を襲う。体に潜む何かが、食物を求めて吠えていた。

 食ってしまえ、と。


 三人は、ついに鬼と化した。昨日まで、共に助け合っていた仲間。その肉を切り取り、生のまま食らったのだ。柔らかい臓物を噛みしめ、血を啜る。




 数日後、もうひとりが死んだ。生の人肉を食らったことにより、病に侵されたのだろうか。発熱と下痢を繰り返し、苦しみ抜いた挙げ句に亡くなってしまった。

 ふたりは、もはや躊躇うことなどない。死ぬのを確認したと同時に、またしても生のまま肉を食らったのだ。陽射しの強い海上では、肉はあっという間に腐ってしまう。早く食べてしまわなくてはならない。

 手際よく死体を解体した二匹の鬼は、その肉を貪り食った。腹を切り裂き、まだ暖かい臓腑を掴み出して噛みちぎり飲み込む。水の代わりに、流れ出る血を啜った。

 人肉を食らい血を飲んだことにより、飢えと渇きは収まった。

 しばらくの間は。




 やがて、小舟の上にいるのは権太ひとりだけになった。生き残っていた罪人が、いきなり権太に襲いかかって来たのだ。狂った目で、野獣のように吠えながら掴みかかって来た。その目的は言うまでもない。権太の肉だ。罪人は権太を食らうため、狂ったような声をあげ掴みかかってきた──


 しかし、権太は罪人を返り討ちにする。教わった武術の技で、あっさりと首をへし折った。

 たったひとり生き延びた彼に、もはや躊躇(ためら)いなど存在しない。殺した罪人の肉を食らい、血を啜る。




 島を出てから、いくつの昼と夜が過ぎたのだろう。

 権太を乗せた小舟は、運よく海岸へと漂着する。今の逞しい体からは想像もつかないくらい痩せ衰え、骨と皮ばかりの幽霊のごとき姿になりながら、彼はふらふらと歩いた。江戸に対する憧れなど、とうの昔に消え失せている。小舟の上で見た地獄が、朴訥な青年を怪物へと変えていた。


 ・・・


 権太は、目を開けた。同時に、思い切り跳ね起きる。

 また、あの時の夢を見てしまった。人肉を食らい、生き血を啜り生き延びた記憶だ。


「ごんた、だいじょうぶ?」


 ナナイが、心配そうににじり寄る。


「ああ、大丈夫だよ」


 言いながら、上体を起こした。ふと、昼間に見た者を思い出す。泥棒市で見かけた白髪の男だ。

 あれは昔、涅槃島に罪人として流されて来た男に間違いない。人相はだいぶ変わっていたが、火傷の痕のある顔は間違えようがなかった。名前は龍造で、仲間内の喧嘩に巻き込まれて相手を殺してしまった武術家である。

 彼は、若い権太に武術を仕込んだ。言ってみれば、師匠のような存在である。そんな男と、この江戸で再会することになろうとは。

 権太は、改めて運命の皮肉を感じていた。


 ・・・・


 その頃、猪之助はふたりの子分を連れて町を歩いていた。だが、突然に声をかけられる。


「やあ、猪之助さん。あんた最近、えらく景気がいいようだね」


 声の主は蛇次であった。作務衣姿で笑みを浮かべながら、すたすたと猪之助の方に歩いて行く。傍らには、腹心の部下である捨三が控えていた。

 子分たちの表情は、一瞬にして険しいものとなる。しかし、猪之助は平然としていた。


「やあ蛇次さん。お陰様で儲けさせてもらってますよ」


 そう言って、笑みを浮かべる猪之助。すると、蛇次はうんうんと頷いた。


「だろうねえ。ところで、ちょっと話があるんだが……今から来てもらえないかな?」


 尋ねる蛇次だったが、猪之助は首を振った。


「すみませんが、今は忙しいですね。申し訳ありません」


 口調は丁寧で、顔にもすまなそうな表情を浮かべている。しかし、その態度が心からのものでないのは明らかだ。

 蛇次の目が、すっと細くなった。


「そうかい。ところで……ひとつ言いたいんだが、あんたの()の会は、ちょっと紛らわしいなあ。そうは思わないかい?」


「思わないですな。俺が何をしようと、あなたに指図される覚えはないですね」


 そう言うと、猪之助は笑みを浮かべた。だが、その目には敵意がある。


「なるほど。しかしね……巳と亥、先にいたのはどっちなのかな。よく考えてみるんだね」


 蛇次の言葉に、猪之助は口元を歪めた。


「なるほど。しかしね、(いのしし)ってのは、腹が減れば蛇でも食っちまうんですよ」


 猪之助の言葉に、捨三の顔つきが変わった。


「猪之助さん、ちょいと言葉が過ぎるんじゃないですかい」


 詰め寄って行こうとする捨三。だが、蛇次がそれを制した。


「やめておけ捨三。ほんの冗談さ。こんなことに、いちいち目くじら立てるなんざ粋じゃねえだろうが。なあ、猪之助さん?」


「ええ、ほんの冗談です。さすが蛇次さん。冗談の通じる方とは話しやすいですなあ。ついでに、これも冗談ですが……春には、春の花が咲きますよね。そろそろ、亥の会が花を咲かせる時期ではないかと。俺は、そう思うんですがね」


「すると、巳の会の花は散ってしまったと……そう言いてえのかい?」


 蛇次の表情にも、僅かながら変化が生じる。


「まあ、そうは言いませんが……ただ、咲いた花なら散るのが定めです。盛者必衰、これは避けられない運命でしょうなあ。では、そろそろ失礼します」









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